2008年09月27日 01時30分58秒

“オタク文化”に“理解がある”麻生太郎氏と、彼を特別視する“オタク”と呼ばれる人々

テーマ:思想録
自民党の総裁選、予想通り(この展開を読めない日本人っていたのか?)アソータンの圧勝でしたね。
さて、これでとりあえずしばらくは、与党第一党たる自民党のトップ、すなわち日本の首相はアソータンと云うことでやっていかれるワケですが……
とか考えてたら、小泉元首相が次の衆院選に不出馬ってコト。
沈没する船からネズミが逃げ出すように、早々に逃げ出したのかなぁ?

アソータンについてのコレまでやってきたコト、云ったコト、それから思想信条などについては、多くの専門家やブロガァが言及するでしょうから、別にボクみたいな素人が今さら書くこたぁないでしょう。
ただ彼を語る中で、非常に興味深く、コレまでの政治家とは異なる点として“オタク文化”に“理解がある”という位置づけがなされ、一部では熱狂的に支持されているとのコトです。
そこで今夜は“オタク文化”に“理解がある”アソータンと、彼を特別視して群がる“オタク”と呼ばれる人々について、少し考えてみたいと思います。

まず何より驚くのが、新聞をはじめとするお堅いメディアですら、アソータンがマンガ通であり"オタク文化”に“理解がある”という人物設定を、臆面もなく受け入れているコトです。
いや~スゴイね、時代は変わったよ。
あ~ゆ~のを見ると“オタク”って人種も、市民権を得たんだなぁってしみじみ思いますね。

しかしね、現在のメディアやそのメディアによって露呈される者たちが語る“オタク”の存在ってヤツ、何て軽くなっちゃったんだろうなぁって思います。
今や“オタク”であるコトは何の引け目でもなく、まるでひとつの個性であり、誰しも持っていなきゃならない必要最低限の要素であるかすらのように語られます。
“オタク”って言葉が誕生し、それが地に潜んで密かに成長していく様を見つづけてきたボクとしては、どうも個性としての“オタク”の位置づけは違和感を感じますし、“カルチャ”と呼ぶにはあまりにも安易で軽薄です。

アソータンの“オタク”ネタなんて、まさしくソレ。
彼がホントにマンガが好きなのかどうかは知らん。
でもね、ソレを全面に押し出して、自分の個性として宣伝材料に使っているのには、あざといと云うか、ある種の気色悪さを感じるのです。

仮にあなたの会社の社長さんが、70歳近くもなってですよ、メイド服着た人形のマンガを真剣に読んでたら、どう思います?
まず間違いなく気色悪いと思うでしょう?
メイド服ってさ、しょせんオトコのスケベ心を誘ってるワケじゃない?
70近い爺さんがさ、幼女趣味の発露と云われてもおかしくないマンガ読んでニヤけてるワケだよ?
やはりどこか異常な光景だよ。
普通の爺さんだと気色悪いが、アソータンならステキに見えるのかい?
でもって、ソレを堂々と公言している爺さんを「カッコええ……」とうっとりと眺める連中って、間違ってもお付き合いしたくない。

もちろんそれだけのよさがあるマンガも無数にあるし、オトナ向けのマンガも多い。
でもコドモのころに読んでいたマンガは、青年期にはつまらなく感じる。
青年期に読んでいたマンガは、中年になっておもしろく思えなくなる。
多くの場合、ヒトの成熟にともない、ほとんどのマンガが、その人生から振り落とされていくのではないでしょうか?
身体に合わなくなった服は捨てられるように、ココロに合わなくなった“カルチャ”は忘れ去られる。
当たり前ですよね。
それが成長であって、成熟なんですから。
内容が幼稚だからとか、ガキが読むものだからとか、そういう次元ではなくってさ、ヒトは今の自分の習熟度に見合ったモノを手にするのがもっとも自然なのであって、それが文化なんですよ。
だから、それができないヒトって、やはりどこかいびつだ。
自分だってマンガ読んどいて何ですが、いやむしろ読むからこそ云うのですが、マンガってどう転んでも成熟したオトナの“カルチャ”ではないって思うのですよ。

ましてやその“オタク文化”の理解者面をしている麻生氏ですが、どこまでその想いがあるのでしょうか?
「首相だってオレたちと同じ“オタク”だッー!」って叫んでも、しょせん、地位も名誉もある大金持ちの70歳近いジジイと、毎日の生活にもヒイヒイ云ってる貧乏な若者。
わかりあえるなんて考えるコト自体、ギャグとしか思えない。
アソータンを“オタク”なんだって思うコトで、今の自分に勝手に免罪符あげないでください。
彼は“オタク”の王様に選ばれたんじゃなくって、日本の首相に選ばれたんだよ。
コレからのお仕事は、政治なの(多分)。
「自分たちと同じ“オタク”だ~」なんてアホくさい幻想、とっとと捨てて、現実見ようぜ。

アソータンはいわゆる“オタク”と呼ばれる人々のように、その存在そのものが、生活の根幹をなしている立場ではありません。
泥の海をはいずりまわって、自らの血肉でもって、必死でその“カルチャ”(そう呼ぶにふさわしいのであれば)の肥となって生きているワケでもありません。
このようにして生まれてきた“カルチャ”の精製された部分のみを、献上された品々として食する立場なのです。
今の“オタクカルチャ”がアソータンにお気に召すモノを献上できなければ、彼は当たり前のように、それを切り捨てるでしょうし、なくたって別に何も困りません。
ホントの“オタク”のように、必死こいて求める必然性などないのです。
こう云っちゃ何だが、身分が違うのですよ、身分が(ザクとは違うのだよ、ザクとは)。

第一、マンガやアニメに“理解がある”アソータンが首相になったトコロで、業界関係者の賃金がはね上がって、待遇がよくなり、続々と名作が誕生するはずはありません。
“オタク”たちの社会的地位が向上して、彼らが“オタク”であるコトにより、おクニが何らかの保障をしてくれ、遊んでても暮らしていけるようになるわけでもありません。
業界人の労働環境は、やはりよくないままで、“オタク”たちは依然何も生み出しません。
結局、アソータンが“オタクカルチャ”に貢献するコトなど、せいぜい彼らの自尊心を刺激してやれるくらいしかないのです。

まぁでもね、あの爺さんが若い連中にウケようとして、ムリに“オタク”ぶってる可能性もあるからね。
だとしたら、そんなくだらん媚を売るジジイなんぞ、みっともないコトこの上ないし、喝采をおくる連中もいい面の皮さ。
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コメント

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1 ■無題

管理人様がこんなに分かりやすく書かなければならないほど、今のオタク方はおバカになってしまわれたのですね(TOT)

2 ■「現実を見る」とは何か。

初めて投稿させていただきます。

ふ~ん、プログ主さんは現実がお好きなんですね。
まずはイタリア、ルネサンス期の政治思想家であるニッコロ・マキャヴェッリの現実主義をご紹介します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AD%E3%82%A2%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AA%E8%AA%9E%E9%8C%B2

また、内田樹・神戸女学院大学文学部教授(護憲派)はこのように述べております。

「「平和憲法」を制定した後、大日本帝国に代わってアメリカの主敵となったソ連中国社会主義圏との覇権闘争に備えて、アメリカは「広報支援部隊」として日本軍を目的限定的に再建することと決定した。朝鮮戦争当時の国際情勢からすれば、アメリカにとっては合理的な選択である。 
 しかし、発令者であるアメリカからすれば戦略的に何の矛盾のないこの二つの制度の並立を、日本人は矛盾として受け取った。 
 厳密には、矛盾として受け取るという病態を選択した。」
「憲法九条と自衛隊はそれぞれ「家の外から」持ち込まれた制度である。だが、その事実を日本人はできるだけ意識しないようにしてきた。
 護憲派によれば、憲法九条は「押しつけられたもの」ではなく、不戦を誓約し、戦争責任を引き受ける日本人の倫理的覚悟に基礎づけられたものであり、日本人がみずからにふさわしいものとして主体的に選び取った世界に誇ることのできる知的・道徳的達成として観念されている。改憲派によれば、自衛隊は日本人が主体的に統率している「普通の国」の「普通の軍隊」であるのだが、たまたま憲法九条という「普通でない」制約があるせいで、その本来的機能を発揮する機会を奪われている。
 しかし、実際には、彼らはいずれも憲法九条も自衛隊もアメリカの従属国化の政略の一環であることを知っている。知っているけれど、自分がそれを知っているということを知りたくないだけである。」

現実主義って、スバラシイ!!

3 ■現実主義?

 オタクと現実主義って、二項対立するようなものなんだっけ?

 意味のわからないコメントだなあ。

4 ■TBありがとうございます。

cookieガ無効とかいうので画像認証の数字を入れなおしたら2回送っちゃった。
すいません。1個消してくだされば幸いです。

引用してエントリーをあげました。(殆ど引用)

麻生氏のオタクぶりのもてはやされ方っていろいろ考えさせられますね。
明日も考えようかな。

5 ■えと

記事の内容自体については概ね理解はします。

しかしね。

70才がローゼンメイデン読んでたって俺は別に気持ち悪くはないな。
「へぇ好きなんだなー」くらいの話で、別にどうでもいい。

人の趣味だし。

これを「気持ち悪いでしょ?」みたいに書いちゃう中には、『萌え』系だとかそういうものへの偏見をなんとはなしに感じちゃうな。

で、それを「自分も漫画は読むし、中には名作もある」的な事でエクスキューズとしているように感じる。
「偏見じゃないですよ」と。


成熟と共に捨てていくのが『普通』としちゃうのもいまいちよくわからない。

それはあなたの『普通』ではあるんだろうけど、果たしてそれが本当に『普通』なんでしょうか?

まぁそもそも『普通』自体、まともに定義できるものではないでしょうが…。


俺はね、麻生を支持なんてしないし、どっちかっていうと、オタクにとっては危険な政治家になるかもしれないと思ってます。
表現規制だとか推進させそうですしね。
少なくともオタクの救世主なんてものじゃ絶対にない。


ですが、
ただ、その人の趣味をもって「気持ち悪い」だとか言ってしまうのは良い事ではないと思いますよ。

それは批判の方向が違うように思います。

6 ■お返事です

Junioさんへ
こんばんは、初めまして。
現在使われてるオタクって言葉、あまりしっくりこないし、昔は(何て書くほどだはないかもしれないが)オタクって云ったら、本人が納得してりゃソレで充分だったものを、今では妙に露悪的で、自意識過剰なトコがあるように感じます。

十文字(衆愚代表)さん
こんばんは、初めまして。
せっかくコメントいただいて恐縮ですが、引用ばかりでおっしゃる意味がわかりかねます。
もし次にご来城いただくことがあれば、もう少しご自身の感想をいただけたらなと思います。

7 ■た~んさんへ

こんばんは、初めまして。
コメントありがとうございます。

>これを「気持ち悪いでしょ?」みたいに書いちゃう中には、『萌え』系だとかそういうものへの偏見をなんとはなしに感じちゃうな。
>で、それを「自分も漫画は読むし、中には名作もある」的な事でエクスキューズとしているように感じる。
>「偏見じゃないですよ」と。

いえ、はっきり云って、偏見ありますよ。
むしろあの系統は、昔からキライです。
かわいらしさを全面に押し出して、媚びようとするのはウンザリですし、コドモに武器持たせて殺し合いをさせるアニメやマンガなんぞ、ふざけんなと思います。
ボクはコドモ時代にガンダムをダイレクトに体感した世代ですが、ガキを兵器に乗せて抽象的な会話させて、殺し合いさせていたあの感性は、いまだに好きになれません。

ただ、た~んさんが問いかけられるように『普通』に対しての疑問って、ネットの中ではよく見かけるんですが、むしろある種の逃げじゃないかなとも思うのです。
『普通』って何だ?
『普通』って定義できるのか?
ヒトそれぞれじゃないのか?
そんなモン、自分や周囲のヒトたちが常識的に考えて『普通』であるモンが『普通』であって、日本中のヒトが、まったく相容れない思考や感性持って、バラバラに生きてるワケじゃないと思うのです。
ある程度のマナァ、ルゥルがある。
ソレが常識であり、普通ではないでしょうか?
ちょっと違うかもしれないけど、いわゆるモンスタァペアレンツの常軌を逸した要求なんかも、そういった常識や普通を、自分たちに都合のよいよいに振りかざしているためにおきるのでは?などと考えてしまいます。
何の影響か知りませんが『普通』に生きていくのは大切なコトですし、意外に大変なんですよ。
むしろ『普通』をボヤかして生きていくコトの方が、よほど安易でやっかいだと思いますけどね。

8 ■た~んさんへ、長くなったのでつづき

……ハナシがズレた。

とにかく、ボクが云いたいのは、70歳になろうかという年寄りが、萌え要素のつまったマンガ読んだりするのは、やはり人間の成熟度に問題があると思うってコト。
またマンガなりアニメなり、捨てていくって云ってるワケじゃなくって、自分の成熟度にともない、娯楽や好みは変化していくってコト。

>ですが、
>ただ、その人の趣味をもって「気持ち悪い」だとか言ってしまうのは良い事ではないと思いますよ。
>それは批判の方向が違うように思います。

う~ん、そのあたりは少し失礼かな?
気をつけましょう。

9 ■むむ~

「偏見じゃないの?」と問いかけて、「偏見ですよ」と答えられちゃうと、
こちらとしてはもう、
「そりゃ、しゃーないなー」
( ̄▽ ̄;)ゞ
となるわけですが…。
(^^;

しかし、ならもう少しだけ踏み込んでみる。

偏見を元にした『常識』や『普通』や『あたりまえ』であるなら、
それはもう既に『常識』や『普通』や『あたりまえ』ではないのでは?
『偏見』というフィルター越しになるわけだし。

そういった大きな前提は立てないで、あくまで『個人』の思いとして述べた方が、よりしっくりきそうな気もしますが。


まぁ「『普遍』ではなく『普通』なんだ」と言われたら、俺の問いは空回りしますがね。
(^^;

10 ■た~んさんへ、再び

お返事、ありがとうございます。

>「偏見じゃないの?」と問いかけて、「偏見ですよ」と答えられちゃうと、
こちらとしてはもう、
「そりゃ、しゃーないなー」
( ̄▽ ̄;)ゞ
となるわけですが…。
(^^;

ごめんんさい、確かにそれじゃハナシがつづかないですね。
ボクが持ってる偏見ってのは、ああいった系統のマンガやアニメであって、ソレを誰が読もうとそりゃ勝手です。
ですが、知られたらやっぱりちょっとヒカれるってコトは覚悟しなきゃいけないし、世の中の見方としては、おそらくそれが一般的だと思います。

>そういった大きな前提は立てないで、あくまで『個人』の思いとして述べた方が、よりしっくりきそうな気もしますが。

うん、ソレはボクも考えないコトはないんですが、やっぱり予防線を張った議論になっちゃう恐れがあるんですよね。
ネットの中の言葉遊びでは言質をとられるコトを恐れてるのか、どうしても『普通』とか『常識』って言葉を使いたがらない。
怖がってるんですかね?
でもボクはネットは現実世界の延長だと思っていますから、現実でも理屈や考え方を持ちこんで考えないといけんと思うのです。
た~んさんが云うように、偏見のフィルタを通して……って恐れも、もちろんありますが、ボクがあげる世間一般の見方は、ボクが現実自分の周辺から肌で感じている全体の印象です。
もちろん数値化はできないませんが、ボクの感性が鈍っていない以上、決しておかしなモノとは思えませんよ。
現実と乖離したハナシばっかしてても、ダメなのだと思います。



11 ■なるほど~

じゃあ、もうちょっとだけ引っかかる所を、

『偏見』だと認めちゃってるからあまり論点にはなんないかもしんないけど、

例えばそれが一般的な見解だったとして、それは偏見を正当化する事にはならないのではないか?

まぁ別に正当化してる意識はないんだろうけども、
「偏見かもしんないけど一般的じゃん」
という見解であれば、それは偏見の正当化に繋がらないだろうか?


また、

あくまで個人の意見として述べた場合、
果たしてそんなに現実と乖離した議論になるんだろうか?

『普通』『常識』『あたりまえ』と発した瞬間に一部思考停止しちゃわないだろうか?
「だって常識じゃん」的な…。


ただ難しいのは個人の意見として述べた場合も、
「だって個人の意見じゃん。そんなの人それぞれ。あなたの意見なんて知らないよ」
という逃げ道があるのも事実なんだよなぁ。
(・ω・;)ゞ

ただ後者の場合なら、その言の責が本人に帰結する分まだいいかなぁとか俺は思う。


あ、言葉遊びみたいになってたらごめん
(^人^;)

12 ■無題

 前回の投稿では説明不足でしたネ。

 とはいえ、私がいいたかったことは、た~んさんがほぼ代弁してくれました。

>『普通』『常識』『あたりまえ』と発した瞬間に一部思考停止しちゃわないだろうか?
>「だって常識じゃん」的な…。

ということが正しくそうです。

 例えば、対テロ戦争協力問題を話し合う討論をしていたとき、対話の中に、「常識」という言葉を持ち込んだら最後、私が例示したマキアヴェッリや内田樹・神戸女学院大学文学部教授(護憲派)が指摘した「リアリズム」に則ったうえ、「日本がアメリカに協力するのは常識である。」という結論で話が終わってしまうことになりませんか?

 勿論、こんな議論の進め方はムカつきますよね。

 でも、「常識」という言葉を多用する立場であるのなら、貴方は「現実主義」に席を置かなければなりません。

 それがイヤなら、「常識」という言葉で自分の主観を正当化し、他人をアジるのはやめた方が良いのではと思います。

 まあ、こんな殺伐とした世の中なのですから、萌え要素のつまったマンガ読むのも無理はないのでしょうと思えば、温かく見守れるかと存じます。

 因みに私の好きな萌えマンガはこれです。マンガ喫茶等で御覧になれば、きっとお気に召すかもしれません。
http://www.e-1day.jp/morning/manga/cesare.html

13 ■た~んさんへ

>「偏見かもしんないけど一般的じゃん」
という見解であれば、それは偏見の正当化に繋がらないだろうか?

ソレは個別の条件によると思いますし、ボクとしてはすべてに拡大解釈するつもりはありません。
自分の中のモノの考え方と、世の中の考え方がかけ離れているコトがあるのは、充分承知しています。
70歳近い爺さんが(以下略)の場合、多くのヒトが「そんな年寄りが、そんなマンガ……」ってヒクんじゃないでしょうか?
ソレは確かに自分の偏見かもしれませんが、世間一般が持っているモノと、非常に似通っていると思います。
もちろんそれにより正当化するつもりはありませんが。

>あくまで個人の意見として述べた場合、
>果たしてそんなに現実と乖離した議論になるんだろうか?

なると思います。
特に政治や外交なんかを語っているブログなんか、自分の中の思想しか見ておらず、ソレに現実世界をムリヤリはめこもうとしている理屈、すごく多いと思います。

>ただ難しいのは個人の意見として述べた場合も、
>「だって個人の意見じゃん。そんなの人それぞれ。あなたの意見なんて知らないよ」
>という逃げ道があるのも事実なんだよなぁ。
(・ω・;)ゞ

た~んさんが指摘している部分、実はボクがネット内での議論で、もっとも違和感を感じる部分なんです。
何でもかんでも定義、定義と云っておきながら、肝心な部分になると個人の意見ってコトで、お茶を濁しちゃう。
多いんですよね、そんな議論。
『普通』や『常識』から鑑みてモノを云うのも、個人的な見解も、本来、そんなに対極に位置して避けあわなければいけないものなのでしょうか?
大体、『常識』って『普通』に生きていればそんなに小難しいもんじゃないと思いますよ(こーゆー書き方すると、また引っかかっちゃうかもしんないけど)。

14 ■十文字(衆愚代表)さんへ

こんばんは。
再度のコメント、ありがとうございます。

>『普通』『常識』『あたりまえ』と発した瞬間に一部思考停止しちゃわないだろうか?
>「だって常識じゃん」的な…。

なるほど、ソコが十文字さんやた~んさんと、ボクの意見がかみ合わないトコロかなと思いますね。
ボクは『普通』や『常識』が思考の終着点とは思いませんし、むしろソコが出発点だと思います。
下での議論のような論題と、自分が肌で体感するコトができる日常の『常識』とを、同列に扱うコトなんてできないのでは?

また、十文字さんがボクのコトを現実主義者っておしゃってますが、そのあたりちょっと意味がわかりません。
ボクが“現実”って云ったのは、麻生氏がオタク仲間だから信用するんじゃなく、彼が何を云って、何を考えてるのか、もっとよく見てみたらってコトですよ。

ちなみに、お気に入りは総領冬美さんの『チェーザレ』ですか。
モーニングでは前にも連載してたと記憶してるが……
あの人物は塩野七海さんや星野之宣さんをはじめ、多くの作家たちによって描かれている魅力的な人物ですね。

15 ■ん~

まず『偏見』について言えば、
「個別の条件によるし、拡大解釈するつもりもない。」
それはわかる。

しかし、ささいな偏見を容認してしまう事は、その先の差別やいじめに繋がってしまう危険性があると思う。
「一般的でしょ?」的な理由は特に。

もちろん『偏見』はおそらく誰しもある。厳然として。
ただそれは否定されるべきだと俺は思う。
少なくとも表向きにはね。
だから、こういった批判には使わない方がベターかなと。


また、『偏見』も『普通』も『常識』も発掘屋さんが恣意的に主観的に選んだものでしかないんだよね。
書いてあるように、『一般と似通ったもの』なのかもしれないけど、同時に『似通ったものではない』かもしれない。
つまり、必ずしも共有でき得る前提とはなり得ない。

共有出来ない前提から議論が出発しても、それは実のあるものになり得るだろうか?

そしてまた『似通ったもの』であったとしても、やはり人それぞれ濃淡はあるわけで、それをただ『普通』『常識』として一纏めにして扱ってしまっていいのかなぁ?

まぁ一つ一つ自分と他人の『普通』『常識』を擦り合わせた上でなら前提となり得るかもしんないけども。

まぁ俺は、『個』がまずあって、しかるのちに『普通』や『常識』の層があると思うから、
まず『普通』『常識』から始まると『個』が曖昧になるようで、どうも引っかかるんだよね。
『個』が本質じゃないの?って…。


後、逃げ道の件。
あれは確かに疑問が残るかもしんないけど、同時に俺はある種の『知恵』でもあると思うんだよね。

ネット世界はどうしても殺伐としたやりとりに発展しやすいから、
「その前でやめとこうよ」
っていう…。
ある意味ネット世界の成熟の証かもと思うよ。

16 ■た~んさんへ

こんばんは。
う~ん……た~んさんや、上の十文字さんもそうですが、あまりに『普通』や『常識』って言葉に拘束されすぎてしまって、モノの考え方がすごく不自由になっているように感じますよ。
『普通』や『常識』って、別に『個』と対極にあるものじゃないと思いますし、第一ソレらは元々、漠然としたマナァやルゥルとたいして異ならない、何となく決まっているモノにすぎません。
だからこそヒトによって少づつ受け取り方が違うし、訂正ができるワケです。
た~んさんは実生活で、友人や会社の同僚とハナシをする前に『普通』や『常識』を定義しなければ、前に進めないのですか?
そうじゃないでしょう?
言葉を遊ぼうとして、逆に言葉にもてあそばれているだけですよ。

この記事だって、別に『普通』や『常識』について書いたワケじゃない。
それなのに、何日もこのコトにこだわってた~んさんは、一体何を求めているのですか?
そのあたりがよくわからない。
記事について、ボクの偏見に対してご意見があり、『常識』について知りたいと思うのであれば、まず周囲の人々に「日本の首相がメイド服着た人形のマンガが愛読書だ」ってハナシをしてみてはどうでしょう?
その反応を見て判断した方が(たとえどんな結果になろうと)「『常識』って一体何だ?」って机上でアタマをひねるより、よほど手っ取り早いと思いますし、有効な議論ができるのでは?
議論は別にかまいませんが、議論のための議論はお断りしますよ。

>ネット世界はどうしても殺伐としたやりとりに発展しやすいから、
>「その前でやめとこうよ」
>っていう…。
>ある意味ネット世界の成熟の証かもと思うよ。

いいえ、まるで逆だと思いますよ。
ひとりごとを云っているわけでない、相手がいるのですから。
相手の時間やエネルギを費やさせておいて、都合が悪くなると「個人の意見」と逃げるのは、ただの礼儀知らずです。

17 ■いや

俺は『個』と『普通・常識』を対極になんかはしてないよ。延長線上に見ているというか…。

例えば俺の中での『個』と『普通・常識』ってのは、◎みたいな感じ。
内円を『個』外円をその『個』のイメージする『普通・常識』の層とする。
で、他の『個』とは重なったり重ならなかったりしながら一集団を作っている。
重なってる所が、ある一集団における共有された『普通・常識』になるかな。
これは、そのある一集団全体を取り囲んだ大きな外円でもいいか。

で、それは確かにある一集団においては、暗黙の了解的に何となく決まっているモノかもしんないけど、
それが他の集団と共有され得るかはわからない。
その『普通・常識』が『普遍』とは限らないわけだから。

こういった場合に、ただその『個』のイメージする『普通・常識』を持って論理を組み立てられても、結局それは『仲間内の論理』でしかないのではないか?
また、本質である『個』がぼやけはしないか?
集団意識としての『普通・常識』からではなく、その本質である『個』と『個』が『自らの論理』としてそれをぶつけ合うべきなのではないか?
拘ってるのはそんな所かな。


確かに俺の周りの人に聞いても『気持ち悪い』が多数派になるかもしれない。
けどそれが他の集団においてもそうなるとは限らないし、
『気持ち悪くない』が少数派だったとしても、じゃあ排除していいかと言えばそうではないと思う。
なんとなく『普通・常識』には排他的な語感、偏見を促してしまう語感があるんだよなぁ…。
そこに危険性を感じるわけだよ。

それに発掘屋さんが気持ち悪いと思ったなら、ただ「自分は気持ち悪いと思った」と書けばいいわけで、わざわざ『普通・常識』を持ってこなくてもいいんじゃないかと…。

自分の『偏見』というか『見方』を『普通・常識』の中に埋没させてしまってないかな?


逃げ道の件。

あれを赦さないとなると、延々誹謗中傷のしあいになるような…。
ある程度で見解の相違を認めてお互いに引くのは、やっぱ大人の知恵だと思うよ。

18 ■「普通」とは?

 どうなんでしょうねえ。「常識」とか「共通感覚」って哲学などでそう考えているのか知らないけど、けっこう難しそう。

 麻生氏のマンガオタクが「変」かどうかマンガを見てないからわからないけどね。街で50歳代ぐらいのオバサンがフリフリなコスプレして電車に乗っていたとします。麻生氏がマンガを読んでいるのを「常識から見て変」という言い方に違和感を感じる人も、そのオバサンを見て、「変なオバサン。普通じゃない」と思うかもしれない。人間、自分の固有な「普通」感覚からそんなに自由じゃないんじゃないかな。
 いろんな規制で出てくる、「公序良俗」という言葉がありますね。曖昧で多数者による少数者の弾圧に使われそう。でも全く社会で「常識」とされることがないかどうか。
 たとえば人間、歩いている途中、便意を催したといって脱糞しない。よっぽど切羽詰った場合はとのかく、犬みたいに適当なところでしゃがみこむというのは、相当に変で、かなりな人が「普通じゃない」と感じると思う。それは他者が不快を感じる外部性を持った行為だから避難されるのかもしれないけど、普通じゃないという判断は、そうした「他者への迷惑」とは別に感じるんだと思う。
 たとえば、行列への割り込みは、他者への迷惑だけど、それほど「普通じゃない」とは思われないと思う。
 往来で所構わずウンチ、は極端な例示かもしれないけど、これが男の立小便だったら、他の人から感じられる度合いは減るだろうと思う。そうした感じ方は、かなりな多数に共有されているのではないか。
 というわけで、「普通」を持ってくることは、そんなに変じゃないと思うけど、何を「普通」と思うかはそんなにたやすく決まらないでしょうね。

19 ■kuronekoさんへ

後段の『極端な例示』はちょっといじわるだなぁ。
(^^;

前段について言えば、
『自分の固有な「普通」感覚からそんなに自由じゃない』って事なら、
尚更『「個」の感覚』として述べればいいんじゃないかなぁと思います。
下手に一般化して『不特定多数の意識』として述べると、何か勘違いされそうですし、主語がぼやける感じがするなぁ。

20 ■自分が普通だと思う

たーん さま

世間様みんながそう思っているんじゃなくて、「自分が」70近い老人のロリ漫画好きや、50過ぎのおっさんが便箋にキティちゃん使うことを「変!」と思うのだ、という形でいうほうが、押し付けにならないってことなんでしょうけどね。

でもね。何かを「普通」だとか「変」だとか思う感覚というのは、「世の中の感覚にてらしても変」と思うもので、余人は知らず俺は変と思う、というんじゃないと思うんですよ。

アロハシャツにネクタイ締めて革靴履いてアタッシュケースもって通勤するサラリーマンを見かけたたとしたら、「ねえ、ねえ、くる途中変なおじさん見たのよ」と友達に言う。「あなたは変ではないと思うかもしれないけど、わたしが変だと思う人を見かけたわ」とは、思考しないし言わないんだろうと思います。

あることを「普通」であると思うのは、他者もそれを同意するだろう、という感覚を含んでいるのだと思う。実際問題として妥当するかどうかは別だけど。

歳をとったら相応に趣味が変るだろう。30になって人形遊びはしない、と世の中の人も思うだろうという「常識」は私にもあります。
常識はあるんだけど、成人男子であっても、クマのワンポイントをアイロンプリントでシャツにつけて平気で人前に着ていく、という他の人はやらないだろうことをしますけどね。 

21 ■た~さんへ

た~さんが、何にこだわっているのかは、なんとなくわかりました。
ですがボクの記事の主題は『常識』や『普通』を云々しているワケではありません。
ボクが気になるのは、た~んさんが何を求めてこのハナシをされているのか、わからないってコトです。
た~んさんは、ボクが所有している『常識』が普遍的ではないと主張されていますが、それは無論当たり前のコトであって、今さら論じる意味がわかりません。
そしてソレを『個』などと云う、対比しにくいモノを持ち出してハナシをする必要があるのか……?

>それに発掘屋さんが気持ち悪いと思ったなら、ただ「自分は気持ち悪いと思った」と書けばいいわけで、わざわざ『普通・常識』を持ってこなくてもいいんじゃないかと…。

その件については最初のコメントで気をつけましょうと云っています。
ハナシを堂々めぐりさせて、とっくに通過した駅になぜもどる必要があるのでしょうか?

それにね、た~んさんたちのように「他人を批判するのに常識って言葉を使うのはよくない」って主張も、ひっくり返ったら「ソレはあなたたいの考えでしょう?」って言葉になってしまう。
そうなったら、もうハナシにもならない。
『常識』や『普通』って言葉なんて、どんなに理屈を重ねても、しょせんその程度のモノだと思いますよ。
もう少し肩の力をぬいて気楽に考えたらどうでしょう?
前にも書きましたが、議論のための議論は不要です。

22 ■ん~

「それはあなたたちの考えでしょ?」と聞かれたら、
「それはそうだね」と答えるかな。
何故ならそれは俺のイメージする『普通・常識』だから言ってるわけじゃなく、
俺『個人』の思い『私見』として、そう思ってそれを言ってるわけだからね。


もし、そういう返しが来たなら、それよりはもうちょっと論理的な反論が欲しくはなるかな。
もらえないならもらえないで「しょうがないな」って感じでその人との話は諦めるだろうね。


さて、発掘屋さんの場合、
どうも「『普通・常識』だから」が先に来ているように見える。
これだと『私見』が『普通・常識』に埋もれてしまって、その『私見』をオブラートに包んでしまっていないか。
と感じるわけだね。
だから「実質『私見』でしょ?」と問う。

で、そうすると、「気をつけましょう」と言いながらも「でも一般的ですけど」と来るから、
こちらとしては「どゆこと?」ってなる。

「普遍じゃないんでしょ?」と聞くと、
「普遍ではありません。ただ自分の体感では一般的です」と来る。

「ならば『自分の体感』ていうのは『個』『私見』に置き換えても同じ事じゃないか?むしろこの方が『普通・常識』みたいな曖昧さが消えて、より論理的、本質的にならないかな?」
って感じ。

「まわりに聞いてみたら?」とか「『普通・常識』って普通に生きてれば分かるでしょ」的な答えは、
「だって一般的でしょ」という思考停止と同様に見えるかな。

「自分のまわりの『普通』なんだからいいじゃない」なら、『私見』とそう変わらないって事だし…。

「気をつけましょう。でも一般的」ならループかな。


主題について概ね同意してるのは、一番最初に書いた通り。




kuronekoさんへ


他者の同意を期待している意識と『普通』の関係ってのはまさしくそういうものでしょうね。
俺だってそんな感じだと思います。

ただそれはそうとしても、このコメント欄の話とはまた違った方向の話だと思います。
突き詰めていっても結局複雑化するだけなんじゃないかな。

23 ■もう一つ言うと

『普通・常識』を多用すると、『少数者への視点』や『多様性の理解』が阻害されるような気がするんだよね。

24 ■自分のところ

自分のところに関連エントリーをあげました。

25 ■た~んさんへ

>で、そうすると、「気をつけましょう」と言いながらも「でも一般的ですけど」と来るから、
>こちらとしては「どゆこと?」ってなる。

ええと……コレについては、別に自分で持ち出したワケじゃなくって、た~んさんが『常識』とか『普通』をネタにするから、ハナシの流れ上そういった説明になっちゃうだけなんですけど……

>「まわりに聞いてみたら?」とか「『普通・常識』って普通に生きてれば分かるでしょ」的な答えは、
>「だって一般的でしょ」という思考停止と同様に見えるかな。

それについては、た~んさん自身も、70歳以上の(以下略)のコトをどう思うかを周りの人間に聞いたら、「気持ち悪い」って思うヒトが多数だと“思う”ってコト、みとめてますよね?
ボクは一般的だから自分の意見が正しいって云ってるんじゃなくって、世の中の雰囲気をた~んさんが体感して、ご自分で考えてはいかが?って云ってるだけですよ。
そもそもネットの中で、返事するにも何日もかかる誰とも知れない相手に対して訊ねるより、自分の周りでマジメにハナシを聞いてくれて、親身になって答えてくれるヒトと議論した方が、建設的ではないでしょうか?
そのあたり、ボクが思考停止しているんじゃなくって、『常識』や『普通』って言葉を聞いた時点で、た~んさん自身がその言葉を敵対的に考えすぎじゃないかなぁ……?
どうもた~んさんは『常識』や『普通』って言葉に対して、必要以上に偏見を持っているように思いますよ。
そもそも、わたくしの意見はどうしたって自分がこれまでとりこんできた『常識』を基に発展していくものだと思いますよ。

>『普通・常識』を多用すると、『少数者への視点』や『多様性の理解』が阻害されるような気がするんだよね。

コレってどういう意味かなぁ?
ボクがそういう人間だって云いたいのでしょうか?
だとしたら、た~んさん自身こそが、自分で諫めているように、個人の“主観”を、た~んさんが認識している『常識』のワクに、勝手にはめこんでいるだけではないですか?

26 ■常識

うーん。
ずっと読ませていただいてるんですが、だんだん話の内容が分からなくなってきました。「普通・常識」という言葉の定義を弄んでいるようでもあり、議論のための議論のようでもあり……。

この議論(?)、おそらく結論は出ないと思います。発掘屋さんはすでにご自分の結論を出されてますし、た~んさんはどうやら発掘屋さんが「わたしが間違ってました。どうもすいません」というまで、いつまでも同じ主張を繰り返されるつもりのようにお見受けできるので。


た~んさんへ。
こういう主張は他所のコメント欄ではなく、ご自分のブログを開設されて、そこで主張されるほうがよろしいかと思いますよ。
訪問者があるかどうかは保証できませんが。

27 ■ええと、

自分がこれまで取り込んできた『常識』を基にするってのはまぁ、誰でもそうだろうからいいとしても、
『個人の常識・体感』てのは、どこまでいっても『個人のもの』でしかないわけで、
赤の他人からしてみたら「そんなの知ったこっちゃないよ」って話になる。

なのにそれを「間違いなく気色悪いと思うでしょ?」とか一般化してしまっていいのかなぁ?
ループ的かもしんないから、「気をつけましょう」って事になるんだろうけど。


元々は、
「『気色悪い』ってのは『偏見』じゃないの?」と問うと「『偏見』です」と返ってきた事から、
『偏見』を『偏見』と認めながら、それを一般化してしまう事への疑義があって、それを俺は問うたわけだね。

で、その答えが「気をつけましょう。でも一般的なので」と『偏見』を一般化しちゃうから、
その中身が『普遍』なのか『範囲の限定された普通』なのかを続けて問うた。

で、その答えは「『範囲の限定された普通』なんだけど『自分の体感』である」なので、
「じゃあそれは『個』『私見』とどう違うの?置き換えられるんじゃないの?」と更に問うてたんだけど…。

どうも俺の考えてる事とは違う方向に行ってしまったみたいだなぁ。


『阻害される』云々については、いわゆる一般論として『常識・普通』の負の側面を述べてるだけなんだけどね。



でもまぁ俺もちょっとこだわり過ぎてたと思う。
それはごめん。
m(_ _)m

28 ■た~んさんへ

ボクが偏見って云ってるのは、麻生太郎が読む系統のマンガのコトです。
まったく趣味が合わない。
誰が何読んでもボクは批判するつもりはありませんが、世間の見方では、おそらく多くのモノがヒクだろうと考えるのは、経験上想像できるコトです。
ボクの記事の眼目は、オタク文化に理解があるからって、アソータンが首相として他の何にも優先してオタクのために何かするハズはありませんし(政治家を支持するってのは、結局自分の利益のために何かしてくれるって期待が大きい)、同じオタクだからと云って、アソータンが首相にふさわしい器と無条件に信じるコトなんかできないってコトです。
されにそのコトをメディアがことさらたいしたコトのように喧伝している状況に違和感を感じるってコトです。
わかりにくかったんなら、ごめんなさい。

29 ■最後に。

えーっと、この問題(?)、「一国の首相が “オタク文化”に理解がある(と公言してる)」という別にどうだっていいことを何か大変なことのように扱う(扱わされてる?)マスコミの底の浅さを笑いものにするのは当然ですが、それよりも、

オタク=サブカルチャー=非本流

という図式の中にいたはずの彼らオタクが、総理大臣という本流の中の本流(でなくては困る)人物に対して、実はシンパシーを感じたがっていたのだという奇妙な事実に、なんとも言えない忍び笑いを浮かべてしまうのですが。

彼らが非本流であることにプライドすら持っていると思っていたのは、幻想だったんですねぇ……。

えー、個人的には70近い爺さんがメイド服着た人形のマンガを読んでても、それは個人の自由だろうと思うほうです。まあ、38にもなって「アタシ」の一人称で小説書いてる人間にはその辺を非難する資格はないわけでしてね……。
ですが、イラクの給水車のペイントが麻生氏の指示で日の丸からキャプテン・マージド(キャプテン翼の彼の地でのタイトル)に変えられたことで、その給水車の被害が未だにゼロだという事実もあるわけで、頭ごなしに変だというのもどうかな、と思います。
問題はそれを自分のイメージ戦略に使う麻生氏のしたたかさにあっさり踊らされてるマスコミと支持者、それとオタク諸君の脳みその薄さなのでは。(笑)

30 ■えいみすさんへ

>オタク=サブカルチャー=非本流

>という図式の中にいたはずの彼らオタクが、総理大臣という本流の中の本流(でなくては困る)人物に対して、実はシンパシーを感じたがっていたのだという奇妙な事実に、なんとも言えない忍び笑いを浮かべてしまうのですが。

>彼らが非本流であることにプライドすら持っていると思っていたのは、幻想だったんですねぇ……。

あぁ、さすがに物事の本質(ってゆ~か、その図式の滑稽さ)、よく見抜いていますねぇ。
このハナシの根っこは、まさしくソコなんですよね。
彼らは(なんて書いたら、また誤解されるかもしんないけど)、ホントはみとめられたいし、アニメやマンガでの英雄譚を自分と同一視して、自分をみとめてくれない現実世界に、ひがみを持っていると思います。
そのために、ちょっと甘い言葉にすぐつられるし、利用されます。
メディアの確信犯的なトコロは、アソータンがネットの中では「ローゼン閣下」と呼ばれているにも関わらず『ゴルゴ13』のファンだと云っているコトです。
要するに『ゴルゴ』なら格好はつくが『ローゼンメイデン』じゃあまりにみっともないって思ってるからなんでしょうね。

ところで給水車のハナシですが、ホントですか?
アソータンがソレを見越して描かせたのならたいしたモノですが……

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