2007年06月05日(火)

enジャパンの広告に惚れる

テーマ:コラム
電車内より更新です。いやー面白い。ちょっと一部転載しちゃいましょう。

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「起きろ。大学3年生。」
結論から言います、「就職活動だって結局は出身大学で大きく左右される」という定説、それは現実でも何でもない。というか、企業からしても、出身大学だけでいい人材が判別できるなんて甘い考えは持っていないわけです、実際。
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うはは。言い切りましたな。

ただ、広告の善し悪しと受けられるサービスの善し悪しは関係ないんですけどね……博報堂とかに大枚はたけば広告は格好よくなるし、ネット広告を増やせば問い合わせは増えるし。トホホのホ。

実際は、採用担当者だって人間だし、受ける学生は一部の切れ者を除いては似たり寄ったりなわけで、うっかり同じ出身大学の学生に手心加えてしまう採用担当者がいても驚きませんが……まぁ、始めからそれを狙うのは、愚の骨頂ですよね。

就活のみなさん、頑張りましょう。いや、自分も頑張れ。仕事だ仕事……
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2007年05月06日(日)

書評:心理学へのスタディガイド

テーマ:コラム
大学を逃亡したワタクシの元に、ななんと大学時代の恩師が著書を送ってくれました。なんと「謹呈」とか書いてある。誰かから謹呈本をいただくのは、これが最初で最後かもしれません……というわけで、読んでみました。

心理学へのスタディガイド

大学一年生、あるいはこれから大学を選ぼうとする高校生向けに書かれています。結論は一言につきる。「なんて親切な本なんだ!」とにかく、親切。できれば高校生のうちに手に取って、目を通していただきたい。というか高校の書架に置いておいていただきたい。一応内容は心理学をメインに書かれていますが、一つの学問分野を学ぶとはどういうことか、学問を作っていくとはどういう営みであり、そのためにはどんなことが必要なのか、学級として考えるべきこと等々、心理学を学ぶ人でなくても、読んでおいて損の無い内容が含まれています。後半の方には、さらに現実的に「大学に入った。さあ何をしたらいい?」なんてことまで書いてある。「Q.授業がつまらないのですが。 A.予習してないんじゃない? スポーツ観戦でもルールを知らなかったら楽しめないでしょ」うおお。正しい……しかも英語の勉強の仕方まで書いてある。別に英語が苦手じゃない人は問題ないけれど、現実には英語でつまずく子も多い。それを踏まえてのことでしょう。

著者の廣中先生は大学でも教え、企業の研究職も経験していらっしゃるプロの研究者ですが、くわえて説明能力を持っていらっしゃるのが何ともすばらしいところです。賢いことと、その賢い思索なり研究なりの中身を他人に説明できることとは別の能力で、前者があっても後者が致命的に欠落した人と出会い、多くの学生は力つきていきます。こういう先生の授業を受けられるのは幸せですね。私もずいぶん、お世話になりました。

心理学へのスタディガイド
↑単行本で高価ですが、お勧めです



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2007年03月07日(水)

命懸けの仕事

テーマ:コラム

僕らの感覚は、基本的に「生命の安全は守られる」という前提で出来ているように思います。交通事故はありますが、基本的に、安全が大前提。

ところが、先日エベレスト登山についてちょっと触れましたが、たとえばそういう登山では、我々の普段の感覚ほど、安全は保たれていませんね。恐らくは。私はそういう世界に無縁なので、はっきりとは分かりませんが……

たとえば超高高度の登山。あるいは寒冷地での作業。そういう環境に身を置いて仕事をする人達というのは、いるわけですね。あるいは、戦場に入って活動するジャーナリストみたいな人達もいる。前者が自然環境の猛威と対峙する人なら、後者は人間の産み出す危険と対峙する人達。いずれにせよ、そういう環境下で仕事に従事する人達というのがいる。
そういう人達の生死観というのは、やはり安全が大前提の我々とは違うのかなぁと、つくづく思ったわけです。

そういう人達の話を聞く機会が私には少しあるのですが、「ここに並んでいる名前のうち、何人かはもう死んでいる」とサラッと言ったりするわけです。それは老齢で亡くなった人も含むけれど、圧倒的に、危険に身をさらして、その危険によって命を落とした人が多い。もちろん彼らはプロとしての判断力を駆使して自分と仲間の安全を確保しようとするけれど、ではちゃんと気を付けていれば安全かと言えば、そうは言えない。一定確率で事件は起きてしまう。どんなに優れた人でも、ある日、命を落とす。そういう仲間の一人として自分が生き残っていることを、恐らくそういう人は、当たり前のこととは思えないんでしょう。何となく、たまたま自分は生き残った、という風が吹いている。

そんな危険なところ、行かなきゃ良いじゃない、とも言えるかも知れませんが、それでもやはり、仕事なんでしょうね。それが彼らの。定めと言っても良い。やめられないんだろうなと思います。でもその仕事をしていたら、いくら気を付けても一定の確率で命を落とすことになる。だったら、それが自分の身の上に降りかかるか、友の身の上に降りかかるか。自分は生き残りたい、とも言っていられない。

そういう飄々とした風が吹いている。凄みがあります。

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2007年02月24日(土)

女性の就職・ひとつの視点

テーマ:コラム

はーい、就職支援予備校講師から学生の皆さんにお知らせ。 ライブドアニュースに女性の就業に関する記事 がありました。なるほど、と思わせるひとつの視点が提示されているので、紹介したくなりまして。(リンクが切れちゃっていたらゴメンナサイ) この記事の最初の方(大半は会員しか読めないんですけどね)の記述によれば、やっぱり企業側としては女性は採用しにくい。女性を採用した方が良い理由はいろいろとあるけれど、一方で統計的に離職率が高いのも事実で、企業はどうしてもその事実に流されがち。しかし、国際的に見ると「企業の社会的責任(CSR)」が重視されるようになっており、従って国際展開する企業ほど男女の雇用機会均等、社内での扱いの平等に留意せざるを得ないという話です。ちょっと力点の置き方が元の記事と違うかと思いますが、要するに、そういう結論になりそうです。そんなわけで、就活中の女性の皆さん、国際展開する企業が狙い目だそうです。とくに欧州での展開。 そういえば、アメリカに進出したユニクロも(別に海外展開のためではないかも知れませんが)かなり本腰を入れて女性店長を増やしたようですね。店長の働きかたから見直して、残業を徹底的に減らし、家庭との両立を可能にすることで、女性店長の離職率を下げることに成功したとか。そういう部分も、チェックできると良いですね。

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2007年02月13日(火)

小鳥と鈴とそれから私

テーマ:コラム

「小鳥と鈴とそれから私」という詩がある。「みんなちがってみんないい」というフレーズで有名だ。「様々な違いがあり、出来ないことがあっても、一人一人の価値は変わることがない」という哲学を優しく歌い上げた詩として、障害者福祉分野などでは好んで引用される。かく言う私がこの詩に出会ったのも、障害者福祉の場においてであったように記憶している。

しかし、この詩をそのように単純に受け止めることに、私は軽い違和感を覚える。いま、多くの人が金子みすずのこの詩を読んで、「みんなちがってみんないい」というフレーズをすんなりと受け入れるが、恐らく金子みすず本人は、この言葉をそれほどすんなりと受け入れられたわけではなかろうと思う。

その事は冷静に詩の流れを検討すると見えてくる。この詩はまず、出来ないことを数え上げるところから始まる。出来ないことは、空を飛ぶことであり、美しい音色を奏でることである。どちらも夢のように麗しい事柄だ。空を自由に飛ぶことができ、少し振られるだけでいつでも美しい音をたてる、美しい音しかしない、我々がそんな存在であったら、どんなにか良かろうか。しかし、それは出来ない。出来ないことについては「飛べない『が』」と直後に否定される形で簡単に触れられるだけだが、そこには明らかな失望の余韻が漂っている。

その代わりに、何か別の麗しいことが出来ればよい。しかし、この詩で実際にできることとして語られるのは、「地べたを速く走ること」である。「地べた」という表現に注目してほしい。同じ「地」を表す言葉にも、もっと流麗な言葉も、荘重な言葉も、優しい言葉もある。「地べた」は美しくない。「B」音の入った響きは汚らしい。詩人の言葉選びのミスでないとすれば、「空を自由に飛ぶ」という美しい事柄が出来ないかわりに、出来ることとして、敢えて汚らしい言葉を置いたのである。鳥のように空を自由に飛ぶことは人類の夢だが、この詩はそのような夢を諦め、汚濁も併せて人
類の現実であるところの「地べた」に生きることを選んでいる。古来人類はまさに「地べた」を速く走って他生を殺めてきた。またメロスは「地べた」を速く走り、友を助けた。彼は自由に空を飛べないが為に、橋が落ちたのを知ったとき絶望にかられた。人間の醜さも、美しさも、美しさの陰にある醜さも、「地べた」を速く走る事と共にある。鈴に対比される「多くの歌を知っていること」には、このような明らかな現実生活への密着は認められないが、これは「人もまた美しいことを為し得る」と詩の後半で述べて救いを持たせたものであろうか。あるいは、詩人にとって「歌」とは「言葉」そのものであることを考えれば、「多くの歌を知っている」とは「様々な言葉を語ることが出来る」という意味か。「様々な言葉を語ることが出来る」という意味であれば、単純に救いとは言えない。言葉には美しいものも醜いものもある。人を癒す言葉も、傷つける言葉もある。いや、そんな風に穿った考え方をせずとも、歌にも様々な歌がある。苦しみを歌った歌も、切々と怨恨を訴える歌もある。そうした様々な歌を歌えることは、やはりいつでも美しい愛らしい音をたてるばかりの鈴とは根本的に対比されるものなのか。様々な言葉を使い分けて、時には意図せずして人を救い、あるいは意図して敢えて人を傷つける。それも人間の現実だ。

夢のような理想を諦め、汚らしい現実を己に相応しいものとして受け入れることは、大きな失望を伴う。どうしても諦めたくないものを諦めなければ、「みんなちがってみんないい」と言い切ることは出来ないだろう。

そして「みんなちがってみんないい」と喝破したとして、なお現実は片付かない。既に述べた通り、この詩は障害者福祉の現場で好んで引用される。確かに、そのよ
うな場でこの詩は掛け替えの無い麗しい言葉と見ることが出来よう。しかし、「みんな、いいよね」で解決出来る問題であれば、障害者福祉など必要ないだろう。
障害学研究者であり、自らも全盲・全聾という困難な障害をもつ福島聡氏は、「能力主義批判」という立場を打ち出していた(今でもやっておられることと思うが)能力が高いこと、すなわち良いことであるとする価値観を打ち破り、能力の高低に関わらず人間一人一人に等しく価値を認めようとする立場であると理解しているが、それを打ち出す当人が「この立場を打ち出すことは、なかなか難しい」と語っていた。
現実には、肉である我々は物を食わねばならず、食うためには稼がねばならない。稼げないなら、生きることは難しい。そこで障害者福祉が行われるわけだが、最低限度の生活が保障されただけで、幸福になれるものか、どうか。実際には、障害は恋愛・結婚の大きな妨げになる。知的障害者が配偶者を得ることは、極めて困難だろう。小説「アルジャーノンに花束を」には、そうした困難の一端が描かれていた。「みんなちがってみんないい」などと、誰が気軽に言えようか。皆、その違いに苦しんでいるというのに。
この「みんなちがってみんないい」という言葉のうさん臭さを、最も痛切に感じていたのが金子みすず本人だっただろう。これは詩に限らず発言一般に言えることだが、よほど自惚れの強い人でなければ、周囲が自分の言葉を有難がるほど、当人は自分の言葉を疑わしく感じるものである。詩を書かない者にとっては、金子みすずほどの著名な詩人がこう言っているのだと思えば、「みんなちがってみんないい」と信じることが出来るかもしれない。しかし、「みんなちがってみんないい」と言った本人は、それが所詮自分の言葉に過ぎないことを知っている。あるいは、その言葉を吐いた張本人が、その実、空を飛べない自分を必ずしも認められていないという事実も。
そもそも、自然と一人一人に価値を認められる人は、「みんなちがってみんない
い」などとは言わない。改めて言わなくても分かり切っていることなのだから。このような言葉を(しかも「詩」という整った形式で)紡ぐことが出来るのは、何等かの意味で「空を飛べた方が良い(空を飛べないのは良くない)」という感覚を理解している者だけだ。

恐らくこの詩を書いた者にとっては、「みんなちがってみんないい」というのは、言葉に出して確認しなければ曖昧になってしまうような、希き望みだったのだろう。そして恐らく我々にとっても。「みんなちがってみんないい」という詩を人々が好むのは、この詩に助けられなければ、我々が「みんなちがってみんないい」と認めることが難しいからなのだ。

そのような困難な一言を、敢えて言い切ったところに、詩人の偉大さがあるのだろう。
逆に言えば、その困難を忘れては、この詩を理解したとは言えないのかも知れないと思う。


……NHK「みんなの歌」にかかった「小鳥と鈴とそれから私」を聞いて、そんなことを思いましたよ、ってゆー話ですね。


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2007年02月03日(土)

NHKスペシャル「大化改新」

テーマ:コラム
昨夜のNHKスペシャル、大化改新を扱っていたのですが、CGが圧巻で、実にすばらしい。こういう面白さはテレビならではのもので、NHKにはぜひこの方向性を追求してほしいですね。

大化改新とは、一般的に流布したイメージでは「逆賊・蘇我入鹿(そがのいるか)を中大兄皇子(なかのおおえのおおじ)が誅殺して天皇中心の政治を実現した一連の政治改革」という事になります。私が小学生時代に読んだ「学習漫画・日本の歴史(小学館)」でも、キリリと眉目整った中大兄と、三白眼が思慮深い印象の中臣鎌足(なかとみのかまたり)が理想の国家像を温め、チョビ髭がいかにも悪人然とした入鹿を斬る、という描き方になっています。

この大化改新に関するイメージは主に「日本書紀」に書かれている内容を元にしていますが、この「日本書紀」は奈良時代の朝廷が発表した公式歴史書ですから、とうぜん当時の権力者の意向を汲んだ内容になっている。まぁ、それは誰でも思いつく話で、さらに「悪者は退治されて正しい政治が行われるようになりましたとさ。メデタシメデタシ」なんて話がうますぎて、まぁうさん臭い限りではあったわけです。研究者たちは、その辺を散々嗅ぎ回っていた。そこに最新の発掘調査結果を加えて、ジャジャンとご紹介、というのが今回の番組。(だいぶ古い研究成果まで、あたかも最新の情報のように見えてしまうのが、この手の番組の欠点ですが)これによれば、入鹿は朝鮮半島からの最新の知識を学んだ先進的・開明的な人物で、当時台頭していた強国・唐に対し、国内の防備を固めつつ協調外交を展開するという現実的な国際感覚の持ち主であった。それに対して中大兄はむしろ保守的な人物で、以前からつながりのあった朝鮮半島の小国・百済との関係を重視し、国内では祭祀施設の建設に国力を浪費、唐と敵対的な行動をとり続けた揚げ句、白村江の戦いで惨敗し、ようやく非我の,差を悟って国内の防備を固めた。そのために必要に迫られて、天皇集権体制を整えた。それが後に「大化改新」と呼ばれ、あたかも入鹿を殺した直後から行われたかのように見せかけられた、というわけです。

まぁ、こういう筋書きは文字でも伝えられるのですが、テレビならではの迫力があるのが、唐の軍船のCGです。海面からそびえる巨大な船体の上に、さらに三層の楼閣を載せて敵船に頭上から迫り、弓兵は防壁に開いた穴(銃眼?)から敵を狙い撃ちにする。しかも近づいた船を破壊するためのクレーン状の機構や、遠くの敵船を撃沈する巨大な投石機(大砲?)などを備え、船体の至る所に濡れた牛革を張って敵の火矢を防ぐ。まさに海上の動く要塞。この巨大戦艦に、手漕ぎボートで攻撃せざるを得なかった倭国の兵士たちは、哀れと言うほかありません。矢が届くより早く巨岩が味方の船を打ち砕き、近づくにつれ敵の矢は正確に我が身を狙うが、己の矢は空しく弾かれるばかり。最初に敵船に取り付いた勇猛な一船は、見たこともない兵器で一撃のもとに打ち砕かれる。まともな戦いになったとも思われません。海上遠くに、奇妙な大枝の突き出た城が浮かんでいるのを認めた時の衝撃は、想像に余りあるものがあります。さすが、大中華帝国。極東の田舎モンとは、やることのスケールが違う。

文字で読めば一定の情報は得ることができますが、視覚的に表現した方が手っ取り早いことというのは確かにあって、NHKの製作、面目躍如です。実に、興味深い。


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2007年01月22日(月)

グーグルを手玉にとる黒幕?

テーマ:コラム
昨夜のNHKスペシャル「グーグル革命の衝撃」なかなか興味深い内容で、見入ってしまいました。検索にヒットしなくなったために、企業として立ち行かなくなってしまうとなると、もはやただ事ではありませんね。もっとも、検索でヒットしなくなったくらいで立ち行かなくなる経営というのも、随分脆弱な感じもしますが……リピーターというものが成立しない産業だったのでしょうか。

それはそうと、改めて感じたのがNHKの取材の巧みさです。今回の番組はグーグルという企業に対する価値判断を明確にしませんでしたが、あの演出では、どちらかと言えば不気味な存在として受け止める人が多かったのではないでしょうか。で、そのような描かれ方をすると知りながら、インタビューに応える人がいるかどうか。さしものグーグルも、こんな描かれ方をするとは予想出来なかったのでしょうか。(なにせ相手の気持ちや未来の出来事は、検索してもヒットしませんし…… 笑)
こういう事はNHKのドキュメンタリーを見ているとよくあることで、一体どんな甘言を弄して取材の許可を得るのかと、つくづく疑問です。そう考えると、NHKの製作スタッフはグーグル以上に不気味な存在のような気もします。

思えばNHKというのは凄まじい権力をもつ情報機関で、世界に冠たる経済力をもつ日本の、ほぼ全国をフォローする情報網をもち、しかも権威が認められている。これほど経営体質に疑問の声が挙がっていても、なお日本の多くの家庭が、NHKのニュースを見ているでしょう。NHKがチョイと「米国企業の陰謀」についてドキュメンタリーを作れば、たちどころにかなりの数の日本国民の「愛国心」に火がつく。

テレビもインターネットも、なかなかもって、恐ろしい。


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2006年12月20日(水)

学歴内部崩壊

テーマ:コラム
「学歴社会は終わる」「学歴に頼るな」と言われ始めてから、もう大分経ちます。が、社会が変化するには時間がかかるもの。学歴が完全に意味を為さなくなるまでには、まだまだ時間がかかるだろう。それが、自分自身学歴の恩恵を(場合によっては不当に)受ける立場にある私の、自嘲混じりの見解でした。
しかし、そんな十代の頃の私には予想できなかった形で、予想しなかった速さで、事態は進行しているのかも知れません。

 参考:四国新聞社Webサイト

東大の学生生活実態調査で、自分がニート・フリーターになるのではと不安を抱いている学生が28%にのぼるという結果が出たそうです。10人中3人だから、かなり多い。強い(病的な?)不安を感じることがあるという学生も増えているとか。かく言う私も以前から公言しているとおり、駒場の保険センターで軽い抗鬱薬をもらっていたクチですし、周囲を見まわしてみても、これは決して無根拠な数字ではないなと感じます。

学歴が完全に意味を失ったかといえば、まだまだでしょう。ただし就職に際して学歴の影響を排除しようとする動きは確実に広まっています。それは以前から分かっていたことです。
しかし、最近になって思うのは、企業や社会の側が高学歴者を優遇しなくなった以上に、高学歴者自身が精神的に駄目になっているようだ、という事です。どんなに学歴も実力もあったとしても、大鬱病では仕事はできません。とうぜん、企業も取らないでしょう。「働く」という事を受け容れられなければ、あるいは「働く」という事に耐えきれず精神的に参ってしまうような人では、ニート・フリーターになる事も避けられません。学生に学歴があり、企業に学歴を評価する姿勢があったとしても、学生の側が鬱で就活をしようとしなかったら、その行き着く先はニートです。

精神的に弱い学生を取ってしまって、早々に辞められて研修費用を無駄にした、という経験を企業が積むにつれて、精神的な安定性が重視されるようになるでしょう。東大に合格したことよりも、精神的に自立していることの方が、圧倒的に重要な意味を持つようになっていく。

現在私が教えている学生さん達も、marchや日東駒専と呼ばれるような全国に名の知られた大学の学生さんが多いですから、他人事ではないでしょう。知性と技能を身に付けることはもちろん大切ですが、精神的な余裕をもつことと、「労働」という物についての観念を明瞭に持つことを忘れないで下さい。社会人として自分が活動することを、自分自身納得できるように心の中を整理しておいて下さい。精神的に弱点があるなら、克服なり治療なりを早い段階から実践しましょう。

自分自身も青白き現代の若者の一人であり、見ようによってはフリーターの一員でもある私の個人的な見解としては、我々は「仕事」というものに夢を抱きすぎるべきではないと思っています。やりたい仕事をやるとか、自己実現とか、自由とか、そういうナイーブな事を言っていると泥沼にはまり込む。まず自分が健康であり、飯が食えること。それが第一だと思います。自分で自分を養える、必要なら両親や配偶者・子供たちを養える事が大前提であり、仕事とは正に金を稼ぐための物ではないかと思います。ちょうど旧石器時代の人々にとって、狩猟がそのまま食べるための手段であったのと同じように。
その上で、自分の喜び、社会貢献や社会的評価を「カネを稼ぐこと」とどう両立させるかを模索していく。その過程で、一時的に経済的苦しみに直面する事はあっても良いかも知れないけれど、「カネを稼ぐこと」の目処が立たないのに「夢」なんぞを追いかけるのは、やはり無謀なことです。無謀を貫く精神的肉体的パワーがあるなら良いけれど、明らかにそういうパワーの無い人が、変な労働観念に踊らされて無根拠に進路選択をして、泥沼にはまりかけている気がします。

同時に、既に泥沼にはまってしまった人々、精神的自立が不可能なほどに病んでしまった人々を、社会的にどう扶助していくのかは極めて重大な問題です。それは人道的に座視できない問題ですし、単純に損得の問題として考えても、不幸な状態にある人を放置すれば、人心は荒廃し、社会にとって確実に重大な負担となっていくはずです。もちろん経済的な負担にもつながってゆく。

雇用情勢の改善で各企業とも人材確保に躍起で、派遣社員の対偶などは改善しつつあると聞きますが、問題の根はもっとずっと深い。そう簡単には改善しないでしょう。
とりあえず、熱意のある学生さんに技能を身に付けてもらい、一人でも多くの優秀な人材を送り出すのが私の仕事です。


ま、偉そうなことを言う前に、自分が喰っていけるかどうかが問題なんですが(苦笑)
レールの無い道を歩きだしてしまったので、浮かぶも沈むも自分の腕ひとつです。
いま講義内容を大改訂中。試行錯誤の日々です。楽しいだけでは意味がない。成績が上がり、内定率が上がらなければ。もちろん、僕の評判も上がらなければ、どんなに良い授業を目指しても、この仕事を続けられない。別の仕事やプライベート(大掃除とか年賀状とかあと大掃除とそれから大掃除)とも両立させて……


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2006年09月30日(土)

グラウンド・ゼロ

テーマ:コラム
2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ。
皆さん御存知の通りです。その後の世界情勢の変化も。
この一件に関して、友人が面白いことを書いていたので、ご本人の許しを得てちょっとだけ引用させていただきます。

同時多発テロと言えば、崩壊した世界貿易センター(WTC)ビルの被害がどこよりも大きく取り上げられています。その崩壊したビルの跡地を「グラウンド・ゼロ」と称し、一時はその扱いを巡って議論が起きたりもしていたようです。

その「グラウンド・ゼロ」が、10年前は別の場所にあったはずだ、と彼は言うんですよ。「え?」ですよね。

彼が言う「10年前は別の場所にあった」グラウンド・ゼロとは、永らく米国の核開発が行われたネバダ州の核実験場の事だそうです。確かに、そういえばそのような呼び名を耳にしたことがあります。実際の核弾頭をそこで何度も炸裂させたわけですから、周囲には放射性物質が残り、もちろん一帯には人は住んでいません。(ただし近圏の住人には、特に風下を中心に健康被害が生じた)人間以外の動植物も、健全に生きていける環境ではない。広島・長崎を焼き払ったのを初め、その後人類が直面した多くの恐怖の発祥地が、あるいはネバダ州の「グラウンド・ゼロ」であると言えるかも知れません。

もっとも、ネバダ州の「グラウンド・ゼロ」が本当に「ゼロ」「原点」かと言えば、さらにその前段階を辿っていくこともできます。アインシュタインが核開発への協力を決意した背景には、ナチスドイツの恐怖がありました。そのナチス台頭の原因となった第一次大戦後ドイツ社会の混乱の原因には、第一次大戦終結時に英仏が中心となって課した、あまりに多額の賠償金などを数えることが出来ます。重要なのは、メディアがひとつの「グラウンド・ゼロ」つまり9.11の被害を盛んに取り上げる事で、我々がそれ以前に「グラウンド・ゼロ」と呼んでいたもの、つまり核兵器の歴史を忘れてしまう事への戒めだと考えればいいでしょうか。
そもそも、9.11においても世界貿易センタービル以外の場所でも被害は発生していました。メディアに報道されない所でも、悲劇と恐怖は日々起こっている。戦争やテロリズムの現場でなくても、ひどい事故や凶悪犯罪でも、数字に表れる被害の大小こそ異なっても、悲劇は悲劇なわけです。報道される事ばかりに目を奪われるのではなく、多角的な視点を持って物事を見たい物です。

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2006年03月23日(木)

野球にめくじら

テーマ:コラム
まぁそんなに目くじらたてることないじゃないの、と言えばその通りなんですが、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)オリンピック以上にナショナリズムの祭典と化しましたね。オリンピックはいろんな国がそれぞれのパフォーマンスを披露して、その結果を競う、というんだからまだ良いですが、野球は直に相手チームとバトルですからねぇ。ヒートアップするのも当然といえば当然ですが。

また相手が良くない。韓国とアメリカ。あと中国が加われば、日本のプチナショナリズムが目の敵にする国が揃っちゃいます。加えて「悪レフェリー」まで登場して、もう昔のプロレスみたいですよ。(まだ日本が大戦の敗北から立ち直っておらず、アメリカに追いついていなかった頃、プロレスといえば猪木や馬場が悪役の海外レスラーの反則に苦しみながら戦う、という構図だったと聞いています)

読売新聞は、「ナショナルフラッグを背負って戦う! 素晴らしいじゃないか!」みたいに書いていますが、なんか日韓の反目を悪化させるイベントに見えるんですけどねぇ。まあ、読売巨人軍だから、野球イベントを貶すわけにもいかないか。


ところで日本ではベースボールを「野球」と訳していますが、この訳は正岡子規が作ったという噂を聞いたことがあります。

 「正岡子規」
 (1867—1902)俳人・歌人。
 本名常規(つねのり)、幼名処之助、また升(のぼる)。
 別号獺祭書屋(だつさいしよおく)主人、竹の里人。

 一ツ橋大学予備門(旧制一高の前身)に入学し、
 夏目漱石を知る。この前後に和歌や俳句をつくり始め、
 また人情本に親しみ落語なども好んだが、
 当時はやりだしたベースボールにも熱中した。
 (宮地伸一)

「升(のぼる)」→「野ボール」→「野球」とかいう……
これは本当なんですかねぇ。
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