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ミュージックステディ初代編集長・市川清師さんが「さよならウサギ」について、素晴らしい紹介文・歌の主人公との思い出を綴ってくれました。
日々の仕事を通じて、様々な活字を目にするのですが…久しぶりに胸が熱くなる文章に触れました。
「想い」が込められた文章って、歌と同じく、人の心に響くんですよね。
この筆力、流石です!参りました。
市川さん、本当にありがとうございます。

<佐々木モトアキ2ndシングル「さよならウサギ」リリース情報>
http://ameblo.jp/sasakimotoaki/entry-12252079676.html


(以下、原文です)
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■Sexy Hungry Rabbitへ捧ぐ――佐々木モトアキ「さよならウサギ」

佐々木モトアキという“唄うたいが”いる。彼とはザ・モッズが「スカーフェイス・レーベル」を1991年に設立した際、取材などで、度々、会っている。ザ・ハンドレッズというバンドのボーカリストだった。バンド解散後、彼はザ・モッズのスタッフとして働いていたこともあったと思う。同事務所を辞した後は、暫く会っていなかった。
昨2016年、FBで久しぶりに再会。同年4月に吉祥寺・曼荼羅で、山部“YAMAZEN”善次郎などと行った「俺と仲間達 2016 Special Acoustic Live in 東京」で、10数年ぶりに対面も果たしている。
それ以来、FB経由だが、交流(といっても日記や記事をシェアするくらい)が始まった。
先月、彼のFBを見ていたら、4月19日に新曲が出ることと、同時に同曲の動画もリンクされていた。その曲は「さよならウサギ」といい、冴島奈緒に捧げられたものだという。
いま、冴島奈緒のことを知る人がどれだけいるかわからないが、1985年にグラビアデビューし、かの人気深夜番組『11PM』(日本テレビ)の名物企画「秘湯の旅」の温泉リポーター(通称「うさぎちゃん」)として注目を浴び、その後、AVに転身。元祖セクシータレント、アイドルAV女優として黄金時代を築く。AV女優としてだけではなく、アーティスト、パフォーマー、ライター、モデル、実業家として、活躍。東京のパンク、ハードコア、メタル、ハードロック…など、90年代のバンドブーム前後に花開いた東京のアンダーグラウンドな音楽シーンのアイドル的な存在でもあった。彼女の華やかな交遊録は、さながらジャズ・エイジと狂騒の20年代の象徴であるゼルダ・フィッツジェラルド、またはアンディ・ウォーホールのミューズとして活躍した“ファクトリー・ガール”であるイーディ・セジウィックを彷彿させた。残念ながら、彼女は2012年9月29日に、この世を去っている。享年、44だった。


佐々木は、「冴島は“特別な友達”だった」という。いつも彼を勇気づける存在だった。その出会いの物語を歌い、奏でる。ストーリー・テリングの達人たる佐々木らしい筆致で、忘れえぬ人を思慕し、哀悼する、美しい歌に仕上げているのだ。
早速、アマゾンに予約し、発売日に到着して以来、繰り返し聞いている。佐々木の新曲だけでなく、冴島のことを歌っているからというのもあった。亡くなった友達の縁故を綴るようなことはあまりしたくないが、冴島とは編集者として、何度も仕事をしている。時には彼女の自由過ぎる発想にやり合うこともあったが、私にとって忘れえぬ仕事でもあった。それゆえ、何かを文章で書き残しておきたかった。


実家暮らしが長く、あまりAVを見る機会がなかったため、冴島奈緒という名前は知っていたが、どんな女優かはよく知らなかった。そんな私が彼女と会った(正確には見かけただけだが)のは目黒・鹿鳴館で行われたGASTANKのライブだった(と記憶しているが、実のところは曖昧である)。終演後、暗がりの中、自らの存在を同所にいた知り合いに誇示するかのように大きな声で、「冴島(だよ)!」と、名前を叫んでいた。まるで体育会系の乗りである。何か、彼女がいるところだけ、光輝いていたようだった。
その後、私が関わっていた男性週刊誌に彼女の連載が始まり、編集部で顔を合わすことが多くなった。私が連載を担当していたわけではないが、何度か、担当編集者のお手伝いもしていた。話すと、彼女は神田の生まれ。私の母は“神田小町”。地縁ゆえ、下町気質が通じあった。
1991年に冴島がニューヨーク滞在時には度々、手紙ももらった。ニューヨーク時代は、彼女自身もハイだったようで、意味不明のものも多かったが、いずれも彼女らしい言葉が躍っていた。冴島はニューヨークと格闘しながら、世界制覇を企んでいたのだ。
帰国後は、私はグラビア担当として、彼女の写真集で使用された写真でグラビアページを構成している。また、各界の有名人、著名人がグラビアページをプロデュースするという企画では、彼女にも参加してもらった。
その後、ライブやイベントなどでは度々、顔を合わせている。偶然といえば、桜の季節、墨田川の墨堤で花見をする冴島ファミリーに出くわしたなんていうこともあった。
彼女と最後に会ったのは佐々木の歌のように六本木、東京タワーが見えるところ。2008年に編集者として関わった「X-JAPAN」を特集したムックで、彼女にX-JAPANやエクスターレーベルのバンドマン達との交流を取材している。彼女が闘病生活をしていることは知らなかったが、オーガニックフードやヨガなど、健康を気にかけていることは聞いていた。それ以来、彼女と会うことはなかった。彼女が亡くなったことは、随分経ってから、スポーツ新聞の記事で知った。誤報であって欲しいと願ったが、知り合いに確認すると、それは事実だった。悲しく、悔しくて、空しい――そんな思いが込み上げたことを覚えている。


改めて、アングラシーンのミューズとしての彼女のことを思う。当時のロック・シーンとAV業界やアダルト出版社などが不思議と交差(交錯!?)していた。バンドマンがAVに出たり、アダルト雑誌で特集を組まれたり、AV女優がアルバムジャケットを飾ったり、ライブやイベントにダンサーとして参加したり…と、関係は深かった。その頃、冴島は“Sexy Hungry Rabbit”と名乗ってもいた。AUTO-MODと共演するなど、彼女自身もバンド活動を繰り広げ、何度もステージに立っている。ちゃんとした作品は残ってないが、作品以前に彼女と関わった多くの人達に影響や刺激を与えている。佐々木の歌でもわかるように、迷いがあったら、それを振り払うおまじないを授け、そっと、その背中を押す。


セクシー女優というレッテルゆえ、怪しい色香を放つ“淫力魔人”のようなイメージもあるが、彼女は神田生まれ、板橋育ち、どこか、下町の肝っ玉母さんのような男前なところもあった。淫力ではなく、活力か。彼女に創作のための活力を貰ったアーティストは多いはず。
私自身は冴島へ特に悩みを打ち明けることなどはなかったが、彼女の明るい笑顔や大きな話し声から同時代を生きるものとしての“やる気、元気、勇気”(森脇健児か?)を少しだけ、お裾分けしてもらったような気がしている。


佐々木は彼女への思いを込めながらも、センチメンタルやウェットにならず歌っている。歌に被るバイオリンもジプシーバイオリンのように哀愁を奏でつつも耽溺することはない。力強さや明るさがある。佐々木のソングライター、ストーリーテラーとしての非凡さゆえのことだが、むしろ、彼女がそうさせているようにも感じている。冴島の見えざる力か。相変わらず、彼女は“喝!”を入れてくるのだ。
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