※『人類はなぜUFOと遭遇するのか』

著者はUFOの存在については懐疑的な人であるから、終始UFOをめぐって起きた事象については冷静、寧ろ冷やかな筆つきで本書は進められている。


各章のエピグラフにシャーロック・ホームズの緒事件の一節から取られた短文が置かれているが、それもまた著者の冷静な態度を裏づけているようで、周到な感じもする。

(しかし微かな冷笑も感じとれる。)



「人類はなぜUFOと遭遇するのか」という壮大なタイトルの割に起きた出来事は皆アメリカでのものなのだ。

(最もこれは訳者の責任である。アメリカ人が矢張り人類の代表なのだろうか。)




これを読んではっきりわかることは、UFO神話は所詮は神話に過ぎないということだ。

そして、その盛り上がりの背景には、社会不安や緊迫という要因がほぼ常に存在するのである。


例えば臓器や血液が抜き取られた状態の動物の死体が“大量に”発見され、これが異星人の仕業だと騒がれたミューティレーション現象は、

「ウォーターゲイト事件が始まった一九七三年の春に社会の注目を引き、ニクソンが辞任した時とほとんど同じ一九七四年夏の終わりにピークに達した」

そうだ。

(ちなみにこの現象も、結局は自然死に過ぎず、発見された数も大幅に誇張されたものだった。)


UFOや異星人をめぐる騒動は、社会不安に伴って漂ってくる民衆の体臭のようなものである。

一貫していることは、具体的な証拠がない。

例えばUFOの残骸。

そして目撃証言をよく調べてみると、整合性に欠け、聴取する度に二転三転して何が真相なのかわからなくなる。


またUFO信奉者や団体の間での人間トラブルや対立、詐欺師まがいの言動をする人物の存在も、UFO神話をシラケたものに見せる一因であろう。


そして最大の問題は、こうした怪しげな言説に翻弄され混乱してしまう一般大衆の知能なのである。

こう考えてくると、UFO現象とは心理学者の手に委ねた方がいいカテゴリーなのかもしれない。


また、“政府が全てを知っていて、情報を操っている”という陰謀論的見方もUFO問題には常に絡むが、これも冷静に考えれば疑わしいことである。

政府はそこまで万能ではないし、賢くも、ヒマでもない。

陰謀論者達は、政府という存在に“期待”しすぎている。


かつて『矢追純一のUFO読本』を愛読書にしていた私としては、この本で一々反駁される著名なUFO事件(ロズウェル、MJ12、ヒル夫妻事件、キャトル・ミューティレーション…)は懐かしさを覚えるものばかりだが、

“つまり何事もなかったのか”と自分の中で片付けてしまうのには寂しさを覚える。


(尚日本人には特に身に覚えのあることだと思うが、外国人の言うことであれば何でも最もらしい託宣として拝聴してしまう傾きが、どうしてもある。

矢追純一の本で、UFOの専門家とか研究者として時には顔写真入りで登場する人も、今回のこの本によれば経歴や過去に後ろ暗いところがあったり、精神病院への通院歴があったりする人が多いのだ。

こういうことは、日本人の書くこの種の本の中ではまず書かれないだろうし、そうと知っていても筆者が明かすことはないだろう。


外国人の言うことなら何でも信憑性を持たせるべく。)



私が思うに、UFOをめぐる異星人神話は、人類の“夢”なのだ。

自分達以外の生命体が、この宇宙のどこかに存在し、自分達を監視し、或いは交流をはかっているというのは、人を捉えてはなさないロマンなのだ。


夢は実証や論理とは別の世界のもの。

だから私は、“この本の内容はそれとして”矢張り夢を見続けていたいと思う。


(2017.4.14)
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