※画像フォルダ容量オーバーのため削除した画像は容量増加にともない随時再アップ予定。
※2006年2月18日~3月29日『犀の角仏露篇』 はこちら。
※2006年9月11日~9月28日『その男ヨシマサ』 感動の三部作はこちら。
※HPにて作品・写真随時アップ中 (新潟におけるライブセッション全三部もこちらにて公開)。
※(daiske kagawa)mixi community 。
2005年2月18日日本最南端波照間島から、沖縄・鹿児島・熊本・佐賀・福岡・山口・広島・愛媛・高知・徳島・香川・岡山・兵庫・大阪・京都・滋賀・岐阜・愛知・静岡・神奈川・東京……。
2006年4月27日東京より後半に突入。埼玉・栃木・福島・新潟・山形・秋田・青森・北海道……、2006年10月9日、最北端宗谷岬到達。
宗谷岬到達。有難うございました!!
※変更です
※関東圏内(特に杉並区・中野区・練馬区)関東全域でアトリエスペースを探しています(千葉、神奈川、東京、埼玉等)。風呂・トイレ無くて構いません、30㎡以上で月4万までなら出せます。空いているガレージ・倉庫、心当たりのある方は是非御連絡下さい。これ以外の条件でも何か良い場所をご存知の方は是非!ご一報頂けたら嬉しいです。(2006年12月前半まで探しています。)
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ただいま!
もう一週間経ちましたが無事東京に帰り着きました、長い遠足の終わりです。帰ってきたのはいいが帰る家が無かったり引越し先を探すにも先立つ資金が0だったりと相変わらずてんやわんやしていますが元気です。
宗谷岬から札幌に戻ってもしばらくは実感がなく(今もあまし無いけど。)朝起きて雨が降っていたりすると、「あぁ今日はしんどいなぁ。。。」と、歩いていた日々の感覚はまだしばらく残りそうです。あれだけ「早く終わらせたい。」と思っていた毎日がやはり終わってみるとなかなか寂しいもので、まだ歩き続けているぶんきちさんご夫婦 やふみさん がちょっとだけ羨ましく思えたり、、、、、、こんな気持ちになるとは、歩いている間は思ってもみませんでした。
それだけ内容の濃い楽しい毎日だったのだと思います。多くの方々からの温かい励まし、思いやり、時には叱咤してもらえた事全てがこの旅路を面白可笑しく支えてくれていたのだと思います。時間にして約一年八ヶ月、延べ615日で出会った人達・動物達・物達は数えきりません。ここで一人一人の名前をあげることはできませんが、この感謝の気持ちは直接ではなくとも何かの折に少しづつ返していきたいです、本当に本当にありがとうございました。
無銭の旅、実をいうとなんだかんだで0円スタートはしんどいだろう(最初の波照間島には島民自体が少ないのです。)と一万円は持っていこうと考えていたのですが、出先にバタついてしまい波照間島に着いた時には110円ほどしかありませんでした(島にはもちろん銀行もありません。)。結局その110円も使わずに徒歩縦断開始3分でパトカーに乗せられ連れて行かれたテトラポット作業所、その作業の合間をぬって描いた壁画の収入から島を脱出、それが始まりでした。それから四苦八苦が続きながらも絵画収入だけで宗谷岬に辿り着くことになります。この一年八ヶ月の総収入は約100万円にまでのぼりそのほとんどを使いきりこの旅を終わらせることになりました。
まさかそこまでいけるとは思いもしなかったというのが正直なところ、中でもこのブログの維持に関しては途中何度も悩まされたものです。ずっとメール送信での更新だったのでそのために持っていた携帯はメール定額に加入しても基本料・通話料をあわすと月額1万円が平均でした、最終的にこのブログの維持のために20万円ほどの出資だったわけです。当初携帯代に関しては無銭旅行とは別物と考えていたために少ない残高の口座から引き落としにしていたのです、しかし残高はみるみるうちに無くなり東京に着く頃には遂に尽きてしまいました、そこから先は携帯維持のために毎月最低1万を稼ぎ出さなければならず、加えて旅行開始前に揃えておかねばならなかったいくつかの高額装備も途中余裕ができるたびにちょこちょこと買い足していかねければなりません、急遽フランスやロシアに行くことが決まったりなどいよいよ維持が難しくなってきた時もありましたが、このブログを最後まで続けることができたのは読んで下さっているみなさんのおかげだったと言う他にありません。
毎夜(でもなかったが)テントの脇で携帯をピコピコしているのも味気なく思っていたのですが、ここから繋がった出会いもやはり数え切れないのです。それは直接的な出会いであったり、応援のメッセージであったり、情報であったりと、様々な形で僕をバックアップしてくれていました。逆になければないで全く違う出会いもあったはずです、しかしやはりこの日記を書き続けて良かったと今は思います。
歩く間一番多く尋ねられたことはやはり、
「何故始めたのか?」
ということでしたが、未だにその理由はわからないのです。
いっちょやってみるか的な軽いノリだったのは確かですが、、、話は変わりますが僕は数字の語呂合わせというものが好きです。この間テレビでやっていたのですが松田優作の行きつけバーに残されていたキープボトルのナンバーがちょうど命日の日付と同じだったそうです。同一の対象物を羅列した作品を数多く残したポップアート界の巨匠アンディーウォーホルが死んだ日も、やはり同数字が並ぶ2月22日でした。『最後の日』というものに何かをなぞらえるならば、10月9日は「どこか遠く(10・9)へ」なども考えるのですが、やはり『talk(10・9)』が一番しっくりきます、本当に『会話』という一言に尽きる毎日だったように思えるのです。
「会いたい人に会いに行ってくる。」
あえて言うならそんなことだったのだと思います。
そしてそんな理由だったからこそ、まだ何も終わらないのです。
短くつたない文章、そして謎の語呂合わせで締めくくるのもなんですがこの『犀の角』はひとまずここで完結します。
お世話になった方々、長い間支えてもらい応援してくださった方々、何度書いたかわからないしくどいかもしれませんが、本当にありがとうございました!!もう少しして余裕ができてきたらゆっくり手紙を書いていきたいと思っています。
日記は少しの間お休みするかもしれませんが、只今準備中の新HPと併せてリニューアルしようと考えています、その節はまた覗いてもらえると嬉しいです。新しい住処はまだどこになるかわかりませんが今回日本中にできた繋がりは大事に続けていきたいです、ひょっこり顔を出す事もあると思いますのでその時はまた宜しくお願いします。
また何処かでお会いできることを祈って。
2006年11月18日東京 香川大介
10月8日夜
ぼんやりと窓の外を眺めながら夕方近くなると風はともかく雨は一時おさまったようだった、すかさずじいさんの自転車を借り近場の100円均一まで走る。風でまっすぐ走れない、この風本当に明日にはやむのだろうか、、、。心配しつつ100均でレインズボンを購入(荷物の軽量化のため上しか持ってきていなかった。)、明日出発するにしてもおそらくは雨も風もまだきついだろう、さすがに2日延期するほどの忍耐強さは持ち合わせていなかったので明日こそは多少の雨風も我慢して歩こうと万全の態勢を整えるのである。
風呂に入り、今夜の夕飯は豆腐鍋。皆この嵐で宿から出ることができないため昨夜と同じ面子である、温かい鍋をつつきながら実をいうと昨夜の酒がまだ少し残っていた俺は(朝はけっこう二日酔いでした。)酒もそこそこに窓の外を見やる、、、、、、、、、相変わらず風は強いが、雨はどうやら止んだようである。
と、唐突に思い立った。
「俺、やっぱり今日出ますわ。」
そこにいた一同は意外なことに賛同してくれた。昼間の嵐の中あれこれ悩んでいた俺を散々なだめてくれていたのでそれはもうあきらめだったのか、なんとなくの気持ちを察してくれたのか、、、、、、「気を付けて行ってこいよ。」と温かく送り出してくれる。二泊はしなかったものの晩飯までご馳走になったので一応宿代を払おうとするとじいさんはそれを制止し、「いらんいらん、気を付けて行ってこい。」と、一泊四食も頂いておきながら千円しか払わないのは申し訳なかったが、その力強い言葉に後押しされいざ強風吹きすさぶ暗闇に飛び出していく。時間は10時、途中寄り道するところもないのでまっすぐ歩いて日の出の時間に宗谷岬到着を目標にする。
寒い!暗い!!
そもそも夕方から暗くなってまで歩いた事は何度となくあったがいきなり真っ暗の中に飛び込んでいくのはこの長い旅路の間でも初めてのこと、そりゃそうだ、最後でもなけりゃこんな荒業はできまい。ダウンの上に着込んだレインジャケットと100均のビニールパンツのおかげで風は防げるがそれでもまっすぐに歩くことは困難、顔を風上に向けていると息をするのもままならずただうつむいて黙々と歩く。
風の具合で雲の流れが速い、時折月が出てはほのかに明るくなるのだがすぐさま隠れ、街灯もまばらな道はいつしか闇に包まれ始めた、、、行き交う車は20分に一台というところか。手のひらはかじかみ段々と感覚がなくなってきた、コンビニで買ったホッカイロをポケットの中で握り締め歩く。
日付が変わる頃遂に街灯はなくなり吹きすさぶ風で聴覚も麻痺、浜に打ち付けられた波の雫が風に乗って顔に降りかかるだけが唯一感じられることだった。耳に入る風の音が時折人の声に聞えビクッとする、、、(これは書いても仕方ないが、一瞬「エカッタ?」という声が草むらであろう方向から聞こえた、誰もいるはずがないのにあまりにもはっきりとした人の声だったためしばらくライトを照らし人影を探してみたがもちろん誰もいない、風の音だったのだろうか。「エカッタ?」は「良かった?」の意味なのか「絵、買った?」なのか、どちらにしてもいまいち意味をなさない言葉だっただけに気になる。)、、、怖いことを考え出すときりがない、ここで足がすくんでしまってはしょうがない、、、、暗闇をヘッドライト一つで歩き続ける、
……、ふとある異変に気付く。いつの間にか先ほどまでの凄まじい風が弱まり、真っ暗だった空には明るい月が顔を覗かせ始めた。
稚内中心地から宗谷岬までは27キロ。もう半分はきただろうかというところで遂に風が止み月明かりに照らされた道が見える、意外にも綺麗に整備された道だ。恐怖と寒さで固まっていた体が次第に解きほぐされていった、同時にこの1年8ヶ月の出来事が次々と頭によぎる、、、、、九州、、関西を歩いているときは想像だにできなかったこの最後の道が、関東、、、東北と次第に近づいてきた、そして今その道を歩いているのだ。もう3時間もすればゴールが見える、つらかったことも楽しかったことも全部ひっくるめて、その終わりがもう目の前にまできていた。
残り1キロ、、何も無かった道がにわかに街灯に照らされ始めた。その光の先に一際明るく光る灯台、あぁ、あそこが岬だな。様々な回想が脳裏をよぎるなか目に入った終点はあまりにも眩しい、夢にまで見た場所がすぐそこまできている。走りたくなる気持ちと反対に立ち止まりたい衝動にかられた、あそこまで行くともう終わってしまう、、、、予想もしない自分の感情に一瞬ためらうが歩を止めることはしなかった、、ただ噛み締めるようにゆっくり歩く。
やや空が白んできた頃だろうか、思っていたよりも大きな碑がそこにあった。
長い間共に歩いてきた重たいリュックをおろし一息つく。
10月9日午前4時38分、日本最北端宗谷岬到着。
感動の涙こそ流さなかったが、感謝の気持ちだけは忘れずにいつまでも持ち続けていきたい。
※追記
かなりセンチメンタルに書いてしまいましたが実際はどうだったのでしょうか?明け方ようやく最北端の碑が見えてきて、「おおぅ、やっと着いたぜ~♪」と鼻歌混じりにスキップする俺、、、と、暗闇の中からなにやらユラユラと人影が近づいて来るでないの!怖!変質者か!?怯えつつよく見てみると、この日仕事が休みで前日夜洞爺湖のイベントからその足で400キロを走り(車で)迎えに来てくれたアキコちゃんでした。あっちも暗くて誰だかわからずに恐る恐る近づいてきたらしい、怖いから!!まさか俺より先に着いてしまうとは思わなかった、でも本当にありがとう。
そんなこともあってかゴール時には感動の涙も忘れ爆笑してしまいました、あいにくはっきりとした日の出は拝めなかったものの次第に明るくなっていく岬の先っちょでひたすらニヤニヤしておりましたとも、そして最北端には数時間ほど佇んだ後ムックリをかき鳴らし一気に札幌まで突っ走ったのです、イエーイ終わったYO~~!!といった感じでした。途中で前夜のライダーハウスのじい様から電話(興奮してて挨拶に寄るのも忘れてしまっていた、ごめんなさい。)、無事到着したことを告げると皆様大興奮でした、どうもありがとう。
興奮さめやらぬまま夕方札幌到着、ゴールを祝うビールが恐ろしくうまかったのは言うまでも無く。。。
(左から帰りに食べて帰った炙りうに丼、増毛(ましけ)市の酒蔵にいた熊、増毛の駅、、、。増毛グッズは誰かさんへの御土産に。)
(※東京到着・完結篇へ続く。)
10月8日
朝起きる。
案の定嵐はいっそうに強さを増しながらもおさまる気配はない、テレビをつけてもその凄まじさを写すばかりで見ただけでげんなりする。今思うと何もそんなに気に病まずにのんびりと翌日まで待てばよかったように思うのだが、もうゴールが目前まで迫っていながら一分でも早く出発したい、焦る気持ちは逆にこの日本縦断の旅路がただ楽しかっただけではなかったことを思わせた。降りしきる雨の中じっと橋の下で息をひそめた夜、街灯もない暗闇で野犬のうろつく気配、道売りでは人間の屑とまで罵倒されたこともあった、、、、、、、。早く終わらせてしまいたい、そんな気持ちも確かにあったのかもしれない。
午前中はただ窓の外を眺め続けた、しかしいっこうにおさまる気配はなくただ時間だけが過ぎる。様子見に少しだけ外に出ることにする、玄関のドアを開けた途端猛烈な風と雨粒が全身に降り注いだ、息をするのがやっと。それでも無理をしてコンビニまで向かう途中面白いものをいくつか発見する。
「おお!看板がない!!」
まず始めに目に飛び込んできたのはひしゃげて折れ曲がったこのライダーハウスの看板だった、、、、、まさに台風並みである。
風に流されながらなんとかコンビニに辿り着くとここもなんだかおかしなことになっている、、店内にお客さんの姿が見えるにも関わらず自動ドアが開かないのである。。。。。どうやら強風の圧力でドアが開かなくなってしまったらしい、、、どんだけ強いんだよ、風。とりあえず手動でドアを開け用事をすませたが、あとでコンビニに行ったじいさんいわくこの後セイコーマートは臨時の閉店となってしまったらしい、、、、恐ろしい話だ。しかし帰り際もっと恐ろしい光景を目の当たりにする、交差点に警察官が立ちものものしい雰囲気、、、、、、何事かと思ったら信号の停電で警察が道路整備をしているところだった。。
びしょぬれでライダーハウスに戻りがっくりと肩を下ろした、どのみち今から奇跡的に晴れたとしても宗谷岬到着は深夜になるだろう。周りの説得もあり(そりゃそうだ)おとなしく一日延期することに決めた。たった一日のずれなのに、この時ばかりは何ヶ月にも感じられる思いだった。
10月7日
牛の鳴き声に目を覚まし急いでテントをたたむ、風は強かったが幸い雨は降らなかったようですぐに準備ができた。
空はとりあえずまだ大丈夫そうだ、しかしまもなく降り出すのは確実な様子。前日にかなり歩いたために稚内市内までの距離は10キロほどと午前中のうちに歩ききれる距離だった。
やや急ぎ足で歩くこと数時間、稚内中心街にあと一歩というところで雨がぱらつき始めたがぎりぎりセーフ、雨はこのまま強くなる一方だということで地図で見つけた千円のライダーハウスに向かおうと思ったがまだ時間も早かったので久々に見つけた某古本屋で立ち読みしつつ時間を潰す、、、、、、思ったより長居してしまい外に出るともううっすらと暗くなっていた、こりゃイカンとライダーハウスを探すが妙にいりくんだ場所にあるのかなかなか見つからない、、、、とりあえずコンビニで軽く何かつまもうかと物色、、コンビニの軒下でおにぎりをもしゃもしゃ食いながら地図に載っていたライダーハウスの番号に電話しようとしたときだった。。
「どっちから来たのかい?」
さっき隣のレジでジンギスカン用羊肉を大量購入していたおじさんが自転車にまたがりながら話しかけてきた。かくかくしかじかで今ライダーハウスに電話するところだと話すと、、、「電話しなくていい、俺もそこに宿泊してるから連れて行ってやる。」とのこと、素敵な偶然もあったものだ。
コンビニから歩いてたった5分のところにそのライダーハウスはあった、通りからやや見難い場所に看板があったため見過ごしていたようだ。ライダーハウスは元漁師のおじいさんが一人でやっているようで宿というよりは「今夜一晩泊めてください」的な普通の家である。もうシーズンオフなのか宿泊客は俺を含めさっき案内してくれたおじさん、関西からの旅人の合わせて三人。俺は先に風呂に入らせてもらいしばらくして関西の兄さん(日記に書くなと言っていたがこれくらいはいいでしょう。)も帰ってくると今夜の夕飯はジンギスカンだという、お客さんが少なかったおかげか俺も一緒にいただけることに、、、ありがたや。
四人で極上ジンギスカンを囲みながらふと外の様子を伺う、外はだんだんと風が強くなりガラス窓を叩く雨の音が凄い。天気予報では台風並みの低気圧のせいで北海道はこのまましばらく大荒れとのこと、宗谷岬までわずかに27キロの地点でこんな足止めを喰らうとは。
外の様子も気になるところだが、ここ数日ひもじかった俺は美味すぎるジンギスカンにコンビニで買出しした久々のビールで上機嫌だ。しかもこの晩は北海道出身のじいさん、本州大阪出身の兄さん、四国高知出身のおじさん、そして九州福岡出身の私となんとも日本四大陸(四島か?)が出揃い、しかもみんな色々なところを旅している人たちだっただけにその話す内容もしこたま面白いのであった。
中でもコンビニから宿まで連れてきてくれたおじさんは四国で農家をやりながら、この空きの時期に『徒歩日本縦断』を開始、宗谷岬を出発したその日に嵐に出くわしこの宿に流れ着いたとの事だった。。。。おじさんは見た感じ60歳ほどである(聞くと58歳くらいだった。)、しかも波照間島まで行くと言うのだからまさに俺と正反対の行脚だ。
なんという事だろうか。
日本の最南端から歩き始めあと一日で最北端に到達する男と、日本の最北端から歩き始め一日目の男がここで出くわしたのである、、、、、。
コンビニでの出会いといい不思議な偶然は重なるものだ、おじさんにここから先のコンビニスポットや良いねぐら情報などを地図を片手にアドバイスする、なんだか不思議な感覚だった。。。
気がつくと深夜過ぎ、飲み過ぎてしまった。
二日酔いかはたまた止まぬ嵐のためか、翌日の出発は危ぶまれる。
台風並みの低気圧はその名の通り凄まじく、翌朝もいっこうに弱まる気配はない。
10月6日
空腹ながらも歩かぬわけにはいかない、力なくテントをたたみ閉まっていた軽食屋を見るとどうやら営業開始はまだまだ先のようで力なく歩き始めた。この時点で既に宗谷岬まで100キロをきっていたので体に力は入らずとも気分的にはまずまずといったところだ。
午後を過ぎ空腹も限界を尽きた頃ようやく豊臣の町へ入る、、、、、そしてそして遂に念願のコンビ二、セイコーマート(北海道の代表的な?コンビニ、他店と違い割引商品が多数ある。)を見つけたのであった。いつもならおにぎりと野菜ジュースぐらいしか買わないのにこの時ばかりは大盛り弁当にパンとプリンを買い一気に平らげ満たされる。前日の反省もありここでこのあと二日分の食料も買い込み、これでもう心配はない……かと思われたのだが、、、このあと再び初歩的なミスが、、、、おそらくはゴール間近になってうかれていたのだろう。。
この晩のねぐら探しは大変だった、、、、、次の日の天気が崩れると聞いていたのでできる限り雨風を防げるところにと、当初は地図にあったPAを目指していたのだがここが防雪のためなのかコンクリートの覆いがあり狭く排気ガスと騒音のためやむなく断念、何もなさそうではあったがとりあえず進んでみたところで日も暮れてきた、、、。幸いなことに月が出ていたので薄っすらと明るい、懐中電灯の明かりとたまに走り抜ける車のヘッドライトをたよりに歩きながらあたりを捜索、、、、、、、、、、何もない、、、、、、、、、あまりに何もないので仕方なく牧場へ足を踏み入れた、、、、こっそりと。
そこには牧草ロールを貯蔵する大きな屋根があり見るとロールの隙間にちょっとだけスペースがある、ぎりぎり屋根の下、、、すぐそばで牛達が何事かと集まってくるが風もだんだんと強くなってきたためにここへテントを張ることにした、、牛達宜しく。
ますます強くなってくる風に四苦八苦しながらもようやくテントを張り終える、遅くまで歩き続けたおかげでもう既に稚内市に入っていた。いつもより長い距離を歩いたため疲れ果て横になり、ふと喉が渇きペットボトルに手を伸ばす、、、、、、、が、第二の失態、水がなくなっている。
ここから給水にってこともままならないため、仕方なく歯磨きもできないまま横になり眠る。冬だからこそ我慢もできるが(翌朝牧場から水を拝借。)、夏場日本海沿岸を歩いていた時のことを思い出した、、、、給水し忘れて自動販売機も何もない道を歩くとき、それは言いようもない恐怖に駆られる。
蛇口をひねれば水が出る、当たり前の事であるがなんとありがたい事だったんだろう。今まで当たり前だと思っていたこと、そのいくつかに実体験を持って
『ありがたさ』を気付かされたこの1年数ヶ月、、、、、、。
まさか翌日、渇くどころかバケツをひっくり返したかのような空になるとは思いもかけず眠る。
そばでは牛の気配がしていた、、、。
10月の9日、日の出と共に遂に日本最北端宗谷岬に到着した。ここに至る数日間はある意味思いで深い時間でした。
前後逆になってしまったが宗谷岬までの最後の日々の事。。。。
10月5日
手塩から日本海を離れ内陸は幌延、豊臣を通り稚内に向かう、長いこと使ってきた分厚い日本地図も遂に最後の1ページとなり、景色はここまでも散々素晴らしく堪能させてもらってきたのだがここへきてまたさらに輪をかけて素晴らしく、、、、、、、、、、何もない!!!
手塩までもしばらくは左手に水平線、前を向けば地平線と単調な景色だったのだが内陸に入ると今度はどこまでも続くかのような地平線に向かってただ長い長い道が伸びているばかりだ、交通量もめっきり減り行き交う車の運転手を入れても十分牛の方が数多いという状況、もちろんコンビ二などはない、自動販売機さえない。
ここに来て最初のミス、そして数時間後には初歩的にして重大なミスに気がつく。
手塩を出た朝に道の駅でうまそうなソフトクリームを頬張った、ほんとにここらの乳製品はどこにいってもはずれがないのが嬉しく、時期的にはもう寒くなっていたにも関わらず冷たいソフトクリームが胃にしみてンマイ。もちろん空腹を満たすほどではないので朝食・昼食兼用でどこぞのコンビ二かスーパーで買出ししようと先に進んだのだが。。。。。。。これがいけなかった。
地図で見る限り手塩の町はやや大きいかと思われたのであまし心配せず歩き続ける、、、ふと民家や建物がなくなり再び何もない道に入った、まぁしかし大丈夫だろうと先へ進む。……、しかし、行けど歩けどそこから先になにかしらの気配を感じることができない。。。。。
「マズイ。」
そう気付いた時には遅かった。案外と小さかった手塩の町、とうに通り過ぎおそらくはこの先に買出しできるスポットはないだろう、、、既に4~5キロ歩いていた俺はここで引き返すか先に進むかの決断を迫られたのだが、、、次の町豊臣までは一日で辿り着ける距離ではない、しかしもし5キロを引き返すとなると往復で10キロ、、、いくらなんでもそんな暴挙にはでられず、、、この先にきっと何かあることを信じてそのまま歩き続けることにした、、、リュックの中には夏に買った塩飴の残りが三粒、カロリーメイトが一切れ(100kcal)しかない。
案の定そこから先には店も自動販売機もなく、食料を持っていない不安からかいつにもまして空腹感が襲ってくるのである。。あぁ、ソフトクリームなんかではなくもう少し腹にたまるものをチョイスすべきだった、、、、、、、いまさら嘆いても遅いわけだが唯一の望みがなかったわけでもない、この日の宿泊予定地は『名山台展望台PA』おそらくは観光地だろう、トイレはあるだろうがあわよくば売店もあるかもしれない、、、、、期待せずにはいられなかった。
夕方遂にPAに到着、そしてそこには。。。。。。小さな軽食屋の看板が!!
安心して肩の力が抜けると共に空腹感もピーク、急いでリュックを下ろし手に汗握りつつ走る、、、、、、、、、が。
『CLOSE』
!!!!!!!!!!! ファォ!!(マイケル)
チカラ尽きた。
結局この晩は自動販売機(せめてもの救い)で買ったファンタ(なぜかファンタ、温かいコーンポタージュはなかった。。。)を飲み何も食べずテントへ。
翌朝は空腹で目を覚ます。
ひとしきりラーメンで満足し遂に10日新潟より東京へ戻る日が来た。あやうくまた新潟に長居することになりそうな気配もあったが、今回は名残惜しさも残しながらわずかに一週間の滞在でこの地を去ることに。。。。。。会いたくて会えなかった人もたくさんいたが、なに、新潟はまた弓の稽古にもちょこちょこ顔を出すし心配はいらないだろう、、、、新潟とは長い付き合いになることだろう。
出発の朝、新潟駅から新幹線に乗り込む予定だったが、、、、、、、ひょんなことから長岡よりも南、田中角栄氏の銅像が立つ魚沼は浦佐に鮎を食べに連れて行ってもらうことになった、、、、これに関してはわけあって詳しくは書けないが、、、、あまりにも美味すぎるものを食って胃がびっくりしてしまった。
(※写真↓)
よくテレビで見るような風景、まさかこんなとこに自分がこれるとはな…。
そして出て来た料理は、、、、、、、、全てがもう、アメージング!!!
(※写真↓)
絶品の漬物から始まり、、、、川魚を刺身で食べるのは初めてのこと、、虹鱒の刺身に、鮎の塩焼き、、、、、そして三枚目の写真、、、これは何だと思いますか???なんと、鰻です。天然モノになるとまさかこうまで違うとは!!身の厚さから何から何まで俺の持っていた鰻のイメージを崩し、そしてそのお味はというとこれがまたエモイワレヌ絶品!絶品!!脂がのりまくっていてもうそれは口に入れただけで昇天必至、天国の味わい。。
〆はこれまた初めて食べる鯉こく、もうホントに新潟の御飯は何故こんなにうまいんだろうね、、、、魚沼産の米がまた絶品。
そして次から次に注がれるビール、、、、、、天国を見ました。新潟の皆様、本当に本当にありがとうございました!
フラフラで駅に向かったのは夕方近く。
昼間から飲みすぎたせいでいつにも増して背負ったリュックが重い。ここから新幹線に乗り込んで7時、遂に東京駅に帰り着くことになる、、、、、、長い長い遠足が終わる。
早朝新潟港到着。そもそもなぜわざわざ新潟に寄って帰る必要があったのかというと、、、、、一つは飛行機に乗る金がなかったということがあります。まぁそれも結局新潟から東京までの電車賃を考えるとトントンだったのだが、ホントは青森や秋田にも寄りたかったがそれは懐具合が許してくれずフェリー到着地点である(新潟よりも東京に近い大洗港までの便もあるのだが。)新潟へ到着した、、、、、というのは建前で、やはり大好きな新潟へ寄り道して帰りたかったのだ。
到着して間もなく新潟の母、護念寺のレイコさんが迎えに来てくれた。久しぶりといえば久しぶりだが、新潟出発当時は、「おそらく年内に帰ってくることはないだろうね。」と言われていたのでそう考えると意外にも早い再会である、実質4ヶ月ほどぶりになるのか。。。レイコさんはあの時と変わらない笑顔で迎えてくれた。
さて、4日朝についてしばらくはここ新潟に滞在することになったのだがとくにこれといってやらなければならないことはない、文無しの俺は少しでも働いて日銭を稼がにゃならないのだがここにきてまでガツガツ働くのもなんなので、もはや『大ちゃんの家』というセカンドネームの付いた弓道場でのんびりとさせてもらっていた。会いたい人はたくさんいたがここでまた長居するわけにもいかず(東京に戻ったらすぐに家を探さなければならない。)なるべく連絡しないようにしていたが、それでも何人かの方々が宗谷岬到着を祝いに訪れに来てくれたのが嬉しかった。
一応目安としては6日の弓稽古に参加させてもらってから帰ることにしていた。到着したその日に早速弓をひかせてもらう、、、、正直札幌でムックリに出会ってからはそっちの方に精を出していて自主稽古を怠っていたために、、、「忘れているんじゃなかろうか。。」と心配していたが、なんとか型だけは体が覚えてくれていたようだ。それでもヘタクソに変わりはない、しかしあの頃と違って(前にいたのはちょうど真夏の時期。)道場はひんやりと冷たい空気に変わっていてなんだか清清しい思いだった。
6日、稽古では懐かしい方々(たかが4ヶ月であるが)と再び会うことができ、稽古においては久々の緊張感の中好円住職に指導を受けながら、、、あぁ~帰って来たんだなぁ…と、しみじみ思うのであった。
今度引っ越す家は小さいながらも弓の練習場が作れるような場所にしたいと好円さんに話すと、それ用に練習用の巻き藁(矢を射るための藁をきつく巻いたもの)を一つ譲っていただけることに、ありがたい話である(´∀`)
さて、稽古が終わり東京に戻るかというとそうにもいかない。まだやり残していることがあるのだ、、、、、、、、、、
「『酒麺亭 潤 』のラーメンが喰いたい!貪りたい!!」
…のである。あの衝撃を忘れたことはない、、、まずいラーメン屋にあたる度に何度、「潤のラーメンが恋しい。。。。」と涙をのんだかはわからないほど、もうぶっちゃけ新潟にはラーメンを喰いに来たのだ!(嘘ですよそんなことはないですよ。)と言っても過言はないだろう。。。。。。夢にまで見たあのラーメン、、、、、ここは新潟、、、、、、、、
行かずにいられるか!!!
「あの生ゴミのようなラーメンが食べたい!!!」
そう涙目で訴える俺を憐れに感じてくれた皆様。。結局8日に約30キロ離れた三条燕まで連れて行ってもらえることに(ノ_-。)前回も色々お世話になったさっちゃん(ラーメンも一緒に喰った。)と好円さん、レイコさん、妹マリエと共に車に乗り込み、、、、、、滝のように流れ出る涎を必死にぬぐいながらじっと後部座席で待機すること30分。。。。。。。。
…これは前回食べたときの写真。。。。。。。そして、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
キタ!!あの時と何も変わらない生ゴミ(見た目)ラーメンだ!!!!!
極太麺に岩のりと背油が濃厚に絡み合う。。。。あぁ、これぞ夢にまで見た味。。。。むしろこの店の倉庫にでも住んでしまいたい、、、、、、、。通常バージョンでも十分濃厚なラーメンだが、もちろん俺は前回同様背油増し・岩のり増し・焦がし油・ニンニク・焼きネギ、、、全トッピングの大盛りである。加えて大きめの餃子も食ったので明日の昼くらいまでもう食えませんという腹具合になりながらも、十分堪能しました、、、、、、また太るかな、、、、、、、、いいや、これで太るなら本望よ(そうか?)、、、、、、、、、、至福の時が過ぎます。
さすがに濃厚過ぎたランチの後は、皆フラフラになりつつも近代美術館でやっていた『仏像展』を見て教養を養います。
なんだかんだで夜になれば腹も減るもんと思いきやさすがにこの日ばかりは何も口に入りませんでした。
晩は遊びに来てくれた弓道仲間(先輩)のショウタロウと深夜まで語らい(高校生の話は面しれーよ。)、撃沈。
毎日は無理だが、一週間に一度は喰いたい。
『酒麺亭 潤』、、、支店、俺の新居の隣に熱烈希望。
予定よりも遅れてしまうのはいつものことなので気にしなくなった、11月3日、小樽築港駅からフェリー埠頭に向かう。駅から港までは結構な距離があったのと札幌でいらぬ買い物を多数してしまったため膨れ上がったリュックを抱えタクシー乗り場に、しかしなかなかタクシーが来ないことに痺れをきらしたのか前に並んでいた夫婦が埠頭方向に歩き始めた、するとタイミング悪くタクシー到着。このまま乗るのもなんなので(フェリーの出航までまだ余裕もあり)夫婦を追いかけてタクシーが来たことを教えると案の定埠頭まで向かうとの事なので便乗して一緒に乗せてもらった、タクシー代うきました。いざフェリーに乗ってみても同室だった別のご夫婦からビールにカップラーメン(食料を買い忘れていたので大いに助かる。)、おつまみを頂きありがたくも酔いつぶれてしまうのでした。。。。。何故皆さんそんなに良くしてくれるのでしょう。。。。
翌4日早朝、丸一日ほどの航海を経て遂に本州の地を踏むことになった、長いような短いような、北海道生活も一区切りつく。
まとめ書きで書きそびれたことを少し書いて、締めくくることにします。
思えばたった2ヶ月ながら様々な事があったように思う。
初めての札幌、長万部から延々と続く田舎道を通ってきたせいか最初恐ろしく都会に見えた、そしてそれはやはり都会で、おかしな人がたくさんの俺の好きな場所です。
(左は真っ暗でわからないがケーナ奏者川辺氏宅、右は札幌時計台。)
黒豆で会ったケーナ奏者の川辺さんにも大変お世話になった、アキコちゃんと一緒にいたときに晩御飯に呼ばれ俺ものこのこ着いて行った時のこと、そこで居合わせた陶芸家のナツミさんに電話番号を教えてもらい携帯に登録しようとすると何故だか既に登録されている、、、、、「???」 おかしい、初対面のはずなのに。と、アキコちゃんと顔を見合わせてあることを思い出した。伊達に歩き人ふみさんを訪ねていったときのこと(アキコちゃんも一緒だった。)、天空(あまから)店主のこーちゃんさんから、「長万部から北に歩くんだったら、途中通る蘭越の町になっちゃんという素敵な陶芸家がいるから是非訪ねてみるといい。」と言われ連絡先を教えてもらったのだ、しかしその後新メンバー加入(某ヨシマサ)などもありドタバタで蘭越を通過してしまっていたためにそのことをすっかり忘れてしまっていた、、、、しかしそれがまさか巡り巡ってこんなトコで偶然お会いすることになるとは、、、、お互いに驚き、あまりの偶然に爆笑してしまった。
この晩は夕食後川辺さんの家で様々な楽器を使ってのセッション、川辺さんのケーナにナツミさんの壺太鼓(手製)、アキコちゃんのタンブーラに俺の寝息(撃沈)、、、、、楽しい一晩でした。
(札幌もちょっと出ると山並みが綺麗だ、右は北大キャンバス内の風景。)
上の不思議な出会いで思い出したがもう一つ不思議なことがあった。室蘭で一仕事終え長万部に戻る途中、伊達に滞在していたふみさんに挨拶をと(初歩き旅のヨシマサに大先輩を紹介するというイベントでもあった。)天空に顔を出したときのこと。
「あれ~、何してんの??」
と声がしたので振り返ると、室蘭では一緒に温泉に行ったり飯を食ったりとつるませてもらったタカオ君がいるでないの!勤め先が伊達にあるとは聞いていたが(伊達市は室蘭の隣)まさかここ天空の隣だったとは……、そこにいた一同目が点になる思いであったが、広い市内でたまたまそこに居合わせたと言うのも偶然とはいえなんだか不思議な出来事だった。
(暗くてわかりづらいが真ん中が等身大の『まりもっこり』である。左は小樽のレンガ倉庫喫茶室、右は絶品プリン。)
不思議といえば不思議、『まりもっこり』 についても触れておかねばなるまい。
小樽に遊びに行ったときのこと、絶品の回転寿司に満たされ夜の小樽運河を闊歩しながら、本当はお世話になったライダーハウス『だはんこき舎』に行きたかったのだが既にシーズンオフなのか開いてなくて残念無念(森田さーん、来年また行きますよ!今度はバイクor車で!!)、、、、しかしかわりに観光ロードを歩いてると、、、、、、、、あったよ、ありましたまりもっこリ。
話には聞いていたが本当にこれがもっこりしていました、もっこり部分をひっぱると震えるキーホルダーが人気とのこと。。。
大丈夫か?!北海道!!??
え?
いやもちろん買いましたけど。(まりもっこりライターね。)
(紅葉見にい こーよー!!……とか、言ったとか言わなかったとか、、、、、言いました。)
(煙を吐き出しているのはたまたま出くわしたSL機関車。カメラを抱えたおっさんたちでいっぱいだった。)
時期的に嬉しかったのがこの紅葉!小樽までの道すがら、ニセコにて羊蹄山を臨みながら、苫小牧に向かう途中支笏湖湖畔にて……、日本の四季っつぅのは偉大なりと思わずにいられなくなりますな。
滞在も終盤はTシャツ制作におわれやや慌しかった、ひょんな事から頼まれたものだったが描きあげたシャツは某大物政治家さんの事務所へお届けに行って参りました。残念ながら本人にお会いすることはできなかったがまさか自分がそんな大それた場所に行こうとも思わなかったのでしこたま緊張してきましたよ。。。
いやしかしけっこうなんだかんだでしっかりと観光もしてきた気がする。旭川から西、、、、函館、長万部、室蘭、余市、小樽、札幌、旭川、留萌、苫小牧、道北は稚内まで、、、、、できればやはり道央の富良野や知床まで行きたかったがそういっぺんに行きつくすのも面白みがない、次の北海道はいつになるかわからないができれば真冬を一度体験してみたいものだ。
語りつくせぬ事が多いがひとまずこれにて北海道篇は終了、北の大地で出会った方々、支えてくれた人たち、、、、本当にありがとうございました。もう雪が降り出しているそうですね、南国九州育ちの自分としては真冬の北海道がどれほど寒いのか想像すらできません、、、、、。
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