2008/12/19

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 昨日、無事に『PLANTED』10号(「森と文学特集」)が発売される。
 しばし休憩宣言。
 だが、必ず次も出す。

 readymade by いとうせいこう

 どうぞ手にとってみてください。
 
 ちなみにこういう豪華なラインナップ。


readymade by いとうせいこう

 

 さて、風邪は完治していないけれど、『愛と痛み』辺見庸)について少し。
 死刑廃止を訴える意味では、森達也『死刑』と同ポジションなのだが、森さんの本が結局最終的に内在的論理を失い、唐突に死刑囚に対して「僕は彼を死なせたくない」という感情のみを吐露するに過ぎないのに対して、さすがに辺見庸はロジックを「愛と痛み」という情緒と同時に持ちこたえる。

 まず、辺見さんの言う「時間的な連続性そのもの」とは、俺の言葉では「人生」である。
 ここで「命」と言わないところが厳密な思考というものだろう。

 そして、何人(なんびと)も他者の人生を切断する権利を持たない。
 したがって、“なぜ人を殺してはいけないか?”という質問には、他者の人生を切断する権利など誰も持たないからだと俺は答える。
 辺見さんならば、「時間的な連続性そのものである人間の、その連続性を断つ権利とはいったいどういう権利なのか」と問うところである。
 
 
 もしもここで、「何人(なんびと)も他者の人生を切断する権利を持たないということの確認として、国家は国家にもその権利がないことを示さなければならない」とロジックを詰めていたら、さらに事柄は厳密だったのではないか。

 特に宅間のように、死刑を恐れないことであたかも世界を超越したかのごとくふるまおうとする者が現れ、まんまと国家が彼を死刑にしてそのニセの超越性をうかつにも保証してしまって以降、ますますこの「国家が国家にもその権利がないことを示す」必要性は増す。
 

 さて、本日は近田(春夫)さんの新刊『僕の読書感想文』の出版イベントで対談。
 明日『連塾』という会で100分ぶっ通しでしゃべる松岡(正剛)さんと、今日の近田さんとは、俺が最も対談したい(そして、今まで大事な時にそうしてきた)二人。
 それが今日明日と重なるとは、なんという不思議だろうか。

 ちなみに松岡さんの新刊『白川静』の素晴らしかったこと!
 これほど見事に整理され、しかも尊崇の念のこもった白川学の入門書はあとにも先にもないだろう。
 
 

 映画ではケラリーノ・サンドロヴィッチ『罪とか罰とか』を特別にDVDで観せてもらった。いやはや、この映画の緻密な構成、軽快なウィットの感覚、映像美のレベルの高さ!
 役者陣の勘どころを知り尽くした演技が、そのケラのビジョンを具現化させてやまない。
 本作は相当な話題になるだろう。


 
 
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