蟻に噛まれる話 | 不思議なことはあったほうがいい

 紀伊国伊刀郡の狭屋寺(佐野寺)で大きな法要があったときのこと。

 上毛野公大椅(大橋)という者の娘が、一日一夜に八斎の戒を受け、悔過に参ゐ行きて、衆中にあり」。

 その夫の文忌寸某=通称・上田三郎という者は「天骨邪見」で三宝を信じていなかった。留守中に妻が法要に行ったことに腹を立て、寺に殴りこみをかけにゆく。

 このとき、都・薬師寺から題恵禅師という高名な僧がスペシャルゲストとして招かれていた。禅師は三郎をなだめようと仏の教えを説いたが、凶人・三郎は聴く耳もたず、「汝、吾が妻に婚(クナガヒ)す! 頭罰ち破るべし、いやしき法師!」と悪口雑言、妻を無理やり家へ連れ帰り「即ち其の妻を犯す」。

 たいへんな嫉妬…仏法を信じない上田三郎にとって、僧尼たちは”エロ・イケメン坊主が主導する怪しげなセックス教団”とでもうつっていたのであろう…しかし、天罰が下る。

卒爾、マラに蟻著きて嚼み、痛み死にき」。ギャオー! AAFあざらし

 たとえ口に百枚の舌があっても、僧の悪口を言ってはならない…

…と、聖武天皇時代の出来事である。『日本霊異記』にある話。

 

 この痛い話は、『今昔物語集』巻十六にも採られていて、ストーリはほとんど同じであるが、『霊異記』で詳しい描写のない妻には「形・有様、美麗にして、心に因果を知りて…」と夫との対比ととれる表現で紹介している。また三郎は禅師を「盗人法師」とも罵る。オチとしては、観音の行事を妨害した罪が加えられている。


 このての、奥さんが信仰に目覚めて、ダンナが怒って信徒や教祖に殴りこみにゆく、、という話は、宗教の語られる場ではよくあることである。


 例えば、700年もあとの話だけども…

 弘安元年冬、一遍上人、備前藤井の政所にて踊念仏の興行(?)をうっていたとき、吉備津宮の神主の息子の妻が「聖をたとびて法門など聴聞し、にはかに発心して出家をとげにけり」。これを知った夫は「無悪不造のものなりければ、大にいかりて『件の法師バラいづくにてもたづねいだして、せめころさむ!』」。

 一遍はそのとき福岡の市にいた。男が太刀をわきにズンズンと近づいてくる! と、そのとき、「汝は吉備津宮の神主の子息か?」。初めて会ったのにズバリ正体をいいあてた上人の一言で「瞋恚やみ害心うせて、身の毛もよだちとふとくおぼへけるほどに即モトドリをきりて、聖を知識として出家をとげにけり

『一遍聖絵』


 このときは男が最終的に恐れ入ったので仏罰にあたらなかった。


 アリって、そんな人を食い殺すほどの殺傷力があるのかしら?

 アリはハチと同系なので、本来はオケツに針があって(それももとは産卵管の発達したもの)、ジャングルとかにいる大型の種類はけっこうな毒針をもつし、針の退化したやつでも、オケツをスカンクのように相手にむけて酸をふきつける。…けども、食いつくとなると、あの軍隊アリのように、よほどの数がそろわないと人間を殺すまでは至らないんじゃないか…。まあ、粗暴な男であるから、蟻にくわれたところをそのままに汚い手でいじったりすると破傷風になったりすることもあるであろうから、それなら死ぬ。


 でもね、アリさんも何かの喩え・象徴である可能性もある…かな。



 たとえば、古代日本の中央貴族を悩ませた北の蝦夷たちを称して、「蟻の群」に喩える例がある。


 『続日本紀』

 光仁天皇の宝亀八年十二月、陸奥鎮守府将軍・紀広純の報告に、「志波村の賊、結して毒を肆にす…」。

 同・天応元年五月、征東大使・陸奥按察使・常陸守・藤原小黒麻呂への詔に、「彼の夷俘の性為るや、蜂の如くに屯り、の如くに聚て、首として乱階を為す…

 桓武天皇の延暦二年六月、出羽国からの報告をうけての詔に、「夷虜、常を乱して梗を為して未だやまず。追ふ時は則ち鳥の如くに散じ、捨る時は則ちの如くに結ふ…


 という具合。


 蟻の行列なんて、ボクちゃんチビっこ時代の一番のオトモダチだったわけで、あんまり悪口言わないで! でも、初夏の頃、玄関に大量の羽蟻の死骸が落ちているのはいやだったなあ。男ってかなしいですね。


 『三代実録』光孝天皇の仁和三年(887)八月、地震が一日に五度も発生、その日、

達智門上に気有り、煙の如くにして煙に非ず、虹の如くにして虹に非ず。飛上して天に属す。或人これを見て、皆曰く。『是羽蟻也』」。これは未曾有の変異である、陰陽寮が占ったところ、「当に大風洪水失火等之災有るや?」。その後、地震は数日続き、数日後には大蔵正蔵院の上に羽蟻の群が飛び交った…そして数週間後には光孝天皇じしんが死ぬという事態になる。


 なるほど、ホントいいイメージがないんだ。


 とにかく、正体をつかみにくい群集、悪縁を運んでくる存在というようなイメージが蟻にはあった。


 けども、上田三郎のモノを俗欲の象徴とすれば、それを噛み攻撃したは、欲を捨て信仰に生きようとする弟子たちの群であった…と考えるのもポエムとしては面白いかな。



ところで、

おなじみ『枕草子』清少納言ちゃんは

蟻は、いと憎けれど、軽びいみじうて、水の上などをただ歩みに歩みありくこそ、をかしけれ。


軽いから水の上を歩いているように見えるけれども、いや、そうじゃなく必死なんだ、うろうろしてるとアメンボや魚にチュー、パクってやられちゃう! 誰かタスケテぇ!!


…と、そこへ一人の沙弥が通りかかった。この男、占いで七日後の朝死ぬであろうといやな予言をされていて、それなら家族にいとまごいをしようと旅していたところ。

 「蟻の子の水に流れて死なむとするをみて、悲しび憐れぶ。みづから袈裟を脱ぎて、土を入れて水を塞きつ。蟻の子を救い取りて高く乾ける所に置きつ。

 ことごとくみな生くことをえたり(七日を歴て還り来る)……蟻の子を救へる力をもて命を延ぶと知りぬ。…もし人命を延べむと思はば放生をせよ。かの蟻を救ひし力を頼むべし

 と、これは『三宝絵』下にある話で、もとは『雑宝蔵経』というお経に載っているそうな。


 一寸の虫にも五分の魂というけれど、よく考えてみると、アリンコだってひょっとしたら「生前の親」かもしれないからね(by「虫愛づる姫君」)


その他蟻に関する話「蟻通