2010-09-11 12:50:07

「安川寿之輔批判『敵から見たら』」を批判する。

テーマ:安川寿之輔対佐高信

佐高信さんが週刊金曜日で「虚偽の福沢諭吉論を撃つ」に反論すると言う話を聞いていました。私は本格論文を期待していたのにまさか、「風速計」でお茶を濁されるとは思いもよらなかったです。安川教授も脱力しているか、苦笑いしているかでしょう。おそらくは雁屋哲さんが再反論されるでしょうし、その時佐高信さんは蜂の巣にされることはもう目に見えて明らかです。

見るに偲びませんので、佐高ファンの視点でこの「敵から見たら」を語って、解釈いや佐高さんの自爆ぶりを介錯してみようではありませんか。


まずは転載。

敵から見たら(佐高 信) 2010/9/10
 八月二七日号の安川寿之輔(名古屋大学名誉教授)の「福沢諭吉、丸山眞男」批判は「敵から見たらどうなのか」という視点が決定的に欠けている。「独立自尊」ならぬ「孤立自尊」で生きていける学者だからだろうか。

 そこで安川は丸山と司馬遼太郎を一緒にして批判しているのだが、たとえば三島由紀夫は安岡正篤への手紙の中で、丸山に「左翼学者」のレッテルを貼り、「大衆作家の司馬遼太郎」を「まじめな研究態度が見え」て心強いと讃えている。つまり、丸山を敵視する一方で、司馬をわが友とし、区別しているのである。

 安川はきわめて単純に、福沢を「民主主義の先駆者」として美化したと丸山を断罪しているが、三島から「左翼学者」と難じられた丸山を全否定して、反ファシズムの隊列など組めるのか。大体、そうした悪罵を浴びながらも、たとえば安保闘争に参加した丸山の感じる風圧を理解せずして、統一戦線を組むことなどできないだろう。三島が安川を問題にすることはない。私が言いたいのは、標的にされる者に対して、敵以上に激しい侮蔑の言葉を投げつけて何の意味があるのかということである。

 福沢に侵略主義と攻撃される面があったことを私は否定しない。しかし、同時に、戦争中に福沢は“鬼畜米英” の思想家として排撃されたことも忘れずに想起するのでなければ公平を欠くだろう。

 また、悪名高き「脱亜論」にしても、福沢はそれを唱えながら、朝鮮独立運動のリーダーである金玉均を、自らの身に危険が及ぶのを覚悟で助けた。当時の日本の政府はそれを理由に福沢を捕えようとしたし、事実、福沢の弟子の井上角五郎は投獄され、福沢との関わりを白状せよと迫られている。

 どうしても学者は文献によって判断しがちなので、現実の行動を追うことはおろそかになる。また、実社会にもまれないので自分だけが正しいと独断的な主張を声高に繰り返すようになる。

 私は安川に “天上天下唯我独尊居士” というニックネームを進呈したいくらいだが、それではやはり、反ファッショの幅広い統一戦線は組めない。全否定ではなく部分否定、全肯定ではなく部分肯定のみが、マスターベーション的頑固な独善の殻を打ち破るのだと私は思う。
http://www.kinyobi.co.jp/backnum/data/fusokukei/data_fusokukei_kiji.php?no=1354


>「福沢諭吉、丸山眞男」批判は「敵から見たらどうなのか」という視点が決定的に欠けている。

>そこで安川は丸山と司馬遼太郎を一緒にして批判しているのだが、たとえば三島由紀夫は安岡正篤への手紙の中で、丸山に「左翼学者」のレッテルを貼り、「大衆作家の司馬遼太郎」を「まじめな研究態度が見え」て心強いと讃えている。つまり、丸山を敵視する一方で、司馬をわが友とし、区別しているのである


「敵」というのは三島ら保守派ということなのでしょうか?「敵」は「統一戦線」側が内紛を起こしているとほくそえむであろうと言うわけですか。

三島から安岡正篤への手紙はこちらにアップされています。
http://blog.goo.ne.jp/greendoor-t/e/5e033da5425ac2714a314f06fec323e5

三島の丸山批判はおそらく「日本政治思想史研究」にからめてのものだと思います、陽明学を重視しているかどうかがここで問題となっているわけで。そこで荻生徂徠重視の丸山氏とそうでない司馬遼太郎氏を分けているというからといわれてもねぇ。「敵味方」の区別とどう関わるのか判然としません。
ちなみにその手紙の中で江藤淳(当時はまだ保守派ではなかったかもしれないが)も批判されているのですがね。


「三島が安川を問題にすることはない」って当たり前です。もう三島由紀夫は死んでいるし、彼が自殺したときまだ安川教授は35歳の若手研究者なのだから。というのはギャグですが。


>安川はきわめて単純に、福沢を「民主主義の先駆者」として美化したと丸山を断罪しているが、三島から「左翼学者」と難じられた丸山を全否定して、反ファシズムの隊列など組めるのか。


この言い方はおかしいですね。福沢諭吉を「民主主義者の先駆者」として美化したと断罪することがどうして丸山眞男の全否定になるのかわかりません。安川教授が丸山眞男を全否定しているということの根拠はどこにあるのでしょうか。そもそも安川氏が音頭を取って「反ファシズム統一戦線」の構築をしようとしてるというならこういう批判もありなのかもしれませんが、そんなことは金曜日安川インタビューには書いてありませんでした。そして日本共産党や新社会党の悪口ばかり言って最近の社民の迷走には全くお咎めなし、そして本来は金権政治家でネオリベだった小沢一郎をなぜか今になって持ち上げている、佐高さんにだけは言われたくないと安川教授も思うのではないか。


「『左翼学者』と難じられた」と言ったってそれは安岡正篤に対する私信の中でしょう?三島さんが今でも生きていたら公開されているかどうかはわかりませんよ。詳しいことはよく知らないのですが、丸山批判といえば吉本隆明や日本共産党そして全共闘学生からのものが激烈を極めていたようなのですがどうなのでしょう。保守派からの批判はあまりネットではわかりません。


>私が言いたいのは、標的にされる者に対して、敵以上に激しい侮蔑の言葉を投げつけて何の意味があるのかということである


これもおかしいな。「法螺を福沢、嘘を諭吉」と福沢諭吉を批判したのは当時の自由民権運動家たちであって、安川氏本人ではありません、そして安川氏は丸山眞男に対してその福沢論を「丸山諭吉」としただけであります。(ちなみに安川氏によると「丸山諭吉」を発案したのは丸山門下の飯田泰三島根県立大学教授とか。)一体、何が「敵以上に激しい侮蔑の言葉」なのかはっきり指摘をするべきです。


>福沢に侵略主義と攻撃される面があったことを私は否定しない。


否定していなくても「福沢諭吉伝説」ではほぼスルーでしたね。そればかりか佐高さん、あなたは「脱亜論を覆した。」とか「福沢学者の鼻を明かす」とか大きく出ていたではありませんか。


>しかし、同時に、戦争中に福沢は“鬼畜米英” の思想家として排撃されたことも忘れずに想起するのでなければ公平を欠くだろう。


これ、意味不明です。
佐高さんは「福沢諭吉伝説」で松下竜一さんの本を引いて福沢諭吉が第2次大戦中は「鬼畜米英の手先」として排撃されたことを書いています。福沢が”鬼畜米英”の思想家ならば全く意味は逆ですね。


週刊金曜日に整理部や校正部は存在するのですか?「社長の本が読まれていない。」「決定的な間違いに気がつかない。」
佐高さんは二重の恥をかかされています。でも社員を指導する役目も社長は持っています。これは佐高さん自身の責任でもあると言っておきます。

9.12追記「福沢諭吉伝説」あとがきで佐高さん自身が「戦争中、福沢は”鬼畜米英”の思想家だった。」と同じ表現をしていました。しかしながら「”鬼畜米英”の思想家」が「鬼畜米英の手先」と同じ意味だとはなかなか捉えにくいと思います。

「”鬼畜米英”の思想家」という表現だと「”鬼畜米英”を主張する思想家」、たとえば大川周明のような人物を連想してしまうのではないでしょうか。

とりあえず整理部云々は取り消します

>また、悪名高き「脱亜論」にしても、福沢はそれを唱えながら、朝鮮独立運動のリーダーである金玉均を、自らの身に危険が及ぶのを覚悟で助けた。


しかし、安川教授によると「朝鮮王宮の武力占領によって閔妃政権に代わる大院君を執政とする親日政権が樹立されたときは、彼が指導・支持した『開化派』に敵対するこの『守旧派』の首領の側に福沢は立った。」という事実もあるわけで、金玉均を支援したことだけで「侵略主義」「侮蔑」が「覆される」ということはないのでは?


>どうしても学者は文献によって判断しがちなので、現実の行動を追うことはおろそかになる。また、実社会にもまれないので自分だけが正しいと独断的な主張を声高に繰り返すようになる。


これはいくらなんでも傲慢な言い方ですね。明治時代の福沢諭吉の「現実の行動を追う」にしても、報道、公式文書以外の「現実の行動」の詳細が語られている聞き取り、覚書があったとしてもそれは全て「文献」になっていると思います。もう100年以上のときが経っているのですからオーラルヒストリーをとる手法はもう使えないでしょう。
佐高さんはどうやって諭吉の現実の行動を追っていったのでしょう。タイムマシンでも持っていらっしゃるのですか?どなたが作ったタイムマシンなのでしょう。岳真也さんですか?


安川教授の著作、なかでも「福沢諭吉のアジア認識」は佐高さんもよく知っている梅原猛さん、高橋哲哉さん、そして佐高さんの弟分の斎藤貴男さんにも好意的な書評をもらっているようです。決して「独断的」な主張でないことはわかりますね。そして現在でも醍醐聡さん、中塚明さん、雁屋哲さんらが応援しているではありませんか。
おそらく佐高信さんは週刊金曜日の成澤インタビューを読んだだけで安川三部作は手を取っていないのでしょう。これは断言できます。


>私は安川に “天上天下唯我独尊居士” というニックネームを進呈したいくらいだが、それではやはり、反ファッショの幅広い統一戦線は組めない。


本当にそう思っているのならわざわざ書きなさんな。子供の口喧嘩じゃないのだから。「統一戦線」なる左翼運動用語が突然出てきたところが佐高ファンはたぶん面食らっていると思いますよ。以前は「小連立」といっていたのに。おそらくは師匠の久野収さんの「人民戦線」論が佐高さんの頭に浮かんだのでしょうね。その辺は佐藤優現象とからめて金光翔さんの解説を見ればよいでしょう。


>全否定ではなく部分否定、全肯定ではなく部分肯定のみが、マスターベーション的頑固な独善の殻を打ち破るのだと私は思う。


これは安川氏に対する誹謗中傷もいいところですよ。(溜息)孤立自尊、天上天下唯我独尊居士、マスターベーション的頑固な独善。「丸山諭吉」(飛礫2010年冬号)とだけ言われたのにどうして佐高さんはこのようにむきになって悪罵を繰り返すのでしょう。そして先に述べたようにそれは事実と違います。


まぁこれが佐高信さんの「タレント文化人筆刀両断」以来の芸風なのだから仕方がないのかもしれません。一体誰を真似しているのかいままでよくわかりませんでしたが、なんとなくわかってきました。


最後に一つ佐高さんの福沢を見る視点には「侵略された韓国、朝鮮側からみたらどうなのか。」という着眼点が決定的に抜けている。ということを指摘しておきます。


追記かつて佐高さんはこう言っていました。

私は「敵」なのか (佐高信)
「おまえもスパイだろう」

 9月2日に日比谷野外音楽堂で開かれた「個人情報保護法案をぶっ飛ばせ! 2001人集会」で私はこう指弾された。「市民」を名乗っているが、とてもそうは思えない一群の人間たちからである。

 市民は「敵」と「味方」の単純な二分法を使わない。それは偏狭なセクトの思考法であり、市民運動の展開法とは違う。

 私が共著も出している宮崎学が公安と接触したことがあるからといって、どうして私が「おまえもスパイだろう」などと言われなければならないのか。宮崎と私は同じ組織に属しているわけでもないし、別人格である。もちろん、私が公安と接触したわけでもない。それなのに、その後も事務所にさまざまな電話が入り(右翼筋からの電話も来るので、すべて録音してあるが)、果ては次のようなファックスまで来た。


<佐高さんは、何故公安調査庁のスパイ・宮崎学と闘わないのか!

 宮崎学こそは「弱者の味方のふりをして権力のお先棒をかついでしまう人」そのものではないのか。これこそあなたの「ケンカ相手」ではないのか。

 それが出来ないのはあなた自身が宮崎と「あうん」の関係になり、一心同体の関係に成り下がったからである。

 このような人に「評論家」を名乗る資格はない。労働者・市民に土下座して謝罪し、即刻ペンを折ることだ。さようなら。  2001年9月13日 かつてのファンより>


 同じ人間だと思うが、次のファックスでは「佐高信よ!」と呼び捨てで、「宮崎と一心同体の権力のスパイ」と決めつけている。大体、電話をよこす時も、「いま話していいか」の前置きもなく、仕事中だと言っても、しつこく糾弾してくる。まったく、市民的常識を知らない“市民”なのである。

 帯広の市民集会で講演した時も、こうした人間が同じような質問を繰り返し、逆に、市民たちから「いいかげんにしろ」と言われていた。その時は本誌での石原慎太郎との対談が弱腰過ぎるということだったが、それは私もある程度認めているのであり、なおも言いつのる彼らに、私は思わず、それではオレは敵なのか、と問い返したくなったほどである。

 こんなやり方は、多くの味方をも敵にしてしまうだろう。市民から浮き上がった人間が市民運動を展開できるはずがない。市民運動はセクトの運動と違って、一人一人の自立した市民が思想や方法の違いを超えて、ゆるやかに連帯するものである。それは先の集会で長野県知事の田中康夫が述べた「(集会の賛同人に)櫻井よしこや猪瀬直樹から、佐高さんや私のような者までいるってえことは、これはイデオロギーを超えた運動だってことですよね。ということは、これはもう“人間の運動”ですよ」という言葉に要約される。


http://www.kinyobi.co.jp/old/mokuji_oldf/fusoku_oldf/380


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