台湾南投県集集鎮(鎮は台湾でもっとも小さな行政区のひとつ)は、人口1万1200人余。
1999年9月21日、M7・3の大地震が台湾を襲い、2000人以上の死者が出た。道路や建物などの損壊も甚だしく、震源地が集集であったことから「集集大地震」などとも呼ばれる。近隣の埔里(ほり)でも多大な被害を蒙り、鄧さんの家も倒壊、多くの資料も瓦礫(がれき)の中に埋もれた。

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埔里で宿泊したホテルと町並み

この夜の泊りは、埔里の宿。埔里は、九州より面積のやや小さい台湾のほぼ真ん中に当たり、「台湾のへそ」などとも言われる。春夫は書いているー「ここは台湾の殆んど中心地であり、高峯に囲まれた盆地であり、地勢の関係か蛇や蝶などの特異な種類があるので学問上でも有名な地方であると聞いた。物産陳列所には、なるほどピンに刺された蝶の標本が沢山あつた」(「霧社」)。蝶の種類は今でも豊富、マニアのメッカでもあるらしい。
春夫はこの埔里の地で、原住民が蜂起した「サラマオ(蕃)事件」(蕃というのは、原住民の集落の意味)の実情を知る。このとき春夫の行く手には、暴風雨による交通の寸断と、原住民の蜂起という困難が待ち受けていた。それから10年後、日本統治下最大の事件、「抗日霧社事件」が起きる。いまでも埔里は霧社への入り口である。