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2011年11月16日(水)

紅 葉

テーマ:ブログ
そろそろだろうと、紅葉を撮りに行ってきました。

私のデジカメは、もう7年も前の型で、写真を撮るときに何かと不便なことが多いです。手ブレ補正もついておらず液晶画面も1.5型、日差しが強いと画像のチェックもその場で出来ず帰ってからPCで確認してピンボケに泣く、というパターンも実に多いです。また、ピンボケしていなくとも眼で見た通りに写っているとは限りません。
ですから、写真を撮るときは場所によっては念をいれて、場合によってはフォーカス設定も変えて2~3枚撮っておくのですが、データをPCに移してチェックするまでは自分でもどう撮れているのか分からないという結構運と勘任せの撮り方をしています。今回撮りに行って、結構うまく行ったほうじゃないかというのを紹介します。


$暇人の部屋-紅葉1
真ん中の杉の木がちょっと邪魔になってしまっているかもしれませんが、お寺でいいアングル探すと何か遮るものが入っちゃうこと多いんですよね。


暇人の部屋-紅葉2

暇人の部屋-紅葉3
天気が良かったおかげで真っ赤な紅葉がよく映えて、しかも葉の一枚一枚の形も綺麗に写ってくれました。


暇人の部屋-紅葉6

暇人の部屋-紅葉5

暇人の部屋-紅葉4

こちらは、色づき具合の差と太陽の光、周りの木の影などがちょっといい感じに入り混じって真昼間にも関わらず、なんとなくライトアップされたようになっています。ここはまだ本格的な紅葉になっていなかったので、色づいている木を探して撮っただけで、こういう風に写そうとは意図してなかったんですが。
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2011年10月19日(水)

デマゴーグの弊害

テーマ:歴史
デマ」という言葉は「デマゴーグ」という言葉から来ていますが、現在では「煽動政治家」といった意味で使われています。もう少し大雑把だと、「煽動者」くらいの意味でしょうか。詭弁や噂を利用して大衆を煽る人物を指します。
この言葉は古代ギリシャ語が語源で本来は「民衆指導者」という意味であったのが、ペロポネソス戦争時に古代アテネで次々と現れた指導者たちが過激な主張を行って市民を煽動し、アテネ敗北の原因の一つとなったことから「デマゴーグ」=「煽動家」の意味が定着してしまったものです。

ネットをやっていて、最近はこの言葉について特に考えるようになりましたので、一回元資料に当たろうと、今、ペロポネソス戦争の歴史を残した古代ギリシャの歴史家トゥキディデスの「戦史(歴史)」の抄訳を読み始めたところです。
今読んでいるところは、アテネが盟主である「デロス同盟」に、都市国家ミュティレネが反旗を翻し失敗するところですが、ここで怒り狂ったアテネ市民はミュティレネに対し、民会で「男子は全員処刑・女子供は奴隷に売る」という案を決議します(アテネは民主制国家ですから決定権は市民にあります)。しかし、頭を冷してみると「厳しすぎたのではないか」と考え直し、再度民会を召集します。

ここで後世有名なデマゴーグ、クレオンが再審議反対の演説をし、再審議を主張するものは買収されたに違いないと決め付け、あくまでも処刑を主張します。この演説に対してディオドトスという人物が反対演説を行うのですが、この演説の中に自分に反論するものは買収されているという中傷に対して、興味深い言葉がありましたから、そこを引用してみます。

~だが何よりも始末におえぬ手合いは、反論者は買収されてたくみな説を売っていると頭から相手を非難するものども。なぜなら相手の認識不足を指弾するにとどまれば、論戦に破れたものも、知性に劣りを見せたと思われるであろうが、おのれの徳性はきずつけられずに議論の場を去ることができる。だが、いったん不正なりとの中傷をこうむった論者は、よし説を通しえても世人の疑惑を免れがたく、もし説が敗れれば知徳ともに劣るものといわれよう。これによって損をするのはわれらの国、人は中傷を恐れ、衆議を集めることができなくなるからだ
~中略~
真によき市民は反対論者にたいしては恐喝などの手段にはよらず、公平な議論によって、自分の提案がよりすぐれていることがみとめられるよう、努めねばならぬ。~

『世界の名著 ヘロドトス トゥキュディデス』P384~385 中央公論社


この部分には、反対者への中傷によって反対意見を封じ込めようとする論法への非難と弊害が端的に述べられています。演説の中身を問わず中傷によるレッテル貼りで反対論者を貶める論法は成功しようと失敗しようと言論の自由を萎縮させ、結果、国家の損失につながる、と明確に述べています。つまるところ、議論の中身でなく、証拠もないマイナスイメージのレッテル貼りで優位に立とうとする論法を許してたり引っかかったりしていたら、有意義な意見も出してもらえなくなって最終的に損するのはあなたたちなんですよ、ということです

このときの再動議はディオドトスの演説がとおり、中心人物たちに対するアテネでの裁判、他の市民はそのまま居住を認めるということで決着しますが、死刑命令の快速船が既に出てしまったため、撤回命令を持った使者が追いつくために一苦労することになります。
但し、クレオンはその後も過激な主張で市民を煽動し、彼の戦死後も他のデマゴーグによって無謀なシチリア島への遠征を行って大失敗するなど、アテネは敗北への道を進むことになります。アテネ市民が理性的に判断できていたら戦争の結果はまた違っていたでしょう。
好戦的・感情的なデマゴーグに乗った結果は全てアテネ市民に返ってきたわけです。この時代のアテネは民主政治が堕落した「衆愚政治」として記憶されています。これを「こんなのは2500年も昔のことで今はそんなことはありえない」と言い切れる人はある意味幸せです。



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2011年10月15日(土)

感情で情報を判断していませんか?

テーマ:情報
ネットの世界は様々な分野に関して、色々な人たちが自由に発言できます。ただ、専門分野に踏み入ると、その分野の専門家やある程度知識のある人と、単純に興味がある位の人たちの間でかなりのギャップが生まれてくることがあります。特にトンデモ・疑似科学と言われる説が絡みやすい分野はそれが多いです。

私の興味は主に歴史であり、その中でも古代史や古代文明とかなり古い時代に関心が強いのですが、この分野は特に色々と誤解・トンデモ説が多い分野です。

過去記事でも取り上げていますが、与那国島の海底地形ムー大陸マヤ文明といった話はネットでも好んで取り上げられる話題ですが、私のような普通の古代史好きには頭が痛い話でもあります。
特に「古代に関心がある」という人達がそれに関わるコミュニティなどで、「古代のロマン」とこれらの話を話題にされると、こちらとしてはどうしても「それは違う」と指摘せざるを得ません。「ほうっておけばいい」という指摘ももっともではあるのですが、やはり「間違った情報」がネットで流されあたかも事実であるかのようにされてしまうのは弊害が大きすぎるからです。

・ネットは公共の場
まずネットは基本的に誰でも見られるオープンスペースです。コミュニケーションだけでなく、調べ物など、情報を得るために利用する人たちも沢山います。そういう人たちが間違った話や不正確な情報、その専門分野で支持を得ていない説を真実だと思い込んでしまったり、いわゆる「通説」と同じくらいの説得力がある説だと勘違いされてしまうのは、一応その分野で知識を積んでいる身としては、見過ごせなくなります。
「何かを知りたい」という人が間違った話を信じてしまう、信じているのを見れば「それは違うよ」とどうしても忠告したくなりますし、特にその話を信じる反応が多そうな場合、訂正はしないと、間違った話が広まることになってしまいます。
ネットの情報は玉石混交ですが、そのような話ばかりになるとネットが誤情報と間違いだらけの単なる石の山になるだけで、それを気づかない人たちが情報ツールとして利用しつづけることになるだけです。どうしても誰かが間違っているものは間違っていると指摘しなくてはならないのです。

・議論での誤解
ただし、相手が間違いを素直に受け入れてくれるかどうかは全くの別問題です。大抵はかなりの反発をされます。それはある意味当然で、本人たちは「自分の知識・情報をみんなに教えてあげたい」という親切心や、「自分はこんなことも知っているんだぞ」と言う自慢でネットに書き込むわけですから、それを否定されていい気持ちになるわけがありません。この傾向は特に、「既存の学問・情報が間違っている」と思い込んでいる人や、その披露した知識が他の読者に支持されている場合に強いです。
しかし、その書き込みに好意的な反応が大きいときは、間違いを指摘するほうは、上記の理由で、より危機感を感じて指摘をするのです。
こうなると、後は議論して「どこが間違っているか」「なぜ間違っているか」ということをとことん示していくしかありません。そうなった場合敷居の低い場所では、ROMしている人たちから、「そんなに厳しく指摘しなくても」とか、「両論併記でいいじゃないか」「人の感情を傷つける」という非難が出てくることがままあります。議論になった場合、まず確実に専門的知識の多いほうが相手を追い詰めていってしまう結果になりますから、見ている人たちは専門知識を有する側が冷たく、思いやりがないように見えてきます。
正直、これが一番困ることで、ROMしていたり、調べ物をしている人たちに注意してもらいたいことなのです。

・間違っている人を言い負かすことが目的ではない
まず第一に、指摘する側は基本的にその間違った主張をする人だけを相手にしているわけではないのです。ネットという誰でも読める公共の場に掲示されてしまった以上、間違いを指摘する側は、それを読む人、つまりROMしている人たちや、その後もそのログを読む人たちにも間違いだと分かるようにすることを優先します。相手の感情を慮って、間違いを正しいとしてしまうと、指摘の意味がなくなってしまいます。相手の感情に迎合せずに間違いは間違いと主張するのは、議論の相手、議論そのもの、読み手の人たち、学問や専門、そして事実に対して誠実にあろうとするからなのです。
そして、厳しく追及してくる形に見えてしまうのは、基本的に相手が間違いを認めずに固執する場合でが多いです。その時のパターンは過去記事で以前書いてあります。間違いを主張する人はプライドを傷つけられるわけですから、固執するのはある意味仕方がないかもしれません。しかし、指摘する側はその人のプライドより正確な知識を示すほうを優先せざるを得ません。議論する相手に迎合することだけが優しさや親切心を示すとは限らないのです。
「もう少し相手の気持ちを汲んであげて」と思う人もいるでしょうが、学会などで間違いを指摘された側が「感情を傷つけられたから謝れ、両論併記しろ」と言っているシーンを思い浮かべてください。滑稽としか感じないと思いませんか? まさにその状況なのです。「素人だから」と言うのは通じません。間違いを頑として認めずに議論の土俵に上がってしまったら、もう「専門家」「素人」という区分はなく、両者は対等であって、主張の中身・妥当性だけが問題になります。そうでなければ議論の意味がなくなってしまいます。

こういうやり取りを見て、「厳しい」「荒れている」と印象だけで判断してしまうことは大変危険です。紳士的にできないのか?と思う人の気持ちも分かりますが、それは難しいのです。誰でも自分の主張が間違っていると指摘されたら、感情的な反発が生まれますから、なかなか認めてくれませんし当然気分を害する場合もあります。またその人に同調・同情している読者も否定してくる人間に不快感を持つことも多々あります。しかし、解説や指摘を行う人間は情報のチェック、誤解のない、正確な指摘・表現をするためには冷静な、客観的な口調をするしかないのです。そして、全ての人間に感情的反発を受けず、納得させられる人間など存在しえません。専門家は神様でもスーパーマンでもなく、ただの人間なのです。それ以上のことを要求されても応えようがないのです。そして、人間ですから、相手が一向に受け入れずに感情的非難ばかりをしてくれば気分も害しますし、口調も厳しくなったりしますし、場から排除されれば無理に指摘し続けようとはしません。そうしたら読者は間違った情報しか受け取れなくなります。そうして自分たちで情報をシャットアウトすることになります。そういう場は私も何度も見てきましたし、経験したことがあります。結局、誰が一番損をしているのか、考えてみてください。

間違いを指摘する側にとって、一番優先させなければいけないのは間違っていることを明確にすること、正しい知識・考え方を読者に示すことなのです。そうでなければ、通じない相手との議論という、はっきり言えば無意味な行為をしません。


・議論の本質を見極める
議論に慣れていない人はその辺りでどうしても感情に流されてしまいますが、実は、本当に不誠実なのは明確に間違いが示されているにも関わらず、指摘を頑として認めず、議論にも関わらず証拠もない陰謀論や感情論に訴えたり、人格非難に走ったりする方なのです。これらは正しい情報と全く無関係な訴えなのは分かるはずです。
勿論、指摘する側に聖人君子が揃っている訳ではないですし相当攻撃的な人もいますから、かなり厳しい糾弾をする場合もあります。その場合は難しいかもしれませんが、まず議論の頭から読んで、その糾弾がどこから始まったのか?を見極めることです。大抵、主張の根拠を聞いたり、根拠の間違い・弱いことの指摘をしたことに対してきちんとした反論・説明を行っていない箇所があると思います。
この感情と理性をきちんと切り分けて「議論そのもの」を読むことが読み手には要求されます。どちらが明確な根拠に基づいて話しているか、根拠の妥当性をチェックしているか、感情に流されずに理性的に判断しているかが問題であって、言葉が厳しすぎるといったことは本質ではないのです。厳しい言い方ですが、それが出来ないと「正しい情報を取得するためのツール」としてネットを利用することは難しいのです


古代文明などと言った話だと「これくらいでおおげさな」と思う人がいるかもしれませんが、この弊害は恐らくどこの分野でもネット上で学問的な見解が絡む話なら共通の悩みです。カール・セーガン博士の『悪霊にさいなまれる世界』の冒頭にでてくる「バックリーさん」が大量に発言しているのが今のネットの姿でもあります。「本当のことを知りたい」と思っている人でしたら、真っ先に知るべきことは、『何がポイントか自分たちも積極的に考えて見極めていくこと』なのです。ネットは検索すれば答えが出てくる辞書でも百科事典でもなく、何かを深く知りたいなら、学問的姿勢・理性的判断など、様々なことについて自己責任で考えることが要求されるツールなのです。感情をなくすことは勿論できませんが、自分も含めて人は感情に流されやすいことを自覚して無闇に感情的に判断せず、一呼吸おいて冷静に情報を見直してほしいと思います。


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2011年10月01日(土)

ネットの情報収集について~とりあえずのひとまとめ~

テーマ:情報
先日Togetterでまとめた内容をこちらに転載しておきます。以前に書いた情報収集に関する記事は以下のリンクからどうぞ。重複している分もあるかと思いますが、基本的に思いつくままに書いていますのでご容赦願います。





@Kyoko_m1003 リンクありがとうございます。そもそもネットは答えが一つの百科事典ではありません。検索すれば一番上に正確な答えがあるわけでもありません。
ku_999 2011/08/09 19:54:19

検索上位に来る条件はブラックボックスですが、やはり、SEO対策が十分であったり、人気がある、アクセス数が多いサイトが引っかかりやす正しいことが書いてあるページが検索トップに来るものではありません
ku_999 2011/08/09 19:57:08

ぱっと見て、素人に分かりやすく書いてあると思っても、それが正しいかどうかは全く別問題です。
ku_999 2011/08/09 19:59:58

実は分かりやすいと思ったら、単にその人が調べる人と同じ程度の知識だから調べている人の「分かる範囲の言葉」で書いてあるだけだから「分かりやすい」と思ってしまったりします。
ku_999 2011/08/09 20:03:31

@ku_999 「分かりやすい」というのはメンタルモデルが共有されているからであって、共有されてない専門家と非専門家のやりとりは対面ですら難しいのだからネットではなおさらですね。専門家として非専門家のメンタルモデルを推測しながら書くことは心がけていますがどうしても限界があります。
Kyoko_m1003 2011/08/09 20:14:08

@Kyoko_m1003 そうですね。まず世界観が共有できてないと通じないんですよね。「専門家は難しい」と敬遠されてしまうことで溝を深めてしまいます。
ku_999 2011/08/09 20:16:53

@Kyoko_m1003 「自分の価値観と一致している」ことが、「自分に寄り添った解説をしてくれている」と錯覚してしまうといった感じでしょうか。
ku_999 2011/08/09 20:18:50

@ku_999 それはあるでしょうね。特に不安が喚起されてる状態では同質な存在を求めるでしょうし。対面ならば非専門家の疑問や不安を一旦受け止めた後に正しい情報を説明するという「寄り添った解説」が可能なのですが。
Kyoko_m1003 2011/08/09 20:24:54

価値観が一致していることが、詳しいことには決して繋がりません。寧ろ、それは専門家に達していない、同じ程度の知識レベルだから感じることだったりします。
ku_999 2011/08/09 20:21:00

一番注意すべきは明らかに専門家でないのに、専門家が間違っていると断定してあるようなサイトです。これは、一見分かりやすく、「迫害されたヒーロー」のイメージですからつい信じてしまったりします。
ku_999 2011/08/09 20:06:13

「これを皆が知らない、一般的ではないのはマスゴミや政府が隠蔽しているからだ。」そこで、ちょっとよく考えてもう少し検索してみましょう。隠蔽されている割にはネットではごく普通にポコポコ同じ話が転がっています
ku_999 2011/08/09 20:09:47

その中で専門家は何人くらいいるでしょう?一人二人か、肩書きは「教授」でも専門分野が違う人だったりしませんか?そして、ネットで流れているのはその人のコピペばかりだったりしませんか?
ku_999 2011/08/09 20:13:23

最初は、「自分の望む答えがあるわけではない」と、まず自分の立場をニュートラルにする努力が必要です。何も知識のないうちは、一番信じてはいけないのは「自分の直感」です
ku_999 2011/08/09 20:24:28

@ku_999 ニュートラルにする努力と、認知は事実と必ずしも一致せず、何らかの歪みを持って当然と認識することが不可欠ですね。完璧志向が高い人はなかなかそれを認められなくて突っ走ってしまうような。努力すればするほど頑なになって歪んでいくというのをしばしば見ます。
Kyoko_m1003 2011/08/09 21:16:23

@Kyoko_m1003 私は突っ走るまえに、一回そこから離れて他のこと調べたりして頭を冷す時間をとったりします。一回冷却時間置くと、大分違いますからね。一転集中は視野がどうしても狭くなりますから。
ku_999 2011/08/09 21:26:54

「勘」というのは、それなりの知識と訓練の蓄積の結果、経験的に働くもので、何も知識のない素人の直感というのは、それは「単に先入観が一致しただけ」です。
ku_999 2011/08/09 20:55:54

本来、ネットで情報に当たるなら、普段からよほどアンテナを張り巡らせて、情報を見極めるスキルを養わないといけません。いきなり専門家にはなれませんし、素人が専門家より正確な判断が出来る例など滅多にありません。
ku_999 2011/09/03 23:12:26

まず、信頼できる専門家を見極めるスキルが大切です。
ku_999 2011/09/03 23:13:05

落ち着いて探せば、確実なソースに基づいて論理的に解説してくれ、同時に怪しい情報はソース元まで突き詰めて信頼性を検証してくれる人は必ずいます。
ku_999 2011/09/03 23:16:41

ただ、素人の人はそういった専門家の人の知識に無闇に反感を抱いてしまい、自分で貴重な情報を切り捨ててしまうことも大変多いのです。
ku_999 2011/09/03 23:18:18

それは、その解説が自分の感情を肯定する内容でないこと、しかも、それを筋道立てて論理的に言われてしまうと、自分が否定されたような気持ちになるからです
ku_999 2011/09/03 23:20:00

そういった感情的反発はにわかに拭えないものですから、そういう自分を自覚して、感情に振り回されないよう、普段から見極めるスキルを磨くことが大切なのです。
ku_999 2011/09/03 23:21:31

素人の自分と専門家を無意識に同列にしていることを端的に表す言葉が「本当のことは分からない」です。
ku_999 2011/09/03 23:23:51

分からないことはあるのは専門家の人も同意することですが、「分かっていること」も当然あり、その分かっていることの知識量が素人と専門家では段違いなのです。
ku_999 2011/09/03 23:27:14

自分が知らない・分からないことは、専門家にも分からないと思ってしまうことが、専門家の人とのすれ違い、言説の勘違いに繋がってしまうのです
ku_999 2011/09/03 23:30:21

専門家の人たちは損得勘定で言えば、ネットでデマや間違いの指摘をしたところで、得にはならず、寧ろ情報の検証や議論にリソースを割いてしまう分、損の方が大きいでしょう
 ku_999 2011/09/03 23:40:22

それでも、そういう活動をされている人たちは、個人の損得勘定を越えて、一般の人たちに正しい知識を持ってもらうために活動をされています。
ku_999 2011/09/03 23:41:50

一般の人たちも正しい知識を得たいのなら、自分たちも感情的に反発するだけでなく、自分たちも歩み寄って、解説される内容を理解しようとする努力をしてほしいものです。
ku_999 2011/09/03 23:45:58


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2011年09月17日(土)

トンデモ情報にひっかからないように

テーマ:情報
ネットでの議論での、一つのパターンをあげておきます。

普段ネットで調べものをしたことのない人(以下、Aさん)がネットである情報を知ります。その情報について見てみると、色んなサイトで紹介されており、中には~大学名誉教授といった肩書きの人もおり、どうやらその教授先生の説だと知りました。そして、それがこのままだと大変危険な災害が起こるという主張でした。Aさんは「すごい真実を知った!」と興奮して、「みんなが知らないことは危険だ!早く拡散しなくちゃいけない!!」と、ブログやツイッター、掲示板で紹介しまくります。

すると、そのAさんの書き込みをみた人(以下、Bさん)が、「その主張は間違っているよ」と忠告します。勿論、Aさんはその先生や支持する人たちのサイトなどを引用して、「これは正しい」と主張します。しかし、Bさんは、その主張を一つ一つ引用して、間違っている、データがおかしいと具体的に一つずつその問題点を挙げていき、その情報について検証しているサイトも紹介しながら、その教授先生の主張自体がそのような理由で他の専門家の人たちの批判にさらされており、学会でも認められておらず、いわゆるトンデモ説だと説明していきます。
ところがAさんは一向にBさんの忠告を信じません。Aさんにとっては、自分は既に真実を知っており、Bさんは自分にはさっぱりわからない小難しい理屈ばかり振り回して言葉遊びをしているだけで、真実を知らない可哀想な人なのです。

B「その主張の証拠はあるの?」

A「これとそれだよ。ちゃんとその教授先生も言ってるし、他のサイトに書いてあった。」

B「いや、これはとっくに間違いだと分かってるし、それもこっちの研究結果からもっと合理的に説明できるよ。」

A「君は学会に洗脳されてしまってるんだよ。学会は教授先生のいうことを真実と認めちゃったら、その通説が崩壊してしまうから認めないんだよ。教授先生は真実を伝えようと、学会や権威に立ち向かってるんだ。世の中には分からないことがいっぱいあるのに、なんで君はそんなにはっきり否定できるんだ。」

B「いやいや、その教授先生の主張を本当だとすると、こんどはそれまでのこっちの研究結果やデータと辻褄があわなくなってしまうんだよ。分からないことは沢山あるけど、分かっていることも沢山あるんだ。そこから色々調べることも考えることもできる。そこは君はどう考えてるの?」

A「君は学会のいうデータを鵜呑みにしちゃってるんだね。学会や政府のデータが本当だとなんで信じられるかわからないよ。」

B「つまり、教授先生の主張を受け入れると他と矛盾が出来てしまうことは、全部真実が隠されているからなんだというわけだね。それじゃあ、合理的に説明できる証拠は何もないことになるよ。君は何を基準にその主張を信じているんだい?」

A「だから、証拠はあれとそれだって教授先生も言ってるじゃないか。君は論理的に考えられないんだね。」

B「いや、その証拠はおかしいと言ってるし、しかもその証拠から来る結論が他の研究も全部無視して、『真実が隠されている』という前提で、誰も確認できないことを経由しちゃっているんだよ。そういう、自分の主張で説明できないことを隠されているんだと説明しちゃうのは、「陰謀論」と言って、論理的でもなんでもない、単に妄想で補っているだけだよ。そんな説明はまったく説明になってないんだよ。しかも君は全部「教授先生が~」だけで、基本的なことも知らないじゃないか。調べてみてもそんな主張をしているのはその教授先生だけで、しかもその道の専門家でもないじゃないか。どこから見ても、単なる妄想レベルで真実なんかじゃないよ。」

A「人のことを妄想人間呼ばわりして中傷するのか!物を知らないとか、個人攻撃でしか君は反撃できないんだね。礼儀としてどうなの?」

B「いや、君の主張からはそうとしか取れないし、個人攻撃でもなんでもないじゃないか。少なくとも、もっと説得力のある論拠や証拠を出してよ。何か主張するならきちんとした根拠や証拠が必要なんだよ。君は教授先生のコピペばかりで、それが間違っていると指摘しても、それこそ何の証拠もなく、学会の陰謀で片付けてしまう。そもそもそれの研究者は沢山いて、色々検証した結果、問題がなかったから認められているんだよ。全世界の研究者をどうやって陰謀に巻き込むんだよ。まじめな研究者を証拠もなく貶める、そっちのほうが余程失礼だよ。」

A「だから、教授先生の~以下繰り返し~」

そのうちにBさん以外にもAさんの主張がおかしいと指摘する声が出てきます。すると、Aさんは、

A「大勢で僕一人を個人攻撃してる!僕みたいな素人を大勢でいじめるのが君たちのやり方だ!」

と、そこに書き込まなくなりました。Aさんにとっては、素人しての間違いを指摘されたのではなく、知識のある人間が悔し紛れに自分を苛めているとしか思えないのです。その後もAさんはその教授先生を信じている者同士でやり取りをし、その危険性の不安を共有する人たちの中で味方が多いのに安心して、その味方の人たちと、既に否定された危険性を訴えるためにブログやツイートで[拡散希望]と、広めまくってその不安を共有してくれる人を増やしつづけます。

以上は、トンデモな主張をする人の議論から、大体こうなるという議論のパターンを出してみたものです。この危険が迫っているという情報には、隕石衝突でも磁場の逆転でもノストラダムスの予言でも、フォトンベルトでも、低線量の放射性物質でも、何入れても構いません。何を信じていようと、彼らの論法に変化がありませんから。どれも当てはめられる位パターン化できるのは、詰まるところ、その主張に内容がないからです。

どうも人は、自分がこれまで知らなかったことは、学会も含めた世間一般でも知らないと思い違いをしてしまうようです。分からないことは沢山ありますが、分かっていることも沢山あって、普通、人はそこまで手を伸ばさないから知らないだけなのです。そして、そこを指摘されてしまった場合、自分の正当性を主張するために、「それは○○の陰謀だ」と、まったく証拠もなく証明も不可能な「陰謀論」を引っ張り出してしまいます。陰謀だと言われるとつい納得してしまう人もいますが、陰謀論というものは、自分の願望に沿ったいくつかの事実の一部のみ都合よく取り上げて、それを繋げるのに空想を当てはめてしまえば簡単に作れるものなのです。そして、陰謀だという直接的な証拠はどこにもないのです。寧ろ陰謀論を主張する人たちが自分に都合の悪い情報は見ない、無視する、隠すという行動をします。どっちが陰謀なの?と思うくらいです。こういう議論の流れを見ていると、陰謀を主張する人は相手から事実誤認・知識のなさを指摘された場合、それが自分の主張を崩壊させてしまうものであっても、真正面から答えません。以前書いた記事3.信頼性のある情報を見分けるの項目にある言動をしはじめ、読者の意識をまったく違うほうに向けようとします。証拠もなく「○○が隠している」「陰で○○をしている」などという話がされていた場合、まずすべきことは驚いたり本気にする前に、眉に唾をつけることです

人は、危険だという恐怖感を煽る言動に弱く、しかもネットでは掲示板やmixiの子ユニティなど、そういう人たちのネットワークが出来てしまいやすいのです。そして、それを(本人たちは善意のつもりで)他の場所に広めようとします。たまたま、その主張に触れてしまった人は科学的根拠よりも、信じている人が多く見える(そういう主張だけをする人たちのコミュニティに入ってしまえば、みんな“そう“見えてしまいます。)ほうを信じてしまい、その人たちと不安を共有してしまって、真実を知ってしまったと思い込んでしまいます。当たり前ですが、正しいか間違っているかはみんなが言っているといった、多数決で決めるものではありません。沢山の人が間違っていれば、間違いの方が多くなるだけなのです。
そして、それを『外』で主張すると、当然批判的意見にも晒されますが、それは自分たちに向けられる工作・迫害だと捉えてしまい、さらにその仲間うちのネットワークに閉じこもってしまいます。その集団からさらにその話を拡散させていくと、そういうことに詳しくない人たちがまたひっかかって、どんどん声だけ大きくなっていきます。そうやって、外部からの他の情報を、それは陰謀だと自分たちで遮断してしまって、本当の情報から背を向けて自分の不安に閉じこもってしまいます

これを読んだ人には「これはカルトじゃないか?」と浮かんだ人もいると思います。はい、まず不安を煽る手法、他者に理解されずに不安情報を共有する仲間と閉じこもってしまう心理は、カルトと同じなのです。ただ、ネットの場合はカルトのように物理的に信者で閉じこもってしまうのではなく、情報の海とでも言うべきネットの中で心が閉じこもってしまうのです。さらに問題は、それがカルト的心理だと気づく人は少ないため、不安を共有する集団の中に入り込んで安心感を得てしまったり、妙な使命感を持って他の人にも知らせようと、その間違っている話を色々広めてしまいます。当然、余計な無用な不安を吹き込まれた人たちの精神衛生上良いことではなく、場合によっては実生活での孤立、家族を巻き込んでしまったり、リアルでもその人の関係者に関わる問題になっていきます。そこまででなくとも、情報の裏をとらずに安易に広めてしまえば、自分はともかく、他者の心を危険に巻き込むことになってしまいます。

情報とは便利ですが、同時に大変危険なものです。いくらネットで情報が溢れていようと、一旦おかしな情報にはまり込んでしまったら、もう他の情報は受け入れられなくなり、大変狭い世界での情報しか自分で選択しなくなってしまいます。つまり、自分で自分の情報統制をしてしまうのです。その結果、最悪カルト的な心理にはまってしまうのです。

それから身を守るためには、結局、まずどんな情報もすぐに感情に流されずに一歩引いて、冷静に当たるしかないのです。まず、極端に不安を煽り、肝心なことは全部陰謀のせいにしてしまう情報は特に気をつけなくてはいけません。それは恐怖から信者を作る手法と同じことなのです。たとえそれが主張する本人には正義感からであっても、間違った所から出発した正義感は、悲劇か喜劇しか生みません

また、ネットで色々情報があるからと、それぞれの情報が等価であると勘違いしてしまうのも間違っています。ネットは信頼できる情報、出来ない情報、単なるデマと、玉石混交なのです。そして、残念ながら、沢山の人たちがツイッターやブログで感情に任せて拡散してしまっている現状では、石のほうが多いのです。そのためにも普段からよく調べ、自分たちが情報を判断するスキルを養わなくてはいけないのです。それがネットの情報の質を高める結果にも繋がるのです。

ネットで調べて不安や既成の物事に不信ばかり感じてしまったという人たちは、是非、一回深呼吸して自分を客観的に見てください。自分が感情的になっていないか、いたずらに不安を煽るだけではないもっと説得力のある情報がないか、今まで善意で行っていたと思っていた行為が不安を煽るだけでじゃないか、見えないところは陰謀のせいにしていないか、それだけでもかなり情報の見え方が違ってくるはずです。

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2011年07月18日(月)

ネットで調べ物をするにあたって・追加~ネット情報の注意点~

テーマ:情報
ずっと更新をしておりませんでしたが、先日福島県在住の小児科医の方のブログのコメントに私の記事の一つがリンクされていたようなので、そのブログを拝見させて頂きました。

福島で暮らすということ~小児科医として思うこと

私は原発事故からしばらく原発関連の記事を書いておりましたが、1週間ほど過ぎたあと、これ以上爆発等によって放射性物質が更に飛散しない限り、冷静に対応されると思っていました。ところが飛散した放射性物質が増えたわけでもないのに、状況はどんどん大騒ぎになっていくばかりで、ネット上で福島県がまるで死の土地であるかのように言われてしまっています。
このブログではそう騒ぎ立てることがどういうことなのか、実際に福島県に在住している、しかも医療従事者の方の率直な思い、本当に現在の福島県が子供たちが皆避難しなければいけないような危機的な状況なのかが丁寧に述べられています。
本文だけでなく、コメントにも現在の20ミリシーベルト/年という暫定基準値について、他の専門家の方たちからの丁寧な説明があります。少々大変ですが、本文・コメント共に読まれることを是非オススメしたいと思います。

この記事のコメントで紹介されている私の記事は、3月に書いていた原発事故自体の記事ではありません。その1年前に書いた、「ネットで調べ物をするにあたって」の記事です。

この記事は、ジャンルを問わず調べ物をするときに気をつけることとして書いてありますので、今回の原発事故に関して調べるにも有効なものです。
今回はこれにもう2点注意点を付け加えようと思います。

・ネットで手に入る情報は別に特殊な情報ではない
 ネットだとマスコミや政府が隠している情報が手に入るようなというイメージがあるようですが、まずそんなことはありません。自分の知らない情報が多数に見えるのは、単に様々な人間が好きなことを書けるのがネットであり、それゆえにたくさんのデマも含めて、普段聞いたことのない話が出やすいからに過ぎません。
よく読んでいけば分かりますが、ショッキングな内容のようで、ほとんどは強引に推論を組み立てて確定的に断言しているか、その道の主流派でもない、ごく少数の誰かの書き写しに過ぎません。これらのソースを見ても、元を辿ればネットのどこかに書いてあったとかテレビ等マスコミからの話を元にしているだけがほとんどです。それも感情的になって、データの解釈の妥当性というものを考えたものというのは少ないです。
政府やマスコミの数値が信用できないという論調もありますが、ではその人はどこかから信用できる数値やデータを手に入れているのでしょうか?公表されたデータに対抗できるだけのデータを示して「信用できない」という主張ができないのなら、その主張は単なる感情的反発に発しているだけとみなすしかありません。
「政府やマスコミ・学会が信用できないから」というのは、この際切り分けなければいけません。その辺りの気持ちは理解できないこともないですが、それと数値・データ・解説が間違っているというのはイコールではないです。公表が信用できないからデータが間違っているというのなら、そもそもデータが存在しないことになりますから、評価自体が不可能です。つまり、その人にはその情報について、「信頼できない」という感情的反発しかないことになります。いくら難しい言葉を使おうが長い説明をしようが、根本的理由が感情的反発しかないのなら、その情報の信頼性は自ずから明らかです。
 
 なぜ、そのようなあやふやな情報に人が食いついてしまうのでしょうか?それは、「その情報がその人の主観に沿うもの」だからです。以前シオン賢者の議定書の記事
願望を満たすものを真実と勘違いする危険性を書きましたが、それは決して特殊例ではありません。願望だけでなく、いくら拭おうとしても拭えない不安・心配・苛立ちといった自分の感情に対して、それを真っ向から否定する科学的な解説より同じ感情を共有する人間の話に同調してしまったり、この世の中で何か自分に出来ることをしたい、何か意味があることをしているという思いが暴走して、一見単純で分かりやすい解答が出ているように見える、安易なネットの世論に加担してしまったりします。ネットで何かを書くというのは余りにも安易であるため、それがどのような影響を及ぼすのか、正確な情報の発信でなく自分の感情の同調者を募っているだけではないのか?と、一歩止まって考えることを忘れてしまいます。
時々、ネットで、1999年のノストラダムス騒動を忘れたかのようにアセンションだなんだと2012年の終末論を唱え、自分は人を救うために運動しているのだと悦に入り、そのおかしさを指摘する人を逆に見下すような人を見かけます。そして私は、何か道徳的に立派なことを言っているように見えるその人間とやりとりをして感じたのは自分を特別扱いしたがる愚かな選民思想とそれに同調してくれる人間を増やしたいという欲求だけであって、人格的に優れていたなどと感じたことは一度もありません。寧ろその正反対の印象しかありません。はっきり言えば、感情的な同調者・信奉者を増やしたいだけというのは、この手の人間とベクトルは同じなのです。
そういう例を特殊例と思わず、実はごく一般例であり、自分もそうなりうるという自省・自制を常に心がけなければ、ネット上でのそういういい加減な情報に巻き込まれてしまい、自分がおかしな情報の発信者になってしまう、ネットで情報を得るにはリスクもあるということを肝に銘じておかなければいけません。被害者になるだけでなく、中途半端に感情的に同じ話を広めてしまうと、自分が加害者になってしまいます。


・ネットでの情報発信は自分と同じく他者にも安易な行動である
 ネットは匿名で情報発信が可能な上、ブログやツイッターなど以前よりさらに情報を発信するための敷居が低くなったように見えます。そのため、つい大胆になってしまって、日記感覚・身近な友達感覚でとんでもないこと、普通人に言えないことを堂々と言ってしまうことがあります。最近、mixiの日記や、特にツイッターで、身元が分かる情報がネットで公開されているにも関わらず、飲酒運転やカンニングといった、普通でも人に言えないことを自分で告白した挙句に身元を特定されて自分の人生まで狂わせてしまう人がいますが、自分の交友関係くらいでしかネットを把握していない、普段匿名でいるために、自分が全世界に発信していることを忘れてしまうのでしょう。
 匿名というのは、私も含めて、普段言えないことを堂々と言えるという利点があります。ただ、それを勘違いすると、単に自分の好き嫌いで中傷やヘイトスピーチを発したり、それが誰かの願望に沿う内容であった場合、簡単にそれに同調する意見を表明してしまったりします。
 本当はネットで情報発信・意見表明することは、全世界に向けて言っているのであり、匿名だろうとなかろうと発信された情報が知らないところでリアクションを引き起こしてしまうという点では、情報発信者の役割はマスコミと何ら変わりがないのです。個人ならマスコミのように利益に結びつきにくいから信用できるというわけではありません。個人で考え、個人で自由に発信できるということは、それを第三者がチェック・セーブできる機能が欠けている、ということです。ですから、どんないい加減なことでも発信できるし、その結果、その発信された情報が誰かの願望に沿っていたり、リテラシーがない人がその情報に触れてしまった場合、思わぬ形で拡大されていってしまったりします。
 それゆえ、ネットで情報を当たるときも発信するときも、その情報の取り扱いは慎重に、また、自分の良識というものにすら頼らず、まず正しいかどうか、という冷静な調査・思考が必要です。


以上の2点は調べるだけでなく、自分が情報発信者である場合にも気をつけることです。自分は別だと特別扱いはできませんし、してはいけません。
こんなに難しく考える必要があるのかと思う人はいるでしょう。しかし、何度でも繰り返しますが、ネットという世界は「誰でも匿名で好き勝手言える世界」です。そういう世界で情報を得るにはそれ相応のリスクがあります。常に自分でそのリスクを意識していないと、誰かの感情の奔流、周りがやっていると流されてしまい、とんでもない行動の片棒を担いでしまいます。この世界は気づかずに暴走しても誰かが止めてくれる世界ではなく、全て自己責任なのです。そして少なくとも日本のネットでは発信者においても、情報リテラシーの能力が高い人は少数派でしょう。普段ネットの情報に無関心な人がいざ情報をネットから得ようとすると、何が正しいのか分からずに相反する情報の渦に溺れるだけなのです。そのような情報判別のスキルを持っていない人は、まず自分の主観に流されてしまいます。これは私も常に自戒していることです。ネットで情報は得やすいですが、その分高い情報リテラシー能力が要求されるのです。どんな分野でも好きな情報が簡単に得られるものではない、好きな情報・ほしい情報が正しいとは限らないという、ごく当然の事はネットでも当てはまるのです。

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2011年03月22日(火)

放射線について参考になりそうなリンクと私見

テーマ:ブログ

昨日今日と茨城の放射線に関して検索してこのブログを見た方が多かったようです。アクセス数が三桁にいったのは初めてでした。昨日の朝方に茨城モニタリングポストの値が急上昇したのが原因だと思うのですが、追記で書いたように、急上昇後したあとは、高いところでも大体1000ナノグレイ=1マイクロシーベルトに落ちていましたから問題はないと思います。


そこで、不安な方のために、放射線について、参考になりそうなサイトのリンクをもう二つ紹介しておきたいと思います



東京大学の緊急対策本部が3月19日に放射線対策について、より知ってもらうために作ったリンクページ
http://www.u-tokyo.ac.jp/public/AntiDisaster/kanrenjouhou.html
この中では医学部附属病院放射線科の中川恵一先生の解説が大いに参考になります。

NPO法人安心安全科学アカデミーの放射線に関する解説
http://homepage3.nifty.com/anshin-kagaku/anshin_level.html

これらの解説を見ると、症状が出る線量については、1000ミリシーベルト、500ミリシーベルトと見解は違いますが、1マイクロシーベルト程度ではもし1年間浴びても大丈夫であることがわかります。そして、少なくとも蓄積していくと危ないと思う人もいるかもしれませんが、中川先生は一気に浴びた場合と少量ずつ浴びた場合では全く違うことを指摘しています。少量ずつ浴びている場合、損傷したDNAが回復していくため、1マイクロシーベルト程度は何の問題もないとしています。


安心安全科学アカデミーでは、500ミリシーベルト以下では殆ど臨床的症例が出ないことを指摘していますが、念のために確実に安全と断言できる30ミリシーベルトから500ミリシーベルトを悪い影響が現れる「可能性がある」注意レベルとしています。この場合は中川先生のように線量率に触れていないのでよく分かりませんが、年間に500ミリシーベルト浴びるには、医療機関にかからない場合、マイクロシーベルト/毎時に直すと、

500ミリシーベルト=500000マイクロシーベルト÷365日÷24時間≒57マイクロシーベルト

と、なります。しかも、これは一年間、ひたすら屋外でこの線量を浴びた場合で、屋内では材質によりますが浴びる線量は少なくなります。これに、先日書いた150マイクロシーベルトが観測された地点に関して、専門家の方がDNAの修復作用を挙げて危険性が少ないことを断言していたことを考えると、危険値はもっと上がるでしょう。



それと、肝心なのは、現在風向きや地形、天候で放射線の値の上下が激しく、ずっと高い値ではないということ、現在の状態が1年も続かないということです。希望的観測かもしれませんが、第一原発の封じ込めが成功すれば、放射線の放出はそこで止まり、空気中の放射性物質は拡散していくであろうということです。土壌・海洋汚染については、これからまだ大量のデータをとる必要があるでしょう。
しかし、今現在の大気中の放射線値は、福島県のほとんども含めて問題はないし、放射線を恐れて援助物質も送られない、福島県の被災者の宿泊拒否などというのは言語道断で、単なる風評被害、福島県民差別に過ぎません。
屋内退避地区でもほとんどの地域は問題のない放射線量で推移していましたから、それが周知されていれば、病院や老人ホームで入院患者、入所者が物資困難で危険な目に会うこともなかったと思います


以上の内容は、専門外で付け焼刃の私の考察ですので(ただ、現在問題がないことは政府、文部科学省、各市町村、放射線に関する各関係機関、NHKのような報道で訴え続けています。)、修正の必要がある場合、指摘をお願いしたいと思います



追記
大分県立看護科学大学においても放射線についての説明をし、安全であることを訴えています。
http://www.oita-nhs.ac.jp/rad/post_1.html

ここで注目すべき記述は、今回の屋内退避・避難措置は、原発に「万が一」の事態が起こった場合に備え、早期に安全性を優先して、かなりの余裕を取られた措置であることを述べてあることです。事故の当初からそれは言われていたことであるのに、忘れている人が多すぎます。本来のマニュアルでは、10~50ミリシーベルト、つまり1万~5万マイクロシーベルトで屋内避難勧告が出されるのを考えれば、現在の状況が少しは分かると思います。



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2011年03月20日(日)

福島の原発事故を心配している方たちの為のリンク

テーマ:ブログ
原発の事故以来、付け焼刃で必死に情報収集・分析を行ってきましたが(実はこのブログに出している他にも、デマの元になりそうな情報に関して、リアルで問い合わせなどを行っていた所もあります。)、ちょっと体力・精神力・専門知識の不足できつくなってきたので、不安な方たちに対して、有用そうなサイトのリンクを貼っておきます。

MIT研究者Dr. Josef Oehmenによる福島第一原発事故解説にMIT(マサチューセッツ工科大学)の有志が修正を施した解説です。
http://d.hatena.ne.jp/arc_at_dmz/20110316/fukushima_nc_power_plants


サイエンスメディアセンターで各研究者の見解が載せられています。
http://smc-japan.sakura.ne.jp/

同じくサイエンスメディアセンターの一般向けQ&A
http://smc-japan.sakura.ne.jp/?p=956


作家・田口ランディ氏のブログ
http://runday.exblog.jp/16073824/


現在、積極的にネットで発言し影響を与えている広瀬隆氏の発言について、東北大学名誉教授の北村正晴氏がその発言の問題点を指摘した記事
http://getnews.jp/archives/105404

同じく北村晴彦名誉教授の退避にかんする見解
http://getnews.jp/archives/105218

有志による、各地の放射線監視モニタのまとめ
http://pow-source.com/311/

東大病院放射線治療チームのツイート。牛乳から放射線が検出された問題についても触れています。
http://twitter.com/#!/team_nakagawa

とりあえずで探しましたが、いずれも参考になると思います。原発事故による放射線を無意味に恐れる人たちは上記のサイトなどを是非参照してください。質問を受け付けてくれているところもありますので。

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2011年03月18日(金)

福島の放射線について

テーマ:ブログ

16日のニュースによると、第一原発周辺の20~30キロ圏内の約20キロ地点で330マイクロシーベルトの放射線が測定されたと文部科学省が発表しました


少し出遅れましたが、これを元に危険だとネットで大きな反響があったようなので、書いておきます。
まず、第一原子力発電所の周辺の地図を出しておきます。


$暇人の部屋-発電所周辺

直線を引いてありますが、赤い直線が大体20キロの長さ、黄色い直線が30キロの長さですので、この直線を囲む円が退避・避難圏内です。


そして、330マイクロシーベルト放射線が測定された昼曽根トンネル付近とは、ここです。赤い丸で囲ってあります。


$暇人の部屋-発電所周辺2
浪江町の市街地から外れた大分山奥の地点です。町の中心付近は既に避難地域です。



では、この日の他の屋内退避地域の放射線量はどうだったのでしょう?この日のデータは福島県庁がサイトで公開しています
このデータによると、約24キロ地点の南相馬合庁の測定値は大体4.0マイクロシーベルト前後で推移し、翌日までに3.5前後まで数値が落ちています。
さらに、約22キロ地点の川内村役場では2.0マイクロシーベルトを切っています。
屋内退避地点からはもっと離れているのに、ずっと高い飯舘村役場のような地帯がありますが、福島県庁は安全だとしています。


結局、屋内退避地区と言ってもかなりの差があるのです。先日書いたように現在のところ放射性物質は風に乗って流されてきます。つまり、風の向き、さらに風が地形の影響を受けるため、地点により測定値に大きくズレがあるのです。素人ですが、見てみると現在山側が高いようですから、そこに空気の流れに関係する要因があるのでしょう。


ですから、報道では様々な要因が重なって極めて高くなってしまったと考えられる地点を大きく取り上げてしまったのだと思われます。文部科学省は他の地点のデータも観測しているはずですが、文部科学省のサイトの報道更新からはどこを観測していたのか分かりませんでした。


今日、このブログを書こうと思ったのは、ここ数日、屋内退避圏内の被災者の方たちが満足な援助を得られないことをNHKニュースで見ていたからです。あくまでも「屋内退避圏」であるのに、放射能汚染地域のように勘違いされて、援助物質を積んだトラックまで足を踏み入れようとしない現実を
屋内退避圏にいわき市の極一部が入っていますが、たったこれだけでも、いわき市全体までこの風評被害にあっているそうです。先日、mixiの日記で福島放射線値を積極的に公開して安全を呼びかけていた方が、テレビで東京の人たちが「放射線が怖い」などとカッパを買っているのに怒りを爆発させていました。それに私も共感します。
さらに、この330マイクロシーベルトの値を元にネットで余計に危険を煽っている人たちもいます。


さすがにこれは、私は声を大にしていいたいです。

福島の人たちは、地震に津波に放射線と立て続けに恐ろしい目に会った挙句に、風評被害まで受けなければいけないのですか?

政府がどうとか言う言葉もありますが、福島県庁以下地方自治体では測定機材をなんとか調達して、積極的に放射線値を公開し、住民の人たちの相談に乗り、安心させ、必死に住民の方たちを護ろうとしてるんです。



無責任に放射線の測定値を解釈して東京の不安を煽ること、そしてそれに乗ることが福島の被災者の方たちの命まで奪いかねないのです。
このブログを読まれた方は、ネットの風評・噂に踊らされずに、そのようなものを見たとき自分で立ち止まって、踊った結果が何を招くのか、ちょっとでも考えてみてください。





3月19日6時追記

昨夜、文部科学省から30キロ地点付近で150マイクロシーベルトの値が観測されたという発表がありましたが、この値について、NHKで慈恵医大の被曝治療の専門家の方(名前は失念しました)が、
「150マイクロシーベルトは高い値だが、徐々に放射線を受ける場合、DNAは損傷すると同時に修復していく働きもあり、屋内では放射線は10分の1に減衰される。1ヶ月の積算値が10万マイクロシーベルトになっても、この場合は心配する必要がない」というようなことを断言されていました。
どうか、一時的に高い値、積算すると大きい値になると言っても、不安にならないようにお願いします。



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2011年03月16日(水)

モニタリングポストの放射線について

テーマ:ブログ

3月21日追記:本日、何故か「茨城 モニタリングポスト」といったキーワードでこのページを検索してくる方が多いようです。茨城のモニタリングポストを見ると今朝の明け方に急上昇していたようなので、これが理由だとしたら、以下の文章は有用だと思われます。ちなみに現在の茨城の放射線測定値は、明け方のピークを過ぎた後に急激に減少しており、最大でも1マイクロシーベルト程度ですので人体に害を与えるような状況ではないと思われます。不安な方は茨城県のホームページ等、自治体の発表を信頼してくださるよう、お願いします。
ほうれん草や牛乳のニュースを見ても、国・自治体がきちんと情報開示をしていることはお分かりと思います。



福島の原発の騒ぎ以降、デマの拡散が予想されたので、ここ数日、自分がデマに踊らされないよう、テレビとネットを見比べながら、必死で当座必要と思われる知識を叩き込んでました。


それで、昨日、茨城・東京で放射線が確認されたという報道がありましたが、この報道の前、すでにネットではこれを元に午前中から東京から逃げろだの、デマが流れていたようです。


実は各地の放射線は、モニタリングポストという機器で観測されており、これはネットで数値の確認ができます。福島の第一・第二原発は残念ながらモニタリングポストが死んでしまっていますが、第一原発の北方の女川原発、それと東海村のある茨城各地のモニタリングポストは観測可能です。


私は早朝から、この両サイトで放射線量を観察してたのですが、ちょうどこの時間に茨城の幾つかのモニタリングポストの値が数千の値に跳ね上がっており、これまでの数十~数百倍の値を示していました
このときに同時に2ちゃんで専門の人間が冷静に現状分析を行っているスレッドで様子を見ていたのですが、このスレッドにこの茨城の急激な上昇についての質問が出回りました。
どうも、2ちゃんのどこかで騒ぎになっていたらしく、茨城のサイトにはアクセス集中、こちらが中々見ることもできなくなってしまいました。そうこうするうちにその中に関東がやばいだの煽りが混じり始めて、収拾付かない自体、スレ荒れ放題という流れになってました。
もともとのスレの住人たちはその数値は全く問題ないと言って、話題にも上げなかったのが不満だったようですが、これにはちゃんとした理由がありました。


いきなり数千に跳ね上がったら、誰でも驚くとは思いますが、テレビで報道していた放射線量の単位はマイクロシーベルトという単位です。もし、数千マイクロシーベルトだと、数ミリシーベルトとなり、注意が必要な値です。ただ、茨城・女川のモニタリングポストで使っている単位は違う単位なのです。


モニタリングポストの単位はnGy(ナノグレイ)」という単位です。厳密には違いますが、我々のような素人レベルなら1シーベルト=1グレイ程度で考えても構いません。


そして、1ナノグレイは大体1ナノシーベルトに相当します。そして、この1ナノシーベルトというのは、テレビで使っている、1マイクロシーベルトの千分の一という小さな単位なのです。
ですから、数千ナノグレイというのは、マイクロシーベルトに換算すると、たった数マイクロシーベルトなのです。これは大体5マイクロシーベルトくらいまでなると報告義務が生じますが、それでも人体への影響は全く無視して構わない数値です。このマイクロシーベルトの上がミリシーベルトで、1000マイクロシーベルト=1ミリシーベルトです。そして、1ミリシーベルトが人体が一年間に被ばくする許容量ですから、注意が必要になってきます。
ですから、もし茨城、女川の数値が危険と判断できそうな急上昇は、大体数百マイクロシーベルト、ナノグレイで言えば、数十万ナノグレイという、とんでもなく大きな数字になった場合くらいです。
私がモニタリングポストのサイトに繋がらなくなったのは、多分パニックを起こした人たちのアクセスが集中したせいだと思いますが、そこまで読み取っていた人は少なかったのでしょう。この間にかなりのデマが広がり、どうも東京を逃げ出した人までいた気配がありました。
茨城といえば、東海村がありますから、余計に注目が集まったでしょうが、私が見ていた限り、線量のピークは茨城北部から、段々南下して東海村付近に移動していました。ですから、私はこれは、福島から風に乗ってきたもので、そのうち拡散するだろうと判断してたのですが、夕方からの報道にまで取り上げられたのを見ると、余程の大騒ぎになっていたのでしょう。私の判断は付け焼刃の素人判断でしたから、無責任にブログに書けなかったのですが、今日のNHKで同様の解説を行ってましたから、大丈夫だろうと、今日書いておくことにしました。


不安の余り、自分で情報を収集しようとモニタリングポストなどをチェックするのはそれはそれで有意義だとは思いますが、きちんとデータを読み取らないと、パニックを起こすことになります。全くど素人の私が偉そうに言える立場ではありませんが、私もそのデータを読み取るために、それ以前にかなりの予備知識を収拾していましたし、前日に北から南に風が流れる天候予測も調べてありました。


とくにこのような大災害の場合、本当に情報をきちんと収集して裏取り、考察をしないと、デマの原因となります。デマだけならまだしも、集団パニックになってしまったら大変です。条件反射で拾った情報を拡散せずにするのが肝要です。
とにかく、値が跳ね上がったように見えても、その数値の単位には注意してください。




あと、蛇足ですが、幾つかみたブログの中に、被災地のために献血を呼びかけるものがありました。献血には注意が必要で、一回献血すると、2~4週間は次の献血ができませんし、献血された血液は保存期間は極めて短いものです。ですから、大量の人が一気に献血をしてしまうと、その善意のかなりの部分が廃棄処分になり、本当に足りなくなった時に献血を呼びかけても、献血をして貢献したいという人がすでに献血済みですぐに応じられなくなって結局血液が足りなくなってしまう可能性が高いです。
献血で貢献したいという方たちはせめて何人かは今は献血しないのが貢献だと、ぐっと我慢する勇気も必要です。



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