ダンチヒの切手のこと その1 | 天氣後報

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ダンチヒの切手として販売予定の切手について詳細な年代を知りたいとお問合せがあったので、切手オタクな話を書くことにしました。


それで販売予定のものを分類してそれぞれ紹介してみることにしました。



天氣後報-ダンチヒの切手/きらら舎


ダンチヒはもともとはポーランドの支配下にあってグダニスクという市名でした(それより前の時代についてはhttp://ameblo.jp/sayanet/entry-10798426478.html に書いています)。

公式な名称が「ダンチヒ」と定められたのはグダニスクがポーランド王国から奪われてプロイセン王国に併合された時で、ドイツ帝国支配下(プロイセン王国はその後ドイツ帝国に組み込まれます)では当たり前ですがダンチヒではドイツの切手を使用していました。

第一次世界大戦後、1920年1月10日に締結されたベルサイユ条約により、ダンチヒはドイツから分離され、国連管理下の「自由市」となりました。そこで独自の切手を作る必要があったのですが、この時はまだドイツのゲルマン図案切手が使用されていて、これにダンチヒ(Danzig)と加刷されたものが上の写真のものです。


ダンチヒ時代が短いため、これらの切手は未使用ですがすでに切手としての使用期限が過ぎているので、使用済み切手扱いになっています。

切手の下部にDanzigと加刷したものはベルリンで印刷を加えられたため、切手マニアの間ではベルリン加刷と呼ばれています。

ベルリン加刷のもの使用期限は1922年9月30日でした。



天氣後報-ダンチヒの切手/きらら舎

またDanzigという文字が斜めに入り、下部のDEUTSCHES REICH(ドイツ帝国)の文字を帯状の印刷で消しているものもあります。これはダンチヒのサヴァー印刷所で印刷されたものです。

使用期限はベルリン加刷より長く1923年3月31日でした。


天氣後報-ダンチヒの切手/きらら舎

使用済みもあります。



その後、新しい額面の切手も必要となりました。

そこで1920年8月10日に上記の国名加刷にさらに数字を加刷した切手が発行されました。



天氣後報-ダンチヒの切手/きらら舎

これらの切手は1922年6月30日までの使用期限でした。