『教育勅語』と誤解について | じゃんぼりーのブログ

『教育勅語』と誤解について

「天皇陛下、万歳!」と声をあげることには、違和感がある。
戦後の高度経済成長期に生まれた私にとって、天皇陛下は既にそういう存在ではなかったから。

 

一方、GHQが廃止した、明治天皇の『教育勅語』(勅令ではなく勅語)について、「危険思想」の温床みたいに毛嫌いするのも、何か違う。

 

ここに書かれているように、宗教に無関心のまま「天皇→神道→国家神道」という紐付けが行なわれているのではないか。
http://www.izumo-murasakino.jp/shinto-007.html

 

『教育勅語』は、神道とは無関係。
旧来の、天皇と民との結びつき(ある意味、並列のような状態)をベースにして、天皇が民に向けて直接、道徳を説いているという捉え方が前提と思われ。

 

もうひとつ、付け加えておくと、地鎮祭や竣工式、各地のお祭りや花火、そして、誰もが正月を迎えるように、私たちの生活風習には、八百万の神々への感謝のふるまいが自然と根付いており、それらと、外来のReligion(宗教)という概念とは全く異なり、一緒にくくることはできないということを、我々は感得している筈ではないか。

 

そして、八百万の神々への感謝があってこそ、我々は日常的には宗教に対して無関心でいられ、ある意味「無神教」のような心理状態が成立しているのではないか。
なんてね。

 

比喩的な言い方になるけど、歴史を正しく知るための客観的資料は、歴史ある神社や教会などのアジールに存在するのではないか、という気がしている。

 

それはさておき、森友の理事長はヤバい人ですね。