2007年08月16日(木) 22時30分05秒

「SPEEDBOY!」 舞城王太郎 2007-092

テーマ:--舞城王太郎
講談社BOXの舞城王太郎氏「SPEEDBOY」読了しました。

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舞城 王太郎
SPEEDBOY!
出版元
講談社BOX
初版刊行年月
2006/11
著者/編者
舞城王太郎
総評
19点/30点満点中
採点の詳細
ストーリ性:3点 
読了感:3点 
ぐいぐい:3点 
キャラ立ち:4点 
意外性:3点 
装丁:3点

あらすじ
この速さは舞城王太郎にしか描けない! 成雄は走る。独りで走る。走り続けて、加速して、限界を超えて、誰も到達し得ない場所に辿り着いてしまった。限界の向こう側へ行ってしまった成雄を巡る物語。 <<Amazonより抜粋>>


全7編の短編が所収されています。
主人公は、すべて”背中の鬣と足の速さが特徴的な”「成雄」です。

相変わらずの文体で、相変わらずのスピード感です。

”背中の鬣と足の速さ”といえば「山ん中の獅見朋成雄」ってことなのですが、どうやらパラレルワールドの「成雄」のようですね。

しかも本作に収められている7編も、どうやら(?)、それぞれの「成雄」の物語のようです。

でもこの作者のことなので、ちゃんと繋がっているんだろうなとも思われるところもあり、なんだか不思議な気分になります。

加えて楠夏(くすか)・長谷川克之・酒井槿(むくげ)・島田好という登場人物だったり、「白い玉」だったりも、役割は違えど物語の共通項として鎮座しており、ますます不思議なわけです。

ただ一貫しているのは主人公成雄のキャラクター設定。
どこまでも早く走ることのできる、限界を知らない成雄は、善悪を超越して、ただひたすらに速さを追求し、それが故に純朴であったりします。

ふと思ったのですが、「成雄」は、作者自身もしくは氏の作品自身のメタファーだったりしないだろうかと。(もちろん、私自身は作者を知らないので、あくまでも推測)
舞城王太郎が描く世界観そのものだったりしないかと。(こちらは、ありがたいことによく知っているので、ほぼ確信)

そう考えると、非常に趣深い作品なんだよなと思ったりするわけです。

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2006年01月28日(土) 02時15分08秒

「山ん中の獅見朋成雄」 舞城王太郎 2006-012

テーマ:--舞城王太郎
おなじみ舞城氏の未読本。
本帯には『「ゼロの波の新人」の第一走者が放つ、これぞ最強の純文学!!』とあります。
「ゼロの波の新人」の定義も知らなければ、ちゃんとした「純文学」の定義も知りません。
そんなところを紐解きながらの読後感想です。

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舞城 王太郎
山ん中の獅見朋成雄
出版元
講談社
初版刊行年月
2003/09
著者/編者
舞城王太郎
総評
20点/30点満点中
採点の詳細
ストーリ性:3点 
読了感:4点 
ぐいぐい:3点 
キャラ立ち:3点 
意外性:4点 
装丁:3点

あらすじ
背中に鬣(たてがみ)を持つ少年『獅見朋成雄(シミトモナルオ)』の神話的世界。山に住む杉美圃モヒ寛という書道家かつ友人が、瀕死の事故にあい、そこに居るはずのない馬を見た成雄は、そのままモヒ寛の家に留まり続ける。やがて成雄が見る、新しい世界。そして新しい自分。


冒頭の「ゼロの波の新人」とは、メフィスト賞を受賞した舞城王太郎氏、西尾維新氏、佐藤友哉氏の3名を一括りとした名称であり、ま、講談社が売り出しの若手作家につけた俗称のようなものです。
”新御三家”みたいなもんですね。
で、問題の「純文学」とは「大衆文学に対して、純粋な芸術性を目的とする文学」とのことのようです。
これまた”住むという機能を廃した芸術的に優れた住居”のようなものでしょうかね。(ちがうか?)

で、この「ゼロの波の新人」(な~んか、語呂が悪いと思うのは私だけでしょうか)である舞城氏の「純粋な芸術性を目的とした文学作品」である「山ん中の獅見朋成雄」です。

まぁ、ビックリしました。そして、読了後に大いなる尊敬を込めて納得してしまいました。

今までに読んだ著者の長編小説にある「破綻した主人公」ではないことにまずビックリです。
純文学らしく主人公の獅見朋成雄は、真っ直ぐすぎるほど真っ直ぐな純粋な少年。
その純粋な少年である成雄が語り手となって、物語が進みます。
大抵の作品は、「破綻した主人公」が「破綻的に物語」をぐいぐいと引っ張り、「破綻」に「破綻」を重ねて、「破綻的結末」に持っていっていた感じがしたので、冒頭の鬣の下りあたりは、やや不安だったりしたのですね。
もちろん文体は、独特のリズムを持っているので、最低限の「(今までに思い描いていた)舞城本」の感覚はキープしていますが、あまりにも実直で純粋な成雄の姿は、それからの展開を不安にさせていました。(結果オーライだったのですけどね)

そして、もう一つの驚きは、舞城氏の新機軸(とはいえ刊行はだいぶ前ですが)と言えるべき「静寂」への挑戦

友人であり、書道家の「杉美圃モヒ寛」から習う書道。
その書に対する成雄の精神と、周辺の描写。
そして、墨をする音。「しゅりんこき、しゅりんこき」

この辺りはまさしく「芸術性を目的とした文学」の名に相応しかったりします。

とくに「音」へのこだわりが絶妙です。
「音」を文字に置き換えることで、それ以外の音が聞き取れないといった効果があり、より一層「静寂さ」が増すような錯覚が得られます。
この物語には要所要所にこの効果を適用しており、全体的に静かな印象を持っています。

で、友人であり書道家の「杉美圃モヒ寛」の事故が発生し、その後成雄が、その事故の正体を突き止めたあたりから、一気に物語が加速します。
ここからは、いつもの「舞城ワールド」な訳ですが、ファンタジーとか異文化とかカニバリズムとかいろいろ、そしてやはり静寂が綯い交ぜになって押し寄せます。

で、前述した「純粋な主人公」であることの意味と、「静寂」であることの意味がなんとなく分り、物語がきっちり昇華します。

ということで、極めて勝手に解釈すると、この物語は、

物語を牽引するのは、純粋な主人公を取り巻く外世界
であり、主人公自体が求めている「静寂」とのコントラストによってその破綻した外世界がより際立つといった、無駄のない構成になっている

というわけです。

いや~、ますます気になる今後の舞城氏でございます。

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2005年07月18日(月) 08時18分52秒

「阿修羅ガール」 舞城王太郎

テーマ:--舞城王太郎
舞城 王太郎
阿修羅ガール

舞城王太郎氏の「阿修羅ガール」読了です。
3度借りてようやくの読了。読み終わって(もっと早くに読了していればよかったのに)と自分自身に反省。

第16回三島由紀夫賞受賞作ってことで、(じゃ他の三島由紀夫賞 ってどんなんだ)と純粋に思いました。
そしたら、はるか昔(たぶん学生時代)に読了していた本を発見。
しかも第1回受賞作。
「優雅で感傷的な日本野球」 ・・・これはですね・・・いいですよ。
とってもはじけてます。決して類似はしてませんが、舞城氏が受賞するのも分る気がします。

思わず違う本の書評しちゃいましたが、ここからが本文。



女子高校生の一人称で始まるこの物語、相変わらずの舞城文体。現代的用語の多様は、意外に舞城文体にマッチしちゃっています。

好きでもないクラスメートの佐野明彦となぜか「やっちゃった」アイコは「自尊心」を傷つけられて、佐野の顔面に蹴りを入れ、ホテルから逃げ出す。翌日、佐野との一件で同級生たちにシメられそうになるアイコだが、逆に相手をボコって、佐野が失踪したことを知らされる。佐野の自宅には切断された指が送られてきたという。アイコは、思いを寄せる金田陽治とともに、佐野の行方を追うが…。 <<Amazonより抜粋>>

このAmazonの概略の「・・・」の後が凄いです。
1部の世界は、調布を中心としたアイコのいる世界なのですが、2部以降は、一気にアイコの世界になります。この「アイコの世界」が「舞城の世界」。圧倒的な想像力。もう猛烈に「舞城」なわけです。

特出すべきは第2部「三門」の森の章。
ラッセ・ハルストレム監督の映画「やかまし村の子供達」からインスパイアされたようですが、この映画を見たくなるほど印象の強さです。
この章を読了をした人で、まだ見ていないのであれば(私はここに含まれます)、どこをどのようにインスパイアされたのか?が気になってしまうことでしょう。
いろいろと調べて見ると、牧歌的な作品のようで、そういった意味では、この「やかまし村の子供達」が好きな人は、決してこの阿修羅ガールは読まない方が良いと思います。
自身の責任において、読んでいただくことは一向に構いませんが、私は、確かに「読まない方」を薦めましたからね。

薦めましたからね。・・・・

この2部が無事に終了した頃には、一体この小説はどのように終わるのだろうかと不安になりましたが、ある意味で大円団で終了します。個人差はあると思いますが、アレだけの展開をちゃんと終わらせるだけでも「終わり」は「終わり」なわけです。

そのころにはタイトルである「阿修羅ガール」の意味も分り、「グルグル魔人」も「アシュラマン」も「阿修羅像」も、すべてを許すアイコの姿勢から、なんだか明日からも頑張ってやろうじゃないのと年甲斐もなく感化される自分がいちゃったりします。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ちなみに文庫本には、受賞記念として短編「川を泳いで渡る蛇」も収録。
こちらも土地勘があるので大変楽しめました。
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2005年05月06日(金) 22時21分12秒

「みんな元気。」 舞城王太郎

テーマ:--舞城王太郎
著者: 舞城 王太郎
タイトル: みんな元気。

GWなので、たっくさん本読めると思いましたが、意外に読めないもんですねぇぇ

04年10月刊行の舞城王太郎氏の短編集。
いやいや舞城ワールド炸裂です。いやいや参りました。これはある意味で大物。
比較的長い短編(なんだそりゃ?)3編に、短い2編が挟まって全5編。

そりゃ5編それぞれに書評したいのはやまやまなのですけどね。これが難しいのですよ。特に短い2編なんて「歌詞のわからん岡村靖幸の最近の曲」並によくわからない。という意味で大物ぶりなのです。

この「歌詞のわからん岡村靖幸の最近の曲」という比喩には個人的には十分すぎる意味があり、それは「文体の格好よさ」と「真意に近づくことの快感」だったりするわけです。
その曲の音種やメロディーラインやリズムやホーンセクションだけで格好良く、それでいて何度も聞き、歌詞カードを読みふけて気がつく、「目からうろこ」的快感。

とにかくこの本は図書館で借りては駄目。
直感的な格好よさをまず知り、挫折を繰り返しながら何度も読み、何度もその格好よさを味わい、さらに読み続けることで知る真意に、最終的に行き着くということなのです。

という意味で、直接的な今回の感想は・・・

「格好よかったけど、意味分らん」



「意味は分らなかったのは、この本を図書館から借りている私のせいです。それはそうと格好は良い」
ということです。

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2005年04月21日(木) 21時31分27秒

「世界は密室でできている。」 舞城王太郎

テーマ:--舞城王太郎
著者: 舞城 王太郎
タイトル: 世界は密室でできている。

まったくもう「青春小説」なのでした。

相変わらずの「親近感のある文体」。
それに加えて、今回は分り易いストーリ展開。
とはいえ、やっぱり「とんでもない人たち」の「とんでもない物語」ではあります。

「僕」こと西村友紀夫と名探偵「ルンババ12(トゥエルブ)」こと番場潤二郎の十代を駆け抜けた数々の物語。


文章構成は、各章(全9章)がそれぞれ決着がつくので、連作小説っぽさがあります。
ま、ありえないこととは知りながら、あえて冒険していってしまいまえば「一話完結型ドラマ」風です。

とはいえ、「一話完結型ドラマ」によくある登場人物の関連性の変化や成長が描かれており、詳しくは「メインストリームは連続していますが、一話ずつ完結するドラマ」風なわけです。
(ここで「例えば・・」と言っておきたいところですが、あまりドラマ自体を見ないので、良い例えが見つかりません)

なんでこんなことを長々と書いているかというと、「あの文体」で、「この構成」ってのが、妙に馴染んでしまったからで、いわゆる最終回(9章目)は、(一体どうなってしまうのだろう)と「ぐいぐい(久しぶりに登場)」といってしまったからです。

で、そして期待に漏らさず「まったくもう圧倒的に青春的な」大円団だった訳で、読後の爽快感が得られたのでした。
僕とルンババ12の両親との対決。
亡くなってしまった涼ちゃんの本当の死因。
ルンババ12の名前の由来。
僕がとったルンババ12への救済。
ツバキと僕の会話。
そして最後の四コマ漫画を見立てた僕の独白。

まったく、もう「やるじゃん」なのでした。


*ちなみにルンババ12。名探偵なのでいろいろと事件を解決してはくれますが、そちらの内容(いわゆる推理そのもの)については、追求・言及しないほうが良いでしょう。いわゆる清涼院流水風であり、あくまでも小説としてのエッセンスです。(もしくは、「密室本」という企画に対する作者のギフトだったりします)

*全然関係ないですけど、挿絵が作者本人作のようで、絵うまいですね舞城氏。

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2005年04月08日(金) 01時57分48秒

「暗闇の中で子供」 舞城王太郎

テーマ:--舞城王太郎
著者: 舞城 王太郎
タイトル: 暗闇の中で子供―The Childish Darkness

舞城王太郎「暗闇の中で子供」を読了。
「煙か土か食い物」の続編です。

・・・

・・・

さて、どうしましょ?

というのも、この本。

文体の魅力や隠されたメッセージ(たぶん、使い古された表現であろうところの「救済」)などは秀逸極まりないのですが、小説としての評価が難しいんです。

いつもの通り、概略からスタートすると、

連続主婦殴打生き埋め事件(前作のメインストリーム)の後を引き継ぐ模倣犯が登場します。しかも二人。暴力一家である奈津川一家の三男、奈津川三郎は弟の四郎(前作の主人公)とともに、この模倣犯を見つけ、片方を破壊し、片方を保護します。その保護した方の少女ユリオと、三郎の「救済」の物語・・・。

なわけですが、そんな簡単なものではありません。だけど、そんなに話は進みません。
この辺りに評価の難しさがあるのです。
「救済」というメッセージはびしびし来ますが、あまりにも現実感のない物語であり、最後の最後は曖昧さが残り、読者自身を(別の意味で)救済してくれるわけでもありません。

ミステリ的要素(例えば見立て殺人)もありますが、この主人公の三郎は三文ミステリ作家であり、その三郎の口からは「そんな馬鹿な話なんてないのだ!期待してはいけないのだ!」の言葉。挙句「嘘がなければ物語ではない!」とまで、言われてしまうと、ホント「救済」されないわけです。

「そんなぁぁ」ッテ感じなのです。

特にラストあたりは怒涛の非救済。この辺りで、はっきり好き嫌いが分かれるかもしれません。そして、はっきりしない方は、悔しくて、もう一回読んでみようとも思ってしまうかもしれません。(私はその口かも)

が、なんだかんだいって、前述した文体については、個人的には好きです。
あの文体はぐいぐい度を上げてくれるものです。正面で語られる言葉ではなく、横で語られる言葉に近く、微妙な「親近感」がある文体です。著者のセンス、才能には脱帽いたします。



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