三橋貴明著「『TPP参加』を即刻やめて『エネルギー安全保障』を強化せよ!」を読む | 世日クラブじょーほー局

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「TPP参加」を即刻やめて「エネルギー安全保障」を強化せよ! 安倍総理「瑞穂の国の資本主義」への直言/マガジンハウス

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 本書の冒頭で三橋は、文藝春秋の本年1月号に掲載された安倍晋三(現首相)の政権構想である論稿「新しい国へ」の中段にある、ウォール街発の強欲資本主義を批判した「瑞穂の国の資本主義」」のくだりを紹介し、これを高く評価。「安倍晋三総裁を応援していて、本当に良かった」とこれを読んだ当初、心底思ったそうだ。

 当方も安倍氏のネックは、新自由主義を引き摺るということにあり、第一次政権の失脚もそれに起因すること大だったとみる。しかし安倍氏は、07年参議院選惨敗を経て、かつ政権失脚に伴い、さらにその後も辛酸嘗め尽くした。「新しい国へ」によれば、安倍氏は民主党が政権交代を果たした09年総選挙において、地元からの圧倒的な支持を得られなかったときは、その任期を終えれば政界引退まで決めていたそうだ。

 また第一次政権担当時の自分を振り返り、「やや気負いすぎていた」とし、「あの時はこうすべきではなかったかと思い返し、それらをノートに書き留めて、この5年間、折に触れて読み返してきた」のだそうだ。昨年の総裁選も、周囲は、ほとんど反対の立場だったようだが、そういう中で、総裁選を勝ち抜き、見事、再度首相の座に上り詰めたのだ。これは奥様のアッキーさんも予想だにしなかったようだった。

 このように地獄から這い上がり、奇跡といえる復活を果たした安倍氏だからこそ、氏が元来もつ保守主義の信念とあわせ、第一次政権時とは、ひと味もふた味も違う政権運営を期待したところだった。がしかし…といったら元も子もないが、本書の結論として三橋は、「安倍首相、初心に戻ってください」と願うこと切なのだ。

 その直接の原因は、アベノミクスの第一の矢(異次元の金融緩和)と第二の矢(機動的な財政政策)は実に正しく、成果も出ているのだが、第三の矢である「安倍政権の成長戦略を見ると、デフレを深刻化させ、どう考えても『一部の投資家、企業』の所得が増えるだけとしか思えない規制緩和(規制改革、と言っているが)のオンパレードだ」というに尽きるのだ。(ちなみに「TPPは国境を越えた規制緩和」だと三橋氏)

 今現在の日本の経済状態は、97、8年頃から続くデフレ状態である。このデフレからの脱却がアベノミクスの主眼目だが、その手法に2つの派閥があると三橋は言う。

 ひとつは、デフレ脱却のためには、金融政策と財政政策のポリシーミックスが必要で、公務員削減、公共投資削減、さらに規制緩和は、デフレ促進策であるとする立場。もうひとつは、デフレ脱却のためには、金融政策のみで事足りる。財政政策は不要もしくは「多少必要」な程度で、公務員や公共投資は削減し、規制緩和を推進するべきであるとする立場だ。

 端的に前者はケインズ系であり、後者は新古典派経済学をベースとする構造改革主義者である。無論、この政策の違いは、デフレの原因の認識の違いによる。ケインズ派はデフレの原因を「総需要の不足」と捉え、構造改革派は、「マネー量の不足」と捉えているというわけだ。

 この認識の違いは決定的で、相容れる様相はみられない。現実には、構造改革派の理念である市場原理主義は方々で綻びをみせ、ケインズ系のクルーグマンや、スティグリッツがノーベル経済学賞を受賞するなど変化がみられるわけだが、依然、世界の主流派は構造改革派が占めている。日本の財務省はその典型だろうが、本書では税収弾性値(経済成長によって税収がどの程度増えるかを示す値で、名目GDPの成長につれて租税収入はそれ以上に増え、名目GDPがマイナス成長になると、租税収入はそれ以上のペースで減るというもの)について取り上げ、産経新聞の田村秀男編集委員が分析したデータを紹介している。

 それによれば、税収弾性値は3~4という値であるにも関わらず、財務省はその値を1.1だとし、名目GDPの成長を軽視し、財政健全化のためには、あくまで消費増税だと強弁して、自らが持つ予算の権限や、事実上の警察組織である「国税庁」の威力を背景に各方面に暗黙のプレッシャーをかけているという。このように「狂った羅針盤」(他にも数々ある)を用いていては、わが国の経済政策が正常化する日は遠のく一方だと三橋は指摘している。

 三橋は、政府の目的を「経世済民」でなければならないと説き、今現在、各国でそれは失念されているとする。その昔、自民党に、経世会なる最大派閥があったが、「済民」思想を忘れて、今日の衰退を招いたのではなかったか。自民でも民主でも政権与党の不遜さこそ克服すべきガンだ。また三橋は、「各種の政策には『善』も『悪』もない。重要なのは、政策のタイミングだ」という。国民生活の実態を見ず、ただ一つの学説をイデオロギー的に盲信して振り回すことで、一握りの勝者を除き、世界中が不幸に叩き落とされているのが現状だ。ここにも強烈な不遜さが漂う。

 最後に三橋は、「デフレ期の規制緩和と安全保障強化は、両立し得ないという法則を発見したといい、だから逆に、わが国はデフレであり、政府は『おカネを使い、総需要を拡大する』必要に迫られている。おカネを使う先が安全保障の分野(軍事に限らず)であれば、『デフレ脱却』と、『安全保障の強化』を両立させることが可能なのである」と喝破している。

 最終章である第四章は、三橋と中野剛志による「エネルギー安全保障の行方」と題した対談になっているが、それも含め本書は全般にわたり、わかり易く、説得力ある内容で、当方も自らの経済に対する信念に、また自信がもてた。しかし、ただ一ついえる難点は、構造改革派にとって本書は異端で、トンチキで、嗤うべき非学問だとして、何の痛痒も感じないということだろう。