kamae メッセージ

様々なメッセージです。


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今回はある記事をご紹介(引用)させていただきたいと思う。

少し表現がきついかもしれませんが、正直大切だと。

---以下引用---


賢き親に

「親も頑張ります」とか
「絶対負けるなと子に言うのは小学校低学年まで」
といわれることがありますが、...
それさえ、とんでもない大きな間違いだと言い切れます。

小学校低学年でも、
そんなアホくさいことを子供にむかっていう親の子は、
自分が戦うその意味が理解できないまま大人になっていくわけです。
子の挑戦の弊害であり、
子の「負けない心」をつくる役には一切なりません。

そういう親のストレスの玩具な環境で過ごした子は、
思春期を迎えたり、
新しい世界に直面したり、
越えられぬ壁が出現する、
その事あるごとに、
厳しさを我慢して努力すること、
負けを受け止めること、
相手を尊重すること、
自分の挑戦へのひたむきさなど
人としての基本的な資質が欠落した大人になるんです。
大切なとき、見てきました、
自分の挑戦を見失う若者を。

負けを経験させる。
勘違いを身をもって気づかせる。
そして泣きやんだ子の肩をそっと叩き、背なを押す。
それが親です。

負けて泣き歯を食いしばる経験を親は進んで提供するんです。
上には上がいる世の現実を親は認知させるんです。
進んで勝負で負ける子をほくそ笑んでみるのです。
一緒に興奮したり、落ち込んだりするのは考え違いなんです。
「彼自身の敗北」それは彼にとってとても幸せな事なんです。
素敵な事なんです。
それは自分は優秀だという幻想・認識誤謬をしない人間に育ててくれるのです。

だから、親が勝ち負けで、はしゃがないこと。
カッカリしたり、
ユニフォームを着て会場ではしゃぐ軽率な親は
まさに大人として劣悪で、
その子も同じ残念な人間に育てようとしているのです。

自分の子への愛情を、
正しく表現できないと知っている賢い親は、
一歩下がって口を閉じ祈るのです(笑)。

10年遡っても、近くは大島の親も伊東の親も國吉の親も、・・・・
尊敬すべき人格持った我慢強い選手の親は、
例外なく皆そうでありました。
チームの勝敗についても常に一歩下がっていました。
杉浦の母親などはまさに天然でした(笑)
「あら、勝っちゃったの」と(笑)
負ければ「まぁ残念でしたっ」と(笑)

チームは親の個人的感情と全く違うところで戦っています。
あなたの勝負ではもちろんなく、
誤解を恐れず言うならば、あなたの子の勝敗でさえないのです。
個人的勝利の願望など、
子の活躍への期待など、
一刻も早く捨て去ることこそ必要なのです。
チームの勝利だからヒーローはいらないし、
ミスを攻めることはない。
いいプレーを賞賛し、叱咤しあい、
一人のミスを全員でカバーする。

望むべきはチームの勝敗なのです。
それが後ろ盾であり、応援なのです。
そこを間違えると、
瞬く間に決定的な勘違いに陥るのです。

もっといえば、
チームの勝利さえ望まない方が優れているのかもしれません。
チームがらしく楽しそうにプレーしてなかったり、
全力を尽くしているように見えなかったならば、
全力を尽くしている相手チームを応援できる、
そんな余裕があれば、
あなたは親として最高な人です。

勝敗はレギュラーだけの勝負であると考えません。
同時に試合に出たら幸せ、出なかったらダメだとも考えません。
良きチームの親はそのことをよく知っています。

この年代にもなって、
チームではなく自分の子だけを見ている親の了見は必ず子に伝わります。
その利己性は似ます。

寮の親のミーティングで原田鉄平のお父様が親たちに向かって言いました。
「大切だと思うこと。彼らは自分たちチームの目標に向かって、決まりを作り自分たちの意志約束で生活しています。そのことを尊重して親が馬鹿げた介入をしないこと。お願いします」と。
そうなんです。
そう言えることは彼らと子の変化を「星明子」のように見守っているからです。
その時、鉄平の親父さんが坊主頭の星明子に見えました(笑)
親の考えはもっぱら「行動」によって子にそのまま伝わります。
親にも指導者にもいるでしょう。
自分の行動は脇に置いて、他事として批評をする。
指導者や親は身をもって、意志で、生き様で、仕事で、
すなわち「行動」で、
「夢を持ち、その夢を実現すべく燃えることができるのは、全生物の中でも人間だけだ」ということを示すことが指導であり、子育てなのです。

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最近とあるチームの外部指導を頼まれと言うか、していただけませんかと言われので指導した際に選手へ言った言葉がある。



「みんなはうまくなりたい?」



そうするとたいてい子供は、「はい!!」と答える。



それが、いつの日か子供は「これぐらいでいいや」と自分に自分で制限をかけ始める。



なぜだろう・・・



まだ誰もそんなこと思っていないのに・・・


最近正直本当に多くなってきたのは、このケースに加え親が子供に制限をかけることが増えてきたのも事実。


「あなたはこうだから・・・」



思い出して欲しい。



我が子が生まれてきた日のこと。


あの、奇跡的な日を。


「生まれて来てくれて本当にありがとう。これからもよろしくね」と言いながら父親・母親としての実感がわかないままぎこちなく子供を抱きしめた日のこと。


初めて家でお風呂に入れ耳を抑えながら水が入らないようにオドオドしたこと。


「頑張れえ~!!頑張れえ~!」と心の中で思いながら、初めて寝返りをし子供に大喜びした日のこと。


初めてハイハイをして成長早いなと実感した日のこと。


初めて自分の力で立てるようになった日のこと。


ようやく自分の力で少しだけ歩けるようになった日のこと。


その時は家族全員で誇らしい気持ちになったこと。


そして、この子はスゴイと本気で思ったある意味親バカの始まりの日。


我が子が初めて「ママ・パパ」と言ってくれて母親・父親でどちらが先か競走したこと。


何の病気か分からず熱を出して心配のあまり病院に駆け込んだこと。


この子に何かあったらどうしようと考えながら過ごしたこと。


普段はしたことがないのに、その時だけ都合よく神様に良くなりますようにと真剣にお願いをしたこと。


子供が苦しむぐらいなら自分が変わってあげたいと本気で思ったこと。


幼稚園や保育園で泣きじゃくるわが子を置いて仕事に向かう自分に罪悪感を覚えた日のこと。


迎えに行くと「遅かったよ」と言いながら満面の笑顔で迎えてくれたこと。


参観日で観る少し一人立ちしたように見えた姿があったこと。


近くの公園で何回もこけながら泣きながら自転車の練習をしたこと。


なんか意味分からんけど一緒に走って疲れたこと。


はじめての運動会で遅くても一生懸命走る姿に勇気と感動をもらったこと。


そして、サッカーとの出会ったこと。


みんなと仲良くできるかなって思ったこと。


コーチの話を聞けるかな?って思ったこと。



まだまだ続くがどうだろうか。


大人はこのような歴史と言うか出来事をすぐに忘れてしまう。


大人なのに・・・


子供が生まれる前は、どの親も五体満足で生まれてくれれば頭が悪くても足が遅くても良いからと考えていたはずなのに。


そして、もし障害を持って生まれてきてもこの子を大切に愛してやろうと思ったはず。


でも、生まれて年月が経つと「もっと勉強しろ!!」「誰に誰に負けるな」勝てなければ、「あいつが悪い」

「チームが悪い」「指導者が悪い」と子供の前で平気で言って何を参考にしたか分からないが比較論で子

供と話し大人は考えを持ち始める。


言い方を変えれば、勉強は一番。勝ち以外許さん。あいつに勝ったら許す。うちの子は悪くない。チームが最悪。指導者はなっとらん。


他人は関係ない、子供に”無難”を教えて試合に勝てばいいみたいなことだろうか。


極端な言い方かもしれないが、子供は放っておけば置くほどどんどん成長する。


養殖のように育てたければ、大人・親・指導者のペースでやったらいいし、天然に育てたければ見守るしかない。

全てを自分でやらせ自分で責任を取らせられる親であるためには、親は見守っていることが大事なのかなと。



約18年指導してきて、結論うまくなっている子供ほど親は放っていたなと・・・






鎌江

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久しぶりの更新。




更新する気があるのかないのかよく分かりませんが・・・



物事には「良し悪し」がある。





物事の大半の良し悪しは“一般的”にといった部分で区別されることが多いのではないだろうか・・・




この一般的にといった考えはどの一般的かは今でもよく分からない。


おそらくだが、世間、世論と言った範囲内でのことなのではないかと思っている。




たくさんの良し悪しがある中で、少し本音で話していきたいと思う。



子供と生活する中で、「そんな物ばっかり食べていたら体に悪いからダメ」「ゲームやりすぎだから、しっかり勉強しろ」という親はいないだろうか?



サッカーで言えば、「お前やる気あるんか」「何であそこでシュートせんのか」などと言う親はいないだろうか?




これはほんの一例に過ぎないが、正直「え?!そこまで子供に言ってしまうの?」と言う言葉を耳にしたことがある。


ただ、各家庭の教育方針がある以上私がとやかく言うのは筋違いな話しだ。



親は子供に“良い”と思うものを与え要求する。



食事で言えば「魚・野菜は体に良いから食べなさい」と言って毎日子供に食べさせる。


確かに体には良いことだ。


しかし、子供の体に良いからと言って毎日毎日食べさせていたら、それは子供にとって本当に良いことなのだろうか??


いや、確実に子供ならばたまには「唐揚げ食べたい」「ハンバーグ食べたい」と言い出すだろう。




サッカーで「お前やる気あるんか」と言われ子供がめっちゃやる気を出しボールを追いかけまくりがむしゃらにプレーをする。そうしていると、がむしゃらさが力みを生みどこか落ち着きがなく冷静に判断できなくなり再び親に「お前何で落ち着いてちゃんと判断できんのか。ちゃんと考えてやれ!」と言われる。親はさっきまで子供に言っていたこと求めていたことではなく、その次の要求をする傾向がある。その結果、大半の子供は何をして良いか分からなくなり、再び「お前やる気あるんか」の“やる気”が振り出しに戻り子供の顔には精気がなくなってサッカーをやらされている症候群になりサッカー嫌いになることで辞めてしまう。




大人(親)は良いと思うもの、当たり前だと思うものを理解しているがための行動であろうが、実は子供にとって良いものだと思われるものが、実は良いものではなかったという事実ではないだろうか。



それは、おそらく子供が一番感じていることだろう・・・



何が言いたいかといえば、大人(親)が子供にとって良いと思っていることが、良いことではなかったりするということ。




以前、試合の日に子供が私に「ソックスを忘れました」と言ってきた子供がいた。私は「そっか・・・」とだけ言い話は終わったが、その後保護者の方は慌てて自宅に戻りソックスを取って来られ子供に「ちゃんと準備しないからでしょ」怒っていた。



結論から言えば、正直“放ってて”欲しかった・・・




試合に出られないから、友達に借りるのか、私に改めて相談するのかは子供自身に決めさせて欲しかった。おそらく保護者の方は試合に出られないからコーチに迷惑かかるし来た以上は試合に出てほしいと思っての行動だとは思うが、よく考えてみれば子供自身何も責任は取っていない。




私は、子供であろうと自分で責任を取らせて欲しかった。




私はその子供がソックスを取ってきてもらいそのまま試合に出場し例え優勝したとしてもその子が出られなくて悔しい思いをする方が「忘れ物をしてはいけない」といったことが確実にインプットされていると思う。それこそが繰り返さない手法だと思う。




私はそういう考える人間でありそういう指導者だ。



保護者の方が子供より先頭に立って失敗をカバーし、子供が取るであろう責任を取っていては、その子供は大きくなってから責任を取れる大人にはなりにくいのではないかと思う。



だからこそ子供にとって大人(指導者・保護者)の関わり方がもたらす影響は本当に大きいと改めて思う。



「うちの子はあの子に比べるとこれができません。できるためには親としてどう関わっていけば良いでしょうか?」と言われる。



まず、その前に逆にどんな関わり方が子供が伸びていくかということを考えてほしいと思っている・・・



私は、大人が言ったことができる子供に幸せを感じるのではなく、大人の展開・予想を裏切る方が大いに魅力的だと思うんだけどな・・・




成長とは本当に大きな失敗の中でしか生まれないと思う。

そんな失敗をする子供の経験を大人がちゃち(知恵)を入れ過ぎて良くなることばかりじゃないことを理解して欲しい。







鎌江













































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誰もがいつでもネットを閲覧でき疑問を感じれば質問し文句があれば匿名と言う自分を傷つけず批判・中傷をできる時代となった今、言葉を発信し残していくと言うのはどれだけ危険なことか思うが、今から書いていく文章は「私は」と言う観点からお話ししていきたいと思う。




それは、読んだ方がそれぞれの思いで感じ取ってくれたらと思っているが、ここにはほんの3割程度でしか本音で書くことはできない・・・



約15年プロのサッカーの指導者として関わってきた中で、私はなぜ自分がサッカーの指導者をしているのかと自分にも問いかけ続けてきた。

シンプルにただサッカーが好きなのか、サッカーをしてきたからなのか、サッカーじゃなきゃいけない他の理由があるのか・・・



十人十色本当にいろんな指導者がいる分、そこにはいろんな理由がある。


息子がしているから、単にサッカーが好きだから、人に頼まれたからなどたくさんの理由がある。



ただ、理由はどうであれみんな“サッカーの指導者”だ。



その中でそれぞれの指導者が大切にしているものもあると思う。



特に最近メンタルと言うか、「気合い」「根性」「戦う姿勢」を教えています!!と言うタイプのサッカーの指導者を見かけることが多い気がする。



その度に「あ~、そうですか」と言葉を返すが、その言葉だけを聞いたら何のスポーツか分からない。



他のスポーツをないがしろにしているわけではないが、その言葉を聞くと別にサッカーじゃなくても他のスポーツでもいいんじゃないのと思ってしまう。


みんな“サッカーの指導者”なんだから、野球でもなく柔道でもなく、まずサッカーを伝える義務・責任があるんじゃないかと思うんですね。



「サッカーを伝える」って本質が根底にちゃんとあって「気合い」とかなんだかんだ伝えることが大事なんじゃないかと。その根底がなく最初から気合いだのメンタルなどと言うのは、サッカーの指導者としてあまりにも無責任だと思うんです。


指導者・教育者としてのメンタルと言うか心構えと言うか人間としての生きていく術を伝えていくことも大事な要素ですが、忘れちゃいけないのは、私は、あなたは“サッカーの指導者”なんですってこと。



まあ、普段のトレーニングから指導者自身がメンタルのトレーニングをさせていれば別ですが()



だから、私は特に試合でメンタルにだけに特化してコーチングしている人は、はっきり言いますがサッカーの指導者だとは思ってないんですね。



いくらそれで大会に優勝していても、全国大会に出ても、全国制覇しても私自身のその思いはこれからも変わることはないでしょう。



サッカーの中身と言うか、その部分に指導者の“色”ってものがあるんじゃないかと思うんですね。

日常で言えば、コーヒーにもいろんな飲み方があるように、ブラックが好きな人もいれば、ミルク入り砂糖抜きが好き、ミルク抜きの砂糖入りが好きな人もいる。



コーヒー好きが紅茶は語らないみたいなもんで()



ミルクを入れる余裕を作っておく人。砂糖をいれる余裕を作っておく人。ミルクと砂糖を半分半分入れる人。そこには本当に様々な自分なりのコーヒーが存在すると思うんですね。



それこそが自分の色だと思うんです。


ただ、コーヒーにせよミルクにせよ砂糖にせよ入れ過ぎるとカップからこぼれるんですよね・・・



もしそれが子供に対しての指導だと考えたら・・・


容量を超えてこぼれてしまったら・・・


私は先の事(次のカテゴリー)を考えて、こぼれない程度でコーヒーでカップ一杯にしてほんのちょっとだけ砂糖を入れる余裕を作っているるな・・・








続く







なぜ、急にこんな話をしようと思ったか・・・
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ここで話は変わって、この間小学生高学年の試合を久々に見た。




試合中に「危ないだろう!!」と言う声が聞きえた。



「危ない?!」


何か飛んできたのかと思い反射的に体を縮こまらせ防御態勢を取りながら周囲を確認すると、試合中の監督から選手に対するコーチングでした。



珍しい伝え方だなと思いながら引き続き試合を見ていましたが、自分には相手が武器でも所持しているかのようなコーチングに聞こえました。


ん?!ちょっと待てよ!!そもそもサッカーの装備って何がありましたっけ?


ユニフォーム、スパイク、レガースぐらいですよね

パンツにポケットとかついてないし、もしパンツにポケットが付いていて、そこから危険物が出てくるんであれば確かに危ないから選手にも「逃げろ!危ないぞ!」って言うけど、相手と装備で言えば基本的に同じ装備をして試合していますよね。


同じ条件と言うのもフェアープレイの意味を表すものだと思うんです。


さっき聞いた試合中の「危ない」と言う言葉がどう考えても自分には理解できない。


指導者が、相手のストロングポイントを警戒し「危ない」とコーチングすることはあるかもしれませんが、今回聞いた言葉はまたそれとは違った意味合いのものでした。


では、指導者は何が怖くて何に対して危ないと言っているのかって話なんです。


おそらくですが、選手がミスをするのが怖いか、ミスがただ嫌か、そのミスからチームが試合に負けるのが怖いから「危ない」と言っているしかないと思うんです。



でも、指導者ってよく言うんです。相手を怖がった時点で負けだとか、相手にビビるなとか、ミスはしても良いからおもいっきりしてこいとか、もっとチャレンジしろとか・・・


そうやって考えたら、「危ない」って発言も含め、いつの間にかリスクを負わずチャンレンジをさせないようにしているのかなと思うんです。


サッカーは選手が主役なのに・・・



そんな状況下で例えチームが試合に勝ったとしても、あなた(指導者)は負けているよと。


まあ、その試合はそのチームが勝って監督はにこにこしていましたけど(笑)



選手にいつも言っていることがあります。



「絶対相手を怖がるな」って。



ここは本当に許せないんです。何が怖いんかって!!



厳しい言い方ですけど、怖いならサッカーできないよって。


「怖がるな」と言っても武器も何もない選手に怖がるなって言うのはまた違うと思うんです・・・


素手で戦争に乗り込んで行けと言われているのと一緒ですからね。


そりゃないだろって思いますし、そりゃ怖いやろとも思います(笑)


でも、4種は本当に多いんです。武器もない選手に「戦え」って言っているのが。



それは本当に酷だなと・・・



まず、その選手の武器を身に着けてやれやと・・・



続く




















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またもや久々の更新です。

前回更新した内容を確かめつつ、さて何を書こうかなと思案しています。



近況報告!?と言うか単なる書きたいことを書いていきます。



この間ある中学校の指導者(先生)からこんな質問をされました。


すみませんが、覚えている範囲で書いていきます。



相手「一つ聞きたかったんですが、唐突な質問で申し訳ないんですけど、何でドリブルするんですか?」と。


相手「この間もブルーローズの試合観てたら、試合の合間もずっとドリブル練習されていたので何でかなと思いまして。」



鎌江「ドリブルですか・・・」


鎌江「それが大事だと思っているからとしか言えないですね~・・・」



鎌江「まあ、強いて言うなら自分的にはパスコースがないからですかね。」


相手「え!?パスコース?!ドリブルの話ですよね?」



鎌江「ええ・・・」


鎌江「じゃあ、試合中パスできなかったらどうします??」



相手「そりゃ早くパスコース作らせます!!もしくは、ドリブルさせます!!」


鎌江「では、試合中にパスできなかったら、早く動いてパスコース作って、ドリブルしろと言うことですね・・・」



相手「はい。」


鎌江「どんなドリブルですか?」


相手「突破したり・・・」



鎌江「全部抜けってことですか?」


相手「・・・」



鎌江「なぜパスコースが無いんですかね?ボール持ってない人間はパスコースをよく作りますが、持っている人間はパスコースが作れないんですかね?」


相手「マークに付かれているからパスコースがないです。」



鎌江「そうですよね。でも、相手のレベルが上がればそもそもパスコースってなくないですか??当たり前ですけど、しっかりマークに付かれるじゃいないですか。そう考えたらパスコースってあってないようなもので、もしあるとするならば相手が自分をめっちゃ怖くないと思っていてマークにつかんでもいいと思われているか、相手がサッカー始めたばかりとかでいまいちマークの意味とかが分かってないとかならばパスコースはあるかもしれませんが・・・」


鎌江「だからパスコース作るためにドリブルさせてるんです。」




鎌江「ドリブル=抜くためって人もいますけど、それはそうだとも思いますが、抜いても最後はゴールにシュートする訳ですから、言わばパスなのかなと」



鎌江「じゃあ、そのドリブルからどうやってパスコースを作るのかって話なんですよね。」


鎌江「思うに自分がボールを持っていたら相手がどうするかってことだと思うんです。当たり前ボールを取りに来ますよね。相手が何に対して守備するかと言えば、まずボールに対して守備をすると思うんですよ。だから、そこを理解した中でボールを取りに越させれば。しかも2人にくらいに。そしたら同じ人数で試合をするわけですから、必ず一人はフリーが出来ますよね。その選手がフリーで(相手と放れて)パスを受けてボールを受けられれば・・・そのパスを出せれば味方を生かすことに繋がってくると思うんです。時間を与えてあげると言うか。パス・パスみんな言いますけど、マーク付かれた状態で味方にパスして、仮にそのパスが通ったとしても味方は楽じゃないですよね。パスが通ればOKじゃなく、本当に味方を助けてやれるパスが大事だと思うんです。」



相手「明日からパクります()


鎌江「まあ、だからドリブルさせているんですよね。自分の技術を味方の為に使わせるために。自分の技術を磨くことは本当に味方の為になるんだよって。そのためには、「ボールを持つ勇気」がすごく大事になってくるんです。ゲームをするときに、味方を助けてあげられなかったらか味方も相手になりますからね。そんな試合はしたくないといつも思っているんですよ。だから、ドリブルの意味・パスの意味は本当に考えました。今でもまだ考えていますけど。」



相手「自分も中学生年代を指導していて、この間中学最後の公式戦の試合で何もできなくてあっけなく終わってしまったんです。絶対負けるなって気合い入れて言いましたけど、試合は負けました。何かその時に、こんな負け方をしたのは、自分は教えていたつもりで実は何も教えて無かったんじゃないかと。勝たせられる方法がなかったと言うか。自分自身の指導をかなり振り返って考えました。何か子供たちに残してやりたい、残してやれる指導をしたいと思ったから聞いてみたんです。」


鎌江「指導者って本当に何でも出来ますからね。だから、責任もありますしその分怖さもありますしね。僕はその怖さを分かって指導されている方は、良い指導者と思っているんです。」






続く





























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