2006-03-01 02:10:48

2006/2/28

テーマ:forever test
 形式のことを忘れて、書き癖だけでまた書きますが、
 本日は「大人のウォーカー」取材で、みうらじゅん兄と目黒羅漢寺などを巡り、「にしむら」というお店でうなぎを食べました。楽しかったです。馬鹿みたいな文ですいません。
 そのあと、アイゴンとの秘密プロジェクトのためスタジオへ。二曲あれこれする。リリースの予定さえ立たないのに全力を傾けてる僕らっていい!
 ちなみに現在読んでる本は『パスポートNO.328309』(東野芳明)。1962年の本だけど、さすがに憧れるよね。バルセロナやらパリやらで、イオネスコに会ったり、ミショーに会ったりしてるんだもん。しかし嫌みじゃないのは東京の人っぽい照れた文ゆえ。そもそも自分がデュシャンに傾倒したのも東野さんあってのことだし、あらためて大きい人を亡くしたなと思う。
  そのデュシャンだけど、いったん遠ざかってたデュシャンのチェス本翻訳をこのところまた始めているのだった。http://blog.drecom.jp/seikoito/
 翻訳は少し休んで追い込みに。あと数ページで荒い訳は終わるのでした。
 
2006-02-27 19:42:03

2/27

テーマ:forever test
 仕事の合間に今日も整形外科へ。四十肩のリハビリである。
 ホットパックというやつで肩をあたため、低周波マッサージ機でピリピリやる。
 まわりはお年寄りばっかりだから、ドロップアウトした気分になる。
 しかもなかなか治らない。右を下にして眠れない日々がもう三ヶ月ほど続いているのだった。
 芝居が近いのに大丈夫なのだろうか。手が上がらない状態で本番突入は明らか。

 ブラウザをエクスプローラからサファリへ移行させる。
 そのついでにブログを書いてみたのである。
 
2005-06-19 19:12:22

2005/6/19

テーマ:forever test
 ひとつ前の、スチャダラパーの新譜に関するブログは、少しブログっぽいブログになっていた気がして、しばらく何も書かなかった。
 ブログってあんな感じが平均点なんじゃないかと思い、しかしながら一方で通常の原稿とあまり変わらないような気分もしてきて、世のブログライターに見習うべき新しいブログ文体について少し考えたりもした。が、考えはまとまらなかった。ふだんそれほどブログを熱心に読まないからかもしれない。
 ミクシィで友達の文章はよく読むようになった。それは前回の自分のブログと違って、それほど長くはなく、結論や分析もさほど粘らない。
 つまりは「開かれた」感じに書くのがコツのようで、要はレスがつけやすい。俺はどうしても、文章内で完結していなければと思う気持ちが強く、強引にでも結論を出してしまう癖がある。
 これがブログ時代にはどうもいけないようだ。
 とはいうものの、そういう自分の書き方はかれこれ二十年以上かけて作られてきたものだから、そっちを捨てて全く新しく書くつもりにもなれないのである。
 前々回に予告した通り、箇条書きで何行かを書くことも恥ずかしいけどしてみた方がいいのかもしれない。ブログ文体にひよるつもりはないが、それなりに適応した自分の文体はあるべきだろうから、また次に何か書いてみて、しばらく様子を見、そして深く反省してみようと思う。
 forever testだ。
2005-06-06 16:16:19

13/6/2005

テーマ:forever test
 ANIからもらった『電気グルーブとかスチャダラパー』を聴いて、くすくす笑いながらも頼もしい気持ちになった。ヒップホップがある意味、悪しき“伝統芸能”になる中、あくまでもオリジナリティを貫くスチャへの風当たりは強かっただろう。それが前作くらいから開き直った。で、今回に至った。
 ヒップホップ風なものへのユーモラスな揶揄が、あちこちにあふれている。ド田舎アンチクリエイティブ・ラッパーたちの「NYをもろに物まねするためだけにやる互いの悪口言い合い」とは違って、それは批評的な態度である。ヒップホップと、それを愛する自分たちを批評的に見る。その目が森羅万象をも批評的に見させる。俺はそれこそがヒップホップのソウルだと思う。
 そもそもヒップホップミュージックは引用の音楽なのだ。醒めた批評家でありながら、同時に熱いプレイヤーでもあるのが、DJという存在の新しさだったのだ。したがって批評性がなければ、ヒップホップの衝撃は薄れてしまうのである。
 よかった。『電気グルーブとかスチャダラパー』はよかった。音かっこいいし。ネタの言語感覚、やたらに鋭いし。
 
2005-05-15 17:30:02

2005/5/15

テーマ:forever test
 ということで、二本のブログを書いてアップしてみたのだが、どうも文体が安定しない。正確に言えば、自分の好みの文とブログで書くべき文が一致しないのである。それで若干躁病的な文の形になった。
 ふだん雑誌などに書く自分の文は、おかしな言い方だが読者が一人もいないことを前提としている部分がある。それでも読んでもらえる可能性のために、自分なりに最大限のわかりやすさを心がける。
 しかし、ブログにおいてはこうした“いったんの閉鎖”がそぐわない。「読者が一人もいないことを前提」とするのは同じでも、開放の度合いをより高めておかないと“そのテキストをアップする行為がわざとらしく感じられる”のである。
“アップするなら、それはもう必然的に読者を前提とするべきだ”という声が自分の中に起こる。前提とする以上は、ある程度読者に対して仲間意識を持ち、親しげな文を選ぶべきだということになる。
 しかも、ブログは個人的なメディアなので、「万人に通じるように説明文を丁寧に書く」ことがわざとらしく感じられもする。友人のことは“そういう人がいることは前提”という態度で書かないと、あまりに公式的な文章になってしまう気がする。
 だが、当然のことながら、「親しげな文を選ぶ」ことと、読者が知らない人に関する説明をなるべく短くすることは、同一の態度ではない。仲間意識を持ちながら、同じ仲間を持たない読者に向かって何かを書くということの矛盾が、どうしても文の基準を揺らす。
 ブログで日記めいたことを書くための良き形式がまだわからない。
 そういう意味でも、これはforever testということになる。
 今度書くときはメモ的な文を使ってみようと思う。
 読者を前提とせずに、あくまでも自分のための情報をサーバに残しておく方の形式。
 しかし、それでも万が一読者がいたときのために、開放の度合いを少し高めたメモの形。
 ブログで書くという行為はそう簡単ではない。
 
 
2005-05-13 00:09:32

2005/5/10

テーマ:forever test
 禁煙五日目。
 もろもろ打ち合わせなどあって、渋谷のJブラットへ行く。長いつきあいのトミーさんがDJやってるお店。考えてみれば、大御所トミーさんとは知り合って20年近いのだった。
 5/10は「レコードの日」ということで、俺は東洋化成のイベントのコーナー司会。
 東洋化成は日本でいまや唯一ビニール盤を作る会社です。偉大です。
 で、会社のカッティングマスターや技術主任などとともに、アナログ盤雑誌の編集長・樫出さん、緒川たまき嬢などがトークコーナーに出演。40分という短い時間ながら、なにしろ客が熱いので(ビニールを愛する者どもの渦)ムード的にはやたらにヒートアップ。
「何か質問は?」と客に振ってみると、モビー(スクービードゥー)がすぐに手を上げる。ほとんどスペシャ中学(そういう名前の番組において、モビーは昨年度まで俺の愛する生徒なのだった)。やつの盛り上げのための質問は、盤の内側と外側で音質はどれくらい変わるかというもの。
 さすが東洋化成の社員さん。“試してみたことがありますが、40から50デシベル違いました”と即答する。なんかうれしくて笑ってしまった。だいたい、答えを聞いて「おーっ!」とか言ってる客がおかしい。ほんとに愛してやがるんだな、レコードを。俺は妙にじーんときた。
 モビーは元敷島関・現敷島を連れてきており、JブラットにCDを置いてある土岐麻子嬢(シンバルスの土岐さんですね)を俺に再紹介してくれたりもする(だから知ってるってば、モビー)。引っ越しがすんだばかりのモビーは元気で、ますますひとなつっこい。とはいえ、土岐さんがジャズ方面に向かっていたのかと俺は虚を突かれた(いただいたCD、家に帰って気持ちよく聴きました。俺の好きなスティービーの『アナザー・スター』のコピーとか、いいです)。
 前後しますが、トークコーナーで「CDのように急に音が始まるより、レコードのように始まる前から音がしている方が人間に優しい」という話が出て、俺はあることに気づいた。そのまましゃべっておいたのだが『ひょっとすると人間工学的に、突然音が始まるのはストレスなのかもしれない』ということである。ノスタルジーとしてアナログ盤を評価するというのでなく、あくまでも人間工学的にデジタル音源の音の始まり方は脳神経によろしくないのではないかと俺は考えたのだ。このことは別のブログでいずれ書くかもしれない。
 帰ってブログ(デュシャン本翻訳)を2本アップ。
 ドリコムはサーバの状態メチャクチャ。アップするたびにストレスがかかる。人間工学以前の問題。
2005-05-13 00:06:44

2005/5/12

テーマ:forever test
 第二回本格的禁煙を一週間でストップ(笑)。

 本日は『伊藤園・おーいお茶・新俳句大賞』の第16回目審査会。
 金子兜太さん、森澄雄さんなど、俳句界の重鎮と年に一回お会い出来る日。とにかく、選句会というもののクリエイティビティ、座の文芸の凄みを16年間教わってきた俺としては、一年に一度の素晴らしい時間なのであった。
 今日も凄かった。あ、そういう読みをするとこの句が生きるのか、と自然にわかる。日本語の使い方の新鮮さが理解出来る。
 まあ、この選句会での過去のどえらい衝撃については、出来れば今週の『先見日記』(http://diary.nttdata.co.jp/calendar_thismonth.html)に書こうと思います。
 なんかあっちこっちに書き散らし始めてる俺だ。

 今日もデュシャン本翻訳を4本やったが、ドリコムが馬鹿なのでアップ出来ず。

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