2007-02-19 22:42:34

「精神病者」と「精神障害者」について(キーサンともだちMLから)

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東京のキムさんの了解を得て、「精神病者」と「精神障害者」の呼称についてキーサンともだちMLでのやりとりから紹介します。


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東京のキムさんから 《精神病、「精神病」、精神障害》


 きのう、「江戸川区の福祉を考える会」の例会が久しぶりにあり、MAさん、MOさんと参加した。討論の中で貴重だったのは、脳性マヒの身体障害者であるTさんの意見である。
 Tさんは、しんまつに対して、しんまつが精神病者の患者会となのっているのは、病気だからなおる、という含意がこめられているのではないか。それに対し、障害というのは、固定化したもので、直らないことが前提である。私は障害者であることにこだわっており、私の夫はマヒが有って常時服薬しているが、病者とはおもっていない、とおっしゃっていました。
 これにたいし、僕は、僕たちは社会復帰にも、精神病が治るという幻想をふりまくのにも反対であること、しかし、日常的に医療を必要としており、ましな状態をのぞんではいるし、それゆえ、悪徳精神医療にも反対していることなどをのべました。
 また、MOさんからは、精神病の偏見や固定観念との区別から、「精神病」という表現を使う人が多いが、そのような表現は、精神病の偏見そのものをひとまずうけいれ、かつたたかう、という立場からは、超えられるべき、というような意見もだされました。「精神病」と僕たちのような精神病というつかいかたは、あまり、言葉の問題にこだわってもしょうがないから、程度の、消極的な意味で長らく使ってきたのですが、いろいろかんがえさせられる討論でした。
 また、精神障害者という表現も、このような場では多く必要であることも事実です。

 最近障害者を障がい者と表現する人も増えています。また,精神医療の分野では言い換えはもっと盛んで、分裂病は統合失調症になりましたし、(ぼくは分裂病といっていますが)、精神病院は精神科病院といわれています。原則は、当事者の意見にもとづかない「配慮」は偽善だということです。キチガイ、キーサンと居直る精神はやはり大事だと思います。


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皿澤から 《精神病者、「精神病」者、精神障害者などの言葉について》


 東京のキムさんが、おもしろい話題を提供してくださいました。

 

 この言葉の使い方には、かなり奥の深い問題があって、かなり難しい問題だと想います。また、これが絶対に正しいという答えはないように感じます。

 

 僕自身の感覚から言えば、「精神障害者」という言葉は使いたくありません。また、使う場合には状況に応じて適切に使うようにかなり注意して使うようにしています。
 というのは、「精神病者」と「精神障害者」では外延が(その言葉の指し示している範囲が)大きく異なるからです。「精神病者」⊂「精神障害者」であり、「精神病」は「精神障害」の一部分でしかありません。「精神病」はかなり輪郭のはっきりした外延を持っており、「分裂病」・「躁鬱病」・「うつ病」・「非定型精神病」にほぼ限定されます。これらは、確かに「障害」として捉えれば、「精神障害」には違いありませんが、「精神障害」には他の一般の精神疾患も含まれます。例えば、PTSD・多重人格・アディクション(アルコール・薬物・仕事・買い物・人間関係・・・)・神経症(神経性抑うつも含む)・対人恐怖・社会不安・不眠症・発達障害・自閉症・知的障害・てんかん・(僕は認めませんが)「人格障害」・・・などなどキリがありません。また、AC=「アダルト・チルドレン」が含まれることもあります。

 

 もうお分かりかと想いますが、僕ら精神病者が病識を持ち、患者会に集うとき、「精神病」と非「精神病」は基本的に違うと感じると想います。それは、本質的には「病」者と「健常」者の違いだと言えないでしょうか。いまの僕には基本的な感覚としてそういう違いがあります。
 つまり、「精神病者」のノリと非「精神病者」のノリの違いと言いますか、かなり大きな溝がそのあいだに横たわっているように経験的に感じます。端的に言えば、非「精神病者」である「精神障害者」は、症状としては重篤な症状を持っていても、基本的には我々が「健常者性」と呼ぶ感覚を持っており、医療的なケアが必要だとしても、僕ら「精神病者」のように「狂気」に支配されたり、「狂気」を持っていたりはしないということです。ここが僕らの「キーサン性」を持っているか、いないかに大きく関わっていると想います。そして、もう一つ付け加えるならば、「精神病」というのは精神症状だけでなく、身体症状・気分の症状・思考の症状など多彩な症状に襲われ、健常者的な生活が出来なくなるということです。

 

 ですから、我々があくまで「精神病者の患者会」というのは、そこに自分たちのキーサン性というものを自覚し肯定し覚醒する意味が込められているのだと想います。そして、そこから僕らの理屈ではない「反社会復帰」という感覚・考え方・生き方が生まれてきます。
 

 「精神病者」というと「障害」ではなく「病気(病者)」だから、治る可能性があるというのは大きな誤解です。確かに「身体障害者」にはそういう言葉に対する「こだわり」があるのだと想いますが、「精神病者」には次元の異なる言葉に対する「こだわり」があるのです。だから、僕たちは「精神障害者」という非常に曖昧なキーサン性の希薄な、おおざっぱな括り方をされたくはないという感覚、つまり「精神障害者」と呼ばれてしまうことへの大きな違和感を持たざるを得ないのです。

 

 以上長くなりましたが、精神病者・「精神病」者、病者・「病」者の違いと歴史的な背景については、また機会があるときに書きたいと想います。


      皿澤 剛
 


2007-02-18 00:38:21

哲学崩れさん(Y君)とのメールのやりとり

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①皿澤→Y君へ(あまり無理しないでね)

 

 こんばんは。皿澤です。お元気ですか?

 

 笠さんの白の掲示板のY君の投稿を拝見しました。まったくごもっとも!ですね。

 

 でも、まあ、あまり無理はしないでくださいね。Y君のHPに載せている論考は全くもっともなものだと僕は想うし、ちゃんと判断力のある人が読めば判断はできるでしょうから。そこまで、Y君が責任を感じることはないと想います。それに、Y君は前進友の会の「みんなの部屋」で濃厚な精神病者(特に分裂病者)も良く知っていてそれであの文章を書いているのですから。インターネット上の繋がりだけでは、そこまで良くわかりませんね。

 

 今日はMさんのことで岩倉から看護師さんが2人訪れました。僕はちょっと今日は疲れてしまい、午後4時過ぎに行ったんですが、結構まじめで優しい看護師さんみたいでした。Mさんの一時退院は5月ごろになりそうです。
 
 また、良かったら「みんなの部屋」に来てくださいね。風邪などひかないように・・・。


     皿澤 剛


②Y君→皿澤へ(Yです)

  

   皿澤剛様

 

 メール、有り難うございました。お気遣いいただき有り難うございます。本当に嬉しいです。

 

 ああいうのは、難しい所があって、或る状態(例えば薬剤起因性ジスフォリア)を念頭において書くと、真性分裂病状態のことが抜けてしまうし、また逆も間違いであり・・・と、なかなか色々なことを考慮しなければなりません。また、私の情報を見て、過走する人がいるらしく、この点も、気をつけなければなりません。更に、私がああいった発言(情報提供を含めて)をすること自体、果たして何処まで妥当なのか、等々も考え込んでしまい、内省すべきことは多いように思えます。もとより、好きでやっているだけですから、気楽に行こうかな、とも思います。仰るとおり、ここは読み手の側の適正な判断を期待する方が得策なのだと私も思います。

 

 「みんなの部屋」での勉強は、本当に有り難く思っています。何せ、真の精神病者の生き様を学び、共にお話できる場所は、他に余りありませんから。私が分裂病、ということでイメージするのは、MOさんでありMAさんであり、病者のリアルなイメージを描けるのも、前進の皆さんが私を拒絶せずにいてくださることがどんなに大きいかと思っております(私にとっては、雑談すること自体が実はこの上なく大きな勉強なのです)。本当に、感謝に絶えない次第です。近いうちに、またお邪魔させてもらいます。

 

 MOさんのことも、大変ですね。しかし看護師さんが良さそうな方でよかったですね。また、詳しいことをお聞かせください。

 

 私は先週より風邪を引いていました。気温の変動が大きいので、どうぞ皿澤さんもお気をつけ下さい。

 

 それではまた近いうちに、またお邪魔させていただきたいと存じます。それでは。


2007-02-07 19:02:04

「高齢原告『生存』への闘い」(東京新聞の記事より)

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福祉切り捨て『防波堤に』(2007年2月4日)

高齢原告『生存』への闘い
 

 段階的な減額の末、二〇〇六年四月からなくなった「生活保護の老齢加算」の復活を求め、東京都内の十三人の高齢者が立ち上がる。国の一方的な通告で生活費を削られた怒りは収まらない。格差が拡大し、貧困層が増大する懸念が強まってきた“美しい国”日本。原告たちは憲法を味方に、残りの人生をかけ、人間らしい生活のありようを司法の場で問いかけたいという。「自助」を増やし「公的扶助」を減らすばかりの国の政策に“待った”をかけることはできるのか。 

 

 小さな台所がついた東京都内の六畳一間のアパート。訴訟への参加を決めた横井邦雄さん(78)は、妻と別れた四十代から独りで暮らしてきた。

 スーパーでは割高だからと、野菜は近くの八百屋で買う。「たまには栄養のあるものを」と、スーパーのタイムセールを待って、半額になった刺し身などを買うこともあった。だが、老齢加算が削られてからは副食費を抑えようと、我慢することが増えたという。

 「冷や飯に卵をぶっかけてかきこんだりね。年を取るとかむ力も落ちるから、栄養をつけるように少しはまともに食べなきゃと思うけど…。これじゃ寿命も縮むよね」

 

 十七歳で終戦を迎えて家族とともに外地から引き揚げてきた。職を転々とした後、本や雑誌を刷る活字を拾う職人として印刷会社に勤めた。だが活版業が衰退し、一九八〇年代から仕事が激減。建設現場などで働くようになったが、バブル崩壊で六十代で失業した。再就職先も見つからず、十二年前から生活保護を受けるようになった。

 月約一万八千円の老齢加算を受ける七十歳になってからは、生活費相当分として月約九万四千円が支給された。だが、二〇〇四年からの加算分の削減、廃止によって今の受給額は約七万五千円にとどまっている。

 昨年五月、都内の四十六人とともに老齢加算廃止を不服として都に審査を請求したが、棄却された。国に再審査を申し立てることも考えたが、年齢を考えて裁判に訴える覚悟を決めた。「このままじゃ年寄りはただ食べて寝て、死ぬのを待ってろと言われているようなもんだから」

 

 都への不服審査申し立てから提訴まで残った仲間は十三人のみ。体調を崩して入院したり、「福祉事務所に嫌がらせをされるかも」と恐れたりして原告に加わらなかった人もいるという。

 最近は足が弱ったという横井さん。がんも見つかった。でも「自分でできるうちは」と介護サービスに頼らず、生活相談を行う市民団体で相談業務の手伝いもする。「お国のためにと戦争に駆り出され、戦後は高度成長を支えた。静かな老後を願うようになった時に、一方的に生活費を削られるなんてあんまりじゃないか」。台所のテーブルで光熱費や食費のレシートを家計簿に張り付けながら言う。

 「貧困層が分厚くなり、生活保護世帯より収入が少ない世帯が多いのも知っている。でも生活弱者が足を引っ張り合うのではなく、裁判を福祉切り下げの防波堤にしたいからあえて訴える。くたばったら終わりだ」。朗らかだった目が潤んだ。


■格差加速貧困ライン底なし

 憲法二五条の生存権を今、司法の場で真正面から問う意義は、国に「健康で文化的な生活を営むための最低ライン」を明らかにさせ、底を割り続ける貧困ラインを食い止めることにある。

 昨年の小泉政権時代に発表された政府の「骨太の方針」は、二〇〇七年度から五年間で社会保障費を一兆一千億円削減すると決定。この方針を受けて、生活保護の認定基準が厳格になり、老齢加算の廃止に続き、子どもがいるひとり親世帯を対象にした母子加算の廃止も打ち出されている。

 

 国の一方的な通知によって〇四年度から老齢加算を削られた生活保護受給者には不満が渦巻く。だが、不服申立件数は全国で千六百件にすぎない。

 その要因として、不況を背景に所得格差が広がり、生活保護受給者よりも困窮した低所得層が膨らんだ“ねじれ”現象は見逃せない。国税庁の調査では年収二百万円以下の世帯の割合が20%を超え、日銀の調査では無貯蓄世帯の割合も20%を超えたとの結果もある。

 国はこれまで、一般世帯の生活水準を生活保護基準の算出に反映させてきた。この基準は、最低賃金や就学援助などの算出の目安にもされてきた。好況の時代には基準が引き上げられ、問題は生じなかった。

 

 しかし、〇五年度には生活保護の受給世帯が百万を突破。財政難を理由として、増大した低所得層の生活水準に合わせるように基準を一方的に下方修正した国には、国民的合意もなく「健康で文化的な最低限度の生活ライン」を引き下げた“越権行為”の疑いがある。受給者にとって不利な変更にどんな正当な理由があったのか、厳しく問いただす必要がある。

 

 金沢誠一・仏教大教授(社会政策)は「格差の固定化は、弱者対立を生み出す。社会規範が崩れ、人らしく生きるために連帯し、協調するよりもバラバラになる傾向が強まる」と、基準の切り詰めによる社会の不安定化を憂慮する。

 さらに「年金は目減りし、健康保険の自己負担率が上がる。障害者自立支援法のように公的扶助を後退させ、自助を増やす政策ばかりが続けば、もはや低所得層は持ちこたえられない」と指摘している。 

  (佐藤直子)


■「生存権」関係条文

 憲法二五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

 

 生活保護法一条 この法律は、日本国憲法第二五条に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする。

 同三条 この法律により保障される最低限度の生活は、健康で文化的な生活水準を維持することができるものでなければならない。


<メモ>老齢加算 1960年、原則70歳以上を対象に生活費相当の生活扶助費に上乗せする形で支給が始まった。東京23区など大都市部では2003年度まで月額1万7930円。しかし、04年度9670円、05年度3760円と減額され、同年度末に廃止された。厚労省によると、廃止前の05年7月時点で、70歳以上の生活保護受給者は約31万4000人。


http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20070204/mng_____sya_____014.shtml

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 以上の記事に詳しく述べられているとおり、もはや、「生活保護」はどんどん切り下げられています。構造改革や規制緩和によって、貧困者の数が増大しているのに、皮肉にもその貧困者の生活水準に合わせるという論理で、どんどん「生活保護」は切り下げられていきます。しかも、政府は社会保障費を5年間で1兆円以上削減しようとしています。この論理によって、貧困者は「お互いに足を引っ張り合い」生活保護の基準額も切り下げられていくでしょう。これこそ、悪魔の連鎖です。おそらく、貧困者は分断され連帯することはできません(ワーキングプア・障害者・高齢者・母子家庭・・・)。


 しかし、それぞれの事情を抱えながらも、それぞれの場所で生きていくしかないのです。これからは、大変な世の中になるでしょう。


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