月刊誌『祖国と青年』応援ブログ

連載「憲法の時間です!」(旧「ニュースの時間です!」)で活躍中の青木協子とその仲間たちが、『祖国と青年』や日本協議会・日本青年協議会の活動を紹介します!
(日本協議会・日本青年協議会の公式見解ではありません。)

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 安倍首相の5月3日の発言以降、賛否を問わず、憲法改正に向けた対応が加速した感があります。

 

 そのような今の状況に際し、今一度振り返っておきたいのが、自民党結党時、つまり岸信介の時代における憲法改正の動きです。あの時代に何が問われたかを知ることは、「なぜ今憲法改正なのか」を考える上で非常に重要な意味を持っていると思います。

 

 以下、「祖国と青年」昨年6月号の鈴木編集長の論文から、2回に分けてご紹介します。

 

 


 憲法改正を掲げて戦った昭和三十年の選挙

 

 憲法改正に関連して戦後政治史が語られる時、必ず言われるのが、「自由党と民主党が保守合同で自由民主党を結党し、憲法改正を目指したが、選挙で三分の二にわずかに届かなかった」「安倍総理の祖父・岸信介の悲願が憲法改正であった」ということである。逆に言えば、七十年にわたる戦後政治史において、憲法改正が正面から語られたことは、自民党結党時、あるいは岸信介の時代(両者は同じ意味だが)以外に一度もない、ということである。では、なぜ憲法改正という国の根幹に関わる問題が戦後政治において一切語られず、この時にのみ語られたのであろうか。


 まず、「憲法改正を争点にして、わずかに三分の二に届かなかった」というのは、昭和三十年二月二十七日の総選挙(衆院選)である。選挙の結果、定数四六七の議席の内訳は次のようになった。


 民主一八五・自由一一二・左社八九・右社六七・
 労農四・共産二・諸派二・無所属六

 

 民主党と自由党の議席を足すと二九七で、三分の二の三一二議席に一五足りない。一方、左派社会党と右派社会党の議席を足すと一五六で、ちょうど三分の一の議席となる。ここにおいて、自民党が三分の二弱、社会党が三分の一強を占めるという、いわゆる「五五年体制」が確立することになる。ちなみに、自民党の結党はこの年の十一月、社会党が再統一したのは同じく十月である。


 この昭和三十年二月の総選挙がどのような意味を持っていたかは、その前の選挙結果(昭和二十八年四月)と比較すれば明瞭となる。

 

 自由一九九・改進七六・分自三五・左社七二・
 右社六六・労農五・共産一・諸派一・無所属二


 実は、昭和三十年二月の選挙は、いわゆる「自民党と社会党の対決」ではなかった。自由党(吉田茂)が大きく票を減らし、改進党(重光葵)・分派自由党(鳩山一郎)・自由党の一部が合流した民主党(鳩山一郎)が大勝したという、「民主党と自由党の対決」だったのである。そしてその後、民主党が主導する形で自民党が結党されたわけだが、これら一連の「保守合同」を画策した中心人物が、当時民主党幹事長だった岸信介である。

 

 独立回復三年後に問われた国家の路線

 

 自由党の吉田茂といえば、敗戦後の厳しい占領期における政治の、そのほとんどを一手に担い、講和条約発効にまでこぎつけた大政治家である。岸信介らは、その吉田となぜ戦おうとしたのか。


 サンフランシスコ講和条約が発効し、日本が独立を回復したのは昭和二十七年四月二十八日である。昭和三十年二月の選挙は、この主権回復から三年後に行われた、というところに重要な意味がある。


 吉田政治の路線は、遠藤浩一氏によれば「一九四六年憲法墨守、親米(従米)半独立、軽武装経済復興至上主義」であった(『政権交代のまぼろし』)。これは、被占領国の路線としては妥当と言わざるを得ないが、当時の吉田首相は独立回復後もこの路線を堅持しようとした。


 一方で、戦時中に外相を務めた重光葵、商工相を務めた岸信介など、戦前の国家の中枢を担った者たちは、占領中は「戦犯」として身柄を拘束されるか、そうでなくても公職追放令によって政治から遠ざけられていた。例えば、重光、岸は「A級戦犯」として逮捕されているし(重光は禁固刑、岸は不起訴)、鳩山一郎、石橋湛山なども公職追放を受けている。


 そうした人々が、独立回復を期に次々と政界に復帰したのであった。重光、岸らは、吉田の「半独立、軽武装」路線に異を唱え、「自主独立」路線を打ち出した。自主独立のためには、憲法改正も再軍備も必要である。重光、岸らはこの時、憲法改正の是非を単独で問うたのではなく、「自主独立」という国家の大きな方向性を打ち出し、その下に憲法改正を訴えたのである。


 このようにして、昭和三十年二月の選挙は、独立回復後の日本の、国家としての大きな方向性を問うものとなった。このまま「半独立」の占領政治を続けるのか、それとも「真の独立」を目指すのか。その結果、国民は「真の独立」を目指すことを選んだ――それがこの選挙の意味であった。


 総選挙で大勝した岸らは、その余勢を駆って保守合同を成し遂げ、自民党の政綱には「現行憲法の自主的改正をはかり」と明記されることになった。


 なお、昭和三十年二月の選挙で大きく議席を伸ばしたのは民主党だけではなかった。「憲法改正によって再軍備が行われる」という危機感から、左派社会党が一七議席も増やしている。そして、社会党の再統一は、左派社会党が主導する形で行われたのである。憲法改正が正面から語られると、その反動で反対派もある程度勢力を伸ばすのは、いつの時代も同じことである。

 

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 今日は楠公祭、楠木正成公が湊川の戦いで壮烈な最期を遂げられた日です。

 

 大楠公を偲ぶよすがとして、「祖国と青年」平成27年8月号の連載「後醍醐天皇と吉野」より、上野竜太朗さんが書かれた「後醍醐天皇と楠木正成」をご紹介します。

 

 

■笠置山での出会いと千早城の戦い


 後醍醐天皇の即位された時代は、外からの蒙古来襲による国の疲弊、国内では、皇室の「両統迭立」、武家社会の骨肉合い咬む闘争、宗教界の争いなど分裂と対立が絶えない時代であった。


  後醍醐天皇は、平安時代の醍醐天皇の御代を理想とされ、「承久の変」以来の皇室の衰微を憂えられ、天皇親政を目指し、鎌倉幕府の打倒に立ち上がられた。その後醍醐天皇のご理想に親王方も奮い立ち、臣下とともに奮闘されたのが建武中興の時代である。


 我が国は、国が分裂や崩壊の危機に瀕した時、天皇が日本のあるべき姿を示され、臣下がその天皇のご理想の実現に努め、国を再生してきた。日本の道義ある治世を目指された後醍醐天皇と親王方、臣下の絆は、日本の正道を示すものである。今回は、後醍醐天皇と忠臣・楠木正成公の「日本の理想を示された天皇と奉答申し上げた臣下の姿」に迫っていきたい。


 後醍醐天皇と楠木正成公を語る上で欠かせないのが、笠置山での有名な場面だ。元弘元年(一三三一)、後醍醐天皇は、二度目の討幕計画を慎重に進められるが、一度目に続きその計画も幕府の知るところとなり、鎌倉幕府は大軍を京都に差し向ける。後醍醐天皇は、わずかな臣下と共に御所を脱出され、京都の笠置山に行幸される。失意の中にあられた後醍醐天皇はある夜、大きな常盤木の南側の枝が見事に栄え、その木の下に南へ向いた御座がしつらえてあるという夢をご覧になった。後醍醐天皇は、木に南と書くのは「楠」であるとして、河内国の武士であった楠多聞兵衛正成を召され、楠木正成公は笠置山に馳せ参じたのであった。


 その際、後醍醐天皇は正成公に「如何なる謀を回らしてか、勝つ事を一時に決して、太平を四海に致さるべき」(いかなる計画をもって、戦いに勝利し、天下を安らかに治めることができるだろうか)とお尋ねになられた。この「太平を四海に致さるべき」というお言葉より、太平を四海に致すのが後醍醐天皇の深い祈りであることが拝察される。その祈りは、後醍醐天皇の次の御製にも表れている。


世治まり民やすかれと祈るこそわが身に尽きぬ思ひなりけれ


 「祈るこそ」というお言葉からは、国と民の安寧を理想とされ、祈りを捧げずにはおれないとの切なるご姿勢が拝される。


 先のご下問に対して正成公は、「合戦の習ひにて候へば、一旦の勝負をば必ずしも御覧ぜらるべからず。正成一人未だ生きて有りと聞こしめされ候はば、聖運つひに開かるべしとおぼしめされ候へ」と奉答された。自らの身を顧みず国民を思われる君に対して、正成一人いるならば、必ずやその理想を実現せしめるという強い決意、覚悟の想いを奏上された。


 その後、楠木正成公は、河内国赤坂・千早で挙兵し、押し寄せる幕府軍と戦われた。その間、後醍醐天皇が幕府の兵に捕えられ、隠岐の島に配流の身となられる。他の臣下も次々に捕えられ、後醍醐天皇の目指された理想もここで潰えてしまうかに見えた。


 しかし、この状況を打開したのが、楠木正成公であった。正成公は、幕府の大軍に攻めたてられ、赤坂城から千早城に移る。幕府軍は、四方八方から千早城を攻めたてるが、急峻な千早城の地形を活用し、智謀に富んだ作戦を用いた正成公の戦略に攻めあぐね、半年経っても千早城を落とすことはできなかった。この事は、鎌倉幕府の威信を大きく傷つけ、この間に天皇方に呼応して挙兵する武士たちが次々に現れてきた。そして、京都では足利高氏が天皇方に寝返って六波羅探題を滅ぼし、関東では新田義貞が鎌倉を攻めたてて、ついに元弘三年(一三三三)、鎌倉幕府は滅亡した。


 私は先日、この千早城を訪れた。まさに「自然の要塞」である千早城の急峻な山肌を見ながら登ると、正成公の戦いの様が甦ってきた。当日は風が強く、うっそうと生えた木々たちが風に揺れるたびに響くざわめきのような音は、まるで千早城を取り囲む幕府軍の鬨の声のように感じられた。この小さな山城で半年もの間、幕府軍を釘付けにした楠木正成公の心中をお偲びすると、隠岐に流された後醍醐天皇に申し上げた「正成一人」のお言葉が迫ってきた。千早城は最後の砦であり、自らが倒れれば後醍醐天皇の理想も潰えてしまうという想いが、千早城を最後まで守り抜かれた正成公を支えていたのだと思う。


  幕府打倒の報を受けた後醍醐天皇は、隠岐より京都へ還幸される途中、兵庫にて正成公と対面される。先に正成公が笠置山にはせ参じた際は、後醍醐天皇の御簾は下がっていたが、この時は御簾を高く捲かせられ、「大義早速の功、ひとへになんぢが忠戦にあり」と直接正成公の功績を称えられた。これに対して正成公は畏まって「これ君の聖文・神武の徳に依らずんば、微臣いかでか尺寸の謀を以て強敵の囲みを出づべく候はんや」(文武両道に秀でられた天皇様の御徳あってのこその成功であり、私如きの一微臣の及ぶところではございません)と奉答したのである。


 隠岐に流されても、理想実現の為に祈り続けられた後醍醐天皇と、大君の理想に命を賭してお応えした正成公の御姿に、日本の「君と臣の美しい姿」が感じられる。


■櫻井の別れと天皇御守護の責任感


 楠木正成公の後醍醐天皇の忠義を考えるうえで、正成公がその子正行公に父としての願いを託す「櫻井の別れ」の場面は重要だと思う。鎌倉幕府が滅亡して建武の中興は一度は成ったものの、武士の不満を巧みに利用した足利高氏が反旗を翻したために数年で瓦解。後醍醐天皇は、楠木正成公や新田義貞に足利高氏討伐を命ぜられ、再び世は戦乱へと突入する。


 正成公は、湊川に赴く事となり、その途中、櫻井にて幼い息子の正行公を河内国に帰そうとする。正行公は頑として自らも合戦に参加しようとするが、正成公は、たとえ足利の世になろうとも、忠義を失わず、楠木一族が亡びるまで天皇をお守りするのだという強烈な願いを託し、正行公を故郷へと帰した。そして湊川に赴かれ、壮絶な戦いを繰り広げ、「七生報国」の決意と共に討死されたのである。


 この楠公父子の別れの場面について、葦津珍彦氏は、「あの純情な大楠公が嗣子正行を櫻井の駅から河内へ帰された。それは説明するまでもなく、自分が生きて(至尊御守護)の大責任を果し得ざる事を知りその子をして責任を継承せんがためであつた。楠公の心境はただ一族郎党打連れて、櫻花の如くに、美しく散りさへすれば、武士が立つといふ様な淡々たる者ではなかつた。天下の大勢如何にならうとも、天の命数如何に相成らうとも、石に噛りついてもこの大責任を果たさねばならぬと思つた」(『論集』原文正字)と述べる。自らの死を見通したうえで、後醍醐天皇をお守りする大責任を正行公に継承しなければならぬとの信念に、大楠公の忠義の深さを見る思いがする。


 正成公の首塚は、河内の観心寺に今も祀られている。首が足利方より返されたとき、正行公は激情のあまり切腹しようとされるが、それを涙ながらに留めたのは正行公の御母堂だった。「(正成公は)今一度軍を起し、御敵を滅ぼして、君を御代にも立てまゐらせよと言ひ置きしところなり。その遺言つぶさに聞きて、われにも語りし者が、いつの程に忘れけるぞや」という母の言葉に、正行公は大君に仕えて朝敵を倒す一事を心に刻んで成長していかれる。正行公を始め、楠木一族の先人方は、正成公の首塚にその「信念」を感じつつ、正成公に続かんとの想いで戦いに赴かれたのではないだろうか。


■後村上天皇と楠木正行公


 その後、後醍醐天皇は吉野に潜幸され、吉野から再び京都への帰還を遂げようとされるが、延元四年(一三三九)ついに崩御される。後醍醐天皇のご遺志は、その皇子である後村上天皇に受け継がれていく。


 そして、室町幕府の高師直が南朝を攻めた時、それを阻止しようと出陣した楠木正行公が、後村上天皇のおられる吉野に参内される。正行公は「私の父正成は、先帝後醍醐天皇をお守りする為に湊川で討死いたしました。その時幼かった私も成人に達しました。今度こそ懸命に戦わねば父の命に背くことになります。師直の首を取るか、わが首を敵に取られるかの覚悟を決めて、生あるうちに今一度お目にかかりたく参内いたしました」と鎧の袖を涙に濡らしながら申し上げた。


 後村上天皇は、「これまでの戦いは見事なものであったが、今度の合戦は敵も総力をあげて攻めて来ると聞く。天下の安否がかかっているが、進むも退くも機に応じて戦うのが勇士というもの、私はお前たちをかけがえのない臣だと思い信頼している。慎んで命を全うしてほしい」とお述べになった。「天朝に仕えよ」という亡き父の遺志そのままに戦いに赴く楠木正行公と、臣下を想う後村上天皇の御姿に、君と臣の深い絆が感じられる。


 正行公は、如意輪寺に「かへらじとかねておもへば梓弓なき数に入る名をぞとどむる」と刻んで吉野を後にし、大阪・四条畷にて討死したのであった。如意輪寺では今も、正行公が矢じりでこの辞世を刻んだ扉が残っている。

 

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 「祖国と青年」5月号に、内閣法制局が昨年9月にまとめた『憲法関係答弁例集(第9条・憲法解釈関係)』が、書籍として刊行された(内外出版/本体二千八百円)ことの記事があります。

 

 その中で、憲法9条、自衛隊の位置づけに関する政府解釈がまとめられています。憲法9条を論ずるに当たっての基礎認識になると思いますので、以下、その箇所をご紹介します。

 

 

 改めて憲法九条を掲げると、次の通りである。


第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。


②  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


 いわゆる「戦争放棄」と呼ばれる条項である。学界では「自衛隊は違憲」とする解釈が今も主流を占めているが、政府は「自衛権は否定されていない、よって自衛隊も認められる」という解釈に立つ。


 そのような憲法九条の政府解釈は、憲法第九条第二項の「前項の目的を達するため」という語句について述べられた次の文章によく表れている。


「憲法九条第二項の『前項の目的を達するため』を同条第一項の『国際紛争を解決する手段としては』という言葉に結び付けて解する見解もあるが、この解釈は、結論として自衛のためであれば戦力も保持できるということを主張するものであるから、政府の採るところではない。また、『正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し』という言葉だけに結び付ける説は、第一項では全ての武力行使が否定されなくても、第二項で全ての実力の保持が禁じられているという説に結び付くようであるが、これも政府の説と異なるものである。


 政府は、従来から一貫して、第九条第一項全体の趣旨、すなわち、第一項では自衛権は否定されておらず、したがって自衛のための必要最小限度の武力行使は認められるということを第二項において『前項の目的を達するため』で受けていると解している」


 ここで注目すべきは、「自衛権は否定されておらず、したがって自衛のための必要最小限度の武力行使は認められる」としながらも、「自衛のためであれば戦力も保持できる」という説は「政府の採るところではない」としていることである。


 「自衛のための武力行使」は認められるが「自衛のための戦力」は認められないとは、どういうことなのか。自衛隊に関する項目には次のように記されている。


「同条第二項は、『戦力の保持』を禁止しているが、自衛権の行使を裏付ける自衛のための必要最小限度の実力を保持することまでも禁止する趣旨のものではなく、この限度を超える実力を保持することを禁止するものである。


 我が国を防衛するための必要最小限度の実力組織としての自衛隊は、憲法に違反するものではない」


 つまり、自衛隊は「戦力」ではなく「実力」である、というのである。


 西氏が解説で指摘しているように、憲法の成立過程を検証すれば、九条は自衛戦争を否定していない、すなわち「自衛のためであれば戦力も保持できる」と解釈するのが妥当である。


 ところが政府解釈は「自衛のためであっても戦力は保持できない」とし、自衛隊は「戦力」ではなく「実力」と言っているのである。「自衛隊は違憲」とする解釈よりましとは言え、「自衛隊は戦力ではない」という建前が、現実の自衛隊を著しく縛っていることは言うまでもない。

 

 

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 今日、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案」が閣議決定されました。

 今国会で成立する見通しです。

 

 報道によりますと、新天皇の即位は来年12月下旬になるそうです。陛下のお誕生日に合わせるという考えでしょうか。

 

 また、新しい元号については来年夏に公表する予定だそうです。

 

 なんだか、あれよ、あれよといううちに譲位の手続きがどんどん進んでいって、心がついていかない感じもします。陛下も来年12月には85歳になられるのだから、「急がなければ」というのは分かるのですが、一方で「平成の御代がこのままずっと続いてくれれば…」という感慨も拭うことができません。

 

 両陛下にゆっくりお休みいただきたいという気持ちと、両陛下が一線を退かれて親しく国民と接せられなくなる寂しさと――。

 

 いずれにしても、200年ぶりの譲位という、わが国の歴史においても重大な出来事なので、何か政治的な手続きだけが着々と進んで、気が付いたら御代が替わっていた、などという迎え方だけはしたくありません。

 

 そのために、私たちは今何に思いを致すべきなのでしょうか。

 

 憲法改正運動や日々の仕事の忙しさの中でも、しっかりと考えていきたいものです。

 

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 「祖国と青年」5月号では、第3回TOKYO憲法トークライブの模様をダイジェストで紹介しています。

その中で、憲法九条によってどのように自衛隊が縛られているのか、元自衛官、予備自衛官の立場から語られている箇所がありますので、以下、ご紹介します。

 

 

佐波 川端さんは元自衛官ということですが、陸・海・空のどちらにいらっしゃったのですか?


川端 陸自です。CH-47(輸送ヘリコプター)の整備で、後方支援部隊にいました。


佐波 自衛隊に勤務されている中で、憲法九条によって自衛隊の手足が縛られていると感じた事例などはありますか?


川端 ものすごくありますよ。自衛隊は「専守防衛」と言われますが、皆さん「専守防衛」という言葉にどういうイメージを持っていますか? いいイメージですか? 悪いイメージですか?


諌山 私は「専守防衛」には、とてもいいイメージがありました。というのも、「図書館戦争」という岡田准一クン主演の映画があって、「守るために戦う」「自分からは攻撃しない」「あえて一発を甘んじて受ける」――というのが、とてもカッコよく描かれているんですね。岡田クンもカッコいいですし。それで、「専守防衛」をすごくいいイメージで捉えていました。


 でも、航空自衛隊の元戦闘機パイロットの方のお話を聞いて、そのイメージは変わりました。その方がおっしゃったのは、スクランブル発進は必ず二機で行くんだそうです。「日本は専守防衛だから先に攻撃ができない。向こうから攻撃されてやっと攻撃ができる。だから二機で行くんだ」と。どちらか一機は攻撃されることを覚悟して飛び立っていかれるわけです。


 そのことを考えると、「専守防衛」というのは机上の空論だと思いますし、現場ではそういう危険と戦っている方々がいるということを、私たちはもっと自覚しないといけないと思います。


川端 佐波さんも、予備自衛官として危機感を感じたことなどあると思いますが、どうですか?


佐波 そうですね。予備自衛官の訓練では、実際の現場を想定した訓練も行うのですが、例えば、敵国が攻めてきた時に、常備の自衛官の方々は駐屯地を離れてしまうので、予備自衛官が駐屯地警備をするという想定で訓練をすることがあります。


 それで、駐屯地警備中に敵が入ってきたらどうするかという訓練も行うのですが、敵が銃を持っていても、私たちはすぐに相手に銃口を向けることができないんです。相手が撃ってきて初めてこちらも撃てるのですが、一発目は手のひらとか足の甲とかに撃って、それでも撃ってきたら相手に致命傷を負わせる部位に撃つとか…。


川端 どれだけの命中率だ、っていう話ですね。


佐波 訓練では教官が敵役をやってくださるんですけど、「これが実戦だったら絶対死んでるな…」という思いでやっています。


 どうして自衛隊にはこんなに縛りがあるのかといいますと、「警察官職務執行法」第七条に基づいて行われることが多いからなんです。


川端 同法の第七条には「警察官は、犯人の逮捕若しくは逃走の防止、自己若しくは他人に対する防護又は公務執行に対する抵抗の抑止のため必要であると認める相当な理由のある場合においては、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度において、武器を使用することができる」とあります。


佐波 つまり、これは警察官から逃げようとしている犯人を想定した条文で、敵が駐屯地に入ろうとする状況とは全く違うわけです。警察官のための法律で対応しなければならないのが、今の自衛官が置かれている現状なのです。

 

 

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 「祖国と青年」5月号の巻頭言は、「憲法九条に関する世論の動向」と題して、大葉勢清英さんが書かれていますので、以下、ご紹介します。

 


 改憲・九条改正をめぐる国民世論の変化

 

 四月十五・十六日にFNNが行った世論調査では、憲法改正に賛成か、反対かの設問に対し、賛成は五二・九%、反対は三九・五%と賛成が大きく上回った。さらにその賛成派に、九条改正に賛成か、反対かを質問したところ、賛成は五六・三%、反対は三八・四%と九条改正賛成が過半数を超えた。


 昨年の五月三日前後の各社の世論調査では、改憲反対が賛成を上回るデーターが多かったが、一年が経ち、憲法改正に賛同する層が増えるとともに、改憲テーマとして圧倒的多数とはいえないまでも、憲法九条改正についても国民の関心が高まりつつある。


 この一年、北朝鮮の核開発の進展と度重なるミサイル発射実験、中国の尖閣諸島海域を含む東シナ海・南シナ海への軍事的進出など東アジア情勢は緊迫化し、さらにアメリカのトランプ政権誕生により、アジアの大国としての責任が日本に一層強く求められるようになった。このような世界の現実を見て、憲法九条を守れば日本は平和であるという従来の護憲派の主張は全くの幻想であることに国民は気づき始めている。


 外務省が三月十五日に発表した「外交に関する国内世論調査」によれば、「近年、東アジア地域を取り巻く安全保障環境は一層厳しさを増していると考えますか」との設問に対し、「とてもそう思う・ややそう思う」合わせて八八・五%、「あまりそう思わない・全くそう思わない」合わせて八・五%であった。このことからも、東アジアの安全保障が脅かされていることの危機感を国民が抱いていることが窺える。


 昨年九月七日に発表された朝日新聞と東大の研究室合同による世論調査にも注目したい。憲法改正の賛否の設問では、「賛成・どちらかといえば賛成」は四二%、「反対・どちらかといえば反対」は二五%と、改憲賛成が大きく上回った。さらに改憲賛成派に対し、改憲すべき項目を聞いたところ、高位から「自衛隊もしくは国防軍の保持を明記」(五七%)、「集団的自衛権の保持を明記」(四九%)、「緊急事態に関する条項を新設」(四三%)というように、九条や緊急事態に関する関心が高かった。朝日新聞でもこのような改憲意識の高まりを発表する時代になったのである。

 

 九条の一項と二項の違いの理解も

 

 さらに注目したいのは、九条には一項と二項があり、戦力の保持を否定する二項こそ改正すべきであるとの国民の理解が進展していることである。


 毎日新聞が昨年十二月二十二日に発表した、埼玉大学社会調査研究センターとの共同世論調査では、憲法第九条について一項と二項を分けて設問がなされた。一項については、改正すべきか、すべきでないかの設問に対し、「改正すべき」は二一%、「改正すべきでない」は五二%と、「改正すべきでない」が上回った。ところが、二項については、「自衛隊の保持とその役割を明記すべき」が三六%、「国防軍の保持とその役割を明記すべき」が一七%と、合わせて改正派は五三%に及び、「改正すべきでない」の二一%を大きく上回ったのである。


 本会は諸団体とともに、九条の一項は残し、二項を改正すべきとの立場で啓発運動を推進してきたが、この世論調査で、九条の一項と二項を分け、世界の他の国の憲法にも見られる平和条項の一項は保ち、戦力を否定した二項は改正すべきという見識を国民が示したことは画期的なことであり、九条二項改正の訴えが理解されつつあると言える。


 自衛隊の存在明記の議論の高まり

 

 三月二十九日に東京で開催された美しい日本の憲法をつくる国民の会中央大会では、国会発議に向けた優先課題として、昨年来の「大災害から国民の命と暮らしを守る緊急事態条項を憲法に新設する」とともに、新たに「国民の九割が支持する自衛隊の存在を憲法に明記する」が追記された。これは、この一年の九条に関する国民意識の変化を踏まえてのものであろう。


 勿論、国民意識は変化しつつあるといっても、九条改正について公明党は前向きではなく、民進党も否定的であり、今のところ国会発議に向けての改憲テーマとして浮上する具体的な動きはない。


 しかし、国会議員の意識も変わりつつある。昨年の臨時国会における憲法審査会では、「自衛隊の存在を憲法に明記し、自衛隊は何ができ何ができないかを書き込むことは立憲主義にかなっている」(平沢勝栄衆院議員)、「憲法九条一項の概念を変えようというものではない。九二%の国民が認めている自衛隊の存在を憲法に明記することこそ、立憲主義に資する」(山田賢司衆院議員)などのように、「自衛隊の存在の認知」を行うことこそ「立憲主義に適う」という観点での画期的な議論もなされるようになった。


 昨年十一月二日に読売新聞が発表した国会議員アンケートでは、憲法改正について「改正する方がよい」が七三%で「改正しない方がよい」の一六%を大きく上回り、改正したり加えたりする条文については「自衛のための組織保持」が四八%と最も高かった。


 以上述べたような、憲法九条に関する国民意識の変化、国会議員の意識の変化を踏まえつつ、「憲法九条の一項は守り、二項を改正しよう」「憲法に自衛隊を明記しよう」という視点から、憲法改正の啓発運動を推進することは重要である。


 東アジアの緊迫化に対する現在の国民の危機意識の高まりの中で、護憲派が標榜してきた「非武装平和主義」の幻想を打ち破り、戦後の平和ボケ状況から脱却するためにも、さらなる憲法改正の啓発運動を推進しなければならない。

 

 

 

 

 

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 「2020年に新しい憲法施行」という安倍首相の発言を受けて、昨日、私なりにスケジュールを計算してみましたが、もう一つのスケジュールとして、2019年7月の参院選に合わせて国民投票というのもあり得ますね。件の毎日新聞が「国民投票は単独で」と書いていたのを読んでいて、参院選に合わせて国民投票ということが頭から抜けていました。

 

 よりタイトなスケジュールになりますが、消費税引き上げのことを考えると、こちらの方がより現実的な気もします。

 

 天皇陛下の譲位、憲法改正、東京五輪という国家的な大事が3つも重なって進行していくわけで、頭が混乱してしまいますので、私個人のメモとして、以下に「こんな感じかな?」というスケジュールを表にまとめておきたいと思います。

 

 

                      参院選に合わせて

                      国民投票の場合    単独の場合

2017年  5月 現在

2018年 9月 自民党総裁選 

          12月 衆議院任期満了

2019年初頭 天皇陛下譲位?     国会発議

           4月  統一地方選挙

                                     国会発議

      7月 参議院選挙       国民投票

    10月 消費税引き上げ

     秋  即位の礼?

                                     国民投票

2020年初頭                施行

                                      施行

     7月  東京五輪

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 みなさん、ゴールデンウィークはいかがお過ごしでしたか?

 

 この連休中の大きな出来事としては、5月3日の公開憲法フォーラムのビデオメッセージで、安倍首相が自民党総裁の立場で、具体的な改正条項と改正時期について明言したことでしょうね。

 

 改正条項としては、①9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む、②高等教育の無償化、に言及し、改正時期については、「2020年を、新しい憲法が施行される年にしたい」と述べました。

 

 この安倍首相の発言に対して、賛否両論起こっていますが、そのこと自体がまさに憲法論議の活性化を意味していて、首相の発言の大きさを思わされます。

 

 特に、9条1項、2項を残して、3項に自衛隊を明記するという提案は、公明党、民進党に大きな揺さぶりをかけることになります。

 

 山口代表は安倍首相の提言に対し、今日の記者会見で、「国民の8割から9割が自衛隊の存在を肯定しており、自衛隊は十分、国民に認知されているという認識だ」「憲法上どう表現するかは、今後議論すべき課題だと思うが、憲法改正は国会の憲法審査会を通じて議論を深め、国民の理解を伴いながら合意形成に進んでいくのがあるべき姿だ」と述べました。

 

 一方の民進党は、蓮邦代表も野田幹事長も抽象的な批判しかできませんでした。それもそのはずで、安倍首相の提言程度の九条改正論者は民進党内にも少なくなく、首相の提言を肯定するにしても否定するにしても、民進党としての立場を明確にしてしまえば、直ちに党内が分裂するという危険を孕んでいます。

 

 

 それにしても「2020年に施行」というのは、ずいぶん思い切った発言で私も驚きました。実は首相発言の前日、毎日新聞が「2019年10月に消費税の引き上げがあるから、19年後半から20年前半にかけての国民投票は難しい。だから、国民投票は東京五輪後になる見通しだ」という記事を書いていたのですが、首相が言ったのは「東京五輪の年に国民投票」どころか、「東京五輪の年に施行」ですからね。

 

 今の憲法が公布して施行されるまで半年です。ということは、2020年中に施行されるためには、2020年6月、つまり東京五輪前には公布されていなければいけません。さらに、国会発議から国民投票まで、最大180日、つまり半年の周知期間が必要ですから、2019年中には国会発議が行われていなければなりません。

 

 2019年7月には参議院選挙があります。そこから国会発議ということは考えにくいですし、おそらく新しい天皇陛下の即位の儀式等もこの年の秋ごろになると予想されます。となると、2019年の通常国会で国会発議が行われていなければなりません。今からちょうど2年後です。

 

 衆議院の任期満了は2018年12月です。つまり今年から来年にかけてのどこかで必ず総選挙があります。今年中に憲法改正を争点とした総選挙を仕掛けて、そこから1年数カ月で国会発議を成立させるというのが現実的なスケジュールになるでしょうか。

 

 

 

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 「祖国と青年」5月号、本日発刊しました!

 

 

 

Contents

 

第3回TOKYO憲法トークライブ

  セッション1 身近に感じた憲法問題

  セッション2 日本の平和を守るために

      佐波優子/川端隆拓/平井仁子/諌山仁美/MAYA

 

憲法九条の拘束とは

「憲法関係答弁例集(第9条・憲法解釈関係)」より

 

シリーズ 若い世代が語る憲法改正 vol.7

「拉致被害者を救出できない憲法は改めるべき」   山本善武

 

 

連載

教育再生 小川義男/巻頭言 大葉勢清英/皇室だより/

一流に学ぶ人生のヒント 清川信彦/安全保障と自衛隊 濱口和久/

さあ国民投票運動に備えよう! 福井慎二/聖徳太子に学ぶ 別府正智

歌壇 松井嘉和

 

 

【グラビア】ペイン国王王妃両陛下をお迎えし宮中晩餐会/陛下、スペイン国王王妃両陛下をお迎えしての宮中晩餐会お言葉/各党は憲法改正原案の国会提出を!/歿後十年、名越二荒之助先生を偲ぶ

 

 

 

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 今日は、先帝・昭和天皇のお誕生日、「昭和の日」ですね。

 みなさん、いかがお過ごしですか?

 

 さて、次の「祖国と青年」5月号は、 4月15日、東京・池袋で開催された「第3回TOKYO憲法トークライブ」(主催・NIPPON憲法PROJECT)の内容を、ダイジェストで紹介しています。


 今回のトークライブは「女子力UPで日本をアゲよう!」という、かなり野心的なテーマのもとで行われました。登壇者も、司会を除いて、コメンテーターと3名のパネリストは全て女性。参加者もオンラインでコメントを寄せながら、「身近な憲法問題」についてトークを繰り広げました。

 

 あと、5月号の裏テーマ(?)として、「憲法9条に自衛隊の明記を」ということが、各所に散りばめられています。憲法施行70年の5月3日を機に、大いに憲法改正論議を起こして行きたいものです。

 

 5月号も、5月3日前に皆様のお手元にお届けできればよかったのですが、発刊が5月2日になります。お手元に届くのは3日を過ぎてしまいますが、ぜひ様々なところでご活用いただければと思います。

 

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