160319_155950.jpg

 

当ブログでは、東日本の新幹線を取り上げた連載「東日本に針路を取れ」(←クリックするとご案内の記事をご覧いただけます)で2階建て新幹線「Max」を取り上げた回で、最後にこんな一文を物しています。

 

「オール2階建て新幹線」という「詰め込み仕様」は、ことによると前時代の遺物になりつつあるのかもしれません。

 

№2223.東日本に針路を取れ その9 1人でも多く着席を~通勤新幹線「Max」登場より)

 

やはり実際、そのようになりつつあるようです。

これは別に管理人が「予想が当たっただろ」などと大きな顔をする気は微塵もなく、実際にJR東日本は「Max」を近い将来退役させるつもりでいることは既にアナウンスしていました。問題はそれがいつになるか、ということだったのですが、それが遂に決まったようです。

 

上越新幹線唯一の2階建て「E4系」が全廃へ JR東日本、18年度以降に最新型「E7系」へ

 

全国の新幹線車両のうち唯一の2階建てで、東京と新潟を結ぶ上越新幹線を走っている「E4系」が、姿を消すことになった。JR東日本は2018年度以降に車両の更新を進める方針で、E4系は2階のない最新型「E7系」に置き換える。25日、JR関係者への取材で分かった。

JR東は新幹線の速さや快適性を追求するため、旧型車両を引退させて新型車両の導入を進めている。国鉄時代の1985年に投入された東海道・山陽新幹線の「100系」以降続いてきた2階建て新幹線が全廃されることで、鉄道ファンからは惜しむ声が上がりそうだ。(共同)

 

毎日新聞HPより)

 

全文を引用しました。

2018年ということは、来年から置き換えに着手するということですね…。

 

DSC_0048.jpg

いよいよ置き換え

 

E4系は2編成併結の16連で1634名と、高速鉄道列車で世界一の輸送力を誇っていますが、オール2階建てのためMT比率が低く、また軽量化にも逆行するため、最高速道は240km/hに抑えられています。周囲が200系ばかりだった時代であれば、240km/hでも十分な脚力だったのですが、E4系登場の当時、既に275km/h対応のE2・E3系が世に出ていましたから、高速性能では劣るE4系は、これら両系列の足を引っ張る存在になるであろうことは確実視されていました。そのためか、平成18(2006)年には東北新幹線仙台以北には定期運用では入らなくなり、さらにその6年後の平成24(2012)年9月29日以降は、東北新幹線から完全に撤退し、上越新幹線での運用に専従しています。

その翌年から、E4系には一部車両に廃車が発生していますが、今のところ全編成が退役とはなっておらず、上越新幹線で依然として収容力の大きさを発揮しています。

 

しかし、E2・E3系や、より高速性能に優れたE5・E7/W7系が走るようになれば、E4系がダイヤ構成上の「お荷物」となり下がることは、火を見るよりも明らかです。また、東海道新幹線の例を見れば分かるとおり、突発事故発生時の対応は、車種が単純である方がやりやすいもの。既にJR東日本ではその考え方に従って、東北・北海道系はE5・H5系、上越はE2系に統一する考えを示してきましたが、上越は北陸ともどもE7系に統一する方針となり、それでいよいよE4系に居場所がなくなったということです。

 

さて、それではそうなるとE2系はどうなるんでしょう?

 

160319_161930_ed.jpg

高速性能はE4系よりは上だがE5系には劣る

 

今のところ、E2系は10連の編成が上越新幹線の一部列車と東北新幹線の「つばさ」併結列車に使用されていますが、恐らくこれが最後までE2系が使用される列車になると思われます。E2系の中には平成22(2010)年の新青森開業時に投入された編成がありますから、それが「つばさ」併結用として最後まで残るかと。

 

しかし、E7系が上越新幹線に投入されるとなると、気になるのが

 

グランクラスの営業どうすんの?

 

ということ。あのフルスペックのサービスをするには、東京-新潟間では短すぎるような気もしますが。

あるいは、一部で噂されているような、10号車がグランクラスではなく普通席の編成を作って、そちらを上越に投入するんでしょうか。

 

1970年代に東海道新幹線の混雑緩和のために研究された「2階建て新幹線」。それが四半世紀を経て「Max」として結実したのですが、高速性能に劣ること、それほどの詰込みが必要なくなったほど混雑が緩和されてきたこと、その他沿線を取り巻く環境の変化により、その「2階建て新幹線」は、近い将来退役しようとしています。

しかし、2代にわたる「Max」の功績は、決して色褪せることはありません。改めて彼ら「鉄路の巨人たち」の功績を讃えたいと思います。

 

◇関連記事(本文中にリンクを設定したもの以外)

№600.Ride on time~MAXIMUM AMENITIES 

№1761.EMOTIONAL HISTORY~2階建て新幹線MAX、5年後をめどに退役へ

 

※ 当記事で使用した写真は、いずれも以前の記事からの転載です。

AD

DSC_0638.jpg

 

MR(松浦鉄道)シリーズが続いておりますが、ちょっと中断して東京メトロとJRのネタを取り上げることにいたします。

 

今日3月25日から、いよいよ日比谷線で13000系が通常の営業運転に入りました。

今日は「16S運行」で終日運用に入っていたとのことですが(Twitter情報)、冒頭の写真の南栗橋行きの1本前、12時40分発の北千住行きが該当だったようです。

実際、管理人は、自身の乗った東横線上り電車が中目黒駅に入線する際、発車していく日比谷線の13000系を見たのですが…今日は捕まえられずじまいでした。まあこれから、なんぼでも機会があるでしょう(^_^;)

 

で、冒頭のおさしん。

中目黒駅の新型発車案内表示装置です。

 

これまでのやつは、3色LEDで先発・次発を表示していただけだったんですが、他の駅に装備され始めた新型装置に変わりました。昨日24日から稼働しているのを確認しています。

 

こちらが同型の装置↓

 

160815_155111_ed.jpg

霞ヶ関駅にあったもの(以前の記事から転載)

 

しかし、霞が関にあるものと異なるのは、編成両数の表示が出ていること。8連なら3扉又は5扉(編成両端の各2両)、7連なら4扉なので、編成両数だけの表示で事足りると考えたのでしょう。

 

今日と明日は土日ダイヤですが、明後日からは平日ダイヤになります。中目黒や北千住での整列乗車は大丈夫なんでしょうか。

 

◇関連記事

№3841.遂に営業運転投入! クリスマスに降臨した13000系

AD

その3から続きます。

 

たびら平戸口13時48分発の347Dに乗ります。次に目指すのは、西半分の拠点・佐々。

 

それにしても、たびら平戸口-佐世保間は32年前に乗っているはずなんですが、当時の記憶が全くなんですよ(^_^;) 駅が国鉄時代よりも増えているせいもあるのかもしれませんし、道路沿いの商店とかも増えているからかもしれませんが。

 

14時24分に佐々駅に到着。

 

DSC_0621.jpg

ログハウス調の駅舎

 

この駅はMRの西半分の運転上の拠点ですが(東半分の拠点は伊万里駅)、この駅を境に、佐世保方面へ向かっての列車本数が増えます。かつては佐々-佐世保間は1時間に3本以上の本数があったそうですが、今では1時間2本に落ち着いています。

 

佐々駅の駅名標↓

 

170319_143227_ed.jpg

河津桜とシロウオの里

 

河津桜の里というのは知りませんでした(^_^;)

 

佐々駅の駅舎は、冒頭に掲げたとおり、ログハウス風の外観となっています。

そのログハウス風の駅舎の中には、地元の小学生のMR応援メッセージが。

 

170319_142932_ed.jpg

手書きの応援メッセージ

 

子供たちには、大人になってもMRを大切にしてほしいものですね(^^

 

こちらは佐々駅の周辺案内。

 

170319_142945_ed.jpg

流石に臼ノ浦線の跡は無いか(^_^;)

 

この駅からは、昭和46(1971)年まで臼ノ浦線が分岐していたのですが、同年に廃線になってしまいました。松浦線には、他にも世知原線・柚木線という視線があったのですが、全て沿線の炭田から産出される石炭の輸送のための路線で、炭鉱が閉山されてしまうと路線の存在意義がなくなり、廃線に追い込まれています。

 

ところで、佐々駅には国鉄時代に機関区が置かれていましたが、それを引き継いだということか、現在のMRになっても、ここには車両基地がおかれています。

以下、ホーム上から望んだ車庫の建屋と留置中の車両の2点を、あえてノーキャプションで。

 

170319_143453_ed.jpg

 

170319_143407_ed.jpg

 

ちょっと光線がド逆光でしたので、あまりいい写真ではないのはご容赦を(^_^;)

 

佐々14時45分発の149Dで撤収。

しかし、沿線風景、恥ずかしながら管理人は全く覚えていないんですよねえ…(´・ω・`)

 

ホーム越しに海が見える相浦駅。

 

170319_145531_ed.jpg

相浦駅

 

列車は佐世保の市街地に近づいていきますが、そこで面白い駅を見つけました。

 

※ 当記事は、以前に書き貯めた記事の自動公開です。

AD

その2から続く。

 

DSC_0618.jpg

 

たびら平戸口駅は、国鉄~JR時代及びMR開業直後には「平戸口」という駅名だったのですが、平成元(1989)年に「たびら平戸口」と改称されました。これは、当時の平戸市が平戸大橋を渡った平戸島にあり、駅のある場所は田平町だったから。

しかしその16年後の平成17(2005)年、田平町は市町村合併により平戸市となり、この駅も平戸市に所在することになっています。

 

たびら平戸口駅の所在地はこちら↓

 

 

 

 

 

地図を縮小していただくと(地図の-をクリックしてください)、この駅が案外海から離れているのがお分かりいただけると思います。

そのため、ここから平戸島内の平戸市中心部に向かうには、徒歩数分の「平戸口バスターミナル」からの方がバスが頻発していて、佐世保から向かう場合は、MRとバスを乗り継ぐよりも、佐世保からの直通バスの方が利便性が高くなっています。

だからなのか、3連休の中日であるにもかかわらず、観光客の姿は少なめでした。

 

170319_133450_ed.jpg

のどかな雰囲気

 

昔の駅はどこもこんな感じでした。

 

たびら平戸口駅は、国鉄時代から「日本最西端の駅」を売りにしていますが、現在でもそのような表示が駅のあちこちに見られます。ただし、現在では「普通鉄道としての最西端」「本土最西端」という注釈をつけなければならないはずですが、これらの看板にはそのような注意書きはなく、そこはどうなっているんだろうと思います(^_^;) もしかしたら、「ゆいレール」開業前からあるのかな?

 

DSC_0616.jpg

駅舎に掲げてあった看板

 

これもなかなか目立ちます。

 

改札口に掲げてあるのはこちら↓

 

DSC_0617.jpg

これもちょっと経年が(^_^;)

 

駅舎の中には、「鉄道博物館」が併設されています。

 

DSC_0620.jpg

松浦線~MRの歴史が学べる

 

「鉄道博物館」というと、さいたま市の大宮にあるあれですが、こちらは、さいたまにある方とは比べ物にならないささやかな規模。そして内容も松浦線~MRの歴史に特化したものですが、楽しく学ぶことができました。

やはり松浦線は、沿線の炭鉱からの石炭積み出しのために作られた路線のようです。

 

駅の外には、「日本最西端の駅」の石碑が。

 

DSC_0619.jpg

これを建てたころは(ry

 

しかし、駅前には何もなし。

仕方ないので、管理人は昼食を調達するため、駅から徒歩4分ほどの、国道204号線沿いのコンビニエンスストアに行きました。そこのコンビニは全国チェーンのため、管理人の住まいや仕事場近くの同じコンビニと品揃えが変わらず、それはやや残念でした(^_^;)

 

このあとは、国鉄時代に乗った西半分をたどります。

 

※ 当記事は、以前に書き貯めた記事の自動投稿です。

その1から続きます。

 

343Dは11時36分に伊万里を発車。管理人にとっては未乗区間への突入です。

まず有田方面への線路が左手に大きく離れていき、すぐに伊万里の市街地を抜けて田畑の広がる風景が展開します。

 

そして楠久のあたりから、車窓の右側に入江が見え始め、海が近づきます。

渡瀬付近ではこのとおり↓

 

170319_115450_ed.jpg

海が近い!

 

その間には、縁起のいい駅名の「今福」駅。「今、福が来る」というのは実に縁起がいい。

 

170319_120134_ed.jpg

今福駅(瑞祥駅名)

 

御厨のあたりまで、海とつかず離れず走ります。

 

170319_120945_ed.jpg

鷹島口-前浜間

 

そして12時15分、拠点駅の一つ、松浦駅到着。ここは長崎県松浦市の玄関口でもあります。

ここで7分間停車するので、その停車時間を利用して駅舎などを撮影してみました。

 

IMG_-t3i8pe.jpg

松浦駅の駅舎

 

観光案内看板はこちら↓

 

DSC_0613.jpg

結構広い

 

松浦市はかつて炭鉱で栄えた都市のようですが、現在は閉山してしまいました。現在は火力発電所がありますが、なかなか人口維持は厳しいようです。

 

DSC_0612.jpg

松浦駅のホーム

 

左側に停車しているのは、MR600形気動車の色違い。あとでこの赤色の車両にも乗りましたが、内装は右の青色の車と全く同じでした。

 

12時22分発車。松浦発電所の威容を眺め、御厨を過ぎるとまた内陸の景色になります。地図を見ると海は近いはずですが、その海は見えにくくなりました。

 

そしていよいよ、中田平駅を発車。

 

DSC_0614.jpg

中田平-たびら平戸口間にて

 

遂に12時46分、たびら平戸口駅に到着。

この到着の瞬間は、九州の鉄道全路線を完乗した瞬間であり、管理人の30年来の宿願(癪の種の解消)を果たした瞬間でもありました。

 

170319_133530_ed.jpg

到着

 

かつてたびら平戸口駅が単に「平戸口」と称していた国鉄松浦線時代、この駅は「日本最西端の駅」として有名でした。

その後平成15(2003)年、沖縄都市モノレール(ゆいレール)が開業すると、日本最西端の駅の地位は、同路線の那覇空港駅に移ってしまいました。それでも普通鉄道としては、依然としてこの駅が日本最西端であることには変わりありません。ちなみに、松浦線が国鉄・JRから切り離されてしまったため、JRとしての最西端の駅は佐世保駅となっています。

 

F1010121.JPG

たびら平戸口駅から「日本最西端の駅」の地位を奪った那覇空港駅

(以前の記事から転載)

 

次回は、たびら平戸口駅の様子を取り上げます。

 

◇関連記事

№066.南の国のモノレール