田崎聡の【沖縄から~食の風】⑥
田﨑 聡氏(㈲楽園計画代表取締役、「食の風」代表)
「食の不発弾」
5月15日は、沖縄の本土復帰の日。今年は復帰37周年になる。
沖縄は本土復帰されても、「食の戦後」は終わっていない。沖縄の長寿を支えてきたのは戦前の人たちであって、戦後生まれの人たちはむしろメタボリックドミノ一直線。今や「健康長寿の島=沖縄」というイメージは、沖縄では全く過去のものとなってしまったのである。2006年の調査では、女性こそ長寿率全国1位だが、男性は全国25位になり、肥満率に関しては女性が40%
男性は47%と、男女とも全国ワースト1位で、県民の約2人に1人が肥満という結果がでている。このことは、戦前の沖縄県民こそ自給自足的な食事で、豆腐や海藻や薬草、そうめんなどのような粗食だったので、それが長寿の島を支えていたが、戦後世代の団塊世代以降は米国統治下の食事を盲目的に受け入れたために、短命になっていったことを意味している。
沖縄は、日本で最も早くファーストフードやコーラなどの米国の食文化が上陸した県だ。戦後から本土復帰までの27年間は、沖縄はベトナム景気に沸き、ハンバーガーやステーキ、高級ウィスキーなどの高カロリーな米国の食文化が浸透していった。
だから、ちょうど現在の団塊世代60代~70代の沖縄県民は、「アメリカ上等」の影響を強く受けているので、島にある固有の食文化を卑下してきた部分があるのである。私が沖縄に初めて来た34年前は、一流の人間は高級ウィスキーを飲むのが当たり前で、泡盛のことを「島小」(シマグワー)と呼んで自ら蔑む習慣が普通だった。
今でこそスナックやクラブでは泡盛が主流になったが、当時はウィスキーしか置いてある店はなかった。1ドルが300円台の時代は、本土ではなかなか手に入りにくかったシーバスリーガルやジョニ黒、オールドパーなどが日本のウィスキーより安くドルで手に入ったわけだから、戦後の本土の食よりは沖縄の方が贅沢だったと言えるだろう。しかし、そのことがその世代の人たちの健康を蝕むことになってしまったのは、皮肉なものである。
そして、未だに米国型の食文化は沖縄県民に深く根付いてしまっているのである。
沖縄は、一人当たりの食用油、ハンバーグ、フライドチキン、ステーキ、ポーク缶詰、シーチキンの缶詰などの消費量が日本一多い。そして、そのほとんどがフードマイレージの高い県外や海外の食材なのである。
戦前は「地産島消」だったものが、今では「他産島消」となり、自給率も27%まで下がってしまったのは、こうした米国型食文化の定着と自動車社会、夜型社会の影響が大きい。これは、グアムやハワイ、サイパンやフィリピンなどの米軍基地保有の島々の人たちに、肥満率が高いのと共通する現象だ。
沖縄には今、約400件のコンビニと約200件のスーパー、約20件の大型スーパー、そして約200件のファーストフード店がひしめきあっている。このままこうした現象に対して何も対策を打たなければ、「日本で最も不健康な島=沖縄」となってしまうのも時間の問題かもしれない。そうなったら手遅れだ。そうなる前に、もう一度戦前の沖縄の食文化、食生活や食材を見直していかなければ「食の戦後処理」は終わらない。
米軍が落としていったこうした「食の爆弾」は、今でも「不発弾」となって沖縄県民の健康を脅かし続けているのである。
沖縄・奄美スローフード協会
食の風
http://www.shokunokaze.com
㈲楽園計画
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