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テーマ「拉致監禁問題取材班の二年半」
講師:堀本和博氏(世界日報社社会部長)―9月29日開催―

 「拉致監禁の連鎖」が連載180回を超えた。今年で3年目となる。その足跡を振り返りながらこの問題の本質を突き詰めていきたい。これはいわゆる統一教会信者に対する拉致監禁による棄教の強制であるが、何もここ数年で始まったことではない。まず1966年7月7日の朝日新聞社会面に「親泣かせ原理運動」という大きな記事が出た。当時から統一教会信者の大学生とその親との間に件数は少なかったにせよいろんな軋轢があって問題化していた。そこへきて件の朝日新聞の記事によって親御さんの不安というものが増長された面があった。爾来この問題は現在に至るも続いている。世界日報創刊が1975年だが、これまで断続的に拉致問題を取り上げてきた。

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 約3年前に「拉致問題取材班」を発足させ、シリーズ連載による超ロングキャンペーンを始めたのは、今までのやり方ではダメだという声を受けてのものだった。(堀本氏が)チーフとして考えたことは、拉致は既成の事実であり、強制的な暴力による改宗が行われている。このことを前提として、これまで取材や記事の執筆が行われてきた。しかし拉致を行っている側(親御さん、その背後にいる職業的改宗屋など)そしてそれを支援する人たちが拉致問題を追及された時にどのように言っているか。「そういう事実は一切ない」というまるっきりの否定だ。全ての前提としての「拉致」なるものの存在の認識に対して、こちらが「黒」であり、向こう側は「白」だと完全否定している構図。そういう中でこちらが「黒」を前提にして、いろんなことを言っても説得力がないのだ。一般人から見れば、片方は「まっ黒」だと主張し、もう片方では「真っ白」という主張では、「黒」に完全に付くわけにも行かないにしろ、いいとこ「灰色」という見方しかできないはずだ。

 拉致問題を扱う上で原点に返って何が一番必要か。まず「黒」だということを説得しなければならない。そのためには、具体的な材料、証拠などを細かく提示しなければならない。これまでのように「黒」を前提として出発するのでなく、少なくとも一般人にこの問題を理解してもらうには、まず“問題がある”ということを認めてもらわなければならない。それと「白」だと言い張る人たちには真正面から向かいあってこれが本当に「白」ですか?「黒」ではないですか?と提示していかないといけない。だとすれば、これまでのように総論的にいくら論じても一歩も前に進まない。それは当事者たる統一教会側にしても、同様である。「黒」だと訴えていること自体が疑われていることを理解しなければならない。メディアの立場で私たちが取材し、追及していく上においても「黒」を前提としてキャンペーンは張れない。「白」「黒」どちらもあり、という幅広いスタンスに立ちながら事実を一個一個積み重ねていく必要がある。その上で「黒」だと言わない限り説得力がないのだ。そういう意味で、今回の連載とこれまであった拉致問題を扱った取材や記事とでは大きく違う。

 拉致問題は50年、すなわち半世紀になんなんとする。その間約4300人という被害者がいるという。これだけの被害者がありながら、「白」だという主張を言い張られている。そう考えた時に4300人の中で、どんな被害者が「黒」だと示すのに一番説得力があるのか。まずは直近の被害例が一番生々しいし、立証もし易い。またその監禁された期間が10年以上に及んでいるとなれば、これを根掘り葉掘り追及していけば断片的な中にも否定できない事実がいっぱい出てくるはずだ。そこでまず最初の具体例として、後藤徹氏に白羽の矢を立て、連載「パートⅠ」は彼の証言とした。普通ならこのような連載というものは、ジャーナリストなら誰でも綺麗な文で、また流れるように書きたいという誘惑に駆られるものだ。小学生の作文のような細かな事実をいちいちそのまま追っていくような書き方はしない。きちっと纏めて読み手が読みやすいようにする。しかしわれわれは、この連載において、そのような書き方を一切止めようじゃないかと方針を出した。却って小学生の作文のように綿々と事実を突きつけていこうじゃないかと確認し、2010年2月4日立春を期して連載がスタートした。

 通常の「後藤徹さんの手記」であるなら5、6回で終わるだろう。それを50回、約2ヶ月かけて連載した。もっともそれは読み手には苦痛だろうところ。しかし記録を残すことによってこれが一次資料となり、後世に貴重なデータを残すことになる。後世この問題を研究する者や歴史家などの手掛かりとなるものとして残すのだ。「パートⅠ」にはそういった具合でスタートしたが、目標にしたのが、ソ連の作家ソルジェニーツィンの「イワン・デニーソヴィチの一日」だった。この作品はラーゲリ収容所に収容されていたたった1日の話しを一冊の本に綿々と書き連ねている。普通なら眠たくなるような内容の文章を一気に読破した経験から、そんな内容となるのを目標とした。

 さて後藤氏は180センチを超える身長でありながら、体重が39キロというガリガリに痩せ細った姿となって監禁場所から脱出してきたという。それは衝撃的だった。その大半は荻窪のマンションでの監禁だったが、最初は新潟だった。後藤氏は、その新潟のマンションの窓から下を覗くと、駐車場があって、こういう建物があって、道があってという断片的な記憶はあるが、われわれの取材以前はそのマンションの所在は特定できていなかった。告訴しているわけなので、警察はあるいは知っていたかもしれない。しかし後藤氏は知らなかった。後藤氏を連れ立って新潟まで行き、この辺かと疑われるところの当たりをつけ、何日かかけて、その周辺を何回も回ってついにマンションを特定した。その部屋のネームプレートを確認すると、後藤氏の親戚の名前だった。それは監禁当時から変わりなかった。このように、この取材を通じてこれまでわかっていなかった事柄も具体的に特定していったというのも今回の特徴だ。

 また今までの「拉致監禁問題モノ」と違うもう一つの特徴は、とことん、しつこくやるということだ。世界日報は大手紙に比して読者の絶対数において影響力が限定される。しからば、同じテーマの内容を繰り返し、手を変えて伝える必要がある。後藤氏の連載の後、その内容のポイント解説を付けた。「パートⅠを終えて(上)(中)(下)」だ。さらにはこの解説までを踏まえて、この問題を独自に手がけているジャーナリストの室生忠氏に連載についての感想、解説を頼んだ。それが「室生忠氏に聞く」。これまで紙面化した「パートⅦ」までの連載において、同様に証言→ポイント解説→室生氏に聞くというスタイルで、実にしつこく徹底的にやった。これまでの通り一遍のものとは際立った違いだ。

 次に「パートⅡ」は5月7日~6月1日まで32回やった。そのテーマは「医師小出浩久さんの手記」だ。すなわち小出さんの証言。ではなぜ小出さんか? 拉致監禁は、大学生が対象とのイメージが強い。しかし社会人も負けず劣らず対象になってきたのであり、しかも医師は社会的に重い責任を抱える立場だ。担当患者の命をも預かるような立場のそんな人まで拉致が及んでいる。その酷さたるやということをクローズアップした。また社会的地位もある医師が告白するということにおいてインパクトが強いだろう。特にこの「パートⅡ」の重要な意味は、小出さんの拉致・監禁にかかわっているのが、参議院議員有田芳生氏であるということ。小出氏は拉致され、新潟の山荘に監禁された。監禁中に教会を脱会する意思を示し、勤めていた教会系の病院を手当てが不十分だったと逆に訴えた。その過程で、ここまでくればもう安心だと拉致の首謀者が気をゆるしたのか、当時反統一教会で名を売っていたジャーナリストの有田氏にインタビューの機会を与えた。有田氏は週刊文春の記者とともにその山荘まで出向きインタビューを行い、その内容の一部が週刊文春の記事として掲載された。これは動かしがたい事実である。「黒」を「白」とは強弁できない。その事実関係の中で小出氏と有田氏との間で交わされた言葉がある。有田氏「一年間も閉じこめられていて、よく耐えていられましたね」。これは、小出氏がこの拉致監禁の体験を綴って出版した本の中にも書かれているし、この「パートⅡ」の証言でも触れている。

 小出氏のこの証言を元に取材班が有田氏に取材の申し込みを行った。その際、メールでのやりとりとしたが、有田氏はお断りの返事。「一年間も閉じこめられていて、よく耐えていられましたね」という言葉の意味するところは何か? ほかでもない拉致監禁を認めていることの証左である。拉致監禁という直接の言葉はなくても、あきらかにそれを前提としたコメントとしか捉えようがない。有田氏は今にして「しまった」ということだろう。取材拒否としながらも、「なお小出さんの著作ですが、そんなことを言うはずがありません。あのとき小出さんはとても明るく対応してくださいました。」とわざわざ返信してきて否定している。有田氏としても全く無視することは出来なかったのだろう。さらに付け加えて「取材でなければお会いしますが」とも。しかし私は、それには応じなかった。あくまで公式的な取材のオファーを貫いた。有田氏は、「片山さんが取材を原則としているように、小生も(申し訳ないですが)『世界日報』の取材を受けないことを原則としています。そのうちに雑談でもというときには気軽に御連絡ください。」との返信。「パートⅡ」ののち、ポイント解説「パートⅡを終えて」を全5回やった。その中で、先の有田氏とのメールでのやりとりを全部そのまま掲載した。それは、言った言わないという論争の余地のないもの。メールで受信した記録がある。実はこのことが有田氏を逆上させたようだ。

 後日、拉致監禁の裁判の傍聴の後、裁判所の控え室にいた私に、「世界日報ですか?」と有田氏が聞いてきた。「そうです」と私。「世界日報は酷い」と有田氏。「何が?」との問いに、有田氏「私信のメールを本人の許可もなく勝手に公表した。それは信義違反だ」と。そこで私は、「何が信義違反か。私信とは、親しい間柄でならそうかもしれないが、私たちとあなた(有田氏)との間でやったのは、公的な人間同士の文書の交換である。つまり公式的に取材を申し込み、あなたは拒否をしたということ。第一あなたと私は今ここで初めて会ったのであり、私信を交換し合うような関係ではない」等々概ね以上のような応酬があった。

 有田氏にしてみればやりとりをそのまま公開されたことで、怒り心頭に発したということだろう。しかし私としては、一般人ならいざ知らず、ことジャーナリストたるものが「取材」といってやりとりした問答は、全部公開されたとして文句はいえない。まして、今現在参議院議員という公的立場にある人間である。あるいはプライバシーさえ売り物にする芸能人などにおいても、一般人のそれとは同様ではあるまい。有田氏は百も承知のはず。有田氏はその日の夜にツイッターで私に対して「反社会部長の称号を送る」。また直接取材活動をやっている片上氏には「私信を公開するなどというルールも知らない無知な記者」だとつぶやいた。記事の内容を読めば、決して私信の交換でないということは分かっていただけると思う。つまり公式的に取材を申し込み、先方は公式的にそれを拒否するというやりとり。有田氏は自分が取材する時は相手にどんどんそれを受けるように強要しておきながら、いざ自分が逆に取材される立場に立つと自分勝手なことを言い出す。これはけしからんことだということを証明すべく、あえて連載の中でこれをそのまま掲載した。ここまでで、本編だけで82回を数えた。

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 次の「パートⅢ」では「鳥取教会拉致襲撃事件」を取り上げた。これは教会の建物の中で、親娘の話し合いの場を設けたのだが、その話し合いの真っ最中に10人以上の人間が突如乱入し、娘を拉致していった。これは誰がどう解釈しようが、家宅侵入罪であり、器物破損罪であり、誘拐であり、暴行傷害容疑の刑事事件として成立する内容を含んでいる。しかしそれでもこれは立件されなかった。まず警察のスローモーな捜査があった。その間に証拠は隠滅されただろう。果たして証拠が十分固めきれず、検察としては疑いは濃いが、証拠不十分ということで、不起訴となった。無論全く嫌疑なしにはできず、グレーだということ。しかしこれだけの事件であるから、民事訴訟では当然勝つ。雀の涙ほどの賠償金ではあるが、民事裁判では勝訴というかたちで終えた。この事件において、警察のスローモーな対応の背景には、被害者となった娘の父親が鳥取県警の警部だったことがある。いわば身内の捜査だったということ。またその父親は鳥取の国体の選手であったこともあり、警察全体の模範のような存在だった。その故に明々白々な白昼行われた暴力沙汰=刑事事件であるにも関わらず、うやむやにされた。そういう不当性を記録に残す必要がある。民事では勝訴していることもきっちり押さえておく。このような意味で取り上げる価値がある事件だった。「パートⅢ」も30回を数えた。8月30日~10月10日まで連載。ここまででトータル112回。これまで世界日報における連載の最長記録だったのは「朝日新聞最新事情」の107回。これを超えて最長記録を今なお更新し続けている。

 去年も立春から「パートⅣ」がスタート。これは今利理恵さん夫妻のケース。ファミレスで食事を終えて店を出たところを待ち伏せされ、拉致された。夫婦で店を出たところを奥さんだけが夫の目の前で拉致されたのだ。その後奥さんが逃げ帰ってきたことによって実態が明らかになり、民事訴訟を提起した。しかし一審、二審とも敗訴という結果。つまり拉致そのものもそれによる損害も認めないという判決が出た。普通の人ならいくらそれが不当だと思ったとしても、大半はここで諦めてしまうことだろう。しかし今利夫妻は最高裁に上訴した。これは「信教の自由」が侵害されている憲法違反だと大上段に掲げたのだ。しかし通常は上告し、それが取り上げられる確率はわずかだ。まして地裁、高裁において一致して敗訴しているという現実がある。一審とニ審の判断が違う場合は上告もありうるが。しかしこの裁判は1年ほどの後、言い分を聞くということで、法廷が再開された。滅多にないことだ。その法廷で被告、原告両者に和解勧告を出した。和解の内容は両親側が謝罪し、今後拉致をしない旨を約束する。その代わり賠償は取り下げることとする。一審二審敗訴の末、最高裁がこのような内容での和解勧告をした背景は、訴状に「信教の自由」が憲法の規定どおり守られるべきだと主張したということがあろう。当たり前のことなのだが、敢えてそれを掲げている。それゆえに最高裁といえども却下できなかっただろう。最高裁での和解により一審二審の敗訴の記録は消える。その意味では今利さん側が勝ったかたち。ただしそれは、家族に対しての和解であって、もう一方で訴えていた牧師たちは和解案を蹴った。だから厳密に言えば不十分なところはある。しかし憲法の大原則を最高裁レベルで確認できたというその意義は大きい。今利さん夫妻はあまりに過酷な体験と、その裁判で一審二審敗訴という憂き目を味わうなどにより、精神的打撃を受ける。拉致されたのは奥さんだが、ご主人も同じ苦労を体験する中で、PTSD発症という精神障害を負うことになる。今利さん夫妻にとっては最高裁主導による異例の和解という決着にも心が晴れないのだ。「パートⅣ」は20回を数えた。

 次に「パートⅤ」これまでは被害者のケースを追って取材したが、国内だけでは限界がある。なぜか? 日本は法治国家といいながら、「家族」を前に出されると個人の人権が跳ね返されてしまうことが少なくない。最近ようやく親の子に対する行きすぎた折檻(虐待)に外部からの手が入るようになってきた。長い間、こういう問題は「家族」の問題だというので、外部から公的機関などが入っていけない度合いが大きかった。特にこの傾向は、日本、韓国など儒教思想の影響のある国でみられる。欧米では比較的少ない。欧米では、「法」は勝ち取ったものという認識がある。その適用の仕方は日本などに比べはるかに公平、平等だ。拉致問題でも日本の警察は、例えば拉致を通報され駆けつけても、親が出てきて「家族の問題ですから」とやられれば、引き下がる以外ない。統一教会では、拉致などの恐れの可能性のある信者には、「もし事前連絡なしに当人と連絡が取れなくなる事態などあった場合は拉致とみなし対処して欲しい」旨の念書をあらかじめ用意するようにしているが、その書類を持参し、助けを求めてもなかなか難しいのが現状だ。「家族」の壁に跳ね返されてしまうのだ。

 ところで児童ポルノ写真問題というものがあるが、欧米ではそれを所持するだけで罪となる。ところが、日本では所持だけでは罪にならない。国際常識からすればそれは異常だとみられる。同じ民主主義国家、法治国家といえどもズレがあるということ。あるいは売春問題ということで言えば、ひと頃南米などから本人の意に反して連れてこられて売春行為をやらされていた現場に警察が踏み込んだ場合、欧米ではまず被害者として、保護の対象となる。しかし日本では、法の厳格な適用が優先され、助けるということに重きがおかれてない。それは人道的でないと非難されてきた。欧米と日本は互いに民主主義や法治国家という価値感を共有しているにも関わらず、微妙な違いがある。それは歴史的、文化的差異があるので、一概に全部一致しなければならないということはないし、なおかつ欧米が必ずしも常に正しいとは限らない。それでも一般的常識に照らしてやはり日本が遅れているのではないかと思われることはいろいろある。その中で、拉致問題に対する法の適用の仕方も憲法に謳われた条文のとおりに、何人にも平等に適用しているとは言いがたい。いわば、弱小宗教団体をカルト視して、それに対する適用と、それ以外に対する場合とには二重基準がある。だからいろんな問題に囚われない立場で、公正中立に法律を適用した場合、現状のようなあり方が正しいかどうか判断してもらう必要がある。「国境なき人権」など人権問題を扱う国際団体、あるいはその他のNGO団体、さらには国連やそれに付属する様々な団体。そういう機関から見た場合、果たして拉致問題に対する今日の日本の警察、検察、裁判所は公正中立な立場で、判断を行っているのか。あるいは人権が日本国民全体に平等に行き渡っているのか。そういう問題を海外の目からチェックしてもらう必要がる。北朝鮮による日本人拉致問題では家族会などが、アメリカ政府や国連など国際機関で訴えたりしているがそれも同様の趣旨だろう。国内で運動を盛り上げると同時に国際的な輪を広げ影響力を増すということだ。

 アメリカの国務省が毎年「宗教自由報告書」を出す。それはアメリカという国の成り立ちに関わっている。イギリスで信教の自由に対する迫害を受け、自由を求めて新天地を目指したのが、ピューリタンであり、それがアメリカ建国の土台になっている。すなわち宗教の自由はアメリカにおいて、国家の存立をかけた根本問題。世界の国々においてそれは尊重されなければならないのであり、かつまた民主主義の基本だという立場。宗教を弾圧している国はとても一等国、先進国とはいえない。そういう国には事態の改善を求めていく。そのために宗教が不当な扱いを受けている国をリストアップし、問題の内容をつまびらかにするレポートを出しているのだ。その中でこの拉致問題を取り上げてもらうことも重要だ。この「パートⅤ」“世界からの指弾”が去年3月7日~27日まで20回の連載だった。3月7日から連載が始まって、5日目に東日本大震災が起こった。日本中が混迷を極めているその真っ最中でも、あえて連載を止めてはならないと続けた。

 次に「パートⅥ」自分の婚約者が拉致されて行方がわからない。もはや両親の行動先から当たりをつける他ないと考え、婚約者を探すべくそのお父さんの車にGPS携帯を取り付けた。その手がかりから後に婚約者に直接対面し、彼女から婚約解消が告げられたのだが、それから1か月以上も経って、今度はさらに彼女に告訴され、ストーカー規制法違反で逮捕された事件。警察はこれまでストーカー事件で、対応が後手後手にまわり、被害が出た後にバッシングされることが多かった。つまり不作為だ。そしてそのことにより警察への信頼も低下してきた。新聞等の報道にて承知のとおりだ。しかしこのケースでは、警察が本人に対して、注意もしなければ、警告もなしにいきなり逮捕され、そして起訴された。これは明らかにダブルスタンダードだ。何の手順も踏んでいない。今までとは考えられないくらいにスピーディに事を進めていっている。警察の対応もこの裁判も異常である。取材班は裁判もきっちり傍聴し、記録をまとめた。裁判は地裁、高裁と連敗だったが、今現在上告中だ。裁判の結果いかんにかかわらず、この詳細な記録を弱小宗教団体に対する今日における宗教迫害の実例として後世に残すことが重要だ。

 最後に「パートⅦ」拉致監禁の被害者は過酷な体験をすることによって、PTSDを発症することがある。昨年の東日本大震災において、現地に赴いた警察官や自衛隊員、消防隊員にも発症の事実があったことが知られている。典型的なのは、戦地に従軍した兵士やテロに遭遇したなど死の恐怖を味わうような過酷な状況を経て、その後平穏な日常に戻ってから過酷体験がフラッシュバックされ、生活に支障をきたすようになる。今日、このPTSD問題がクローズアップされてきている。拉致監禁においても、直接の被害者は勿論のことだが、加害者たる親御さんたちにも発症する場合がある。

 先の今利さんの例で言えば、奥さんが被害者だが、夫は、目の前で奥さんが拉致されたことに「なぜ自分は助けられなかったか」という自責の念から発症するに至った。あるいは、裁判の公判中の証言によって体験が思い出され発症する。被害者のみならず、加害者側にも及ぶという深刻な問題だ。この問題はこれまで見過ごされてきた。私たち取材班でさえそうであった。拉致されたが、のちに教会に戻ってきた人にも発症するし、拉致されたまま棄教して、他のキリスト教会に行っている人にも発症する。またどちらにもいけないで今現在全く孤独な立場でいる人の中にも発症する。そして、そのどちらにもいけない人にはどこからも救いの手が差し伸べられていないのが実情だ。この問題の当事者としての統一教会は、そういう人たちにも手を差し伸べてあげなければいけないのではないか。このような問題提起もしている。室生忠氏は「このPTSD問題こそが、これからの拉致問題の一番大きな問題になる」という。つまり実害が出ているということ。「黒」を「白」だと強弁する人たちに、こんなに「黒」が出ているのではないですかとそのまま示す大きな証拠となる。単に証拠というに止まらず、この深刻な被害に対するサポートをどうするか。被害者、加害者問わずみんなで考えて有効な手立てを出していかなければならない。

 この拉致問題は具体的な事実、具体的な状況をより鮮明に丁寧に提示することにより、「白だ白だ」と言い張る人に対して、「白だと決して言えない。なぜならこういう具体的な実害があるじゃないか」ということを提示していく。これが大事だ。ネット上の辞書ウィキペディアがあるが、「有田芳生」で検索すると半年前までは、「パートⅡ」で取り上げた小出医師が新潟の山荘にある時に、有田氏がインタビューにきて、「一年間も閉じこめられていて、よく耐えていられましたね」と言ったことが、皮肉たっぷりの内容で紹介してあり、その出典が世界日報の連載からとなっていた。今はその部分は既に消去されているが、これをプリントして取ってある。拉致の連載というのはこの闘いである。とにかく事実を確定して積み上げていく。「黒」を「黒」だとあくまで事実を突きつけていくこと、これに尽きる。それを国内でやる分はひたすら、事実の提示だ。しかしさらには海外からの助けも得ようとする場合は国際的人権機関やNGOなどにより、事実調査のため拉致被害者はもちろんのこと、また拉致はないという人へもインタビューして、第三者としての判定を下してもらう。そういうことを積み重ねていくのだ。

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 拉致問題の直近の状況はどうか。2ヶ月ほど前に米国務省が、件の「宗教自由報告書」を出した。その内容は、昨年末に欧州の「国境なき人権」が、拉致の存在を否定できない旨のレポートを出したのだが、それを引用して拉致問題を記述している。大したことじゃないと思われかねないが、そうではない。今までは、拉致について統一教会はこう言っていると記述していたにすぎない。しかし今回は、欧州で信用のある「国境なき人権」が発表したものをベースに書いている。むろんその一方で、日本のさるNGO団体はこれを否定しているとも追記してあるのだが…。それでも以前に比して、拉致が事実であるという内容が補強されているといえる。もう一つは、「パートⅠ」で、取り上げた後藤氏が、今現在民事訴訟で係争中だが、その中で提出された証拠の一つに、伊藤芳郎弁護士の証言がある。伊藤弁護士とは、元統一教会信者による「青春をかえせ裁判」の代理人として活動していた人物だが、この人の目から見ても、今行われている暴力的拉致による強制改宗は犯罪であると。彼は統一教会に対するスタンスはこれまでと変わらないが、こと拉致に関して自分はとても与することはできないという自ら反対の立場を鮮明にした。それはそれ、これはこれということ。これは伊藤氏本人の証言というかたちではないが、米本和弘氏のインタビューに答えたものだ。米本氏のスタンスも、統一教会はけしからんが、それでも拉致は絶対許すことができないとして、これまでルポライターとして拉致問題を告発してきた。このように、反対派の中核にいた人物まで拉致を批判し始めている。これは当然のことだろう。弁護士は憲法に従って仕事をしている。憲法の中心的概念である基本的人権が守られていない、そんなことを認める方がおかしいのだ。甚だしい人権侵害を目の当たりにし、それが限界にきて、もうこれ以上放置できないという状況になったのだろう。

 また「財界にっぽん」11月号において、室生忠氏が「週刊金曜日」の発行人である、北村肇氏にインタビューしている。「週刊金曜日」といえば、筑紫哲也氏や本多勝一氏などが編集者に名を連ね、もともと反統一教会の流れを汲むのであるが、北村氏は元毎日新聞の社会部の記者で、人権問題をライフワークとしてフォローしてきた経緯がある。ゆえにこと人権問題においては専門家といえる。そのような立場からして拉致問題にノーコメントというわけにはいかない。最近これまでの自らの立場を超えて拉致問題は見過ごすわけにはいかないということで、モノをいう人が出てきている。このように少しずつではあるが、状況が変わりつつある。
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