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見た目年齢が実年齢

2012-01-24 14:40:01 テーマ:魔法の時間

近頃は、戸籍上の年齢と見た目の年齢のギャップに

一喜一憂してしまうご時世だったりするんですけどね。

TVや雑誌でもそういう特集多かったりするし。

先日、何気に見てたTV番組の中で

お医者様だったか学者さんだったかが語ってた言葉。

それが今回のタイトルだったりします。

思わず「それでいいんだよねぇ~」と思ってしまいました。


実際、年相応って言葉があるくらいなので

そうじゃなきゃいけないのかなぁ~と思う人もきっと多いはず。

年齢不詳、どっちかというと見た目が幼いselaぴょんとしては

今まではお話を聞いてもらうために、せめて年相応に・・・

なんて思っていたくらいなのです。

でもね。

見た目年齢=実年齢という概念がこの先常識になっていくのなら

戸籍上の年齢に囚われる必要もないということなのですよね。


そんな矢先、とある本を読んだのです。

その本の中にはある程度以上の学びに至った魂は

時間や空間の概念さえも超えることができるとありました。

その最たるものが【容姿】だというのです。

高度の感覚と知性からくる、肉体の統御能力の一つとして

自分の望む通りの【容姿】でいることに何の努力もいらないのだとか。


ということで実証実験開始(笑

いきなりそこまでできる程に成長していないと自負しているselaぴょんなので

1年計画でどこまで実証できるかやってみようと思い至ったのでした。

もともと年齢不詳のselaぴょんだったりするのだけど

見た目年齢20代前半にして~それに見合う体形になってみようかなどと

とてつもない野望を抱いてみたりして(笑

でも、エクササイズしたり食事制限したりは一切なし。

魂の学びと成長に伴う変化を観察するのが目的なので。


今のselaぴょんを知る方々は1年後(あるいはもっと早い時期かも)

思うような結果が出ているかどうか検証して下さいませ。


実験成功の暁には

一人でも多くの人が気付きと学びの道に興味を持って欲しいなぁ~

などと違った野望に燃えるselaぴょんなのであったった(笑


セクシャリティ

2012-01-23 15:39:45 テーマ:New Age

※セクシャリティに関する用語は標準的な単語を使うようにしてます。

 言葉の意味はここでは触れません。

 Wikiなどで調べられますので参照してください。



近頃セクシャル・マイノリティ(セクマイ)の子たちと

一緒にいる機会が増えてきてたりして。

自分のセクシャリティを自覚している初対面の子に

selaぴょんのセクシャリティを話すと不思議そうにする子と

感動しちゃう子にわかれるような気がするけど・・・まぁいっか(笑


とある哲学書の中にこんな文章がありました。

以下はその意訳。

人は、愛を知るために恋愛をする。

その最初のステップが異性愛。

自分と違うものを愛することを知るために異性に恋をする。

愛することを少し覚えた魂はもっと広い意味の愛を知るために

同性愛者となり人と違う愛の形を学ぼうとする。

もう少し愛することを学んだ魂は異性愛・同性愛の壁を越え

人という「個」を愛することを学ぶ。


この本を読む前にあたしは自分のセクシャリティを自覚してました。

そのせいかどうかは別としてごくごく自然な当たり前のこととして

この文章を受け入れることに何の抵抗もなかったのを覚えています。

だってね。selaぴょんのセクシャリティは今風に言うならバンセクシャルだから。

こういうカテゴライズは好きじゃないんですけどね。


好きになった人のセクシャリティが自分とかみ合わないなら

友達として楽しくかかわっていけばいい。

セクシャリティが合うなら恋愛すればいい。

相手がトランスジェンダー(肉体改造の有無にかかわらず)だとしても

その人とかかわりたいと思えばかかわりを持つし

対個人という意味では一人の人に限定する必要も無いと思っている。

ある意味、世の中の常識から外れてると言われそうだけど

本質的には個人対個人のかかわりの持ち方だと思うから。


そんな訳で

セクシャリティを理由に自分や他人に枠をはめる必要はないし

少なくともあたしは自分から枠にはまったり他人に枠をはめたりはしない。

そうされることも嫌だしね(^-^)

もっと自由に自分を表現するためのツールであって欲しいなと思うのです。



それはそれとして・・・

selaぴょんはセクマイの子たちの相談役(?)みたいなことも

この先していかねばならないのかなぁ~と

墓穴を掘ったような気がするのであったった(^^;


ひむか

2011-12-19 13:54:03 テーマ:日月神示を読んでみよう

ひふみ神示sela流解釈 上つ巻第五帖です。


もうじき年末。

それぞれの家で来年のお歳神様をお迎えするのに

大掃除やら新年の準備やら始めつつある時期なのでは。

上つ巻第五帖はお神さんをどこに迎えるかを説いています。

神示は語ります。

自分の身の内に神をお迎えしろと。


誰の身の内にも神は存在します。

ただ、それを認めることは難しく、宗教や哲学を学んだ者でさえ

頭では「そうなのだろう」と理解しても心では理解できない。

だってね、多くの人は神という存在を実感できないのだから。

そのため、人は自分の身の外に神を置いてしまう。


今までの社会概念や教育の過程から

人が神と同等だなどと語ることは憚られること

もしくは変人のレッテルを貼られることに等しかった。

そんな社会の中で自分の身の内に神を迎えることなど

非常識極まりないことと多くの人は一笑することでしょう。


神示はそうではないと語ります。

「身のなかを神にて張ること」をしなさいと言う。

「身の中に神の力を張らすこと」をしなさいと言う。

そのために、心に神を満たしなさいと言うのです。


ついでに。聖書 出エジプト記20章3節

「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない」

一般には、ヤハウェの神がヤハウェ以外の神を信仰するなと

命じたものと解釈されているけれど真意は違うことをご存知ですか?

意訳するとこうなるのです。

【あなたは、自分という神以外の神を信じてはいけない】

聖書で人は神だと記述されている部分は多いのです。

だからといって自分は神だと奢ってはいけない。

誰しも未熟な部分はたくさんあるのですから。


さて、もうじき新しい年をお迎えします。

この機会に、自分の身の内に神を迎えてみてはいかがでしょうか。

心を神で満たし、すがしい心で新しい年を迎えるのも

悪くないと思うのであったった☆


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