夢も希望もない先に幸福論がある | 宿命知らずして人生変わらず

宿命知らずして人生変わらず

自分の能力を活かし、悩める方々にお役に立てばと思います。お気軽にお声かけて下さい。


私はよくこんな表現をすることがあります


「それが事実でも、そうじゃなくても、あなたの人生の幸不幸を決定などしない」


もっと言えば


「人生において夢や希望があってもなくても、それが幸不幸を直接左右するものではない」



私が徹底的に拘りたいのは「人間の最終目標は個々が幸せに到達すること」です


もっと言えば、その人独自のオリジナルな幸せがあると良いですね


横一線の幸せではつまらないです



幸せになるための手段として、夢を持ったり、希望を持つだけで


夢や希望を持つ事が目的じゃないのです


何度も言いますが、その先にある幸福感を得た人生を日々過ごす事が最終目的なのです



そう考えた時に、希望的な観測で物事を話したり、または何かへの執着(特に異性)によって、自分の幸福論を正当化しようと躍起になってるだけで、宇宙規模の生命観で見れば、その躍起になってる人間の姿そのものに何の意味もないのです。あるのは、単に「その人の経験による思考と目の前に起こってる事実を自分の都合良い方に解釈したい、または自分の都合の良い方向へとシフトチェンジしたい」という願望だけなのです



個人の願望は個人の願望に過ぎず、宇宙規模のリズム、宇宙規模で見た時の「いち生命体」に過ぎない個人のエゴなどは達成すべき事でもなければ、達成できずとも良い事なんです。



何度も言います。それが達成されてもされなくても、人間の幸不幸を直接決定しないからです


少し難しくなりました。噛み砕きます。もっとイメージがつき易いように具体的に言います。



目の前で愛する夫が他の女性とセックスしても、してなくても、それが事実でも事実じゃなくても、妻が幸せになるかならないかを決定するのは、セックスに関する事は関係ないのです。


何故なら、浮気の概念も人それぞれ違えば、その浮気にまでなったプロセス、事情もそれぞれ違うのです。物事の前後関係が全く違う時に、その結果だけで物事を判断するのは不条理です。


ハッキリしてるのは、単に感情的に、単に固定観念として、妻が怒ってしまうという事実だけです。


どうして怒るか?「浮気は酷い」と思ってるからです


そんな事は常識のある人であれば誰でも解ってる事です


私は知ってます。浮気が酷いから怒ったのではありません。自分が傷ついたから怒ったのです。自分の自尊心がズタズタになったから、それが悔しくて、それが許せなくて怒ったんです。その怒りをコントロールできない恐怖との闘いを妻は内面で葛藤します。アレコレと過去の出来事と合わせて、数学のように考えます


過去にお金の面でも裏切られた、あれも、これも、今も優しくない、全て過去の記憶というもので夫を評価します。評価という計算式に当てはめて、足し算と引き算をして、頭の中で感情含めた利害関係で答えを出そうと方法論で躍起になります。


そして、外部からの助言なり、総合的に含めて、夫の評価をして、それが


「許せるか、許せないか」のジャッジをします。



許せない=離婚


仕方が無く許す=夫が反省してるか先の動向を様子見る


許す=自分にも非があったと認めてるから



単に、浮気されて怒った妻はそういう計算を方法論でしてるに過ぎないのです。


「今許してもまた未来に同じ事をさ・れ・る・か・も・し・れ・な・い」


という【恐怖心】と闘いながら、どれが賢明な選択か四苦八苦します


ちょっと冷静になってみませんか?


あなたは、幸せになりたいんですか?それとも夫に制裁を下したいんですか?


自分の許せない感情をスカっとさせたいんですか?


そんな夫を選んで結婚したのはアナタじゃないですか?


一体、どうしたいんですか?




夫が浮気しなくても、夫が優しくても、夫がお金持ちでも、夫が子供好きでも、不幸に感じる妻などは数えきれない程います。


逆に、夫が浮気症で、不器用で、貧乏で、子供嫌いでも、幸せに感じて生きてる妻もいます



この違いはどうしてでしょうか?



後者の妻の思考回路がヘンなのでしょうか?それとも満足できるはずの生活状況にある前者の妻の方が思考回路がヘンなのでしょうか?




賢明な方ならもうお分かりですよね?


「浮気の事実がどうであれ、あなたの人生の幸不幸は決定などしない」


こういう事です


だから許すも許さないもそんなのは関係ないのです


「アナタは幸せになるためにどうしたいんですか?」


という事しかないんです。その時点で、前に進む選択肢しか残されてないんです。


離婚も良いと思いますよ。許すのも良いです。


「アナタが幸せになるための選択をしたのですから」



「その選択がどれが正しいか解らないから困ってる」と言うかもしれませんね。



再度言います。


「選択に正しいとか間違ってるなどありません」



決めて動く。人生には自分で覚悟して決めて動くしか正解はありません。



「あなたにとっての幸せって何ですか?その幸せに向かうための選択ですよね?であれば、幸せに向かうための選択として正しいんじゃないでしょうか?幸せの意味が解らない?幸せの定義が解らないんですか?もし幸せの定義が解らないのなら、それは問題です。幸せの意味が解らないのに幸せになりようがありませんから」



ヒステリックで感情的、人を許せない、人を受け入れられない


この手の人は一番「不幸になり易い人」の典型です


常に歳悩まされる日々を人生の晩年まで送ると思います


心の中は孤独だと思います



私は浮気を正当化などしてません


そうではなくて、幸福論を語ってます


実は、幸福論においては、突き詰めると


夢も希望もない話しなんです


皮肉なものです。夢も希望もないその先にしか


夢も希望も期待しないその先にしか


本当の幸福感は存在しないというメカニズムです



期待は依存です


期待は結果的に裏切りを発生させる危険性を持ってます


希望的観測は自分都合の未来を勝手に想像させます



出来る事なら、夢も希望も持ちましょう。大切です。


でも夢と希望の意味を解った人だけが、夢と希望を持っても裏切られません。


夢と希望の意味や、人の愛情なり人との期待感などの意味を履き違えてる人は


直ぐ不幸な気持ちになります



だから人生観を大局で見極める智慧を身につけなくていけません。



人生とは、非常に厳しいですね。そして常に難題を突き付けられます。


それを必死でクリアしようともがき苦しみ生きるその姿そのものに人間的な魅力があるのではないでしょうか?


私は、私と共に必死になって現状を変革したいと願う人からメッセージを快く受けつけております。いつでもメッセージ下さい。私は皆さんから相談を持ちかけられ、一緒になって悩み、苦しみ、必死になって状況を変えようと努力する中で、実は私自身も一緒に成長させて頂いてます。とてもありがたい事です。


相談者の悩みや苦しみも取り除き、そして私までも成長させて頂く


これに勝る人生の冥利はありません


共に成長し、共に状況を変えて行きましょう!