テーマ:日記
東北地方太平洋沖地震から、1ヶ月経ちました。
当日僕は、家の自分の部屋に居ました。
その日は本来出かける予定でいたのですが、TSUTAYAに返すべきDVDをまだ親が観ていなかったため、観終わったらにしようと思っていました。それが結果的に家族全員と離れることなくいられたことに繋がったのですが…。
3月11日午後2時46分
突然激しい揺れが襲い、僕は慌ててストーブを消して自室を飛び出しました。
廊下に出ると立って歩ける状態ではないほど大きく揺れ、その場に座らざるを得ませんでした。そして気付けば、隣の部屋から出てきた弟の頭を抱き抱えて守ろうとしていました。
どのくらいそうしていたのでしょうか。揺れは収まるどころか一層強くなり、「死ぬんじゃないか」と脳裏に浮かび、腰が抜けてしまいました。
そのとき、階下から両親の声が聞こえて我に返り、階段を降りて外に出ました。
近所の人たちがあんなに外に居たのは初めて見ました。
ワンセグでニュースを見れば、M7.9の文字。震度6弱を自宅付近は観測していたことを知りました。
ツイッターでは「大丈夫か!」と多くの声が上がり、すごい勢いでタイムラインが流れていました。
その後も頻繁に余震は続き、電線が大きく波打ち、外でもその揺れを感じるほどの大きなものが続きました。
家の中に入るのも躊躇われてしまい、その日は仕方なく車中泊をすることになりました。
電気も止まってしまったようで、真っ暗な夜がやってきました。地震の直後にはまったく理解のできないほどの雪も降りました。
カーラジオからは地震のあとにやってきた大津波の情報が流れていました。僕が住んでいる地域は山間にあるため、仙台の若林区などが津波で壊滅状態にある様子がまったく想像できませんでした。
その様子を目で見ることができるのは、15日の夜、テレビが見られるようになってからでした。
夜はまったく眠れず、揺れ続ける音とラジオから流れる安否確認の情報に寄り添いました。
翌朝になり、地元を歩いてみると、信号が止まり、橋は少しズレて、重苦しいほどの沈黙に包まれていました。
家の片付けを始めると、中はめちゃくちゃでした。
中でも、自室にある最も重たい本棚が、元ある位置から何十センチも動いていたのには驚きました。
ライフラインは、電気が14日、水道が18日復旧でした。
ガスは元々使っていないので分かりませんが、つい最近になって近くの家にガス局の人たちが点検しているのが見られました。
まだまだ過去のことではないです。この前も大きな余震が起き、停電もしました。
沿岸部ではまだまだ避難所生活が続いています。
立ち上がれるようになった僕らから、頑張っていくしかありません。
過去は変えられませんし、過去には帰れません。
ニュースでは、復興には10年近くかかるだろうとまで言われています。
僕ら若い世代が、その期間を短縮できるよう、やれることから一つずつ。
そう思いながら、犠牲になった人たちへ黙祷を捧げました。
頑張りましょう、みんなで。


