「皇室」と「家族」は左傾度のバロメーター | 世日クラブじょーほー局

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 9日付の世界日報16面オピニオン欄のビューポイントは、大月短期大学名誉教授である小山常実氏による、「聖徳太子を厩󠄃戸王に変えるな」の論稿だった。今年2月14日に文科省が公表した小中学校の学習指導要領改訂案の歴史的分野において、「聖徳太子」の呼称が、「厩戸王(聖徳太子)」に改称されていることについて、小山氏は、「明らかに、聖徳太子は、日本史上最も偉大な人物であり、近代日本にとっても極めて重要な人物である。その偉大さ、重要さは『厩戸王』では決して表すことはできない。『厩戸王』への転換は、間違いなく、歴史的分野の目標と反対の方向を目指し、『我が国の歴史に対する愛情』と『国民としての自覚』を破壊するものだ」と指摘する。同問題について、評論家の小浜逸郎は、自身のブログで、「天皇家の歴史をなきものにしていこうとする歪んだ政治的意図が感じられます」とまで断じている。

 

 なお、小山氏によれば、現行教科書8社中7社は、「聖徳太子」の表記であり、共産党系の歴史教員が作ったという「学び舎」だけが、「厩戸王子(聖徳太子)」と表記している由。これをもって小山氏は、「『学び舎』は桁外れに自虐的、反日的な教科書であるが、事もあろうに、その『学び舎』の呼称を指導要領が模倣しようとしている」と悲嘆するのだ。

 

 続けて小山氏は、公民的分野にも言及。平成18年に教育基本法が改正され、第2条「教育の目標」で「公共の精神」が謳われたにもかかわらず、平成20年改訂の指導要領には、「公共の精神」は、公民分野の目標の箇所にさえ載っていなかったとし、なおかつ同指導要領から、「家族」と「地域社会」という単語が消えたと指摘。その結果、平成22年度検定の公民教科書では、多数派教科書から家族論も地域社会論も消えたのだそうだ。小山氏は、「改訂案のような教育をしていたのでは、国家の基礎である家族と地域社会の解体が進行していくであろう」と警鐘を鳴らす。

 

 もう一つ紹介したいのが、3月7日付世界日報12面オピニオン欄の「メディアウオッチ」で、増記代司氏がクローズアップするのは、毎日新聞1日付夕刊「特集ワイド」の、「家族の絆弱まり、家庭の教育力低下―!? 『伝統的家族』なる幻想」の記事。その中で、京大教授の落合恵美子氏は、「大正期の第1回国勢調査では核家族はすでに54%(2015年は57・4%)に上り、3世代以上の同居家族などは31%(同10・1%)にすぎない。世界的に見れば、高い数字ですが、大正期ですら3割しかない。…安倍首相や日本会議の唱える家族像は『日本の伝統を誤解している』」と難じた。これに対して増氏は、「確かにこういう数字は『事実』なのだろう。だが、その読み方はどうだろうか。大切なものは失って初めて分かるものだ。空気(酸素)は生存に不可欠だが、それが満たされていれば、一番大切のものとは思わない。家族もそうで、58年はあえて挙げることもなかったが、今や失われつつある。それで一番大切なものに挙げる人が増えた。それが皮膚感覚だろう」と分析し、反論してみせている。

 

 さて、新聞報道において、「皇室」と「家族」に対するスタンスこそ、左傾度のバロメーターといえようか。だとすれば、在京紙では、朝・毎・日・東はいわずもがな、読売、産経と比しても世界日報がいっちゃんまともだよ。こう言うと、「おたくは韓国贔屓だとか、バックがどうも…」とか。今、世界日報のソウル特派員は上田氏という闘う男がその任にあるからよく読んでから言え。バックについてはこっちこそ言いたいくらいだが、ただイエスは、木の良し悪しは、その実をもって判断できる旨、述べておられる。(ルカ福音書6章43節) まぁ見とけ。ともかくも当方に噛みつかれてるようじゃ、読売も産経も看板が泣くというもの。