小さな仏様
子供のころ、夏休みになると 父母の郷里の北海道 江差によく行った。
実家の前の寺に木で出来た大きな仏様があって、ちょっとユーモラスなお顔立ちは今も忘れない。
実は、この仏様は円空仏である。
円空は日本中を旅して、多くの木の仏様を残しているが、北海道にまで出かけた事にも驚かされる。
20年くらい前に上田に行った時、美術館の片隅に小さな木の仏様がたくさん並べられていた。
「好きなものをひとつお持ち下さい」と貼り紙がしてあり、その時に頂いたものが写真の仏様である。
これは、上田に住む百歳のおじいさんが趣味で彫ったもので、とてもありがたいものである。
教室の片隅にいつも飾ってあるが、これがなかなか良いのである。
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秋葉生白
奇を衒(てら)う
良寛の書が高く評価されている大きな理由は、その書に堅苦しいものが無く、うまく書いてやろうという動機が感じられないことにあります。
人間は欲があるので、一枚目より二枚目、二枚目より三枚目と 良い書を書いてやろうと思いがちで、そうなると そこにいやらしさというか、その人の欠点が出てしまうものです。
人が見てどう思うか、一発 誰も書いていない書を創ってやろう とすることが“奇を衒う”という事です。
これは、大変恐ろしい病気のようなもので、自分の眼を信じることは良いのですが、他の物を見られなくなってしまう地獄道に陥ってしまいます。
自分らしく広い心で書くという修業は、なかなか出来るものではありません。
一枚目に書いた書に 良いものが出来ることが多いのは、その作品にとらわれていないからです。
では、一枚だけ書けば良いのかというと そうではなく、更に書き続け もう駄目だという時に書いたものが、力が抜けて良い物が出来たりします。
全てを捨てて、無為になって書くこと。
これこそ、書の真髄なのだと思います。
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秋葉生白
猛暑とステテコ
ステテコが人気らしい。
カラフルなものなど、男性だけでなく女性もはいてよいとのこと。
不思議な感じがした。
元々、着物の下にステテコはよく穿くものである。
裾捌きという言葉はあまり使わなくなったが、この裾捌きをするには、ステテコは最適である。
猛暑ゆえ、日本の伝統の衣類が見直されるのだろうか?
今年の夏が暑くなかったら、ステテコなんて忘れ去られていたのだろうか?
日本人は戦後、とくに新しい物に飛びつくことが消費の美徳と勘違いしてきたが、洋服だって タンスからあふれるほど持っている日本人などは少なかった。
むしろ、冬服と夏服1~2枚のワイシャツにコートくらいの大人も多かった。
しかし、昔の日本人は工夫がうまかった。
視点を変えることがうまかった。
取り合わせがうまかった。
感謝の念が深かったのである。
ステテコ姿で写真を撮りましたが、
見苦しいので掲載は見送ります。。。
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秋葉 生白