西田幾多郎先生の墓

(かほく市森区 共同墓地)

 

今朝は 息子たちと

塚本家のお墓参りと

 

かほく市が生んだ偉人

世界の哲学者 西田幾多郎先生

お墓参りに行ってきました

(かほく市、京都、鎌倉の3箇所に分骨)

 

 

 

西田哲学にはかかせな

「真摯」(しんし)

のイメージ 白い花を献花してきました

 

真摯

まじめでひたむきなこと

@国語辞典より
 
かほく市では中学2年生の道徳の時間に
西田哲学を学びます
 
うちの長男も 道徳の時間で
西田幾多郎先生を習ったという証言
 
西田先生は 善の研究で
このようなことを記されています
 
道徳の事は自己の外にある者を求むるのではない
ただ自己にある者を見出すのである
 
とは
よい行いをすることですが
それはまず
 
「自分が幸せになること」
だと 西田先生は仰います
 
「自分の周囲に居る人たち」
を幸せにする法則とは
そして何よりまず「自分自身」が
幸せになる法則
「真の道徳」とは
その法則が持つ力を自得し
それとともに生きるという覚悟から始まります
 
つまり 自分らしくいることが自分を幸せにし
周りに善を行うものであるという理解
 
ご自愛ですよね♡
 
良い行いをしようと
計算して行うのではなく
自然に自分を満たすことで
周りが満たされていく
 
ひたすらに(真摯に) 哲学の道を進まれた
西田先生の生きざまは
わたし 好きなんですよ
あんな ユニークな生き方した人はいない
 
ある方は
「あんな 悲惨な人生はない」
と わたしに言った方もいますが
 
はて?
それが 悲惨なんだろうか
 
確かにドラマティック
学生時代の格差差別
奥さんとやもえなく離別したり
お子さんを次々となくしたり
 
人から見ると 悲劇の苦労人に見えるかも
しれませんが
言い換えると
 
ユニークな生き方
 
ユニークさとは 「おかしい」とか「おもしろい」
いう理解ではなく
類まれな という理解です
 
悲惨という角度で見るのか
ユニークという角度で見るのかでは
大きく違う
 
それは どちらでもいいんですが
わたしとしては
親族を亡くした苦しみにや
差別やいじめにしても
西田先生を世界の哲学者とする
 
「プロセス」
 
つまり その経験が必要だったということなんですね
 
その足跡を どのような角度で見るかは
人それぞれではありますが
 
わたし的には 類まれな生き方をした
西田幾多郎先生の
知名度を上げたい気がする
 
西田幾多郎記念哲学館など
かほく市内にはありますが・・・
 
これもまた 課題の一つ
 
西田先生 また一つ
お見守りくださいませ!