月刊『むすぶ』特集「精神科医は罪な仕事!?」(No.444)が刊行された
テーマ:文章と「告知」 月刊『むすぶ』(旧誌名『月刊地域闘争』・ロシナンテ社刊・1970年創刊)No.444号(2008年1月号)特集「精神科医は罪な仕事!?」が刊行された。
これは《絶望》の書である。
内容は松山の精神科医笠さんと神奈川県藤沢の三吉医師や相談室勤務の広瀬さん・その他数名の医療従事者との対談が掲載されている。そして、患者会「ごかい」の藤原礼子さん、前進友の会の江端一起と皿澤剛の原稿が掲載されている。そして、前進友の会からの京都の岩倉病院への公開質問状が掲載されている。読みたい人は読んでもらいたい。特に笠さんのセカンドオピニオンを受けている病者の家族の方たちには読んでいただきたい。しかし、読みたくない人間は読まなくても結構である。
これは《絶望》の書であるからである。
我々患者会の病者には、みなそれぞれ大きな《怨念》がある。「やくざがヤーサンならきちがいはキーサンだ」というのはレトリックではない。我々キーサンは「やくざ」など足下にも及ばない本物の《ヤクザ》である。我々キーサンは《仁義》と《マコト》によって生きる。
以下に、この号に私が書いた原稿を全文掲載する。他の原稿については、この『むすぶ』を注文して、読んでもらいたい。
〈注文先〉
〒605-0974
京都市東山区泉涌寺五葉ノ辻町28 ロシナンテ社
TEL・FAX 075-533-7062
メール:musub@big.or.jp
http://www9.big.or.jp/~musub/
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全国の精神医に絶望、絶望、絶望・・・
笠さんのセカンドオピニオンを瞥見して
皿澤 剛
これを書いている現在、セカンドオピニオンのカルテは715件もある。このすべてが、「主治医」の精神科医から、何らかの「被害」や不信に感じることを行われて、患者や家族が困って、笠さんのセカンドオピニオンにたどり着いた方ばかりである。これだけの件数があるのも驚きだが(件数は今も増え続けている)、その多くが誤診され、間違ったクスリや飲まなくてもよかったクスリを飲まされている。多くの患者がそのクスリの副作用で苦しんでいる。しかも、そのような誤診や誤処方が何年~何十年も続いた末に、笠さんに助けを求めてきた方が大部分であるようである。
ひとりひとりのケースについて私は詳びらかではないのだが、目にとまった一つのひどいケースをここに紹介しようと想う。患者の母親から相談が来たケースだが、患者は12歳(!)の女の子・統合失調症(分裂病)という診断を受けて総合病院の精神科病棟に入院中・クスリはジプレキサ20mg+リスパダール12mg+バルネチール400mg+ロドピン450mg+レボトミン50mg+ニューレプチル30mg+ホリゾン30mg+ベジレール+レボトミン+ベンザリン10mg+アキネトン3mg+ミルマグ6錠+プルセニド4錠、クロルプロマジン換算(コントミン換算)3150mg(!!!)主剤だけでもクロルプロマジン換算2000mg、朝14錠+昼13錠+夕14錠+夜7錠・・・併せて48錠(!!!)
大人でもこれは無茶苦茶な処方だが、12歳の女の子にとってはこれはまさしく《拷問》であり、「合法的殺人」であり、実際、病気(分裂病)と診断されている「症状」は薬剤性の副作用である。
これは、極端な例だと思うかもしれないが、必ずしも極端な例ではない。これに類した例はセカンドオピニオンのカルテにはたくさんあり、日常的な誤診例だといえる。私自身も過去にひどい誤診を受けて誤処方され、副作用で閉尿になり、さらには、強制的に何百キロも離れた精神病院へ移送され入院させられた。そして、保護室・閉鎖病棟に入れられ、退院までそれは続いた。私自身もいまの主治医に出会うまでは誤診と誤処方の被害者であり、強制入院では地獄のような経験をした。そして、そこは《人間の捨て場所》であり、そこに捨てられている人たちはあまりにもたくさんおられた。私にとっては、この経験が患者会で生活し運動する《原点》となっている。
笠さんがインターネットでセカンドオピニオンを始めて4年以上になるが、その影響で我々患者会も自分や《なかま》(とりわけ入院している《なかま》)の処方に関心を持つようになった。そして、ようやく私たち病者もクスリの勉強を自主的に始めるようになった。
笠さんからの個人的な情報によると、京都で我々が知っている精神科医の処方も酷いものらしい。我々が他よりも「マシ」だと想ってきた医者もほとんど例外なく酷い処方をしているのだ。その被害者も笠さんのセカンドオピニオンを受けているようだ(もちろん患者の個人的な情報は知らされていない)。
笠さんのところには、この4年間の間に3000以上の精神医の処方のケースが集まってきている。笠さんの江端さんへの私信によると、笠さんは絶望しているということだ。笠さんはセカンドオピニオンを始めた当初は全国には「マシ」な精神科医が幾人かいるのではないかと期待していたという。そういう精神科医と全国にネットワークが創れれば、精神医療の被害者を少しでも救えるのではないか・・・と笠さんは期待していた。しかし、結果は散々だった。医学部の教授連中や大学の医局の医者はくだらない論文を書いているだけで全くダメ、むしろ害悪を垂れ流し非力な精神医を再生産していた。また、昔「精神医療改革」を標榜していた医者たちも堕落してしまい、院長や学会の理事などになってしまい、肝心の日常の診察室の中での臨床は全くダメ、なぜか大きな自信を持ってしまい患者に投薬すること・患者を入院させること・患者を保護室に入れること・閉鎖病棟に入れること・四肢拘束すること・電気ショックを患者に施術することに対して全く悩まなくなってしまい、その《重み》、人の《生き死にの重み》に鈍感になってしまっていた。
そして、たくさんの精神医療の被害者を作り出していた。結局その結果が笠さんの手元にある3000以上の誤診・誤処方のケースなのだ。そして、そこには、被害者の患者の苦しみがすべてに込められている。結局、笠さんにとってこの試みは、自分が元々信頼していた数少ない「患者会と一緒にやってきた精神医」しか信じられないという結果を再確認することになってしまった。それが、笠さんの全国ほとんどすべての精神医に対するいまの大きな《絶望》なのだ。もちろん、卑劣な匿名の誹謗中傷・脅迫は日常茶飯事で笠さんのところにたくさん来ていると聞いている。そこにも、今現在の全国の精神医の《悪意》が現れているのだろう。それも含めて笠さんの全国の精神医に対する《絶望》は深い。
以上は笠さんが絶望しているであろうことだが、これからは我々患者会の病者が精神医に対して絶望していることを書いていく。我々患者会は全国の酷い精神医療の状況のなかでも、よりマシな医療をやっていると信じてきた病院があった。それは我々の地元京都では、京大・洛南・岩倉だった。しかし、京大と洛南は4年前に隠れて電気ショックを続けていたことがわかってしまった。そして、今では開き直り堂々と電気ショックをやり精神科救急をやり、全閉鎖になってしまった。残るは岩倉病院だけになってしまったが、その岩倉病院がマシだということも幻想にすぎなかったことも明らかになってしまった。それが明らかになったのは、昨年2007年9月27日である。この日京都で病地学会(日本病院・地域精神医学会)の50周年大会が行われた。会場で我々の《なかま》が電気ショックをやっていることに抗議の声を上げたのだが、そのとたんに、その学会を「仕切っていた」岩倉病院の医者・看護士が大勢でその《なかま》を引き倒し、床に押しつけ、身動きのとれない状態で会場の外まで引きずり出したのだ。まさしくそれは、我々が恐れていた「暴れる患者を制圧するチーム・テクニクス」そのものであった。それから、いままで良いと勘違いしていた岩倉病院の「良心的医療」の正体が我々には見えてきた。私自身も岩倉に入院している《なかま》を退院させるために、その《なかま》の減薬をさせようと必死に努力して主治医のSとやりあったが、そのときに、はっきりとSの正体・岩倉の医療の正体を実感することになった。そのときの私の体験は、前進友の会に入って最もシビアな体験だった。Sとやりあった翌日の夜、私はあまりのストレスに「混迷状態」に陥った。そのときの記憶はほとんど無い。私ははっきりと、もし岩倉に自分が入院したら殺されるか廃人にされることを悟った。
いま、岩倉と前進友の会は非常にシビアな状況にある。その一端は、この『むすぶ』に掲載される黒川さん(光愛病院の島田医師)の抗議文と、前進友の会・やすらぎの里共同作業所の岩倉病院への「公開質問状」を読んでいただきたい。
もう、信じられる医者や医療従事者はいない。入院できる病院もこの日本には無い。我々患者会の病者には、もはや「マシな精神医療」という幻想は無くなった。そうは言っても「幻想」はあった方がラクだった。我々病者に残されたものはもはや《絶望》だけだ。しかし、ようやく私たちは31年目にして患者会の原則に立ち戻ることになった。
『なかまは入院させない』
『入院しているなかまは救出する』
『患者会を維持し、十全会(京都の超悪徳殺人病院)のような病院は解体する』
これからも大変な課題を我々患者会は抱えていかなければならないが、この原則を堅持し、一日一日を生き抜いていくしかない。我々患者会は、ひとりひとりが一日でも長生きしていかなければならないが、笠さんにも少しでも長生きしてもらい、斗っていただきたい。全国の精神医に対する深い《絶望》から・・・・・・私たちはやっていかなければならないのだ。
(2008年 1月 5日記)
連絡先
前進友の会
(京都市山科区日ノ岡坂脇町7-5 日ノ岡荘2階)







