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田崎聡の【沖縄から食の風】35

「琉球独立論と普天間基地問題」

田崎 聡氏(有限会社楽園計画 代表取締役)  

 「TPPお化けが恐怖をかきたてている」と元山田義彦農林水産大臣を批判する民主党の前原誠司議員は、首相の野田佳彦、玄葉光一郎外相、元総務大臣の原口一博議員と同じ松下政経塾出の議員である。

最近、彼らは連日沖縄入りして普天間移設を辺野古に決定するように説得しているが、もし機動隊を導入してまで移設を強制するようなことがあれば、沖縄の民衆の怒りは頂点に達し、反政府運動へと広がる恐れがあるだろう。現在、欧米で広がっている金融支配に対する運動とSNSサイトで連動していく可能性も否めない。

 D・ロックフェラー傘下の松下政経塾は、経済よりのマスコミや知識人を動員してTPPを「第二の開国」として、まるで日本が参加しなければ世界から取り残されるような印象を社会に与えているが、大豆4%、小麦14%、とうもろこし0%の食料自給率に加え、オレンジ、グレープフルーツ、ブロッコリー等々、すでに日本の農産物は充分に開国しているのである。

米国は、一番美味しい日本の米市場までも占有しようと目論んでいるが、一俵3,000円の安いカリフォルニア米が日本に入ってくれば、日本の農家を保護するために新たな税金を投入せざるを得なくなるのは必至である。

 管元首相が鳩山元首相による普天間基地移設問題の火消しの詭弁として、突然米国にTPP参加の話を持ちかけ、米国の遺伝子組み換えの米やとうもろこし、大豆、さとうきびや他農産物を関税ゼロで大量輸入するということが、「日本の農業や食生活には影響は及びませんよ」ということには、断じてならないのである。

●野田政権の今後の流れ(板垣英憲氏「マスコミに出ない政治経済の裏話」より)

①沖縄米軍普天間飛行場の辺野古への移設強硬(最後は、県知事の許可権限を取り上げて、国の権限とする法律を制定し、機動隊導入も辞さない覚悟)
②TPPへの交渉参加決定
③米国産牛肉の輸入緩和(月齢「20か月」→「30か月」へ)
④「武器輸出3原則の緩和」(武器の日米共同開発→輸出緩和へ)
⑤陸上自衛隊のスーダンへの派遣決定(国連事務総長の要請でもある)
⑥次期戦闘機(FX)選びで、対米重視の政治判断(米ロッキードマーチン社「F35」、米ボーイング社「FA18」、英独伊スペインのBAEシステムズ社など「ユーロファイター」が候補)
⑦米国債買い入れ(米国の言いなり)
⑧安住淳財務相が消費税率アップ法案を国会に提出、成立を図ると言明。「国際公約だからだ」と力説(実は、米には、オバマ政権の強い要求)

 こうした日本が米国のいいなりになることに反発し、「沖縄は独立するべきである」と唱えている、いわゆる『琉球独立論』を主張する人々が沖縄にいた。

沖縄は地理政治学的位置から独自の融合文化を築き、日本本土とは異なる歴史体験をもつところから、独立すべきだとする主張である。しかし、戦後沖縄の思想の流れの中で間欠的に浮上はするが大衆間に定着するまでには至っていないのが現状である。

具体的動きとしては、1947年の沖縄民主同盟(仲宗根源和)、50年の共和党(松岡政保)、69年復帰直前に結成された〈沖縄人の沖縄をつくる会〉による琉球独立党(当間重剛)などがあり、その党首である野底土南(ぬかどなん)は、ジャーナリストの故竹中労氏が明快に評価するほどの人物として知られている。

野底土南氏は与那国島出身の沖縄県初の公認会計士として独自の琉球独立論を唱え、「尖閣諸島に眠る膨大な海底資源を琉球共和国の原資として、台湾、チベット、ウイグルとともに独立する」と三星天洋旗http://www.bekkoame.ne.jp/i/a-001/sanseitenyo-shokai.html を国旗として掲げていた。
現在、琉球独立党はかりゆしクラブとして、屋良朝助氏が引き継ぎ2006年の知事選に立候補したが、約6220票で落選した。

 こうした沖縄独立意識を市民調査した結果がある。琉球大学の林泉忠准教授による1,000人の調査によると、「独立すべき」と答える人は20%近くで、圧倒的に「独立すべきではない」と答える人が多い。

 しかし、普天間基地を辺野古に強制移設をするようなことになれば、「琉球独立論」が再燃し、日本政府への沖縄県民の不信は頂点に達し、マグマが噴出することになるだろう。



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田崎聡 ((有)楽園計画 代表取締役)
1956年東京生まれ。武蔵野美術大学卒業。 東京でアートディレクターとして活動後、1986年に沖縄に移住。 古酒の店「クースバー」を1988年に開業後、食店プロデュース、商品開発、出版編集など幅広い分野で活躍。 雑誌「島唄楽園」「月刊うるま」などの創刊編集長を務めるかたわら、「山猫屋」「回」「島唄楽園」など数々の店舗プロデュースを手掛ける。 著書に「泡盛ブック」(荒地出版社)などがある。従兄弟はワインソムリエの田崎真也 。

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田崎聡の【沖縄から食の風】34

「沖縄の台風」

田崎 聡氏(有限会社楽園計画 代表取締役)  


 今年の沖縄は、台風の当たり年である。沖縄各地の農業被害は甚大だ。さとうきび、菊、葉たばこ、マンゴー、ゴーヤー、パイナップル、シークヮーサー、パパイヤ、ドラゴンフルーツなど、額にして何十億円にものぼるというから大変である。こうして考えると、沖縄での農業はリスクが高いと言わざるをえない。

今年は、特に最初の台風が早かった。5月に襲来した台風9号は「風台風」で、雨が少なく作物に塩害をもたらした。菊の花は全滅、マンゴーも花がやられて大分落下したので、夏の収量は少なかった。その割には、今年のマンゴーは価格が上がらなかった。そして、やっと落ち着いた頃の8月に台風9号がやってきた。この台風は、丸2日間本島付近に停滞、5月の台風後に植えた作物の苗が全部やられた。「太陽の花」で知られる沖縄の菊の花や、カトレア、ブーゲンビリア、ラン、などが全滅となった。台風に強いハウスを所有している農家は少なく、菊農家は電照菊なので露地栽培が多いので被害が大きい。

 沖縄の農家は、意外と思う方が多いかもしれないが、ハウス栽培が多いのである。熱い沖縄でのハウスの中は、50度近くになり重労働だが台風被害から作物を防ぐには、計画栽培が可能なハウス栽培が適しているのである。JAやスーパーのバイヤーは、常に「定時、定量、定品質、定価」を求めるので、農家は従わざるをえなく、借金をして頑丈なハウスを建てる。補助金も導入して生産団地を造るので、農家は約15年間ぐらい借金に縛られ、指定された作物以外作れず、卸価格も決められてしまう。

こうして農家は耐えきれず、つぶれてしまい草茫々のハウスが、「やんばる」と言われる沖縄本島北部に多い。農家は、より高い単収を上げたいので、沖縄県内で売らず県外により高い値段で売ろうとマンゴーなどの果樹を栽培しようとするが、マンゴーは雨に弱く花が雨に打たれると実がならない。だから、どうしてもハウス栽培を強いられるのである。普通のビニールハウスでは、沖縄の強い台風にはとても耐えられないので、鉄骨の家のような頑丈なハウスを建てている農家もある。しかし、それはとんでもなく高価なハウスなのだ。

 過去に甚大な被害を与えた台風、1949年のグロリア、1956年のエマ、いずれも風速70m以上、そして1959年の宮古島台風は風速70m以上、1966年の第二宮古島台風は何と風速85.3mを記録した。最近では、1999年の台風18号、2001年の台風16号、2006年の石垣島台風は最大風速70m以上という猛烈な台風が沖縄を襲った。

 私も、26年の在沖生活で過去に何度も強い台風に遭ったが、一番大変だったのは、2007年に久米島に行った時に遭遇した久米島台風である。9月15日、敬老の日に当たる休みを利用して久米島に泡盛メーカーの取材に行っていた折、直撃の台風に襲われ、宿泊していたホテルが壊滅したのである。

海辺に面したこの瀟洒なリゾートホテルに帰ってゆっくり眠ろうと思った瞬間、ガシャンガシャンとホテルロビーのガラスが次々と割れ、あっと言う間に停電し、猛烈な海風と激しい雨がホテルの中に舞って、2階にあったソファーが1階に落下。私は真っ暗闇の中、自動販売機コーナーにシーツをかぶって夜が明けるまでじっとそこに過ごしたのである。あたりにガラスの破片が舞っており、他の客も同じように朝まで床に伏せて寝ころんでいたのである。この時の風速は最大62.8mだったが、翌日には車が何台か横転するほどだった。芋や米、さとうきびは壊滅的被害を負った。

 沖縄では、台風対策として昔から民家の周囲にフクギという丈夫な木を植え、琉球石灰岩の石塀やヒンプンという門扉を築く。沖縄の伝統的民家は赤瓦を漆喰で固め、雨端(あまはじ)という深い軒を造っているので、屋根瓦が飛ぶという被害は少ない。

近年、本土を襲う台風も増加しているので、こうした沖縄の伝統的民家からそのスタイルを学ぶのもいいかもしれない。未だに、竹富島や伊是名島、渡名喜島などには、こうした赤瓦の民家が多く、その風情は独特なものだ。そして、そうした島ではフクギの防風林に囲まれた庭の畑で、自分の食べられる分だけの作物が栽培されている。沖縄では、それをアタイ小(あたいぐわー)と言って、自給自足的な農的生活が実践されているのである。

 このように台風の多い沖縄で、作物をどうやって栽培したらいいかの知恵は、先人たちの日々の営みにある。





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田崎聡 ((有)楽園計画 代表取締役)
1956年東京生まれ。武蔵野美術大学卒業。 東京でアートディレクターとして活動後、1986年に沖縄に移住。 古酒の店「クースバー」を1988年に開業後、食店プロデュース、商品開発、出版編集など幅広い分野で活躍。 雑誌「島唄楽園」「月刊うるま」などの創刊編集長を務めるかたわら、「山猫屋」「回」「島唄楽園」など数々の店舗プロデュースを手掛ける。 著書に「泡盛ブック」(荒地出版社)などがある。従兄弟はワインソムリエの田崎真也 。

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田崎聡の【沖縄から食の風】33

  

「いのちは塩から」


田崎 聡
氏(有限会社楽園計画 代表取締役)
 

 

 

 現在、近年の自然海塩ブームにのって沖縄には製塩業者が、約10社以上もあると言われている。全国的には100社以上もあると言うから、相当な過当競争市場となってきているのが現状だ。


今から40年前の1971年に「第4次塩業整理」によって全国のすべての塩田が廃止され、新たに『塩業近代化臨時措置法』によってイオン交換膜法による製塩企業が7社許可された。その内の1社は2002年に操業停止、その時点で66工場となった。


そして、19974月には、専売制が廃止になり自由化され「塩事業法」が制定された。現在当初の7社は統合され、イオン交換膜法による大規模製塩企業は次の46工場となっている。


1.株式会社日本海水(いわき市・赤穂市・坂出市)
2.ナイカイ塩業株式会社(岡山県児島郡東児町)
3,鳴門塩業株式会社(鳴門市)
4,ダイヤソソルト(長崎県西彼杵郡崎戸町)


である。また、旧専売公社が財団法人塩事業センターとして、全国に供給している。


 その塩が、ここにきて35/kgほど値上げとなった。東日本唯一の日本海水の福島県いわき市の工場が操業停止となっており、原油高などもその理由となっている。

 自然海塩は、西高東低の製塩事業者となっているが、宮城県の石巻市や岩手県の野田村、秋田県の男鹿市などにも自然海塩業者が営んでおり、放射能汚染が心配されている。


自然海塩の製法は、ほとんどが加熱海水製塩法を用いており、海水を直接平釜で煮詰める方法をとっているが、加熱海水塩製法でも広島県上蒲刈島、兵庫県淡路島、新潟県山北町の藻塩焼や石川県珠洲市の揚げ浜式や流下式、香川県宇多津町の入浜式といった古代や、ひと昔前の製塩法を復活させたところもある。

また、ネットに海水をふきかけてかん水を採取し、それを結晶ハウスと呼ばれる温室のような部屋で天日乾燥させる補助天日海水塩製法を用いているところもある。

 

 沖縄では、今から300年前から製塩業は営まれていた歴史があるといわれており、1694年には那覇の泊付近にある広大な干潟で製塩されていたとされる、製塩所の遺跡が見つかった。

また、羽地や泡瀬などでも塩田があり、豊見城の与根では昔から製塩業が行われていたと言われている。


しかし、現在では輸入の岩塩を原料に沖縄の海水を加えて加熱海水再製塩を行っている業者がほとんどである。平成22年度の国内塩生産量は1122千tで、外国産の7469千tを輸入している。このほとんどが、安い南米やオーストラリアの輸入岩塩である。

 

 沖縄で製塩業が自由化され、本格的に本物の製法で自然海塩100%で製塩し、世界でも高い評価を得ている塩メーカーがある。「粟国の塩」だ。ミネラル豊富な粟国島のきれいな海から取水した海水を使い、日本の自然塩復活運動の先駆者である、谷克彦氏の指導のもと小渡幸信氏が独自のタワー式塩田法を開発1994年に塩工場を浚工。以来、こだわりの塩作りを続けている。


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  小渡氏は「粟国島を僕が選んだのは、美しい海の自然だけでなく粟国島の雇用をどうにかしないといけないという思いがあったからです」と言う。

しかし、そんな小さな島に2匹目のどじょうをねらって、最近製塩業者が2件もできたのである。名称もわざと似た名前を使っているので、非常にまぎらわしいし、悪質である。


沖縄では、中国などの手法と似て、地域ブランドを逆手に取った業者が多く存在するのは、残念でならない。誰かがある程度の成功を収めると、すぐマネをする業者が出てくるのだ。やがて市場には競合する生産者が乱立し、価格競争となり、市場自体が冷え込んでしまう危険性がある。


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しかし、そうした周囲の環境悪化をものともせず、「粟国の塩」は本物の風格と品質、こだわりの味と価格をくずさない。平成22年には離島で初めてISO22000を取得し、「世界が認める日本の食150」の加工食品40選に選出された。


  最近、沖縄では国際通りや空港などで、沖縄だけでなく世界の塩を展示・販売するショップができ、塩スィーツや塩ケーキ、塩アイスなどの、いわゆる“塩商品”を打ち出している店が増えた。

だが、観光客にどれだけの塩に関する知識があるかは、あまり期待できないだろう。料理のしやすさをセールスポイントにしている「パウダー状の塩」は、体に有害な炭酸マグネシウムの乾燥剤が添加されているのである。このような塩は、水に溶けにくく沈殿する。


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「本物の塩は、水に溶かせばすっかりと透明になるから、すぐわかりますよ」。と小渡さんは笑う。

 長崎の原爆被爆医師の秋月辰一郎氏は「爆弾を受けた人には塩がいい。玄米飯にうんと塩をつけてにぎるんだ。塩からいい味噌汁をつくって毎日食べさせろ。そして甘いものを避けろ。砂糖は絶対にいかんぞ」と著書で説いている。この教訓を福島の被爆被害者に反映させ、ミネラル豊富な「粟国の塩」をぜひ使ってほしい。


「いのちは海から」という故谷氏の教えを真摯に継承する小渡氏、今まさに「いのちは塩から」を私たちが実感する時だ。


 


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田崎聡 ((有)楽園計画 代表取締役)
1956年東京生まれ。武蔵野美術大学卒業。 東京でアートディレクターとして活動後、1986年に沖縄に移住。 古酒の店「クースバー」を1988年に開業後、食店プロデュース、商品開発、出版編集など幅広い分野で活躍。 雑誌「島唄楽園」「月刊うるま」などの創刊編集長を務めるかたわら、「山猫屋」「回」「島唄楽園」など数々の店舗プロデュースを手掛ける。 著書に「泡盛ブック」(荒地出版社)などがある。従兄弟はワインソムリエの田崎真也 。

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田崎聡の【沖縄から食の風】32

放射能汚染と植物工場

 最近、ついに弊社にも「放射能が怖いから移住してきました」というWEBデザイナーが東京から沖縄にやってきた。彼女は「周りからはあきれられたけど、怖いものは怖い。放射能の怖さは、チェルノブイリの実例をWEBサイトで知っているから、、」と言う。
そんな最中、福島県浅川町の肉用牛が餌として与えた稲わらから、高濃度の放射性セシウムに汚染された可能性のある牛42頭の食肉が、22都道府県に流通されていたことが判明した。また、7月18日には福島県本宮市の稲わらから69万ベクレル/kg 以上のセシウムが検出されたという。すでに、肉用牛は9都府県のスーパーなどで販売されたところもあり、末端の消費先までは把握が不可能と言われており、内部被爆の危険性が指摘されている。

 放射性セシウム137は、物理学的半減期が30年、ヨウ素131は8日、ストロンチウム90は28.8年、プルトニウム239は何と2万4000年にも及ぶと言われている。
 国の専門家によれば「食品とともに体内に取り込んだセシウムが発する放射線の実効線量が、年間5ミリシーベルトに達しなければ、その人の健康に大きな影響はない」という考え方を説いているが、その明確な科学的根拠は明らかにされていない。
 
いずれにしても、原則野菜などの食材はよく洗い、ゆで、傷の周囲は削って捨てるとよいそうである。また、魚は大型のスズキや、ブリ、カツオなどは食べない方が無難と専門家は言っている。外部被曝も怖いが、内部被爆を牛が受けているとなると、小さな子どもたちが食べる食材が心配になり、福島だけではなく食材の流通経路である他県の消費者も気が気ではない。さすがに、ここ沖縄までは放射性濃度の濃い食材が出回っていることは今のところないが、全国チェーンのスーパーマーケットや飲食店チェーンなどがあるので、安心してはいられないだろう。ここまで、福島の原発事故による放射能汚染が全国に広がっているにも関わらず、未だに「原発は安心」と言っている御用学者、原発利権に埋没している与党や野党やマスコミの腐敗ぶりには、あきれるばかりである。

清話会  さて、こうした「消費者の食の不安」に対して国が協力に後押しし、注目されている食材が「工場野菜」である。植物工場には、食品関連だけでなく、さまざまな業種の企業が参入し、建設ラッシュが続いている。沖縄でも、複合商業施設の空き店舗スペースや、廃校などを利用し、葉野菜(ホウレンソウ、レタス、ベビーリーフ、ルッコラ、アイスプラント、ハンダマ等)を植物工場で栽培している企業が出てきた。カネコ種苗、サカタのタネ、雪国まいたけ、ホクト、パソナグループ、丸紅、キューピー、カゴメ、三菱ケミカルホールディングス、オリエンタルランド、スプレッド、鹿島建設、岩崎電気、マルエツ、九州電力など、参入企業は多岐に渡る。

植物工場のメリットは
① 安心・安全の無農薬・無洗浄栽培化が可能
② 天候に左右されない安定供給
③ 多段栽培による多収穫が可能
④ 人件費の抑制と高齢者・障害者雇用支援
⑤ 耕運機など無駄なエネルギーが不必要
⑥ 都会のビルや空きスペースを有効活用

デメリットは
清話会 ① 初期投資や光熱費が高い
② 育つ野菜の種類が少ない
③ 土や太陽によるミネラル成分が少ない
④ 養液に含まれる硝酸塩の問題がある
⑤ 遺伝子組み換えが容易に行われる

このように、初期投資が高くランニングの光熱費が高いので、今までは敬遠されてきたが、最近はLEDによる光の効率がよくなってきたので、コスト面も当初よりだいぶ低くなってきたようだ。一言で植物工場と言っても、外界と完全に遮断した空間で蛍光灯やLEDを使った「完全密閉型」、ビニールハウスを発展させた形の「太陽光型」、太陽光とLEDなどを併用した「太陽光併用型」などの三つのタイプがある。

現在は、比較的光量が弱くて済む野菜のレタスなどがやっと採算ベースにのるぐらいだが、イチゴ、トマト、アイスプラント、ラディッシュ、ミツバ、ワサビ、ミズナ、ベビーリーフ、ルッコラなども栽培され、販売されている。最近では、薬用植物の「甘草」などを栽培し、これまで輸入に依存してきた漢方に使用する薬草なども植物工場で栽培する動きが出てきた。

 植物工場の将来は、まだまだ上記のデメリットの問題が解決されない限りハードルは高いが、放射能汚染問題が深刻な現在、外界と遮断された密室の中の野菜工場の普及は、意外と今後加速していく可能性が高い。自然エネルギーによる電力と植物工場のセットは、都市部の食卓や飲食店の光景を大きく変えていくに違いない。

 ただし、私たちは土と風と雨と太陽にもまれながら農業を営み、その太陽の恵みを感じ取り、五穀豊穣を祈願し、祭りや芸能を伝承してきた先人たちのことを、美しい田畑と小川と森の大地と寄り添いながら農業を営んできた日本の美学を、決して忘れてはならないし、未来の担い手に残していかなければならないのである。


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田崎聡の【沖縄から食の風】31

沖縄コーヒー王国をめざして

▼コーヒーの苗木
清話会  沖縄でコーヒー栽培?と言うと「沖縄はコーヒーに適している土地ではないし、あったとしても美味しくないよ」というコーヒー通の人がよく言う。しかし、そんな批評を物ともせず沖縄でコーヒーを栽培している人たちがいる。名護の「名護珈琲」、西原町「玉那覇コーヒー」、大宜味村「MOAコーヒー農場」、東村「しまぞうりコーヒー」「ヒロコーヒーファーム」、国頭村「岡田コーヒー農園」、恩納村「山城コーヒー農園」、宮古島「次郎コーヒー農園」など、盛んに栽培が行われ、それぞれ栽培に力を注いでいる。最近にわかに沖縄のコーヒー愛好家、生産者、焙煎家が集まり、コーヒー談義に花を咲かせているのだ。

 沖縄は、世界の「コーヒーベルト」の北限に近い場所で、ハワイ、ジャマイカ、キューバなどとほぼ同じ緯度にあり、赤土の土壌がコーヒーの栽培に適していると言われている。

 また、沖縄でのコーヒー栽培の先駆者は、名護市の親川仁吉翁だと言われており、戦前、ブラジルから「ニューワールド」と呼ばれるアラビカ種のコーヒー苗を持ちかえり、栽培したのが始まりだ。

 戦後は、「名護珈琲」の先駆者、山城武徳氏や、うるま市の和宇慶朝伝氏に引き継がれ、今日では、沖縄本島、宮古島、八重山諸島を含めて30件以上の珈琲栽培者が確認されている。特に、沖縄本島北部は、ヤンバル地区と言われ、ヤンバル産コーヒーを栽培、収穫、焙煎、商品化している生産者もすでにおり、沖縄での6次産業化によるコーヒーブランド化の可能性が実証されつつある。

 すでに、お茶は緑茶として日本一早い一番茶の国頭村奥の「オクミドリ」が有名で、紅茶は金武町「琉球紅茶」やうるま市「山城紅茶」などが知られている。いずれにせよ、お茶は亜熱帯気候と酸性土壌が向いており、沖縄でも比較的良質なお茶が作られているのである。こうしたお茶もコーヒーも「ブレンド化」によって、素晴らしい商品になる可能性を秘めているが、沖縄での歴史はお茶が80年ぐらい、コーヒーが90年ぐらいと言われており、栽培の歴史はまだ浅く、まだまだ試行錯誤の中で行われているという実態なのが現実である。

 沖縄の農業はサトウキビや葉タバコなどによる補助金頼りの農業のため、後継者もおらず、近年は「耕作放棄地」面積が急激に増えているのが実態で、これにお茶やコーヒーが取って代わる可能性もあり、沖縄に適した品種や栽培技術を研究していけば、世界ブランドとして羽ばたく沖縄の農産物として飛躍する期待がかかっている。
 そのためには、台風の多い沖縄の気候風土、土壌、地形などに適した品種は何か、防風対策はどうするか、栽培・加工・流通・販売方法などをどうするか、という課題が山積みである。
清話会
 映画「おいしいコーヒーの真実」などでも知られているように、世界的なコーヒーチェーン店は、発展途上国の生産の搾取による展開を広げていることは、すでに承知のことだと思う。アフリカ、カリブ、東南アジアなどで大々的に展開しているコーヒーによるプランテーションによって、我々は安価なコーヒーを飲んでいるのである。その向こう側には、全く生産者に還元されない理不尽なコーヒー豆市場を牛耳っている、メジャーの独占がある。我々が毎日享受する、安いコーヒーの裏側には、生産者の血と汗と涙がいつもあることを忘れてはならないだろう。

 ハリケーンの多いキューバ「クリスタルマウンテン」やジャマイカ「ブルーマウンテン」のコーヒーは、世界でも最高級なコーヒーとして評価が高い。沖縄と同じような緯度にあり、台風が多く酸性土壌である彼らのコーヒー栽培から学ぶべきものは大きいだろう。

 「地域による地域のための地域の生産」という理念に基づき、「国産コーヒー」が栽培され、国内のコーヒー店でそれを楽しむようになる日を夢見て、今日も沖縄のコーヒー農家たちは頑張っている。こうした地域の農業を支えるために、これからはCSA(CommunitySupported Agriculture)「地域住民が地元の農業の維持・発展や新規就農を支援するため、住民が会員となって作付前に生産者に商品代金を前払いし、収穫時に農作物を受け取る仕組み」を取り入れるのもいいだろう。

 沖縄のヤンバルから、今、少しずつ新しい農業の可能性が、スタートし始めている。
 
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当ブログでもおなじみの田崎聡氏をリーダーとする「沖縄でニッポンを復興させる会」が先ごろ発足し、記者会見が行われました。

地元の新聞はじめ、TVでもその様子が伝えられました。

 
清話会

「沖縄でニッポンを復興させる会」設立趣旨書

 今回の東北地方太平洋沖地震等に伴う被災者の皆さんにお見舞い申し上げるとともに、一日も早い復興と復旧が訪れますよう、心より祈願いたします。

さて、本会は、今回被災に遭われた東北の方々の住宅の提供、及び一時的かつ持続的な就業と生活の援助に取り組みたいと考えているものです。具体的には、津波の影響や放射能の影響により土壌が汚染され、作付などが行うことのできない農・水産業従事者を対象に、県内の自治体にご協力を頂き、耕作放棄地や漁港などを提供してもらい、沖縄の農・水産業従事者と東北の津波や放射能に被災された農・水産業従事者をマッチングさせ、沖縄の援農・漁業支援および、農・水産業のプロによる技術提供を受けながら、互いに第1次産業の生産向上を目的とした支援プロジェクトを進行していきたいと考えております。

 今こそ、未曾有のニッポンの国難を克服するために、まずは被災者の方々に一旦沖縄に避難していただき、沖縄県民とともに新しいニッポンの復興のために共に第一次産業から立ち上げていく、そのためにこのたび「沖縄でニッポンを復興させる会」を設立しました。

 どうか、一つでも多くの自治体に、一人でも多くの方々にご賛同いただき、ぜひとも、JAおきなわ中央会、JAおきなわ様にご協力をお願いしたいと存じます。


「沖縄でニッポンを復興させる会」準備委員会

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手始めに行うこと

1.対象者  東北(福島県にて農・水産業に従事し被災に遭われた方)
   ※罹災証明書(後日でも可)又は住所が確認できる証書(運転免許証等)をご持参
   ※福島原発の事故に伴う避難指示がなされている地域に居住している方

2.入居形態  目的外使用による一時的な入居

3.入居期間  原則1年間

4.使用料免除(0円)

5.敷金  徴収しない

6.共益費・水光熱費・生活用品等    自己負担

7.空家数(15組を希望)   15戸(もしくは15部屋)程度

8.受付期間及び受付時間  
平成23年5月初旬~人数に達する迄  午前9時00分~午後6時

9.受付場所及び問い合わせ先 NPO法人食の風 被災者支援事務局 
電話098-850-2540  FAX098-836-5818   

10.受付方法 
福島県のハローワークへの掲示及び、被災者支援事務局が現地の避難場所での個別相談会を設け、本人より罹災証明書(後日でも可)又は住所地を確認できる証書等(運転免許証)を提出の上、面談にて決定する。(電話・FAX可能)

11.入居決定 
 宜野座村と協議の上、宜野座村担当部署との面談等により各入居場所と援農支援農家を決定

12.受入農家の決定
 宜野座村の協力により、援農者を求めている農家を選定し、作付面積や農産物の生産量などを検討しながら、援農者数を15組30名の枠の中で、農家数を決定してもらう
その後、各農家に関する人数の割り振りを全面依頼する。

13.受入体制
 那覇空港までの旅費は支援しないか、貸与にて募り、那覇空港から宜野座村周辺の沖縄ロングステイの客室までは無料送迎する。

その後、農業従事者同志のマッチングのため、宜野座村の受け入れ農家と被災者の夫婦が面談及び懇親会を行い、数日後より援農プロジェクトを開始する。

援農だけでは手が余る際は、宜野座村の耕作放棄地を全面開放していただき、(農機具の無料貸与)耕地を耕し、新しい農地を福島チームで開墾してもらい、作物を収穫までとり行う。収穫した農産物は、メディアに報告しながら、ファーマーズマーケットを開催し、収益を得るようにしたい。

いちごやジャガイモや小麦などの技術提供を福島チームからもらい、宜野座の農業従より、マンゴーやパインその他 亜熱帯の農産物の栽培指導を受け、互いに刺激になる1年間を過ごしてもらうように、当NPOが支援活動を進めていきたい。いずれは、宜野座村に永住する夫婦がいることにより、人口増加と経済の発展に結びつけるように取組みたいと考えている。




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田崎聡の【沖縄から食の風】29

パチンコと自販機と水

田崎 聡氏 ((有)楽園計画 代表取締役)

清話会  4月10日の都知事選では、石原都知事が4選を果たした。その前夜の街頭演説で「自動販売機なんてやめちまえ。コンビニで買って家で冷やせばいいじゃない」「パチンコ件はジャラジャラと音を立てるために電気を煌々とつけるのは、世界中で日本だけだ」と、自販機をなくせば福島原発はいらないという石原節を聴衆に聴かせ、喝采を浴びたという。

石原知事を評価するわけではないが、未曾有の国難と言われている大災害時に、自販機やパチンコ店は私もいらないと思う。

以前、筑紫哲也が「日本にはカジノはないと言うが、パチンコ店がいっぱいある」。と語っていた。確かに、日本人のパチンコ=カジノ依存率は先進国の中で世界一高いと言われている。

 沖縄では、以前からカジノ構想があがっており、仲井間知事率いる沖縄県庁の職員や有識者が、モナコやマカオなどに視察に行っている。この災害時には、さすがにカジノ構想は浮上してこないが、カジノを起爆剤に観光立県を目指そうという経済界の人間は多い。

沖縄にもパチンコ店は多いが、全国的には46位と少ない方だそうだ。いずれにしても、労働生産、経済生産の何の役にも立たないパチンコ店は、韓国や台湾と同じように廃止すべきだろう。沖縄の電力会社、沖縄電力が浦添市に本社があり、そこには巨大なパチンコ店が多数あるのも気になるところである。沖縄では、東北大震災で大災害があり、東京大停電だった時も、パチンコ店は煌々と明かりがついていた。全く脳天気で無関心な状況に、あきれてしまうのは私だけではないだろう。

清話会 自販機の問題もそうである。日本は、自販機の設置数は世界一だが、ここ沖縄も飲料用自販機の設置数は多い。コーラやソーダ、さんぴん茶、また、ミネラルウォーターなどの消費量が日本一であることと、自販機の設置数は正比例しているようだ。沖縄の水道水は硬度が高いので、水道水ではなく軟水のミネラルウォーターを求めることも、消費量日本一である理由のひとつだが、気温が暑いことと泡盛などを基本的に水割りで飲むことも、消費量の多い要因のひとつにあげられるだろう。

 今回の大震災後の水不足と、風評被害の過剰防衛による東京や大阪などの食糧や水の買い占めによって、ここ沖縄からも相当数のミネラルウォーターが被災地や都市部に送られている。被災地に送られるのはわかるが、東京や大阪などの都市部に送られるのは意味がない。なぜ、世界一安心と言われている水道水を飲まないのか。もちろん、放射能で危険にさらされている水道水は飲むべきではないが、安全宣言されている地域の水道水を飲むことをやめてまで、ミネラルウォーターを盲目的に飲むのはやめるべきだ。

特に、CO2を多量に排出してフードマイレージをかけて運ばれてきた、ガソリンよりも高い値段の海外のミネラルウォーターを購買し飲むことは、日本の自給率を下げることに他ならないのである。

 また、60%の輸入食物に頼っている日本は、その分その農作物に使われた大量の水「バーチャルウォーター」を輸入していることになる。日本のバーチャルウォーターの総輸入量は年間64万億ℓにもなり、トウモロコロシや大豆、小麦を大量に輸入していることでバーチャルウォーターが増え続けているわけだ。日本は、穀物、大豆、小麦などの自給率を上げるための策を急がなければならない。

 沖縄には原発はない。したがって、放射能汚染の心配は今のところない。火力発電による電力供給がほとんどだが、これもいつ燃料の原油が値上がりするかわからない。ちなみに、沖縄の電気料金は日本一高いが、最近では、風力発電やさとうきびによるバイオ燃料の売電が微量ではあるが行われている。今後は、太陽光や風力の自然エネルギーへの転換を急がなければならないだろう。

 被災地の東北の人々は、家族や親族、土地への愛着が深く、他の地方への避難や移転は大変な苦労が伴うものと思うが、もし、老若男女地域ぐるみでの移住が可能であれば、ぜひ、この地震の少ない暖かな沖縄で一旦疎開して就農や就業してはどうだろうか。


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田崎 聡氏 ((有)楽園計画 代表取締役)
1956年東京生まれ。武蔵野美術大学卒業。 東京でアートディレクターとして活動後、1986年に沖縄に移住。 古酒の店「クースバー」を1988年に開業後、食店プロデュース、商品開発、出版編集など幅広い分野で活躍。 雑誌「島唄楽園」「月刊うるま」などの創刊編集長を務めるかたわら、「山猫屋」「回」「島唄楽園」など数々の店舗プロデュースを手掛ける。 著書に「泡盛ブック」(荒地出版社)などがある。従兄弟はワインソムリエの田崎真也 。

田崎聡氏の【沖縄から食の風】バックナンバーはこちら。
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田崎聡の【沖縄から食の風】28
災害と救荒食

田崎 聡氏 ((有)楽園計画 代表取締役)

はじめに、東北地方太平洋沖大地震に加えて福島原発事故による被災に遭われた皆様には、心よりお見舞い申し上げます。

ここ沖縄でも、援助の手や受け入れ準備が着々と進んでいるので、NPO法人食の風としても支援できることがあれば可能なかぎり行動していきたいと思う。

清話会 さて、今回の未曾有の大地震と津波、国内史上最大の原発事故による避難生活で、食糧問題がいかに重要かが、メディアによる報道で知らされた。東北の被災者は、この苦境に混乱も暴動もなく、整然と少ない食糧を並んで待ち続けているという人々の状況に対して、外国のメディアは驚き、感動し、その品位さと高潔さ、勇気に賛辞の声があがった。こうした善意の波動は、混沌としたこの不確実な時代に、やがて世界を突き動かす原動力となるに違いない。

清話会 一方、東京都市部での地震や停電、原発事故報道による、スーパーやコンビニにかけこむ消費者の食糧を求めるパニック現象は、悲惨としかいいようがない。米、水、パン、インスタントラーメンなど、全ての食糧があっという間に品切れになってしまってしまうという、都市生活の弱点がまざまざとさらけ出された格好だ。電気、水道、ガス、交通、通信というライフラインが寸断されることで見えてくるもの、、。それはまさに、経済封鎖を受け、やむを得ず「自給自足」に進まざるをえなくなったキューバの農的都市生活とシンクロする。風力や太陽エネルギーによる自然エネルギーと、都市の屋上や駐車場を菜園にして自給出来る循環型の社会こそが、これから求められている社会なのである。

今回の大津波、大震災、などの自然災害の前には、あまりにもそうしたことが無力であることも事実かもしれない。だが、人工的な災害である原子力発電の事故による放射能汚染は、起こるべくして起きた事故である。この際、原子力でも火力でもない、大規模な自然エネルギーを使った電力に変えるべきだろう。要もない道路や橋や公共投資に使う金があるならば、太陽光、風力、地熱、波力、バイオガスなどの自然エネルギーを使う方向へ加速する必要があるだろう。

 キューバとほぼ同じ緯度にあるここ沖縄は、地震こそ少ないが、昔から亜熱帯特有の大型の台風災害や干ばつが多い島である。沖縄本島を含め、有人離島は長崎に次いで40島もある。かつては離島は先島と呼ばれ、「島ちゃび」という離島苦の言葉もあるほど人々は避難生活に近い生活を強いられた。台風がひとたび来れば、2週間~1か月は食糧が輸送されなくなり、長時間の停電と断水に悩まされた。稲作のある八重山諸島や久米島、伊平屋島、伊是名島などは、食糧難をまぬがれたが、宮古島や粟国島、渡名喜島などは山がないので水の確保ができず、稲作には向いていない。

清話会 昭和初期の基本食は、芋だった。雑穀の保存は、でんぷん粉にすることで救荒食物の常備食とした。芋でんぷんは、ンムクジプットゥルー、ンムクジアンダギー(ンムクジ=芋くず)として料理に使われた。また、ソテツも餓死飯米(ガシハンメー)として、昭和2年・4年・8年の飢饉の年に沖縄全域で食べられており「ソテツ地獄」として知られている。ソテツは今でも宮古島や瀬底島、奄美大島などでは味噌にしたり、でんぷんにして雑炊にしたりしている。また、戦前、の救荒食物としての保存食は、ソーメン、麩、干瓢、支那竹、昆布などで、それらをチャンプルー(炒め物)、イリチー(炒め煮)、プットゥルー(炒めず煮る)にした。戦後は、米軍統治による影響もあって、保存食としてはポーク缶詰やツナ缶詰などが主流となってしまったが、今回の災害をきっかけに、かつての保存食をもう一度見直す必要があるだろう。

 1771年、「明和の大津波」が八重山地方を襲った時は、島の80%近くの約1万人が亡くなったと言われている。こうした教訓もあり、沖縄ではテトラポットによる防波堤が海辺に数多く設置されている。地震列島の日本は、いつこうした災害に見舞われるかもしれない国である。「備えあれば憂いなし」沖縄の先人が教えてくれた、救荒食から学ぶべきものは多い。

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田崎 聡氏 ((有)楽園計画 代表取締役)
1956年東京生まれ。武蔵野美術大学卒業。 東京でアートディレクターとして活動後、1986年に沖縄に移住。 古酒の店「クースバー」を1988年に開業後、食店プロデュース、商品開発、出版編集など幅広い分野で活躍。 雑誌「島唄楽園」「月刊うるま」などの創刊編集長を務めるかたわら、「山猫屋」「回」「島唄楽園」など数々の店舗プロデュースを手掛ける。 著書に「泡盛ブック」(荒地出版社)などがある。従兄弟はワインソムリエの田崎真也 。

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田崎聡の【沖縄から食の風】27
マグロとツナ缶


田崎 聡氏(有限会社楽園計画 代表取締役)

清話会 沖縄のスーパーに行かれた方なら、誰でも驚くに違いない「ツナ缶」の箱売り。沖縄県のポーク缶詰の消費量が全国一ならば、ツナ缶もダントツ全国一である。なにしろ、缶詰文化が完全に普段の食生活に定着している。これも、全て米軍による進駐軍の食生活の影響である。戦後の影は、未だに沖縄の食生活に深く浸透しているのである。沖縄県の1年間のツナ缶消費量は55万ケースとなっているから、他県とは比べ物にならないほど多い。「ソーメンチャンプルー」「チキナーチャンプルー」など、肉の代わりにチャンプルーとして炒め物に使う場合が多い。

沖縄県のメタボ率が高い地域は、実は本島北部や離島の地域など、過疎地区に多い。その理由の一つに挙げられるのが、缶詰文化である。「買物難民」と呼ばれる高齢者の多いそれらの地区には、スーパーもなく、いわゆる共同売店という万屋的な商店が存在するのみである。

ちなみに、メタボ率の高い順では、男性が粟国村、北大東村、与那国村、渡嘉敷村、伊是名村と続き、本島では宜野座村、金武町となっている。女性では、多良間村、粟国村、渡名喜村、伊平屋村と続き、本島の国頭村、大宜味村となっており、圧倒的に離島の市長村と本島北部の地区のメタボ率が高い。高齢者は、買い物に出かける回数が少なく、勢い保存の効く缶詰を、1度に多量を購入するのである。離島や本島北部には漁民が少ないことも、ツナ缶やポーク缶の消費量が多いことと関連しているようである。

清話会 沖縄では、本土のような魚の干物文化もなく、離島や本島北部では「カラス」と呼ばれる塩辛の保存食を調味料として料理に使うところが多かった。干物や漬物の食文化があまり発達していないのは、「イノー」と呼ばれるサンゴ環礁の中には、台風や天候不順の時でも小魚や貝、海藻が採れるので、台風が多い割には保存食文化があまり発達していない。むしろ、非常食としての乾物、ソーメン、麩、干瓢、昆布、椎茸、支那竹、などを缶詰と合わせて炒めて食べることが多い。

さて、ツナ缶といえば「ライトミールツナ」はキハダマグロ、メバチマグロ「ホワイトミールツナ」はビンナガマグロのことを言い、別名「シーチキン」とも呼ばれているが、いずれにしても、マグロが使用されているのは言うまでもない。そのマグロは、大西洋まぐろ類保存国際会議(ICCAT)で日本は槍玉にあげられ、昨年は漁獲禁止をかろうじて免れたが、今後は規制強化による漁獲高現象は避けられないだろう。

付け加えて、中国や発展途上国の漁食化による資源争奪戦に、日本は負けてしまう事態が増加するだろう。そうなれば、日本でマグロを食べることができるのも、残念ながら今のうちかもしれない。

清話会 現在、世界のマグロ漁獲量約200万トンのうちの4分の1が日本で、45万トンが遠洋漁業、国内の近海マグロの漁獲量は5万トンである。そのうち、沖縄は1万トンでそのほとんどが沿岸漁業による近海マグロだ。全国の漁獲量では、1位高知、2位宮崎、3位宮城、4位沖縄となっている。マグロは大間や気仙沼などが有名だが、それらは遠洋漁業による冷凍もので、近海の生鮮マグロの漁獲量は沖縄が一番で、周年獲れるのが魅力となっているのだ。沿岸のパヤオ(浮漁礁)でマグロやカツオが釣れるのも、沖縄ぐらいであろう。延縄漁で最も多くあがるのはビンチョウマグロで年間4,000トン、次にメバチマグロ3,000トン,キハダマグロ3,000トン、ホンマグロ(クロマグロ)もあがるが、船上売りでセリ(市場)には出てこないので実数はわからない。釣り人に人気のカジキは2,000トンの漁獲量がある。

 沖縄の漁業生産量の5割以上は、マグロ類で、次いでソデイカ、カジキ、ブダイ、カツオとなっている。養殖業ではモズク類が23,000トン、クルマエビ600トン、スギ200トンである。
清話会
このように、沖縄県の水産業は近海マグロ漁によって支えられているのである。その近海マグロを、1年中食べることのできる沖縄のことを、マグロ好きの日本人は意外と知らないのが残念である。ちなみに、沖縄の5~6月頃にはホンマグロも市場にあがる時があるので、近海の生鮮ホンマグロに出会うチャンスがあるかもしれないので、お楽しみに。


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田崎聡 ((有)楽園計画 代表取締役)
1956年東京生まれ。武蔵野美術大学卒業。 東京でアートディレクターとして活動後、1986年に沖縄に移住。 古酒の店「クースバー」を1988年に開業後、食店プロデュース、商品開発、出版編集など幅広い分野で活躍。 雑誌「島唄楽園」「月刊うるま」などの創刊編集長を務めるかたわら、「山猫屋」「回」「島唄楽園」など数々の店舗プロデュースを手掛ける。 著書に「泡盛ブック」(荒地出版社)などがある。従兄弟はワインソムリエの田崎真也 。

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田崎聡の【沖縄から食の風】26
南米移民と食文化

田崎 聡氏(有限会社楽園計画 代表取締役)

清話会 今年は、第5回世界のウチナーンチュ大会の年である。1990年に始まったこの大会は、世界中にいる沖縄系移民約36万人の中から各国にいる沖縄県人会代表や、そのメンバーたちが沖縄で5年に1度、一同に会すフェスティバルである。1990年には、17ヵ国2,397人が集まったこの大会は、第4回の2006年には4,937人が沖縄で一同に会すという世界的な大イベントとなった。

こうしたイベントが成立することは、日本では他の県ではないだろう。ウチナーンチュ(沖縄県人)のアイデンティティの強さは、かつて琉球王国という独立国だったということも関係しているだろうが、それだけではない。貧困から抜け出そうと遠い南米に想いをはせ、開拓していった 沖縄系移民の故郷への強い想いは、人一倍なのである。

 戦前、南米への日系移民は、沖縄県、広島県、熊本県、東京都が多かったが、戦後も引き続き移民が最も多かったのは、沖縄県人である。現在、海外に渡ったウチナーンチュのうち、最も多いのがブラジルで169,000人、ついで米国89,270人(内ハワイ50,000人)、ペルー66,500人、アルゼンチン25,800人、ボリビア6,200人、フィリピン1,800人,カナダ1,400人と続く。地域的には、圧倒的にブラジル、ペルー、ハワイ、アルゼンチンなど、南米が多い。

1世の移民は、ほぼいなくなっており、現在2世も高齢化しており、3世、4世が各国で活躍している。その職業は、サービス業、農畜産業、水産業、加工業、医師、など、さまざまである。彼等の心のよりどころは、三線による島唄や琉球舞踊、空手や琉球料理などを愛好することである。こうした独自の文化が、沖縄系移民のアイデンティティの支えとなっているのである。

南米での沖縄系移民の農業は、さとうきび、コーヒー、ユカ芋(タピオカ)などの栽培が多く、その労働は重労働で極めて過酷だった。特に、「オキナワ」というコロニーがあるボリビアなどは、全く何の作物もできないような不毛の土地を移民に与えられ、途方にくれたそうだ。それでもその土地を必死で開墾し、南米で大成功を収めている人が沖縄の人に多いのは、やはり沖縄というアイデンティティによって結束していたから、その苦労を乗り越えることができたのであろう。第二次世界大戦後の貧しい沖縄には、貧困ながら南米の沖縄系移民から物資や金銭を送ってきた人たちも多かったそうである。
清話会 一方、移民の中にも沖縄に家族や親戚を頼って帰郷し、商売を始めた人たちがいる。だから、沖縄には中南米料理の店が多い。そして、彼等は沖縄と南米の食文化をミックスした新しい料理を産み出した。その一つが、「タコライス」である。すでに、このメニューは全国でも広く伝わっているのでご存知のことと思うが、メキシコのタコスの具をライスに載せたものである。これも、新しい沖縄の郷土料理となっているわけだ。沖縄料理は、大きく琉球王朝の宮廷料理、一般的な家庭料理、辻町の接待料理と三つの分野に分かれるが、今後は移民系の人たちによる新しい沖縄料理が増えてくる可能性もあり、期待されている。

 沖縄の国道を走ると、よく目にするのが「ブエノチキン」「リィコーチキン」「アルゼンチンチキン」などの看板とともに、鶏の丸焼きがグルグルと回転する炉である。この鶏の丸焼きは、にんにくやハーブを鶏の腹の中に詰めタレをかけ、長い時間をかけゆっくり焼いていくアルゼンチンの料理だ。クリスマスや歳末のシーズンともなると、2日間で2,000羽も売れるほど「旨い」と評判になっていて、もはや沖縄では中南米の名物ではなく、沖縄の名物となっているのである。使っている鶏肉は、南米からの輸入のものではなく、沖縄の若鶏なので、「地産池消」であることは間違いない。

清話会 このように、食材は地元のものを使っているが、料理法は移民による各国のもの、という新しく沖縄に帰化した料理が沖縄に定着していっていることも、沖縄の食文化に対しての人々の柔軟性を示していると言っていいだろう。こうした異文化を受け入れ、沖縄のものにしていく文化をチャンプルー文化といい、インドネシアでも同じようにチャンプルーという言葉が存在する。

 沖縄は、中国、米国、南米、ハワイ、タイなど、さまざまな異文化の食が混ざり合って今の食文化を形成している。しかし、無頓着に海外の沖縄系移民の食文化を沖縄に定着させることは、健康的なかつての粗食だった沖縄の食生活を壊してしまう恐れがある。そうならないためには、「健康」を意識した上での移民の食文化を定着させていくことが必要だ。。

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田崎聡 (有)楽園計画 代表取締役
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