こんにちは。管理人のmoguraですえっ


10月からブログを下記の場所に移転して、ブログを再稼動することになりました!


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移転先のブログでは《ざ・こもんず》の更新情報や、moguraの極私的にチョイスしたニュースをお知らせしていきます。


皆さんこれからもよろしくお願いしますチョキ


日頃スポーツや音楽といったジャンルで仕事をしていると、世の中の(政治や経済の)動向とは無縁であるかのような錯覚にとらわれることがある。


 が、実際は断じてそうではなく、世界中に軍事基地を配したアメリカが、スポーツや音楽文化の情報配信をすることによって、基地のある国民に帝国の一員であることを無意識のうちに認識させているように、ヒトラーによるナチ・オリンピックの時代と同様、現在もスポーツや音楽は、国際政治国際経済のなかで存在している。


 一方スポーツや音楽は、(ここでは詳しく述べることはできないが)ヒトラーもかつての日本軍国主義政府も最終的にそれらを意のままに支配することができなかったように、それらの文化自身のなかに、反戦・平和・人権擁護の思想とメッセージがアプリオリに内在していることも事実である。


 そんななかで、日本社会独自の文化のあり方を模索し、構築する作業は、美しく豊かな社会を築くうえで極めて重要な作業であるはずなのだが、もちろん今回の参院選でもそのような文化政策が争点になることはなく、何人か立候補したスポーツ関係者も、あたかもスポーツと政治が乖離したものであるかのごとく、スポーツを語らず政局の渦のなかへ巻き込まれていった。


 手段の目的化…と言ってしまえばそれまでだが、選挙の結果が政治の変化として語られる以上に政局の変化として騒がれるなかで、今回参院に当選した議員たちが、近頃なぜかムードとして胚胎している「憲法改正」の動きに対して、どのような姿勢と意見を打ち出すのか、注目したい。そのときこそ、日本社会独自のスポーツ文化や音楽文化が豊かに花開くための選択が、その理由とともに求められるに違いないのだから。

そこまで負けるとは誰も予想できなかった参議院選挙での自民党の大敗。その理由について多くの人たちは「年金問題」だけではなく、「閣僚の不規則発言」や「政治とカネ」の問題など複合的なものであったと話している。しかしその底流には共通する問題が潜んでいる。それは安倍首相の性格的な弱さである。それがリーダーシップの決定的な欠落につながったと私は理解している。閣僚たちが引き起こしたいかなる不祥事にも自らはなんの意思決定もできず、年金問題に対しても初動の遅さが最後まで尾をひいた。選挙間際の強行採決の連発も弱さの裏返しではなかった。


安倍首相は選挙直前になってテレビ出演を頻繁に行い、みずから国民に語りかける戦術にでたが、その結果は、自民党への支持率低下に拍車をかけただけだった。


「言葉に力がない」


私にはそんなふうにしか感じられなかった。私は民主党の政策が自民党よりも良かったなどとはとうてい思えない。違ったのはリーダーの覚悟だった。民主党の小沢一郎党首は負けたら「政界引退」とまで言ったのに対して、安倍首相は選挙前から「結果にかかわらず続投」といい、大敗後も「私だけは続投」という態度に終始した。選挙結果は、この差ではないか。