私にはとても仲の良い女性の友人がいます。
彼女とは会えばいろいろな話をします。
彼女と出会うきっかけがピアだったからこそ、中絶や性行為感染症、HIV/AIDSの話を飽きるまでずっとしているような仲です。
彼女は私が看護大学に通っていることにたいして、
「絶対に産婦人科の看護師にはならないで、子供がほしくなくなるから」
と、言っていました。
私が子供を持つことに対して消極的な意見しか言わないからです。
私も笑って受け答えしていました。
笑顔が消えない、そんな女性でした。

そんな彼女が去年(2008年)の10月12日、複数の男性に強姦されました。
そしてその日のうちに彼女から私にメールがありました。
そのころ私は大学祭の準備で忙しかった時期でしたが、会議を仲間に任せて彼女に会いに行きました。
彼女は、親にも、仲の良い女友達にも話せなかったその話を刻銘に私に話してくれました。
服を破られ、
乾いた性器に挿入をされ、
彼女の初めてという体験を奪われた、
その話を涙を流しながらしてくれました。
私は、ただただ話を聞いてあげることしかできず泣いてる女の子一人救えなかったんです。

そしてそれからも何度か彼女に会い、話を聞いてあげることだけでしたが、泣いてばかりだった彼女に笑顔が見られるようになりました。
大学祭の打ち上げの時も、私は参加せずに彼女に会いに行き、彼女の話を聞いていました。
私はただ彼女の支えになりたかったんです。
今にも崩れそうな彼女の心を支えてあげたかった。

ただ人の悩みを抱える事は私にも危険なことでした。
11月中に何度も自己嫌悪に陥り、何度も死にたくなったりもしました。
彼女の支えになろうとした私を支えてくれたのは、恩師と、一人の女性に対する想いでした。

それからまたしばらくして彼女は笑顔を取り戻し、私は彼女の心の傷は癒えたものだと思いました。

しかし、12月の中旬、久しぶりにきたメールは彼女が妊娠したことを告げていました。
たった一度、襲われたことで彼女は妊娠しました。
私は大切な友達がレイプされたことに加え、妊娠までしてしまったことに呆然としながらも、妊娠したときの対応を教えました。
彼女は産むか産まないか。そこで彼女は産まない、人工妊娠中絶を選びました。
彼女は私と同じ19歳で、例え周りの協力をしてもらっても、子供を育てるのは難しいんです。
何よりもまず彼女は産めないと言っていました。
「私がこの子を産んでも、私はこの子を愛せない」
そう言っていました。

彼女は中絶には絶対反対をしていた女性でした。
そんな彼女が自ら選んだその結論にたいして、私はなにも言いませんでした。
それ以外に選択肢がなかったのも理由です。
彼女は私に、人工妊娠中絶をするために産婦人科に行くのに付き添いを求めてきました。

中絶は時間が限られているため、産婦人科に行くのは数日後ではありましたが、12月24日になりました。
お互いがまわりに気付かれないようにできる限りそのまま生活を続け、予定が空いている日が皮肉にもクリスマスイブでした。

彼女が麻酔で眠るまで、私は付き添うように頼まれました。
彼女は眠りにつくその瞬間まで泣いていました。
泣きながら「ごめんなさい、ごめんなさい」と、お腹の中の赤ちゃんに謝っていました。



これが、一人の女性が泣いた理由と、一つの命の重さを証明するための話です。
中絶後、三時間の休憩をして私は彼女を家におくりました。
その間彼女は一言も言葉を発しませんでした、しかし彼女は胸を引き裂かれるほど悲しかったはずです。

どうしてこんなことが起きるのか。

どうして誰にも知られずに消える命があるのか。



そして1月。
彼女に呼び出された私はこう言われました。
「もしピアでたくさんの人に話をする機会があったら、私の話をして」と。

もうこんなことが起きてほしくないと思った彼女は、私にこの話を広めてほしかったのです。

そして誰にも知られずに消える命があるのが許せなかった彼女は、その命の存在を多くの人に伝えてほしかったのです。

これは彼女が流した涙と、
命の重さを伝えるための話なんです。

世の中にこんな悲しい涙が必要だなんて、俺は絶対に思わない。

俺は彼女のような被害者の声を伝えるためにここにいます。

皆さんはどう感じましたか?