輪島で宮城の瓦礫受け入れ問題が出てきてから、また、瓦礫受け入れの是非を巡ってあちこちで論議が始まりました。そういえばかっこよく聞こえますが、悪く言えば「腹の探りあい」がまた始まったといえるのかもしれません。忘れていた感覚を思い出して暗くなっている人もいます。


「安全なものという話やから大丈夫やろうね」

「能登半島地震で世話になったんやから、今度は現地を助けるのは義務やろう」

「放射能というだけで顔色を変える、あんな人たちが風評被害を広げていくんやないか」


あの福島があっても、基本的にはほとんど変わっていません。昔、珠洲原発の反対運動で感じた、戸惑いとイライラがまた始まりました。「フラッシュバックですね」と昔の同士からメールが入りました。「同感です」


原発はなるほど「地震が来れば危ないものだ」ということは分かったけど、瓦礫にまで目くじらを立てるのは神経質すぎる。科学を信じない一種の宗教みたい。まとめるとこんな反応となります。


多分、この問題は何処まで行っても「こうなんだ」と私は思います。瓦礫から汚染が広がって、あちこちで深刻な問題が起こるまで「そうだったのか」とは決して言わない人たちー。それは福島の事故が起こるまで「原発は安全だ」と思い続け、私たちの話に耳を貸さなかったのと丁度見合っています。福島があってさえも、「原発の安全性を根本から疑うという話にはなりません。「原発は大きな地震に弱いというのは本当だった」ということに落ち着きます。

「地震だけかよ!!」と思わず言い返したくなります。


なんでこうなるのか、ここ、二、三日とても憂鬱です。多分大切なことは自分が関わらなくても、「誰かがキチンとやってくれているに違いない」という国に対する根拠の無い信頼感と、その底には国のやる事に意義を挟んだ時の不利益を計算する損得勘定がちゃっかりとひそんでいます。


私たちのこの珠洲市は「満蒙開拓団」でたくさんの人たちが命を落としました。日露戦争では富山、石川、福井からなる「第九師団」(金沢)へたくさん人を送り、敵を恐れず弾下をくぐり、死を恐れず、念仏を唱えながら勇猛に戦ったので、「念仏師団」と讃えられたと伝えられています。


ここまで来ると、真宗大谷派の末寺に生きる私としては、戦争に協力してきた教団の歴史と重なって、複雑な思いに囚われてしまいます。これだけの犠牲を払っても、「国といえども間違うことがある」という当たり前な現実を直視できず、大本営発表を未だに「やむをえなかった」と思い続け、親族の死を誇りに思うことで、戦後を生き抜いてきた人たちの現在・・・・・。日本の国中に転がっている日本人の深層風景の一つなのかもしれません。


「いい加減に、目を覚ましてください」、国は私たちの命など踏み越えていく足場くらいにしか考えていないのだから・・・・と言葉にならない思いを飲み込みながら考えます。私たち日本人の内実を構成する、この深層風景は、原発闘争ぐらいでは多分リセットできない程とても根深いものなのだと今更ながら思います。そして、こんな感情を時間を掛けて醸してきた責任の一つが私たちの「寺」という存在ではなかったのかと思うとちょっと辛い気がします。


親鸞が一生を掛けて対峙し続けた国家と簡単に繋がってしまった教団の歴史・・・・。今この原発問題で私たちは引き下がる訳には行かないのです。


それにしてもガイガーカウンターで空中の線量を測っただけで「安全でした」と帰ってくる輪島市の職員にはあきれます。せめて、放射線の種類やその測定方法・内部被曝の仕組みや燃焼濃縮・体内濃縮、食物連鎖の仕組みなどあらかじめ学習してから出掛けてください。ネットでいくらでも情報は出てくるし、全部読むのにどんなに「ぼんくら頭」でも三日もあれば十分です。貴方方の出張費は税金なのですから・・・・私は輪島市の住民ではないけど、この程度の取り組みで安全宣言が出され、その煙に私たちの孫や子供たちが危険に曝されるのは真っ平です。



原発立地予定地で、実際何が起こったのか。

http://www.amarans.net/190  


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問題点3

  賛成が一票でも多ければ推進

  反対が若干上回っても止まらない

  棄権した人は総て賛成とみなされる

こんな事にならない「取り決め」を誰が誰と何処でするのでしょうか?


住民投票(国民投票)は原発反対の雰囲気さえ盛り上がればよいというものではありません。反対・賛成ではっきりと票差が出てきます。棄権した人は無関心、またはどちらでも良い人たちですが、そんな人たちはつまり、政治的には賛成とみなされる恐れがあります。「有権者全体の過半数を反対票で占める」などという数字はたいへんなハードルです。住民投票を仕掛ければ、好むと好まざるとに関わらず、そんな闘いの中へ引きづり込まれてしまうのです。そんな中で過半数を取ろうとすれば組織運動を余儀なくされます。そんな体制など今どこにあるのでしょうか・・・・


因みに、私たち珠洲市の反対運動はどんな組織になっていたかを参考までにまとめてみます。


私たちは「珠洲原発反対ネットワーク」という連絡会を持っていました。ネットワークはあくまでも連絡会で、全市を網羅するピラミッド型の組織は作らなかったのです。そんな組織を作れば代表者が生まれます。もし、そこを集中攻撃されたらひとたまりもありません。それに比べて、私たちのネットワークは、同じような組織が並列にたくさん並んでいますから、たとえ中の一つが潰れても大勢には何の影響もありません。似たようなものが、いつの間にか形を変えて出てくるので頭も尻尾もない。本当に捕らえどころがなかったと思います。私たち自身でさえも、実際全部でどれだけの人たちが参加していたのか、とうとう最後までわかりませんでした。


参加団体は最盛期で概ね20に少し足りない位だったでしょうか。各地区の校下単位で構成されている「○○住民の会」というのが一番多くて、あとは地権者、組織労働者、漁協、真宗大谷派の寺の奥さん方の有志で作る団体など、実に多彩で、盛り上がった地区では女たちだけの会を持っているところもありました。そんな団体にはそれぞれに代表者がいましたが、運動は全く独自で、それぞれに見合ったやり方で、お互いに干渉し合わないという原則がありました。


それらの団体がそれぞれ二人づつ参加して、一ヶ月に一度づつ、会場を持ちまわって連絡会を開きます。その連絡会を私たちはネットワークと呼んでいたのです。

司会は幹事団体の代表者と決まっていました。その時の幹事団体はその場の一切の権限をもつ代わりにその会議費用の総てを負担しなければなりません。そしてその幹事団体に当たった時だけ、その団体は二人という枠を超えて、誰でも参加することが出来ました。今にして思えば、これが裾野を広げるのに十分に役立ったのではないかと考えています。


自由気ままな運動にも、ひとつだけルールがありました。

「自分たちが最終責任を取れないことを勝手に仕掛けない」

これは「一人を争うような選挙に候補者を立てる場合」や「住民投票を仕掛ける場合」の事を想定しています。結果次第では、全員を巻き込んで危険に陥れるからです。これらの場合はとことん話し合って態度を決定します。場合によっては必要な人数をあらかじめ決めて「特別委員会」が出来ることもありますが、極秘事項はその特別委員会にゆだねられ、ネットワークで逐一報告する必要はありません。報告のタイミングは特別委員会に任されていて、たとえ報告が無くても苦情は少なかったと思います。かくして徹底的に情報が管理されました。長い闘いで、大事な話が「筒抜けた」という経験は全くなかったといってもいいと思います。


なぜそんなにキチンと守られたのかー、基本的に「国家との喧嘩」である事実をみんなが自覚していたし、それだけ皆が真剣だったからだと思います。


ながながと書きましたが、それだけの運動を造った私たちでしたが「住民投票」をしようという意見が多数をしめることは最後までなかったのです。


結論をまとめると


住民投票と言えども、純粋な賛否などというものではなくて、政治の力関係に著しく左右される、極めて政治的な出来事なのだということを私たちは体験的に知lりました。 反対派が多数を占め、首長も取りという状況下で、なお「くすぶる推進論」を一掃するというスチエィション以外では「危険である」と私は今でも思っています。

 

反対と賛成が拮抗した場合、たとえ反対が多くても「止まる」ということはありませんが、賛成が反対を上回れば「一票でも勝ちは勝ち」とばかりに攻勢してきても、私たちには有効な防戦策が見付かりません。


住民投票か国民投票かという問題もありますが、自民党議員のほとんどと、民主党議員のかなりの部分が電力と結託して繰り広げると思われる物量作戦をキチンと報道するマスコミなどあるのでしょうか。


地方は自民党のドブ板選挙の地盤を使い金を動かします。都市部は立て続けに停電を仕掛けて、危機感を煽ります。それに勝てるほどの民主主義を私たちは本当に持っているでしょうか・・・・。負けて、その結果、正義として原発が造られて行くという状況ほど救いの無いものはありません。反対運動は壊滅に近い打撃を受け、マスコミは民意とばかりに推進の援護射撃をするでしょう。


基本的には住民投票で決するのが筋ですが、万が一負けても「多数決は正しいから原発は正義。それならば造りましょう」とは私は決して思いません。「負けたら潔く多数に付く」という気持ちが全く無いのに多数決を仕掛けるのはどうしても気が進まないのです。


「誰かの仕掛けた住民投票が怪我の功名で、予想外に盛り上がって本当に原発が止まるかもしれない」と思えるほど、私自身が若くないのかもしれませんが・・・・・・・ね


これらの懸念を総て払拭して、きちんとした住民投票が成り立つ国にしたいものです。残念ながら私たちの世代では出来ませんでした。それを目指してどう動くのか、私にはわかりません。




原発立地予定地で、実際何が起こったのか。

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問題点2

インチキ選挙が未だにまかり通る地方の村々の民意が国まで届くでしょうか。公職選挙並みの罰則を盛り込むのは最低限度の配慮でしょうが、本当に出来るのでしょうか


住民投票は公職選挙法に概ね準拠することになっていますが、しかし、罰則規定がありません。珠洲市に適応した場合、買収や妨害を止められないと私たちは考えました。


珠洲市は選挙のたびに、買収が繰り返されています。ある村に私たちの仲間が選挙運動に行ったら「あんたはいくら持ってきた」と聞いた子供がいました。このひとつで選挙の風土がわかります。


原発選挙のたびに、投票箱そのものを入れ替えたという噂が巷にあふれます。それこそ何十年も昔に、実際に在った事件だったという話を、その手法も含めて何度も聞きました。


それらの話は未だに過去のことにはなっていません。選挙のたびにお金が動き、金でしか票が出ないらしいという地区が未だにあるのです。選挙を実際に体験してきた私には実感として、とても良く理解できます。


選挙後に議員が集まって車に乗る機会があり、ビールでも出ればなお更のこと、確実に選挙の話題で盛り上がります。私たちがいても、普通に、金で買った票の話のやり取りが続きます。聞きとがめても「冗談」にされるだけ・・・。その時の自分の選挙の感じに照らし合わせても、それらの話はあながち冗談ではないことは明らか。実感は伝わります。


選挙の前に有権者宅へ原発反対のチラシを持って尋ねても、同じ包装紙の箱が、ある会社の名刺を添えて、どの家もどの家も上がりかまちに置いてあることが何度もありました。その資金の出所は電力会社?そのうち、ある候補が電力へ軍資金を貰いに行ったという話しが関係者から聞こえてきます。「やっぱり」それでも捕まって当選が取り消されるような事態は一度もありませんでした。


そんなところで住民投票が行われても、民意がちゃんと反映するとは私たちは思えませんでした。国民投票ともなれば、珠洲市みたいな地区が、まだたくさんあるという事実をしっかり踏まえて、公職選挙並みに罰則もしっかり盛り込んでおかなければなりません。十分に資金さえ下ろせば、確実に動く組織が、まだ末端には生きているのです。電力会社はここ一番の勝負となれば、何をするかわかったものでは在りません。罰則規定がなければ軍資金はふんだんに出ます。いつもの自民党の方々が張り切って動き出せばも手も足も出ない地区がたくさんあるという事実をシビアに捉えて動かないと勝ち目はありません。


思いつきとムードだけで、電力や国家を相手にしても、簡単に勝てるとは私は思えないのです。


原発立地予定地で、実際何が起こったのか。

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