ピスト文化

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父の話によると、父がアメリカに留学していた時に、乗っていた自転車はブレーキがなく、逆に回すと止まる、今のピストパイクの形だったそうだ。

今では、そのブレーキなし自転車は、ピストという形に変えて、トリックなどができる、カッコイイ自転車の形となって、スケートボードやスノーボード、ローラホッケー好きやフットサル好きの集まり、よく言うコミュニティが出来ていて、とてもお洒落で見た目もカッコイイ自転車なのだ!

と、言っても、実際に乗ってみると怖いので、かなり練習が必要になると思う。。特に、下り坂は恐怖で、どうやって下るのか、練習なしでは、怖すぎて乗れないのだ。

自転車から見る景色は、歩行者が見る目線でもなく、車から見る車道の目線でもない。また、歩行者の歩く目線でもなく、車道を走るわけだし、モーターサイクル(オートバイ)では、入れないような水際の道や自転車専用ロードなどもあるし、山の中を走るマウンテンバイクはとても気持ちが良い。

と、いうわけで、自転車って、サイコーなのだけれども、そんなブレーキなしバイク、いわゆるピストが急激に取り締まられている。

なにやら、最近死亡事故があったという事をきっかけに、メディアが一斉に検証を行ったり、ニュースとして取り上げられたり、警察の活動が活発化していると、いうようなものだ。

驚いたのは、止まれサインの直前でブレーキをして、どちらが早く止まれるか?ブレーキがあると、きちんと止まれたが、ピストだと、止まりきれず交差点に飛び込んでしまいます。

さすがにピストも急なストップには対応できないのだ。なので、とまれサインや交差点があれば、もっと手前で止まる準備をして、足などを使って止まる。

実際のニュースで問題視しているのは、その危険性で、事故の率の統計などを数字で表すが、一体全体、自転車をめちゃくちゃに逆そうで走り回る、電気自転車を乗りまわすおばちゃん達は、一切事故を起こしていないのだろうか?

人口的には、圧倒的に多い、電気自転車の駆け回る東京は正直、危なく、わたしは歩道を走りたいと思わないのだ。

すると、急にチュートリアルの福田が捕まり、メディアに取り上げられ、そこでまるで、シメかのように、きちっとオチまで付けてくれた。まるで見せしめをするかのようなタイミングで、きっと検挙した警官は鼻タカダカ(古っ)としているのだろう。笑

ともあれ、何が目的で、何がきっかけで、ピスト文化を根こそぎ奪おうとしているのか?スケートボードやローラーブレードが東京の街から、排除され、スケートをしたり、ローラーブレードで遊ぶ場所もない。

遊ぶ場所がないという意味では、道路でキャッチボールをする親子や車が通る道で落書きをしたり、けんけんぱっをするような環境と何ひとつ違わないと思うのだ。

ともあれ、急激にこんなに急にピスト文化を横なぎにしてしまおうというのは、何かあるのか、ついつい気になってしまう今日この頃なのだ。

















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フクシマ、カワシマ

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海外で生活をしたり、活動をし続けていると、差別的発言を受ける事が実際にあるのは、否定できない。

いまどき、そんな事を言っている人がいるの?このご時勢に?という意見もあるかもしれないけれども、おそんなきれいごとを言っているのは、幸せそうな日本人くらいで、世界に出てしまえば、少し前に比べても、人種差別とも取られる行為がどんどん増えてきているのは、あからさまなのではないかと思う。

この現象は、ご存知の通り、リーマンショックという景気悪化、いわゆるリセッションからきているものだ。

景気が悪くなれば、その国の人々の離職率や失業率が高くなる。リストラという単語を使えばわかりやすいのかもしれないけれども、俗にいう、レイオフという言葉で、失業をする人達が増えるのだ。

そうなったばあい、怒りの矛先はどこに向かうかというと、もともとそこに住んでいる住民の人たち。アメリカであれば、アメリカ人、カナダならカナダ人、オーストラリアなら、オーストラリア人というわけだ。

移民の国である、これらの国は年間で多くの移民を各国から受け入れており、人口増加率は出生率ではなく、移民率のほうが多いのではないかとさえ思う。と、なると、限られた雇用の中で、優秀な人材や必死な人材が難民や移民という形でたくさん現れれば、アメリカ人やカナダ人の彼らにとって、『外国人』のわたしたちが、仕事を奪うという事になるのだ。


その為、昨今では移民法が見直され、現地の失業率を低下させるために、企業には地元の人たちを雇うように、そして、外国人を雇う場合の基準を見直し、よほどの事でない限り、外国人にはビザや移民の権利を与えずに、移民の数を調整している。そうすれば、カナダ人やオーストラリア人にとって、『外国人が仕事を取っているから、俺達は仕事がないんだ!』という言い訳を防ぐ事ができる。

実際、実力主義の国では、実力がある人たちが仕事を得るもので、その辺りは外国人にとって有利な部分でもあったのだ。しかし、それが今いる国民を守る為という名目でその形式が変わろうとしている。

そして、それが、『外国人が仕事があって、何故俺に仕事がないんだ!』という気持ちを作り上げ、保守派の政治家達に政治利用され、人種差別の心を生み出している。

それは、いまどきそんな事?ではなく、『今だから、差別なのだ。』

ましてや、若い子たちに、そんなつもりはなくても、親世代が文句を言っていたり、この景気の悪化に耐え切れず少なからずとも不満を持っている。そして、人種差別とは?という感覚は麻痺してきている事もある。

少なからずとも、『フクシマ』と、いう発言はそういった政治や景気の背景が十分に関係している事を忘れてはならないと思う。というより、そもそも『フクシマ』という単語をカタカナにする事自体に違和感を感じるが...

もう震災が起きてから、どれくらい経つだろうか?日本では、未だに(この言い方が良いとは限らないが)震災の情報で溢れかえり、いつまでたっても、目に見えない放射能の恐怖は、頭の片隅から消える事はない。それどころか食事制限も増えてきて、肉は食べれない、野菜は食べれない。どうしても、特売品セールでナスが激安で売っていても、北関東、東北の野菜たちは、山積みのままだ。立派なナス6本100円ってどういう事だろう?それでも、手を出す人は少ないし、仕入れ値段は一体いくらだろう?


こんな日本とは裏腹に、海外ではフクシマの事など、忘れて、原発の危険性を訴える人も減っている。もちろん、原発の国にとっては、不都合な情報は隠すのだから、彼らに情報がいきわたることは少ないし、それどころか、ヨーロッパの経済破綻とアメリカの国債ランクダウンによる景気悪化に頭を悩ます人ばかりだ。


むしろ、そんな中、『フクシマ!』という単語を知っていてもらうだけでも、日本の事を知っていてくれるのだと思わないだろうか??

『フクシマ』が世界共通語だと、思っているのは、そろそろ日本人のエゴにも近い。ヒロシマ、ナガサキだって、知らない人は世の中には、うん千万人といるはずだ。

『カワシマ』という選手は、それだけ注目されていて、彼の事を知るために、日本の事に良くも悪くも興味があったから、『フクシマ』というヤジが出てきたとも思えないだろうか?

きっと、審判にとってだって、『確かに常識はずれ』だけれども、そんな事で、いちいちクヨクヨするなよ。って言うこと程度にしか思っていないかもしれないはずだ。

何も、福島原発の件が、たいしたことないと言っているわけではなく、日本人は、いつまでも日本を中心に考えるのではなく、国際的な立場で考えるべきではないかという事だ。

そもそも、海外では、今回の震災の事は大きく取り出されていたとしても、先進国での惨事としてしか捉えていない。そしてそれどころか、現在の経済状況では、他の国の事よりも、自分達でいっぱいいっぱいだ。

先日、アメリカに行った際に学生達が、別の国から来ていた学生に、『フクシマ』と気軽に、バカにしたような発言を受け、悔し涙を流していたのも知っている。

そして、わたしが他のアメリカ人の大人たちに『福島の事を知っているか?』と、聞いても、『What is Fukushima?』というのが実情だ。


原発という単語である、Nuclear Plantsまたは、地震の事を話せば、多少分かる人もいるが、その程度。ヨーロッパのギリシャが破綻して、大変なときに、彼らに放射能の事について話したって、どこまで分かっているものか。

放射能大国であり、放射能コンプレックスがあり、非核三原則を守っているという名目の、『偽のプライド』教育と一部メディアのありかたが、ここまでアレルギー反応を助長しているに過ぎないとわたしは思っている。そして、地震後の海外での体験で、わたしは、そう確信せざるを得ない、悲しい状況なのだという事も感じている。

非核三原則に、『もたず、つくらず、もちこませず』うまく書かれた内容だが、あくまで核兵器の事であり、核の事(原子力)ではないのは、今回の震災で十分にみなが分かった事だと思う。

原子力と核の違いは、わたしは良くわからなくいのだが、英語では、Nuclearとひとつにまとめているのでは、わたし何が違うのか分からない。英語では、同じで、日本語では違うというのは、意味がわからないからだ。

結局、試験対策の為の勉強がほとんどになった、平和な経済大国では、先人の教えよりも、目の前の試験が大事なわけである。まっとうに、核や原発について学ばされなかった、まさに、『まなばさず』の暗黙の第四原則目が入っているというわけだ。

もちろん、核がもたらず爆発的なエネルギーは、世界に新たな世界をもたらすのかもしれないし、研究者にとっては次世代の大事なエネルギーなのだろうが、それを安全に利用できず、目の前の利益に優先されるようでは、失格だ。アインシュタインがどんなつもりで、この世の中を見ているかわからないが、そんなつもりではなかっただろうと信じている。

ともあれ、『フクシマ、カワシマ』で騒ぐくらいだったら、これを機会に、日本の外交能力と世界に発信するアウトプット能力を見直したほうがいいと思うし、英語を勉強して、1度でいいから海外に出て、多くの事を学んできてほしいと思う。

さすが、長谷部キャプテン、海外に出たら、偏見を嫌でも感じなければいけない時が来る。と、ブログで早速発言している模様。本当にその通り。そしてそれが嫌だと感じるなら、わたしたちも努力しなければならない。

長谷部誠 オフィシャルブログ


『英語が分からないから、海外に行かない』『英語が苦手』といって、今後のグローバル社会にとってもっとも大事なコミュニケーションを無視し、『心の鎖国』を続けている人たちに、この先の未来や国際情勢は、一生理解できないと思うし、まだ未来のある若者達には、保守的な大人の意見をきいてばかりではなく、時として『自分の道を進む』強引さを見せてほしいと思う、今日このごろなのだ。
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異なる環境

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国によって異なる天気だけれども、例えば北米・カナダのバンクーバーは今、雨季にあたる。いゆる、レイニングシーズンというやつだ。こいつが、なんとも厄介なやつで、冬の時期、大体10月から3月頃までしとしと、とにかく雨が降る。中心地のダウンタウンは西海岸の影響もあり、滅多に雪は降らいのだが、この降り続く雨は、ローカルの山々、そしてご存知、北米最大級スキーリゾートのウィスラー・ブラッコムでは雪となり、降り積もる。

スノーボーダーであるわたしにとっては、雪の事を考えるだけでわくわくしてしまって、雨なんかさっぱり気にならなくなってしまうが、本当に数週間ぶりに太陽が顔を出して、陽を照らしてくれるのは気持ちいい。

ありがたい事に、日本の梅雨のようにじめじめと蒸し暑くないけれども、バンクーバーでは約5ヶ月程これが続くのだから、これは結構まいってくる人も多いと思うけれども、逆にこの時期が外で遊ぶ事ができない、最高の勉強の時期だと密かに思っているのですが、みなさん、生活環境について考えた事ってありますか?笑

『気候』というのは、自分を取り囲む重要な生活環境だけれども、他にもその街や国の『人間性』や『性格』、『名産物』や『スポーツ』、数え上げたらキリがないけれども、その中でも『気候』というものは、人間の人格を作り上げていく為にも大きな影響があるとも言われている。

他にも例えば、周囲の人間の影響など。学校に行くと、お金を払って勉強をしており、ひとつの目的を達成する為に一生懸命な人達が多い。そして、そういった中に入り込めば、自分自信のやる気アップにもつながるし。日ごろ、ストイックに物事に取り組んでいる人も多い。

ヨガや他のスポーツでも、カナダの人たちは真剣に物事に取り組む人が多い印象を受ける。よく、〈I push myself harder〉という言葉を良く耳にする。もっと、自分に厳しく、自分を押して、努力するという意味で使う。気候環境が性格を変えるという意味では、トロピカル気分のビーチなオーストラリア人と比べても比較的カナディアンはこういう傾向の印象がある。

そういう意味では、自分に厳しくいたい人が住む環境として、こういったストイックな人達が住んでいる環境は自分をさらに上に押し上げてくれる環境だとも言えると思う。

他にも、【住居環境】カナダではセントラルヒーティングというシステムがあり、家の中央から各部屋全体に空気がつながっており、家又はビル全体を一定温度に保つ事が出来る。これも、寒い国で生きるならではの発想だと思う。これなら、トイレに行く時に寒い思いもしないし、廊下が寒いなど、という事もない。こういった環境であれば、雨で憂鬱かもしれないけれど、家の中は快適で過ごしやすい環境だ。

さらには、公園や自然が近く、【リラックスしやすい環境】柔らな発想も出来やすいし、怒りにくくストレスがたまりにくい環境である。

【文化が違う環境】というのも刺激的だ。イエス・ノーをはっきり言う欧米文化では、飲みの誘いや遊びも平気で断り、今日は勉強する。家でゆっくり休む。などとマイペースに生活をしており、無理をしない。そして、ノーという相手を無理に誘う事はなく、相手をリスペクトして敬意を表している。 むしろ、逆にイヤだと言っているのに、無理に誘ってくる人は相手に敬意を払っていないし、とても下品な人だと思われてしまうと思う。

こういった環境だったら、誘惑にも負けにくいし、自分自身を磨く時間も増えていくのではないだろうか。

結果はどうであれ、モチベーションがすごく高い人。一生懸命ジョギングしている人、物事にに真剣に取り組んでいる人を見ると、すごく良いオーラを受ける事が出来るし、その環境が自分に強いオーラをくれるきっかけになるし、自分の気持ちも引き締まる。生き生きとしている人や必死な人が多ければ、その環境に少なからず影響を受けるはずだ。

『全力で働き、全力で学び、全力で遊ぶ』 スポーツや趣味も全力でやれば、プロフェッショナルの域にも達するし、ビジネスレベルにも到達する。大きくなくても具体的な例があれば、夢もイメージしやすいし、向上心もあがる。

今日のトップの写真は仕事関係で知り合った、もう付き合いの長くなる友人の取った写真で、バリバリ仕事をしながら週末はPhotographyの学校へ通い、写真の勉強をしている。みるみる写真も上達して、結構バンクーバー、ローカルのウェブサイトなどで写真が選ばれているみたいでかなり頑張っていると思う。発想も面白いし、ポジティブで話す度に刺激を受ける素敵な人なのだ☆ photo by just_jeanette

環境を変えるという事は、大変な事だし、環境を変えればいいってものでは決してない。だけど、環境を考えるという事はとても大事で、おろそかにしてはいけないものだと思う。

子供を育てる環境、働く環境、学ぶ環境、愛情を育む環境、年を取ってから住みたい環境、バリバリと最前線で働ける環境、のんびりと自分の時間を大事にする環境。環境っていう言葉は置き換えてみると自分の世界(ワールド)みたいなものかもしれない。

自分自身の世界は自分で作るもので、自分がどんな世界に住んでみたいのか?どんな世界を、どんな人と築きあげていきたいか?こういった事をふと考えてみるだけでも、自分をみつめなおすきっかけにもなるかもしれない。

わたしはいま没頭しているヨガが出来る環境が欲しいので 笑、いかにヨガをする空間や環境を自分の生活に組み合わせていくか試行錯誤である。
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