2005年02月05日(土) 22時27分00秒

第2回「風の歌を聴け」の「僕」と若き日の私である『僕』

テーマ:特別寄稿:私の人生に関わった本
第1回の「私の人生に関わった本」は、村上春樹氏の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」をご紹介いたしましたが、今回も村上春樹氏です。
氏のデビュー作である、「風の歌を聴け」をご紹介します。
ということで、 tsunagai-kasumiさん、ホントすみません。 ミステリの紹介に関しては、後々紹介予定です。

前回と同様、この記事ではあまり小説自体の説明はいたしません。たくさんの方がこの小説(およびこれに続く作品の)書評をしておりますので、そちらをご覧ください。
アメブロ内の書評はこちら
●mendohさんの「読書好き」から「風の歌を聴け」

◆◆◆◆◆◆◆

この「風の歌を聴け」からは、10代の時の他者へ見せるスタイルを学びました。
主人公の「僕」の、その小説の中での振る舞いに感化され、(これもありだな)と若き日の私(以下、『僕』)は思ったものでした。

とにかくこの「風の歌を聴け」における「僕」は、クールなのです。
そのシンプルかつ断片的な文体や、無生産的な会話などにみられる「僕」が、読み手である『僕』にとって非常にショックだったのです。

例えば、家族の悪口を話してしまい、やや後悔している女性との会話

「家族の悪口なんて確かにあまり良いものじゃないわね。気が滅入るわ」
僕:「気にすることはないさ。誰だって何かを抱えているんだよ」
「あなたもそう?」
僕:「うん、いつもシェービングクリームの缶を握りしめて泣くんだ」


・・・この比喩とも暗喩ともとれる会話。「はぐらかし」という言葉で表現される一般的には冷徹な部類に含まれる会話。
小説には、このような会話が次々と主人公である「僕」と誰かの間で交わされていきます。
思春期の『僕』には、これには相当参りました。
そして、こういった表現(表面)を持つことに単純に憧れました。

◆◆◆◆◆◆◆

(ここで一旦、現時点の私の視点では記述します。)
この「風の歌を聴け」は、小説の表のテーマ(メインストリーム)そのものが、「はぐらかし」の面を持っています。裏のテーマ(実はこれに続く「1973年のピンボール」や「羊をめぐる冒険」を読まないと分からない本当のメインストリーム)は、その後の村上春樹氏の小説全般に言えることですが「喪失感」なのだと思います。
この二重構造をそれなりに理解し、小説上の「僕」の在り方や、「はぐらかし」そのものが、根底にある「喪失感」に包括されていることに気がつき、深く感嘆をしたのは、残念ながら『僕』から、しばらく後のことになります。

◆◆◆◆◆◆◆

(『僕』に戻ります)
とにかく、完全に感化されてしまったということです。まるで高倉健の仁侠映画を見た帰りに、なりふりかまわず喧嘩する大人達のように、感化されてしまったのです。でも、この表面的に「風の歌を聴け」の「僕」のようになることは、それなりに大変でした。

要するに、
1.人に感情を見せず、徒党は組まない。
2.必要のない会話はしないこと。会話が必要な時は、無生産な会話をすること。
3.必要な時は必要なエネルギーだけ使うこと。結果的にいつでも余裕を持つこと。
4.上記3つを実践しつつ、適当に人からは信用されること(ジェイや鼠との関係)。
5.上記4つを演じるということ。

を実践することであり、不器用な『僕』にはかなりの努力が必要でした。
特に4.までを包括する5.ができないと、圧倒的に嫌な奴となってしまうため、自然と本当の『僕』と周りから見た『僕』が出来上がってきます。

今から思えば、それなりにコツが分かってくると、自分というものが分からなくなってきました。
それでもある人はそんな『僕』を「落ち着いているよね~」と評価してくれました。で、ますます調子に乗って、磨きをかけてしまうのです。

かくして、『僕』の高校時代の後半と大学時代のスタイルは、この「風の歌を聴け」の「僕」によって、確立されたのでした。

◆◆◆◆◆◆◆

そして今。

結局のところ、結婚やら仕事やらで、コミュニティーの範囲が大きくなると、そんなスタイルはいつまでも通用せず、そんな『僕』(あの頃の若き私)は、微塵もありません。

なははは。



著者: 村上 春樹
タイトル: 風の歌を聴け


著者: 村上 春樹
タイトル: 1973年のピンボール


著者: 村上 春樹
タイトル: 羊をめぐる冒険
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2005年01月31日(月) 23時51分00秒

第1回「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」と高校時代

テーマ:特別寄稿:私の人生に関わった本
例えば、「一番、最初に買ったCD(実は年代的には「レコード」だったりしますが)って何?」という、常套な質問があります。
大抵、この質問の本意は、聞き手(シチュエーションとしては、仕事の上司が適格)が「そんな若いんだ~」と言いたいためだったりします。
では、「一番、最初にちゃんと読んだ文学小説って何?」という質問があった場合、聞き手の本意はどこにあるのでしょう?

◆◆◆◆◆◆◆

記念すべき「私の人生に関わった本」の1回目は、一番最初にちゃんと読んだ文学小説である、村上春樹著作の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」。

Googleで、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 感想」で検索すると、5,150件もヒットします。

「それだけ読まれている」ということです。

感想も様々あるようで、皆様の深い思いに共感したり、反論したりしていますが、あえてここでは、(感想を述べることは、あまり)触れません。

それでは、飛行機の機内用の冊子に入っているコラムのような雰囲気でいきます。


◆◆◆◆◆◆◆


高校1年の時である。
文学だとか小説だとかには、まったく興味がなく、贔屓のバンドのニューアルバムが出ただとか、あの食堂のメニューはイマイチだとか、そんなことにしか興味がなかった15才だったのである。

ある時、「ノルウェーの森」が、圧倒的なベストセラーになったわけだが、その読者のほとんどが若い女性であったことをどこかから聞き出した15才の私は、圧倒的に不純な気持ちで、通っている高校の最寄り駅の駅ビルの本屋にいったのである。当然ながら、そんなことにしか興味がなかった15才だったからである。

さて、本屋にたどり着いた15才は、やおらベストセラー群が紹介してある、いわゆる「売れ筋ゾーン」の前に立っているわけだが、この「ノルウェーの森」。単行本なのであった。しかも上下巻。

思う。この単行本を買う。それだけの代価があるか?
思う。この単行本を買う。ほんとにちゃんと読めるのか?
思う。この単行本を買う。「良さ」のようなものが分かるのか?


さて、15才といえば、思春期の真っ只中であり、「人と違うことをやること」が、一つのステータスになっていた(もしくは、それが唯一の「自己表現」であると信じてやまなかった)時期である。一方で流行りには敏感でなくてはならない。要するに「流行りには乗ってみるが、ちょっと人とは違う方法論を持っている」ということが、最高のステータスなのである。

例えば、
「バンドブームという流行りに乗っては見るが、担当は一番地味なベース*1
ということである。

ふと、普段立ち寄らない「文庫本コーナー」に歩みを進めていくと、そこに平置きされているピンクと薄緑色の表紙。

思う。同じ村上春樹本だ。しかも文庫本だから安い
思う。同じ村上春樹本だ。
「俺、ハルキの「世界の終わりと・・」読んだぜ」。よしイケる!
思う。同じ村上春樹本だ。
「いいよ、貸してやるよ。*1」う~ん、イケる。イケる。


そう、これが「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」との出会いだったのである。

永遠と続くと思われる、巨大エレベータの描写に一旦は、読了を諦めたものの、そんなことにしか興味がなかった15才だったから、我慢して読み続けること3時間。

思う。なんだこの本は。
エレベータを降りた後の「ハードボイルド編」のこのスピード感は一体?
思う。なんだこの本は。
突然始まり、以降章ごとに差し込まれる「世界の終わり編」のこの静寂さは一体?
そして読み終わって、思う。
何なんだこの本は。


慣れない読書のため、読了には1週間を費やした。

かくして、そんなことしか興味のなかった15才は、ちょっと文学に興味をもった15才に変わった。

でも、当然ながら、あんなことにも興味はあった

◆◆◆◆◆◆◆

*1:事実である。



著者: 村上 春樹
タイトル: 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉



著者: 村上 春樹
タイトル: 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈下〉
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