ラスベガスからの 心が!そして、ブログ開設記念日。 | さとおっちゃん的 男の庭つくり

さとおっちゃん的 男の庭つくり

うたうたいの 
さとおっちゃん。


こんばんは!

2003年の今日。

さとおっちゃんとして、
blogを始めた記念日です。


妹の誕生日であり、
氷川きよしくんの誕生日でもあり、
尊敬する パバロッティーの命日でもあり、 
いろいろなことが
重なる9月6日。


当時のブログは、
音楽や
教育への気持ちを
ただただ ひたすらに 
書き綴っていました。


もう、 16年続けてきたんだなぁ。

続けるって 単純だけど
ちっとも
面倒ではなくて、
楽しみながらの16年でした。


こんな記念日に、
ラスベガスのcookieさんから、 
旦那様の大切な形見が、 
送られてきたのです。











バックルを
コレクションされていたそうで、
一つ一つに思い出が
あふれているのでしょうね。


この鹿のバックルを見たときに、
何故だか
急に 込み上げるものが
涙に変わって
あふれてきました。








まるで、 
お会いしたこともない 旦那さまですが、
さとおつ家に
来てくださったかのような
不思議な感覚でした。

優しさに包まれる感覚です。






ここ数日、
帰宅も遅くなり
なかなかブログを書けていないのですが、
これから先も
ブログは、
書き続けていこう。


cookieさんとの
今回の出会いのように、
海を越えて
繋がりあえるのであれば、
この先何年も。








そして、
旦那様の横に 飾ってくださった
ボタニカルキャンドル。

灯をともしてくださいました。








今日は、
ブログ開設記念日なので、
原点に戻り、
誰かに
届こうか 届くまいが、
未来の自分へ
2016年の自分が、
こんなことを考えていたと
思っていることを
書き残しておきます。



夏の思い出のひとつ。


この写真1枚。




影が素敵だと思って
友達と会話をしたら、
こんな話に発展していきました。



よろこんでもらいたくて
作ったガードレールが産み出すこの影も、 
この影に見とれていたせいで、
事故を起こしてしまったと
嘆く人もいるかもしれない。

黒鍵盤の配列が間違っていると、
笑う人もいるかもしれない。

よかれと思ってやっていることでさえ、
いかようにも、とらえられると。



ある外国の友人から言われました。

サリン事件から数年も経っているのに、
日本はまだ、
相模原の無差別殺人か起こるような国なのかと。


何人かのヨーロッパの人は、
日本と北○鮮を同等に見ているんだと。




日本の国が、
教育費に何パーセントをかけているのか、
芸術にどのくらいの国費を使っているのか、
積極的に政治に関わろうとし、
知ろうとしている国民が
どれほどいるのかと。


そして、
選挙活動も、
目指すべき日本を語り、 
未来への具体的な提案を
伝えることよりも、
他党の批判ばかりが耳に残っています。

いやいや、
批判も 時には大事です。


日本で
良いとされている大学を卒業した
友人も
確かに、Facebookでも、 
他党の甘いところや
批判をつづっていて
違和感を感じていました。 




さらには、
日本の教育は、 どうなっているのかと。

ひとつしかない答えを出させるのではなく、
幾数もの答えを導き出し、
語り合う、
自ら考え行動できるため教育は、
どうなっているのか。


なぜしないのか。

年数を覚えるのではなく、
なぜその事が起こり得たのか
議論する教育をしているのかと。

相模原の無差別事件は、
我々は自分の問題としてとらえているが、
日本国民は、
相模原の問題としてとらえていて、
自分のこととして
とらえられてないのではないかと。

 
大震災で、
命の尊さを
学んできたのではないのか。


自分の気持ちが分かってもらえないから
といって、
子供や親を殺してしまう国でよいのか。

ひきこもりや、
批判や批評の飛び交う国でよいのか。

情報を操作され、
服と、食べ物があれば、
幸せな国と言えるのか。

時に、
ブランドものを着て、
笑顔でいる日本人を見かけると、
悲しくなる。

おばかを育てる教育をまだ続けているのかと。

世界に目を向け、
近所の人にも目を向け、
関わろうとし、知ろうとして
誰かのために その力を 尽くそうとする
人間教育。


今年の夏休みの宿題は、
リコーダーの演奏。

合格を出すのは、
教師ではなく、
本人が 合格かどうかを
決めてもらうことにしました。

教師に
聞いてもらおうとすると、
どうしても、
評価を求めてしまうから。

三回までのチャンスの中で、
本人の意思で合格ラインを
決めてもらいました。


暗譜で演奏するのかさえも
曲の難易度さえも
本人に任せ、
自分で考え 決めた曲ならば 最後まで
やり抜いてくれるだろうと。

演奏をしてみて、
思ったよりも難しかったときに
その曲を選曲することを
やめてしまうのか。

できるレベルの曲を選ぶのか
自分自身と向き合うことが出来るからです。

こんな大人に成長してもらいたいという 願いは、
手段を生みます。

 
この夏休みの課題をテストする方法も
正しいのかどうかは
分からないけれど、
信じて やってみました。 


まだまだ。
教育でやるべきことと、
目指す教育が、
見えてきたこの夏の日。



明日から
また 17年目のブログです。


これからも、 
さとおっちゃんブログを
たまに 見にいらしてくださいね。