2012-01-12 10:02:59

原発に関する住民投票(国民投票)の是非 通して見えてくる原発の正体(Ⅰ)

テーマ:ブログ

原発に関する、住民投票(国民投票)の是非について様々なところで話題になっていますが、私たちの珠洲市でも、最初は住民投票に対する切望がありましたが、そのうち誰も話題にしなくなりました。住民投票が成り立つほどの民主主義が育っていないことにだんだん気が付いていったからだと思います。その時の問題点を整理して、何回かに分けてまとめてみたいと思います。


珠洲市で論議された住民投票の現実をまとめることによって、逆に、原発というものの存在が、住民の生活にどんな影響を与えたのかがわかるような気がします。また、その事をを跡付けることにより、現在、国で起こっていることの見え方がはっきりしてくる筈。それこそ原発の正体といえるでしょう。


Ⅰ番目の論点

住民が判断の材料となる賛成と反対の立場の情報をどうしたら市民に提供出来るか


まず「住民総てに、判断し投票てもらった結論を市の方針とする」には住民の総てが、判断するに足る一定の情報を持っている必要があります。


当時、原発推進の情報は国策とばかりに湯水のように流されるのに、反対の話をしようにも、講演会を開く場所さえも見付からないという有様でした。 文化会館のように、使用基準が明確で、ある意味強引に交渉出来て、しかも勝ち目のあるような施設は当時市には無く、地区の集会場や公民館がそれに準じるものでしたが、使用許可が下りない期間が長く続きました。


地区の集会場は管理の在り方が地区ごとに違っていて、地区以外の人が使う例があまりありません。その地区の反対派住民を立てて交渉しても鍵を持つ区長の大半は原発推進。したがって門前払いとなります。公民館はその最終管理者が教育委員会の社会教育課、つまり教育長なのでとても許可がおりません。「市の事業に反対する住民に市の資産は使わせない」と公言するアホ職員までいて話にもならないのです。


あと、商工会議所と農協会館ですが、何れも原発推進の強力機関のひとつ、まして借りられる筈はありません。では「民家」となるとそれもだめ、その家が原発反対の看板を上げるようなものとなります。たとえ息子が反対派の幹部でも、家族や親族の誰かが建設業か行政に関係があれば、なかなか覚悟を決めてはもらえないのです。


やむを得ず、最初に使ったのは私自身の自坊を含めた反対派の人たちの「寺」でした。それぞれの寺は例外なく、寺を動かす幹部に強力な賛成派がいるという状況にもかかわらず、寺だけは住職の裁量で自由に無料で使わせてくれたのです。寺の方々は宗派を超えて、どこも暖かかったのが救いでした。


寺を拠点にした反対運動が少しづつ拡大していくにつれて、ようやく公民館や農協会館がを利用出来るという状況が生まれましたが、それまでには思い出すのも鬱陶しい「裁判さえもチラつかせて見せなければならないような」長いにらみ合いがあったのです。


住民投票の前提になるのは、推進側と反対側がまず、それぞれに自分たちで選んだ講師を出して、客観的な勉強会を何度も繰り返し、その情報をキチンと公開するというのが大前提となりますが、とてもそんな環境などつくれなかったのです。


そんな中で私たちは 原発というものは「自由に論議させたくない胡散臭いもの」なのだということを知りました。現在、マスコミは公平でしょうか。反対の立場をとる専門家の話が末端まで届くでしょうか。


原発立地予定地で、実際何が起こったのか。

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