電力に乗せられた政治家が「ピエロ」に見える構造
テーマ:ブログ今日の原発関連のニュースを見ていると、聞いているほうが辛くなってくる。「冷温停止状態」を強調し、第二ステップまでの完了を宣言したばかりか原発事故そのものにまで「収束宣言」を出してしまったのだ。・・・・・・信じる人など本当にいるのだろうか。飛散している放射性物質の存在さえもゼロに出来ていないのに・・・・。
それに、メルトダウンした核燃料が釜の底に静かにしている?
原子炉を溶かして落ちてきたはずの核燃料が原子炉よりもはるかに脆弱なコンクリートや格納容器をなぜ溶かさなかったのか・・・・しかも四機ともー・・・偶然に?!
廃炉まで四十年とか・・・・避難している人たちをいくつかのグループに分けて、あなたはそのうち帰れます。あなたはちょっと待ってください。あなたは当分は帰っていただくことは困難です、と分類しているらしいのだが、その根拠となっているらしい、飛散した放射線量とその蓄積量というものが、じつは私たちの「不審」以外の何ものでもないのだ。
測ったという放射線量は本当に正確なのだろうか。
まだまだ、山や森に、人に知られていないホットスポットが無いといえるのだろうか。
たまたま誰も測っていない耕作地の一角に驚くほどの汚染地域が無いのだろうか。
アルファー線・ベーター線・ガンマー線の全てが正確に測定されているのだろうか。
言うまでも無いが風向きひとつでいくらでも変わる。
これから冬になるのに、風向きが変わって、今まで大丈夫というところに福一からの風が吹いてくることはないのだろうか。なにしろ放射性物質の拡散は完全には止まっていないのだから・・・・。
少なくとも、私たち素人が「なるほど安心して帰れるのだね」と納得できる根拠など全く示されていない。
電力や行政の説明はいつもそうだった。今更ながら思い出した。
関西電力、美浜原発の三号機が2004年に大事故を起こした時の事である。復水器のところで細管破断を起こして、二次系の冷却水が元に戻らず、補助ポンプでも追いつかず、885トン・全冷却水の実に八割という大量の冷却水が失われ、その結果、とうとう三分の一以下まで水の量が減ってしまったという未曾有の非常事態だった。
制御棒が入って、核分裂は減速しても、冷却水が減ってしまっていては、引き続いた炉心の冷却が困難となる。これは福島でお馴染みの事態である。冷却が出来なくなると炉心が沸騰して、放置すると空焚き状態になってしまう。原発の形は違っても、行き着く先は決まっている。それはいうまでもなく、メルトダウンである。美浜でも今回のような非常事態に今一歩という、実に重大な事故だったのだ。
その折、関西電力の本社から、説明員と称する専門の社員が珠洲市にやってきた。原発の計画がある珠洲市に「たいしたことではなかった」と納得させなければならなかったのだろう。そこで待ち構えていた私たちと「バトル」が始まったのである。
「炉心が沸騰したという報道がありますが本当ですか」
圧力と温度のバランスが崩れれば、炉心は沸騰する。その沸騰こそが今回の福島のようなメルトダウンを起こす前兆となる。
「沸騰はしていません」
「では報道機関が間違った報道をしたということですか?」
「・・・・・・」
「報道機関では空気の粒が下から発生して既に沸騰が始まっていたと言っていますよ。そんな大切なところの報道が間違っていたのなら、関電は訂正させるように申し入れをすべきです。しましたか」
「・・・・・・・」
「今後するつもりがありますか」
「・・・・・あのぅ・・・・下から空気の粒が発生していましたが・・・・沸騰はしていませんでした・・・・」
「下から空気の粒が発生していて沸騰が始まっていないというのはどんな状態ですか」
「・・・・・・・」
これが関電の専門家の姿である。今回とどこか似ていないだろうか。
多分、政治家は専門家なる人に言いくるめられると、正しいと思ってしまうだろう。役回りは「ピエロ」と、相場は決まっている。当時の市長は私たちの追及に窮して「蒸気発生器を定期検査ごとに総て取り替えるような、そんな、安全な原発を造ります」と豪語してしまった。そんなこと出来る筈など無いではないか。原発を造りたい市の市長の発言?!・・・・これではまるで「ピエロ」ではないかー
これも今回とどこか似ていませんか?
四十年後に廃炉という予測は避難している原発周辺の住民には、何を意味するのか全く不明である。四十年後に、もし、帰れたとしても、少なくともかなりの人は死んでしまっている。いっその事「帰れない」と言って上げるのが本当のやさしさだと思う人は多い筈。帰れない住民の失った人生をどうサポートするのか、そんな肝心のところが何も見えない。
多分、電力は今に至っても、本気で、現地の人たちをサポートする責任があるとは思っていないのだと私は思う。なぜなら、原発立地以来、こういうこともあろうかと、電力は言われるままに大枚な保証金を払ってきたのである。本当に安全なものなら、湯水のように金を出し続ける筈がないのだ。出し続けてきたお金で本当は福島の人たちの生活を買い上げてしまっていた!!!
多分、どこかで、そう、うそぶいている関係者の一人や二人はきっと居る。私はそう思っている。
これらは、私たちにとっては、相も変わらず、見慣れた風景に他ならない。
原発立地予定地で、実際何が起こったのか。







