生きづらさと困り感の話し✨

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近年「生きづらさ」とか「困り感」という言葉が知られるようになって、

それは発達障害に焦点が当たるようになったことも要因のひとつなのかなと思っていて、

いろんな人が「生きやすくなるための〜ためには〜」とか「困り感を解消!」みたいなことを謳っていたりするのだけど、なんとなく違和感を感じてた私。

生きやすくするために何かを習得するのも困り感を解消するために何かをするのも大事と思うけど、

そもそも、その人自身はそれを

「生き辛いこと」
「困っていること」

と認識してるのだろうか?

と思う。

視覚障害の方を例に挙げると、目が見えないということを目が見える私たちは生き辛いのでは?困ってるのでは?と思いがちだけど、当の本人はそんな風には思ってなかったりする。

もちろん生き辛く感じてる人も困ってる人もいる。
そういう人にはそれらを解消する何かが必要だろうと思う。

でもそうじゃない人にとっては?

私自身はHSPとか発達障害の傾向があることがわかって自身を振り返ってみたときに、

あ〜あの時私困ってたんだな〜
とか
あ〜あの頃のあの状態って生きにくいってやつだったのかな〜

だから苦しかったんだー!と

ようやく認識したような感じ。笑

ようするに当時は生きにくいとも困ってるとも思ってなかったということ。

だから子どもとか自分はそうだと思っていない大人はもしかしたら自分が今「困ってる」という認識がそもそもないのかもしれない。

だから周りから見たら

助けを求めればいいのに
わからなければ聞けばいいのに

とか思われるのかもしれない。

でも認識がないから助けを求めよう、聞いてみよう

という選択は生まれない。
(自分的にいろいろ工夫を凝らして成そうとしてたりする。笑)

これがいわゆる「健常者」と言われる人たちと「障害者」と言われる人たちとの間にあるズレなのかなと思う。

何をもって
生き辛さ、困り感、支援、配慮、あるいは障害
というのか…?

同じ障害を持ってても感覚や環境が違えば必要なことも変わる。

だからこの人はこの障害を持ってるからきっとこれが生き辛さに違いない、こういうことで困ってるに違いないと思うのはお門違い。

つまりは

「その人にとってはどうなのか?」

に徹底的にフォーカスするしかないのだと思う。

それは時間も労力も必要だから大変なことではあるんだけど、決して省いてはいけない。

結局のところ

健常者も障害者もなく人はとても対等なのだと感じる。

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写真は一目惚れしたペタンコ靴👠

ブログの内容と関係なくてごめんなさい🙇


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