田崎聡の【沖縄から食の風】⑭
「豚で暮れ、豚で明ける」
田﨑 聡氏(㈲楽園計画代表取締役、「食の風」代表)
「ガウェーッ、ガウェーッ」静かな村落の朝、突然に響き渡る大合唱。沖縄本島北部で今でも行われている正月用のウヮークルシ(豚の屠殺)に、昨年初めて立ち会うことができた。
沖縄では、明治以降大晦日に各家庭で豚を1頭つぶす風習が定着し、正月にはそのごちそうをいただくことを、楽しみにしているのである。
それにしても、沖縄本島北部や離島では、村内の各家庭にウヮークルシをするベテランが未だに残っているからすごい。
本土の屠殺場は、どちらかというと昔から被差別部落の人々や地位的に低いといわれている人たちの仕事、という暗いイメージを植えつけていることが多いが、沖縄のそれは全く違う。子供は大人の屠殺風景を見て、その鮮やかなサバキに憧れ、早く一人前に豚をサバいてみたいという願望になっていくのである。
男も女も総出で参加する『共食』の光景は決して暗くはなく、荘厳ですらあるのだ。
日本は仏教の影響で、殺生を禁じてきたことが長かったから、家畜の屠殺を野蛮なものとして扱ってきたこともあるが、そもそもこれだけ肉食の食生活になってきて、屠殺の現場や肉の解体方法をあまり知らないのはおかしいのである。
おそらく、スーパーマーケットで冷蔵・冷凍ショーケースの中のパックの肉しか知らない主婦や子供たちは、沖縄の公設市場などで売られている豚の頭や足、大きな生肉の塊などを見たらビックリしてしまうに違いない。
世界でも生肉を冷蔵ショーケースにすぐ入れて売っている市場は少なく、日本本土ぐらいである。それは、世界では生肉は常温で処理した方が美味しいことを知っているからである。それほど、本土の主婦は無菌育ちを好むので、沖縄での豚の屠殺シーンなどを見たら失神してしまうだろう。
しかし、そういう御仁に限って、生ハムやソーセージなどを肴にワインを楽しんでいたりするから始末が悪い。
最近は、魚を1匹捌くこともできない主婦が多い。「生臭いから」とか「怖いから」とかいう理由もあるが、そもそも大型スーパーでは秋刀魚以外は一匹まるごと売っているところが少ないから、しょうがないのかもしれない。
しかし、肉や魚を食べるということは、まさにその『命をいただきます』ということなのだということを、もう少し子供たちに触れさせるべきだろう。
魚や肉を切れば真っ赤な血がでるし、沖縄ではその血も大切に「チーイリチャー」として料理に使うのが当たり前だ。また沖縄では、まず正月用にサバいた「ウシームン」(豚汁)をごちそうになった後は、「スーチカー」(塩漬)にした豚肉を田植えの時期まで大切に保存した。
沖縄の豚肉料理には「中味イリチー」「中味汁」「イナムドゥチ」「足ティビチ」「ミミガー」「ラフテー」「ソーキ」「アンダミスー」、そして「チャンプルー」「沖縄ソバ」とさまざまなものがあるのはご存知だろう。
素材を余すことなく使うことに、徹しているのだ。
沖縄の豚の飼養頭数は、現在23万頭前後で横ばいで、全国では13位となっている。
問題なのは、県内消費の50%が県外・海外産であることである。養豚農家は、昭和47年には15,693戸あったのが平成20年には330戸と激減してしまっている。このことは、大型スーパーマーケットの進出と関係していることを表している。
米国やデンマークからの大量輸入による安価な豚肉や輸入ポーク缶詰などによって、ウヮークルシから始まる沖縄本来の豚食文化がくずれてきているのだ。沖縄でも農地の宅地化によって豚舎は嫌われ、あちこちに「豚舎建設反対」の看板が立つようになった。
大正時代まで沖縄の民家では普通にあったウヮーヌフール(豚便所)は、人糞を豚に食べてもらう南島特有の循環型文化で素晴らしいものだが、衛生的に問題があるとして禁止されてしまった。もはや、豚を身近な家畜として共生する家庭が少なくなってしまったのは、残念だ。
しかし私は、沖縄本島北部で今でもウヮークルシを一般の家庭で普通に行われ、伝統的な豚食文化を継承していることを、そうした地域が残っていることを、誇りに思った。
年の暮れ、年の初めを神聖な気持ちで迎えることのできる沖縄にいる幸せを、改めて感じたのである。
※田崎聡の【沖縄から~食の風】バックナンバーはこちら
http://ameblo.jp/seiwakaisenken/entry-10304077281.html
沖縄・奄美スローフード協会


