2007年12月17日(月)

禿げたのは何時か ~上杉考~

テーマ:雑学傑作選
昨夜は大河ドラマ「風林火山」最終回だったそうで。そうですか、というわけで、今までマトモに見ていなかったものを少し見たりしたんですが、主人公が討ち死にして終わる、という展開でしたね……史実を知らなかったので、ちょっと驚きました。加えて、最後の映像は結構凄まじかった。主人公が槍で突かれ、胸板を銃で撃ち抜かれ、さらに首をはねられ、その首を失った胴と斬られた首が別々に信玄の元に運び込まれる様を描写したりと、コレなかなか激しい。「迫力の描写」という肯定的な評価も「残虐だ」という否定的な評価もありそうですが、ともかく大胆な描写。驚いた。

で、それを見ていて、ふと思ったんですね。
「あれ? 川中島の合戦で上杉謙信って坊主じゃなかったの?」
昔見た歴史漫画の川中島では、信玄との一騎打ちのシーンで既に僧形だった気がするんですよね。

で、ウィキを見たら

 「上杉謙信」
 永禄4年(1561年)8月、1万3000の兵を率いて川中島に出陣
 する(第4次川中島の戦い)。このとき、武田軍と大決戦に
 及び、武田信繁、山本勘助らを討ち取ったが、上杉軍の死傷者
 も甚大で、結局痛み分けに終わった。
 (中略)
 永禄12年(1569年)(中略)12月には法号「謙信」を称した。
 (中略)
 元亀4年(1573年)、宿敵・武田信玄が病没して武田氏の脅威
 が薄らぎ、越中の過半を制圧。(中略)同年12月19日、
 剃髪して法印大和尚に任ぜられる。

なるほど。山本勘助を打ち取った時は、まだ名前は俗名だし、剃髪もしていない。そうですか。

なお、武田信玄とか上杉謙信とか、ものすごく強かった、天才的だった、というように言われますが、それぞれ弱点も限界ももっているし、何より皆、謀反の繰り返し、内乱の繰り返しに悩んでいたんですね。ウィキの長大な記述を見ると、その事が実に良く分かる。
ドラマの描写を見ていてつくづく思ったんですが、これだけの人間が命をかけてぶつかり合い、命を奪い合うという状況は、やはり凄まじいものがある。なんだかんだ言って、今は平和です。
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2007年12月09日(日)

ショートケーキって短くないよなぁ

テーマ:雑学傑作選
「ショートケーキ」と言えばイチゴかと思っていたのですが、季節がら町中にケーキがあふれ始めてみて、ふと気づくとイチゴじゃないフルーツが乗ったものも「ピーチショートケーキ」とかって名前で売っている。ふーん、ショートケーキってイチゴじゃなくてもいいのか。と言いますか、そもそもショートケーキとは何ですか。ウィキペディアを参照します。

 「ショートケーキ」ー日本式のショートケーキ
 イチゴショートケーキ
 日本では、スポンジケーキを土台に、ホイップクリームを
 つなぎと外装に、そしてイチゴを味付けに使ったものを
 「ストロベリーショートケーキ」といい、一般にはこれを単に
 「ショートケーキ」ともいう。イチゴ以外の食材を使ったもの
 は通常その食材の名を冠して、「バナナショートケーキ」
 「ピーチショートケーキ」などという。
 (中略)
 「スポンジケーキ+ホイップクリーム+イチゴのケーキ」を
 大正時代日本に紹介してこれを広めたのは不二家だが、
 発案者が誰なのかは伝わっていない。

つまり不二家発祥の「スポンジケーキ+ホイップクリーム+フルーツ」という構成が、「ショートケーキ」の日本における定義ですか。
いや、しかしですな。なぜ「ショート」が「ホイップクリーム+フルーツ」になるのか、まだよく分からない。
で、「日本式のショートケーキ」とある以上は、「日本式でないショートケーキ」もあるわけですね。

 「ショートケーキ」ーアメリカ式のショートケーキ
 アメリカ式ショートケーキの一例
 ショートケーキはそもそもアメリカ合衆国の庶民的な家庭菓子
 ショートケイク(shortcake)を日本風にアレンジしたもの
 である 。
 アメリカのショートケーキ (shortcake) は本来スポンジ
 ケーキではなく、「ビスケット」と呼ばれるパンとケーキの中間
 のようなものを土台にしている。これは…(中略)…外側は
 サクサクとして内側はふっくらとした食感のあるパン/ケーキ
 であり(形容詞 short には「サクサクしている」という
 意味もある)…(中略)…甘めに味付けしたビスケットを横半分
 に割って刻んで砂糖をふったイチゴを挟み、その上にさらに
 イチゴやホイップクリームをトッピングすることが多い。

手元のジーニアス学習英和辞典を引くと、確かにshortは「サクサクした、もろい、壊れやすい」という意味があるようです。「ショートケーキ」とは「さくさくケーキ」の意味なのですなぁ。
では、それが何処でどうしてスポンジしっとりケーキになったのか。日本人の勘違いなのか?
そうとも限らないらしい。

 日本にこのアメリカ式ショートケイクが紹介された当初、
 残念ながらそれは日本人の持つ「洋菓子=高級」という感覚に
 合致するものではなかった。そこで誰ともなしに (ただし
 不二家によれば不二家が最初に) スポンジケーキを
 ビスケットの替わりに使うようになったのだという。

この記述によれば、高級感を出すためにわざと取り替えたのであって、勘違いではないようです。
また、続けて以下のような記述も。

 なおアメリカでも、大都市や洗練された街のケーキ屋に限っては
 「スポンジケーキ+ホイップクリーム+イチゴのケーキ」のこと
 を ストロベリー・ショートケイクということがある。その由来
 には二説あり、アメリカでも誰かがビスケットのかわりに
 スポンジケーキを使ったところ好評でこれが定着したとする
 もの、日本式のショートケーキが逆輸入されてこれが外国文化の
 影響を受けやすい都市部に広まったとするもので、この両方と
 する説もある。なお、家庭でもビスケットの代わりにスライス
 したパウンドケーキを用いることがあるが、日本のショート
 ケーキとは全く形状が異なる。

また「フランス式」に関する記述もあり、フランス式もしっとり系だと書いてあります。
語源からはかけ離れた高級路線が世界の主流というわけか。
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2007年12月02日(日)

柿を喰いつつ「こけらおとし」を調べる

テーマ:雑学傑作選
実家には柿の木があります。私の家族は柿があまり好きでないので、いつも勿体ないことになっています。
最近はビタミンCが豊富らしいと知り、僕がやたら食べますが。

↑数字で好き嫌いを決め、頭で物を食う男

さて。
あるとき「柿落とし」という文字を見つけたのです。
これを「こけらおとし」と読むらしいんですよ。「こけらおとし」というのは、劇場などが完成したときの、最初の興行を指す、と認識しています。

で、なんで柿を「こけら」と読み、それを落とすと劇場の完成祝いの興行になるのよ。

ネットで調べてみたんですが、まず見つかった意見は、「かき」と「こけら」は極めてよく似た別の字である、というものです。
ある記事によれば、「かき」も「こけら」も、へんは「きへん」だが、つくりが違う。「かき」は「なべぶた+巾」だが、「こけら」はもともとカタカナの「ホ」のような形を書くこともあり、縦の棒が上の横棒を貫通している。こちらは木屑を表す字で、新築の木造家屋から木屑を払い落とすのが「こけらおとし」である、と。ふむふむ、説得力がありますなぁ。

しかし、こちらはもっと説得力があります。
 暁に死す/こけらとかきの違い

2ページ目まで読んで下さいね。
けっきょく、諸説あり、というのが実際のところらしいです。
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2007年11月25日(日)

「燐」とは何か?

テーマ:雑学傑作選
リン(燐)という物質があります。
原子番号15番。元素記号は「P」
ヨーロッパ語では「Phosphorus」だそうです。

それはいいんですが、その物質を我々日本人は「燐」と漢字で書く。でも「燐」という漢字を発明した中国古代人が、原子番号15番のためにこの字を発明したとは、とても思えないわけです。
じゃ、この字は元々なんだったのか。


待ってましたどどーん。

 「燐」
 声符は「リン(米の下にタとヰ「燐」や「隣」のつくりの部分)」
 「リン」は……聖所に人牲として磔されている者の形。

うぉう。生け贄としてはりつけにされた人間の形だそうですよ。
死体を表す形である、と。

なんでも、戦争で多くの兵馬が死んだ後、その血が長く曝されていると、やがてそれが光りだす。遠くから見ると火のように光る。それが「燐」だそうです。鬼火を表す字だとのこと……

ちなみに、燐という物質そのものは、ウィキペディアによれば

 1669年にブラント(H.Brandt)が錬金術の実験中に発見。
 ギリシャ語で'光をはこぶもの'という意味の
 「phosphoros」から命名された。

とのこと。確かに光るらしい。
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2007年10月21日(日)

エッフェル塔は何してるの?

テーマ:雑学傑作選
東京タワーはテレビ塔として建てられたんですよね。
では、パリのエッフェル塔は? 建造は19世紀末で、明らかにテレビは無いと思うんですよ。さっそくウィキります。

 エッフェル塔(仏: La tour Eiffel)は、フランスの首都
 パリのランドマークとなっている塔。フランス革命100周年
 を記念して、1889年にパリで行われた第4回万国博覧会の
 ために建造された。
 (中略)
 万博後には来訪者も減ったことや、当初の契約から1909年に
 は解体されようとしていたが、のちに軍事用の無線電波を
 エッフェル塔から送信することになり、そのため国防上重要な
 建築物ということで、現在に至るまで残っている。

ということで、建造当時は完全なモニュメント。
何の仕事もしていなかったことになります。うどの大木。
なお、現在は放送用アンテナがついているとの事。
それで10mぱかし背が伸びているそうです。

なお、以下のような記述も。

 設計者はステファン・ソーヴェストル、モーリス・ケクラン
 である。ギュスターヴ・エッフェルは建設を請け負っただけ
 であるが、この塔の名前の由来になった。

なんでそんな事になるのか。

 建設は万博に間に合わせるため2年2ヶ月という驚異的な速さで
 行われたが、一人の死者も出さなかった。

「プロジェクトX」は、こういう海外の事例も扱うべきだったとつくづく思います。

 あまりに奇抜な外見のため、建設当時は賛否両論に分かれた。
 反対派の文学者ギ・ド・モーパッサンはエッフェル塔1階の
 レストランによく通ったが、その理由として「ここがパリの中で
 いまいましいエッフェル塔を見なくてすむ唯一の場所だから」
 と言っている。ここから、「エッフェル塔の嫌いなやつは、
 エッフェル塔に行け」ということわざも生まれた。

ちょっとニュアンスは違うけれど、「灯台下暗し」みたいな。
モーパッサン、実は新名所の事が気になっていたのでは……とか思っちゃったりもします。
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2007年09月23日(日)

サイバーシンって何???

テーマ:雑学傑作選
何も申しません。とにかくこれをご覧ください。

 wikipedia「サイバーシン計画」

 サイバーシン計画 (サイバーシンけいかく、Project
 Cybersyn) は、サルバドール・アジェンデ政権期間中
 のチリで1971年から1973年にかけて行なわれた実時間の
 コンピュータ制御による革新的な計画経済システムの試み
 である。 これは首都サンティアゴにあるコントロールセンター
 の単一のコンピュータとチリ各地の工場とをテレックスで接続し
 サイバネティックスに基づく制御を行うことを目指していた。
  システムの基本設計はオペレーションズ・リサーチの研究者で
 あり当時の経営へのサイバネティックス応用における教祖的存在
 でもあったイギリスのスタフォード・ビア (Stafford
 Beer) により行なわれた。

つまりですよ。
1970年代に、国家の経済のすべてをコンピュータにより管理するシステムが、遠くチリの地で計画されていたというんです! 国中の生産拠点にコンピュータ(ハードディスク何十メガバイトとかですよ)を設置し、インターネットも無い時代に「テレックス(どんだけ通信速度遅いのかと)」で国中を結びつけ、現代の我々ですら実現しようと思わないような、壮大な計画がなされていたという事です! ほとんどSFですよ!

 1970年に、人民連合のリーダーとしてマルクス主義者の
 アジェンデが大統領に選出されると、政権はチリ各地の工場や
 鉱山など生産手段の国営化を社会主義化の最優先事項として
 実行した。政権当初の1970年にはケインズ的景気刺激策など
 が試され雇用の拡大と大きな経済成長がみられたが、アメリカの
 経済制裁と主要輸出品である銅の価格の下落、国内での労働者
 のスト、国有化を望まない企業経営者の反対、さらに新たな国有
 企業運営の困難さなどから1971年には経済状況は既に大きな
 危機に瀕していた。
 このような状況で、チリ経済開発公社(CORFO)の技術部門
 の責任者であり当時まだ 20 代であったフェルナンド・
 フローレスは、ソ連式の中央集権的な計画経済に代わるもの
 として、より見通しがよく柔軟で迅速な経営システムを模索
 していた。 学生時代の経験からスタフォード・ビアのサイバネ
 ティックスを基とした経営理論に通じていたフローレスとアド
 バイザーのラウル・エスペーホ (Raul Espejo) は
 1971年に新たなシステムの設計をビアに依頼するとともに
 サンティアゴへと招聘した。

こうして運命の男、ビアは南米チリに降り立った。

 ビアらにより立案された計画は、南北 4,600km に
 及ぶチリの長い国土に散らばる生産設備と通信するために
 国土を電子的ネットワークで接続し、日々送られてくるデータを
 元にサイバネティックスの理論を用いて生産を調整しようという
 野心的なものであった。 やがて英語圏で「サイバーシン」(Cybersyn)
 チリで「シンコ」 (Synco, Sinco, Cinco) と呼ばれるようになった
 この計画に対してビアが与えた「経済へ電子的な神経システムを
 移植する」というアナロジーは、医師でもあったアジェンデ大統領
 に対して計画をアピールするのに大きな効果があったようである。

人間の体に神経が走って自在に動くように、国家の国土にもテレックスの神経網が駆け巡り、あたかも走れば自然と心拍が上がり、血糖値が下がれば自然と肝臓から糖分が放出されるように、国家が一人の人間のように動き出そうとしていた。チリの国土を走る道路が巨大な人造人間の血管のように脈動し始めようとしていたわけです!

で、どうなった?

 大統領官邸に新しいサイバーシンのオペレーションルームを設置
 するための測量が行われた翌日 1973年9月11日、
 ピノチェト将軍に率いられた軍事クーデターが発生し官邸は
 銃撃戦の舞台となった。 クーデターの成功後、このシステムの
 オペレーションルームは直ちに破壊され、現在「社会主義者の
 インターネット」とも形容されるこのユートピスト的な試みは
 長らく忘れられることとなった。

いと悲し。
皮肉にも本格的な経済運営には大きな成果を上げることはなく、アメリカの支援を受けたストライキに際して、政府に協力的な運輸業者をテレックス装置によって組織し、巧みに運営する事でストライキを失敗させたという実績のみを残したようです。

 「オプスルーム」
 (サイバーシンの)オペレーションルームであり、ドイツのグイ
 ボンジーペ (Gui Bonsiepe) らによりデザインされた。
 SF 映画を思わせる近未来的な外観を有しており、 6 角形
 の部屋に 7 脚の特殊な回転イスが備え付けられていた。
 このイスの肘かけには小さなコンソールがあり、これは壁に備え
 付けられた大型スクリーンとパネルとを制御した。 この
 スクリーンにはリアルタイムで例外的な事象のレポートが
 表示されるようになっていた。

これが恐らく、破壊されたオペレーションルームでしょうね。
まあ、ある意味、小売業のPOSシステムなんかは、これの現代版で、さほど驚く必要は無いのかも知れませんが、かなり面白いはなしだと思います。
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2007年09月16日(日)

トーストの茶色は焦げではないのか

テーマ:雑学傑作選
ふと気づくと、ウィキペディアに「トースト」という項目がある。いろんな項目があるなーと思いつつ見てみました。

 トーストは、食パンを加熱し、表面を焦がしたものである。
 このとき表面が茶褐色になるのは、メイラード反応による
 ものである。トーストは朝食で食べられることが多い。

まて。
なんだ。その「メイラード反応」というのは。

 メイラード反応(メイラードはんのう、Maillard
 reaction)とは、還元糖とアミノ化合物(アミノ酸、
 ペプチド及び蛋白質)を加熱したときなどに見られる、褐色物質
 (メラノイジン)を生み出す反応のこと。褐変反応
 (browning reaction)とも呼ばれる。
 アミノカルボニル反応の一種であり、褐色物質を生成する
 代表的な非酵素的反応である。メイラード反応という呼称は、
 20世紀にルイス・メイラードがこの反応の詳細な研究を
 行ったことから名付けられた。

パンをトーストして茶色くなるのって、てっきり「少しこげている」んだと思っていたんですけど、どうも焦げる(炭化)とは別の反応のようで……知らなかった。
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2007年08月26日(日)

直木賞は誰を記念しているのか

テーマ:雑学傑作選
芥川賞は明らかですよね。芥川龍之介を記念している。
しかし、直木賞。それは誰を記念しているのか。
松尾直樹を記念しているわけではない事は確かだ。
(と笑えないボケを。記念されるって、故人っぽい……)

え、ええと、それで、ウィキペディアで調べました。

 直木三十五賞(なおきさんじゅうごしょう)は、
 大衆文学の新人に与えられる文学賞。通称は直木賞。
 文藝春秋社の菊池寛が、友人の直木三十五を記念して、
 1935年(昭和10年)に芥川賞とともに創設し、
 以降年2回発表される。

というわけで、「直木三十五」という人を記念している。
……誰だそれ? なわけです。
ふたたび、ウィキろう。

 直木 三十五(なおき さんじゅうご、1891年(明治24年)
 2月12日 - 1934年(昭和9年)2月24日)は、
 日本の小説家。現在、エンターテインメント系の新人の
 作品に与えられる直木賞は、彼に由来する。
 大阪市南区内安堂寺町二丁目生まれ。

戦前の人ですね。

 父の反対を押して早稲田大学英文科予科を経て
 早稲田大学高等師範部英語科へ進学したが、
 月謝未納で除籍。しかし、登校はし続け、
 卒業記念写真の撮影にも参加している。

ほ、ほほう……?

 1929年、『由比根元大殺記』で大衆作家として認められた。
 時代小説を多く執筆し、『黄門廻国記』は月形龍之介の
 主演した映画『水戸黄門』の原作にもなった。亡くなった
 翌年の1935年、文藝春秋社長・菊池寛によりかれを
 偲んで直木賞が設置された。
 忌日の2月24日は、代表作『南国太平記』に因んで
 「南国忌」という。

映画『水戸黄門』の原作者とありますが、水戸黄門が諸国漫遊する話は江戸時代からあるわけで、決して現在の「日本人なら誰でも水戸黄門を知っている」的な状況を彼が作ったというわけではありません。あしからず。

 本名は、植村宗一という。「直木」は「植」の字を分解
 したもので、「三十五」は年齢を元にしたものである。
 31歳のときに直木三十一の筆名で『時事新報』に
 月評を書いたのが文筆活動の始まりで、以降誕生日
 を迎えるごとに「三十二」、「三十三」と名前を変えていた。

ななな、なにぃ?
人を食ったような話であります。なんか楽しいぞこいつ。

 34歳の誕生日を迎えた時、本人は「直木三十四」と書いた
 のに、編集者が勘違いから「直木三十五」と書き直して
 しまった。しかし、当の「直木三十四」はそれを訂正する
 ことはせず、それ以降、直木三十五から名を改めることは
 なかった。理由は「三十六計逃げるに如かず」と茶化される
 のが嫌だったからだという。
 亡くなった時の年齢は43歳であった

なんなんだこのやる気のなさは。
激しく脱力系だ。時は軍国主義へまっしぐらですよ??

 大阪に直木三十五記念館がある。

この記念館に、彼の文学碑が建っているんですが、
「芸術は短く 貧乏は長し」
もう、何をか言わんや、であります。

あ、文学館の記述には、こうもありますよ。

 本人の記す所によりますと、「三十三で留めておいたが、
 三三と重なるのは姓名判断上極悪であるという。
 なるほど余り貧乏が長過ぎる。素人考えから云っても
 「味噌蔵」だの「散々」だのと通じては縁起でもない。
 これを「みとみ」と読んで「粋な名だんな」という仲居があるに
 至っては到底女との苦労断てる暇はあるまいと思われる。
 一躍四を抜いて三十五になる所以である。」

「到底女との苦労断てる暇はあるまいと思われる」名台詞だ。
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2007年03月09日(金)

マグマはどこから来た?

テーマ:雑学傑作選
地球って、中の方はドロドロのマグマなんですよね?
火山って、地球の中の方のマグマが噴出したものですよね?
そう信じていたんですよ。そしたらね、

 「火山(volcano)-火山活動と噴火-マグマの生成・上昇」
 マグマの生成や上昇の仕組みなどは、まだよくわかっておら
 ず諸説があるが、マグマは、地下約2900キロ~5000キロ
 メートル前後を占める液状の外核に由来するのではなく、
 全体的には固体の地殻下部~マントル上部(地下数十キロ~
 数百キロメートル)で、温度と圧力の均衡が破れ、局所的に
 溶けて生じたらしい。(諏訪彰)

べ、別物だったんですか……

なお、地球の中の方がドロドロ、というのも不正確ですね。温度は高いけれど圧力も巨大だから、中心部は、いわゆる僕らが知っている個体とも趣が違うけれど、少なくともドロドロしてはいないかも。

 マグマは徐々に集合し、周囲の固体より密度が小さいので、
 浮力で割れ目に沿い、あるいは割れ目をつくって、しだいに
 上昇するらしい。マントル上部で生成した初生マグマ自身が
 上昇するのではなく、溶融状態が上方へ移動するという説も
 ある。つまり、マントル上部がポケット状に溶けると、その
 上方にある固体物質の溶けやすい部分も溶け、かつ、その
 溜り内で対流が生じ、底部にはマグマから晶出した結晶が
 沈殿する。結晶ができる際の潜熱で、その溜りの内部は加熱
 される。このようなことが反復されれば、マグマ・ポケット
 (溶融部分)は順次、上方へ移動するはずである。(諏訪彰)

もっと何だかいろいろあるらしいんですが、僕の手に負えない代物なので、こんなところで。「火山」全23000文字也。



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2007年03月03日(土)

筆の起源

テーマ:雑学傑作選
ちょっと訳あって、筆で塗料を扱っていました。
で、筆をしげしげと眺めて、思ったわけです。
この筆というものを、人類はいつから持っているのかと。

 「筆」
 毛筆の創始は文献上では中国の秦(前221~前206)の
 蒙恬(もうてん)将軍とされ、その功績により
 管城(かんじょう)に任ぜられたことから、
 筆には「管城」の異名が伝えられるほどであるが、
 1954年に中国湖南省長沙(ちょうさ)市左家公山の
 第15号墓から発掘された竹製の行李(こうり)のなかに、
 天秤(てんびん)、竹簡(ちくかん)、銅刀などとともに、
 筆筒に入れた筆が発見された。この墓は秦に滅ぼされた
 楚(そ)の国の墓である(長谷川三郎)

蒙恬将軍といえば、秦の始皇帝に深く信頼された秦の名将です。才子との評判の高かった始皇帝の長男・扶蘇を預かり辺境の守備にあたっていたものの、始皇帝の死後に奸臣の謀略で扶蘇ともども自害を強いられた、悲劇の人として知られます。こういう伝説が付与されるあたり、人気の高さを伺わせます。

が、その秦が滅ぼした楚の墓から見つかっているんだから、蒙恬将軍が発明したわけではないんでしょうねぇ……

 遺品からみた筆の歴史は以上のとおりであるが、殷(いん)代
 (前16~前13世紀)の亀甲(きっこう)獣骨文とともに発掘
 された白色土器に、毛筆でなければ描けないと思われる文様
 があったり、甲骨文のなかには銅刀で文字を刻み込む前に
 毛筆で下書きしたと思われるものもある。またさらに古い
 新石器時代末期の竜山(りゅうざん)期や仰韶(ぎょうしょう)
 期の彩陶の文様も筆で描かれたと推定され、これによれば
 毛筆の起源は前2500年以前にまでさかのぼることになる。
 (長谷川三郎)

まさに、中国4千年と共にあり!



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