膨れ上がり続ける人口を抱えた江戸に十分な飲料水を供給する切り札として開削された玉川上水。現在の羽村市から多摩川の水を引き込み、新宿区四谷までの43kmを手掘りの水路でつなぐという大事業でした。これが完成したおかげで水資源の乏しい武蔵野台地上でも新田開発が一気に進んだそうです。赤土の火山灰層の下は保水力の無い砂利の層という厄介な性質の土地を、よくぞ器用に掘り進めたものだと感心しながら調べていた所、やはり2回ほど大失敗があったよう・・・。その痕跡は府中市と福生市に残されています。今回は昭和記念公園からほど近い福生市の遺構を訪ねてきました。

JR拝島駅近くから見た玉川上水。両側は静かな住宅地です。

 

西立川駅からJR青梅線で約10分、拝島駅で降りて北口を出ると、住宅街の中を玉川上水がゆったりと流れています。目指すのはその名も「水喰土(みずくらいど)公園」です。上水に沿って細い散策路が設けられていたので、そこを伝って上流へ。高さ180cmほどありそうな横のフェンスがちょっと無粋にも思えましたが、所々に掲示してある注意看板を見て納得。ここは今でも水道用水として現役で利用されている区間なのです。

 

普通の川ではなく、今でも利用されている大切な水資源です。

 

遊歩道の頭上すぐを横切る八高線。フェンス横は玉川上水です。

 

上水を連れだって泳ぐカルガモ。餌を探して潜るおしりがキュート。

 

のんびり泳ぐカルガモの姿に癒されたり、頭上を横切る八高線の電車に驚いたりしながら進んでいくと、駅から10分少々で目的地に到着しました。

 

桜と手入れされた花壇が目を引く一見普通の公園です。

 

その字が表す通り、地盤の透水性が非常に高かったため、いざ水を流してみたらこの地点で全て水が地中に吸い込まれて消えてしまったそうです。水を喰らう土で「みずくらいど」なんですね。幸い北側にルートを変更して掘りなおした方は、今も豊かな水をたたえていますが、重機のない時代にとてつもない労力を注いで掘り上げた水路が、いざ実用にと思ったところで役に立たなかったなんて、当時の担当者の心境を思うとこちらも肝が冷えます((((;゚Д゚))))

 

遺構全景。写真右奥から左手前に伸びる溝が使えなかった堀の跡です。

 

階段で堀の底へ降りられるようになっています。高低差7~8mはありそうでした。

 

同様の失敗は府中市でも伝えられており、そちらの遺構には「かなしい坂」というこれまたインパクトの強い名前が付けられています。地中に水が吸い込まれてしまい水路を掘り直さなければならなかった点までは同じなのですが、失敗の責任を問われて処刑された担当役人が「かなしい」と言い残したのが地名の由来という、水喰土より相当に血なまぐさい話が残っているそうです。処刑のくだりはフィクションだという説もあるようですが、願わくばそうであってほしいですね。(篠原)

 

 

 

 

AD