「オポジションとシスタースクエアは調停される」

 再掲載にあたっての序文

 1932年、マルセル・デュシャンとハルバーシュタットは共同でチェスの研究書を千部だけ出版した。パリで。
 それが「オポジションとシスタースクエアは調停される」である。
 仏語、独語、英語の三カ国語で書かれたこの本を、語学堪能でない私が少しずつ訳し、ブログにアップしていたのは記録によれば2004年12月21日から2006年8月25日までだった(http://seikoito.dreamlog.jp/)。
 およそ二年間、私はチェス好きでなければ面白くもなんともないこの本、いやチェス好きであっても特殊な局面にしか興味のない人向けの本に淡々と機械的に取り組んだ。
 チェスでは奪われた駒は返らない。したがって終盤に向かうにつれ、基本的に盤上は寂しくなる。もしも互いにポーン(いわゆる歩兵)とキングだけが残り、それがある種の形になったらどんな事態になるのか、というのがデュシャンとハルバーシュタットの研究の主眼である。
 チェスのポーンは将棋の歩と異なり、目の前の駒がとれない(斜めひとマス前を攻撃する)。したがってポーンがつの突き合わせるとそれらは自らの力では局面を打開出来ず、じっと動かない。どん詰まりになる。
 そのようなポーンのケースがあちらこちらで起き、唯一動けるのが両キングだけであるとき、盤上では千日手のようなキングのワルツが踊られることになる。こうした「エンディング(終盤)」に関する研究は、ベケットの『エンド・ゲーム(ゲームの終わり)』をはじめとして二十世紀の芸術家たちを不思議に刺激してきたようだ。
 私は多くの日本の“デュシャンとチェスを切り離して考える”研究者に不満がある。上にあげたようなワルツ(『遺作』の前で我々が踊るダンスだ)や、クイーンをすでに失った独身者の主題など、本書にはデュシャンのもつ重要な「観念」が横溢している。
 先にも言ったように私は外国語が堪能でない。その上、ボードゲームがひどく弱いので、多くの箇所で誤訳があるはずだ。私はそれでものちの誰かに引き継げれば、と全項目をアップし直す。
 かつてのブログからひとつひとつのデータをひろいあげる気力を私は失っていた。自分が手元のどの記憶メディアにそれを置いてあったかも思い出せなかった。そこで、近畿大学で助手をつとめてくれていた久野嵩大君に依頼し、この場所にアップするところまでをまかせることにした。
 また、CASE-K氏が“下から積み上がっていくブログのすべての項目を自動的に逆転させるプログラム”を適用してくれる。私が指定する場所へ飛んでいただければ、上から下へと訳文にアクセス出来る。
 両氏にはここで深く感謝しておく。

 それでは拙い、間違いだらけの、しかしデュシャンを考える上では欠くことの出来ない一冊、「オポジションとシスタースクエアは調停される」をお読み下さい。
 そして新解釈などあれば是非書き込んで下さい。
 これはもう私のものではないのだから。
 であるからこそ、私は再掲載に関してほとんどこの序文を書くことしかしないのである。

 なお、この拙訳は私が途中放棄したままの『55ノート』(http://www.froggy.co.jp/seiko/55/55.html)にも深く関係している。
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