デートDV防止教育・DV加害者プログラム                SEDA(シーダ)のブログ

SEDA(Sexuality・Equality・DV・Action)誰もが自分らしく生きられるために……
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SEDAでは、女性支援の1つとして、「エンパワメントひろば」を行っています。

 

プログラムに通っている男性のパートナー・元パートナーさんと私たちSEDAのスタッフがお茶やお菓子をいただきながら色々なことを語りあったり、ちよっとしたお勉強みたいなことをする会です。

そんな何でもないような会ですが、私たち女性が本来もっている輝きとか、力強さとか、自分らしさを取り戻す、何かのきっかけになったらうれしいなぁ~と思っています。

 

さて、5月の開催日ですが、来週の

28日(日)午後1時30分~

です。

いつも来てくださっている方、しばらくお休みしているけど、行こうかな~?と思っている方、お待ちしております。

                       SEDA 事務局 

 


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5月の 「こころのケア講座」 開催のご案内

 

   連休も終わり、真夏のような日がたまに訪れるようにもなりました。

   今月の自分ケア、癒しのための「こころのケア講座」開催のご案内です。

   年度初めの変化から慣れた今日この頃、私らしさの再確認してみませんか。

 

 【こころのケア講座】 

 

      ビル  会 場  豊島区男女平等推進センター エポック10

           としま産業振興プラザ(IKE・Biz)3階 研修室1

                            

               ※ 会場が変わりました。 ご注意ください

             http://www.city.toshima.lg.jp/049/kuse/danjo/004668.html  

 

   時計  日 時   5月27日(土) 14:00 ~ 16:00

   メモ テーマ   「世間の枠」と私らしさ

   がま口財布 資料代   ¥1000 

      

                 ※女性限定    申込み不要。                              


      電車バス【アクセス】  http://www.toshima-plaza.jp/access/

                豊島区西池袋2-37-4

                JR・東京メトロ・東武東上線・西武池袋線 都バス、民営バス

                池袋駅西口より徒歩約10分 南口より約7分。

 

 コスモス天気が良ければ、フラリとお立ち寄りいただけると嬉しいです。ニコ

 

 

 <6月こころのケア開催ご案内

 

    6月24(土)  会場:産業振興プラザ(IKE・Biz)3階 研修室1 ←※

                              時  間:14:00~16:00  

              テーマ:「身体的暴力・性的暴力」

              資料代:¥1000 

                 女性限定

 


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最近、子どもの相談に乗ることが何回か続き、それも部活の悩みの相談が続きました。

なにより子どもたちは忙しく、疲れているなぁというのが相談を受けてて、素直に感じた感想です。

 

とくに集団で行う部活では、やはり人間関係が難しく悩んでいる子が多いのかなと感じました。

ホトホト疲れて辞めたいのだけど、みんな頑張っているし、自分が抜けると今まで頑張っていたのがダメになる。そう思うと辞めたいけど、辞めたいと言い出せない。だけどもう体も心もボロボロという思いでいると、おおよそそんな悩みの相談が偶然か続きました。

 

皆を思う気持ちは責任感もあって、頑張り屋なのだなと思います。ですが、それと本当の自分の気持との折り合いをうまく付けられず、ズルズル歯を食いしばりながら頑張ってやって行く。そのうちに、部活が楽しいのか楽しくないのか、何のためにやっているのかわからなくなってしまい、ついには部活の教室前に行くと吐き気がするというところまで行ってしまう子もいました。

 

皆を思う気持ちと自分の気持ちが両立しない。双方の気持の間で板挟みになる悩みは、相手にとって好ましからざるものを伝え、受け入れてもらわなければならない。なので、それを言い出せなくて悩むのでしょう。

 

相手に迷惑やイヤな思いをさせることは申し訳ない。そして自分も嫌われる、仲間外れにされるなどの恐怖がある。その気持ちはとてもよくわかるように思いました。やはり仲間外れにされ、誰も口を聞いてくれなかったり、悪口を言われるのは本当に怖いです。だから自分の本当の気持を押し殺してその状況に居続けることになってしまうのでしょう。

 

正直何と言っていいのか、具体的にどんなアドバイスをすればいいのかわかりませんでした。

ただ苦しい気持ちを吐き出してもらって、今までもいろんなことを考えたはずですから、それらを聞きながら一緒に考えるしかできないように感じました。

 

話しを聞いていて、1回で解決しようと思っているわけではないと思うのですが、何度でも相手と話し、相談してみよう、自分の気持を少しずつ話して自分のことをわかってもらおうとするプロセスがないように感じました。

 

相手があまりいい顔をしない申し出をするのであれば、相手の気持ちに湧き起こるネガティヴな感情を言わせるというか、吐き出してもらいながら、「そうだよね。ゴメンね」と伝えつつ、相手のネガティヴな気持ちや文句をこちらも受け取りながら、何度も話し合いをして落ち着きどころを捜すしかないのではないでしょうか。

 

相手がこちらの言い分を受け入れてもらえないかもしれないことに対処するには、そうとうなエネルギーが必要でしょう。なので散々思い悩んだあげく、やっとの思いで決心して頑張って打ち明けて玉砕することもあり得ます。そうするとまた同じような自分の気持が現状について行けなくなった時に、いよいよのところまで我慢して自分が壊れるしかない選択をしてしまいがちになるのではないでしょうか。

 

その時は、何とかクタクタになりながら表面上やり過ごして行けるのかもしれませんが、後々大きな影響が出るのではないでしょうか。こののちも難しい状況は起きて来るでしょう。そしてガマンしてやり過ごすという解決方法しか思いつかないのなら、遅かれ早かれ限界が来てしまい、自分が破綻してしまうのではないでしょうか。

 

子どもたちは苦しんでいると同時に、表面上は特に問題の無い普通に過ごせる日常に喜びを感じています。そしてそれを続けて行きたいと望んでいます。その関係性の維持を望みながら自分の悩みや問題も解決したい。そのためギリギリまで思いあぐねる。いよいよ言わなくてはと思った時には、その自分の思いの丈だけをストレートに言ってしまい、仲間から忌み嫌われ、関係性が壊れてしまうということになってしまうのかもしれません。

 

自分と相手や仲間との思いがズレたり違ったりすることは、これからもあるでしょう。

そうすると、双方が持つネガティヴな感情や気持ちを正直に丁寧に少しずつ話し、すり合せていくようにするしかないのではないでしょうか。

 

双方が「自分」を伝えること。自分を語ることでお互いが相手を理解でき、どうしてそんな考えをするのかを理解できれば、仲間外れにされたり不登校になったりというような、深い傷つきやトラウマになるほどのひどいことにはならないと思うのですが、それはあまりに今の子どもの世界を知らな過ぎる楽天的な考えでしょうか。

 

                 ひろこ

 

 

 

 

 

 


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DVの相談に来られたとき、まずDVを受けている被害者の安全を確保するよう努めます。

離れること、シェルターに逃げるということもあると思いますが、多くは別居をすることになるでしょう。

 

別居=DVから離れること。

 

身体的にも、心理的にも、物理的にも離れ、安心で安全、気持も身体も休まる状況が必要です。

つねにDVの状況、力と支配の状況下で、何が起きるか、どんな危険がいつ起きるか気が休まらない状態から解放されます。

 

別居してDVから逃れた時によく聞くセリフが「久しぶりにゆっくり寝ることができた」という言葉です。

人は寝るのは当たり前のことですが、その当たり前のことができない状況だったということなのですね。

常に神経がはりつめ緊張状態にあったという証でしょう。

力と支配、暴力、危険が当たり前のようにはびこっている世界に日常的にいると、それが当たり前で、そこから離れて初めて、こんな平和で心穏やかな休まる環境があるのだと実感するのでしょう。

意識することがないほど当たり前の世界では、その世界を離れないと、いかに異常な環境に居たのかに気づけないようです。

 

安全が確保できたら次にどうするか。

その安全で安心な世界に居続けたい、維持したいと考えます。当然ですね。

ですが、その安心安全な環境が一時的なものだったら、また元の危険な世界に戻るしかありません。

それが嫌なら、持続可能で安心安全な世界に移動するか、作るしかないのです。

 

大きな災害に遭い、緊急避難から復興への状況に似ているように感じるのは私だけでしょうか。

 

まずは何をおいても避難です。命が危険な状況から逃れる離れる。(発災起点からの避難)

【一次対処:緊急避難→避難生活への移行期間】

 仮の安全な場所の確保(避難所入所)

 被災生活拠点の確保と維持(避難所生活の始まり・秩序作り)

【二次対処:避難生活と生涯的生活基盤へ向けての準備・探索期間】

 避難所生活の適応①=個人:心身の健康の取戻し、自分家族関係・役割の見直し、仕事・収入の確保

 避難所生活の適応②=コミュニティ:避難所コミニティへの適応と個の確立、相互協力・貢献・維持など

 避難所生活の適応③=今後に向けて:本格的生活基盤・復興へ向けて情報収集や見通し・検討など

【三次対処:】

新生活(恒常的・生涯的生活)にむけての具体的稼働(制度や助成の申請や補償交渉、ローン計画など)

新生活へ向けての決断(良くも悪くもあらゆる取捨選択)

新生活へ向けて稼働(復興住宅へ転居、建替え建直し、家族の再生、新天地へ転居、転職など)

新生活再スタート

 

と復興までのプロセスを簡単に書くと、

緊急避難 → 仮の生活(避難所生活) → 新生活へ向けての準備期間 → 新生活(新居・新天地生活) と、なりますでしょうか。

一番困難で長期化するのが二次対処の「新生活へ向けての準備期間」ではないでしょうか。やらなければならない課題が多く、かつ不慣れで複雑なものが乱立しストレスフルなことばかりです。それをほぼ同時に自分を整えながら進行させていかなければならないのです。

 

DVの回復プロセスと災害からの復興を同じに例えるのは、被災当事者の皆さまには「全く違う!」と怒りを買ってしまったかもしれません。申し訳ありません。

ただ、突如として人生が激変、大きな困難に遭った時のプロセスの現象として抽象化してみると、

あまりに巨大過ぎて、自分ではいかんともしがたい人生の困難危機に巻き込まれた時、唯一できることは、その危険や困難や被害にできるだけ遭わないよう避ける、ただただ遠ざかるしかありません。

離れたからと危険を免れただけで、決して安全安心になったわけではありません。

 

安心で安全な生活を恒常的に保つためには、安心安全のための環境を整えなければなりません。

待っていてもその環境は整いません。自らが動かなければ安心や安全の確保はできないのです。

そのためにそれらを獲得するための自分を備え、必要な準備をしなければならない、この段階が非常に険しく大きな困難と負担が伴います。

 

ダメージを受けた自分を整えるのも大変な作業です。なおかつ周囲と協調や調整もしなければならず、それは負担であると同時に大きな支えにもなります。その生活も恒常的なものではなく期限つきで、最終的に生涯的な見通しを想定した、安定した生活へ脱却していかなければならない。この大きな課題に万全ではない自分で向き合わなければならないのです。

 

安心で安定的生活を手に入れるためには、自らの力や知恵を駆使しなければ手に入らない。どんなに理不尽でも、災難を被った私がなぜ!やらなければいけないのかと思っても、自らが動き訴えなければ、いつまでも手に入らないのです。責任も賠償も補償も黙っていては自分に届いてこないのです。

 

責任者が何とかすべきというのは正論です。だからとただ待っているだけでは、残念ながら、結局はいつまでも安心と安全な日常生活は手に入れられないのです。

新しいものを獲得するためには、それらを得るにふさわしい力を持たなければなりません。持っていた力を復活させ、知恵や新たな力をつけ加え発揮しなければ、手に入らないのが現実ではないでしょうか。

 

平穏な日常が突如として奪われ消失し、危険にさらされ、安全でなくなってしまったら、新たな安心と安全を手に入れなければ生きていけなくなってしまいます。危険な目に遭い、命からがら逃げて来て、人生の大切な人や存在を奪われ失ってしまったら、誰もが気力も生きていく力も残っていそうにありません。

 

自分一人ではできそうにないのなら、一緒にそれらを目指す仲間とともに力をつけ支え合いながら、徐々になすべきことに向かい合える力をつけていくしかないのではないでしょうか。仲間とともに安心安全を脅かす元凶に向かい合い、取り組み、知恵と努力と考察を重ね、実行し、新しい平穏で安心を手に入れるしかないでのではないでしょうか。

 

時間や壊れたもの奪われたものは元にもどりません。でも安心安全は手に入れることができます。

それを自分でつかみ取るためには、今はまだ持っていない力を身につけなければならないでしょう。

自分自身が元から持っていた力と、新たに手に入れた知恵や知識、協力をもとに、生きていけるための力、土台となる安心感を取り戻し、前に進めるようになれればと思います。

 

簡単ではないでしょう。ですが生きよう、新しい人生を作りなおそうとするのなら、自分で自分らしく生きていくための力をつけていく必要があるのではないでしょうか。

 

                     ひろこ

 

 

 

 

 

 

 


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今日のバスの中での出来事です。

 

若いお母さんが赤ちゃんを胸の前で抱っこしていました。

赤ちゃんがぐずり出して、エッ、エッと顔をしかめっ面で泣いて、頭を後ろにのけぞらしたり、身体を左右に揺すりだしたりして、今にも大きな声で泣き出しそうになっていました。

たぶん重いと思うのですが、お母さんは、赤ちゃんが泣き出さないようにと一生懸命ヒザを使って、上下にリズムをとってあやしていました。

 

乗客の多くは、お母さんが赤ちゃんを泣かせちゃいけないと思って、一生懸命あやしているのがわかっていたと思います。

 

すると、お母さんの右隣りに立っていた若い男性が、自分の背負っていたリュックサックにぶら下げていた、マスコットらしきものをお母さんに、「これ、(赤ちゃんに)どうでしょうか」みたいなことを言っていたようです。

 

私は、そのお母さんの少し左横にズレた後ろに立っていたので、その男性が具体的に何と言っていたかは聞き取れなかったのですが、お母さんは、その男性に歯切れよく「大丈夫です」と答えて、赤ちゃんのおもちゃを取り出していました。

 

若い男性が赤ちゃんのために、そしてお母さんのために何かできないかと思って声をかけたのでしょう。

 

私としてはちょっと意外な光景でした。

若い男性がお母さんと赤ちゃんに関心を寄せて声をかけることが。若い男性は、赤ちゃんやお母さんには目もくれず、空気のような在っても無いような存在で、下を向いてスマホをいじって自分の世界に没頭しているというように思っていました。それは私の思い込みの偏見でした。大いに反省しなければと思いました。

 

そして、もし私が彼の位置にいたとして、仮にリュックサックに可愛いマスコットをつけていたとして、私は彼のように、そんな思いやりのある気の利いた言葉掛けができただろうかと考えました。

 

小さな思い遣りだけど、だからと誰もができる思い遣りではないんだなと思いました。

その人の、その場の状況の見立て、困り具合の度合いや周囲からの見えないプレッシャーを感じ取る感受性、自分が今持っている、そこにあるものを活用する力、そして声をかをける勇気や役立つ提案、優しい雰囲気など、色んな要素が凝縮されている、しかも、さりげない。

 

とても自然でスゴイ!と思いました。私にはそんな機転は働かないだろうし、このさりげない思いやりはどこから来るのだろうと思いました。

その人の人柄と言ってしまえば一言で片付いてしまうのですが、身近なところで、さりげない思いやりを発揮するモデルがいたのではないでしょうか。それらを見ていることで自然と身に付き、習慣化して、何気にできてしまうのではと推察します。

 

いいモデルが身近に常にあると、それらは決して難しいものではないのかもしれません。なぜなら、それが当たり前だからです。

そして、相手に関心を持つことも大きな要因のように思います。

あっ、今回の場合は、子どもが好きだったというのも大きな要因かもしれませんね。

 

人に小さなさりげない思いやりを向けてみたら、相手からも心地よいフィードバックが返って来た。そんな経験をたくさんしているのではないでしょうか。それがまた自分の中にポジティブな要素、力となって次々発揮できるようになっていくのではないでしょうか。

 

思い遣りだけでなく、新しい行動様式や、新しい気持ちの働き方は、最初、自分の中に小さな目新しいものとして入って来る。それを「ウン?何これ?」と思ってやってみたら、その結果いいフィードバックが返って来た、それを繰り返しているうちに定着し、いつの間にか体に染みついてしまうのかもしれませんね。

そういうものをたくさん増やしたいものです。できれば、人柄と組み込まれてしまえるまで。

 

             ひろこ