2006-03-26 02:26:53

今は無き「前進友の会」のHPの掲示板より

テーマ:文章

 大阪池田小事件が起きた直後、僕たちの患者会である前進友の会のHPの掲示板がすごく荒らされました。


 そのときに僕が掲示板に書き込んだ文章をここに再掲しておきます。日付は2001年6月12日です。

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生き抜いていきましょう 投稿者:さらさわつよし  投稿日: 6月12日(火)21時22分34秒


 被害に遭われた大阪の小学生の方々は本当に可哀想です。亡くなられた方、怪我をした方、本当に酷いです。本当にそう思います。
 しかし、この連日の報道やその内容には悲しくなります。本当に泣きたくなるぐらい悲しいです。皆さんは本当に「精神病者」は危険な人間だと思いますか。そう思う人は「精神病者」の何を知っているのですか。
 この日本では「精神病者」は本当にひどい状況におかれています。本当に差別されています。本当に殺されています。本当に孤立しています。「精神病院」に何人の人達が収容されているのか知っていますか。そこでどのような「処遇」をされているのか知っていますか。皆さんは簡単に「処遇」という言葉を使いますが、いったい「処遇」とは何ですか。どんな気持ちでその言葉を使いますか。「精神病者」にとって「処遇」とはまさに<生死>にかかわる言葉です。「精神病院」の中では<絶対服従>を強いられます。そして、ほとんどの「精神病院」が、閉鎖されたなかでの<人間の捨て場所>となっています。また、「地域」の隣人から、「家族」から、「親族」から、そして「社会」から、どのように差別され、排除され、孤立し、<生きる場>を奪われていくか知っていますか。そのような状況のなかで<生きる>ことが、まさに、ただそのことがいかに大変なことか判りますか。
 私達「精神病者」は<生きて>いるのです。「病気」をかかえて必死に生き抜いているのです。地を這いながら、「血を吐き」ながら、生きているのです。日本中のどこでも、「地域」のなかでも、「病院」のなかでも、たった一人でも、多くのなかまとともにでも、必死に生きています。私は、その≪なかま≫を信じています。
 「精神医療」はそのような私達を一貫して、ひとりの<生きて>いる人間としてではなく、ひとつの「もの」として扱ってきました。私達「精神病者」が「病気」という「苦」をかかえて必死に生きようとしているとき、救いを求め、一緒に生きていくことにとことんまで付き合ってくれることを「医療」に求めているときに、「精神病者」を信用せず、「社会」の安全と「市民」の健康な生活を脅かす「もの」として「精神病者」を取り扱い、「治療」と称して隔離し、拘禁し、投薬し、そして管理し、「精神病者」を出来る限り「社会」にとって無害化することに専念してきました。「精神医療」と呼ばれるものは今まで一貫して私達の側を向いた事は無く、常に「社会」の側を向いてきました。それでも飽き足らず、法務省と厚労省は「合同検討会」をつくって「精神病者」をより強く社会的に管理する仕組みを探ろうとしていたのです。今、この酷い事件によって、それを後押しする大きな世論がつくられようとしています。それは、私達「精神病者」にとって酷いことです。私達が求めていることは、いつか Yさん が書かれていたように『たった一人の声を、たった一人の存在を認め合う』ことです。それが『本当の強さ』だと私も思います。私は「司法精神医学」の存在を認めることはできません。それは、上に書いてきたような論理の延長上の産物であり、「医療」などであるはずもなく、私達「精神病者」の存在を押しつぶすもの、社会的な文脈の中で「異常者」をつくりだす事にしか奉仕しないものだからです。人間の「危険性」を予測することなど絶対にできません。「司法精神医学」によってもたらされる「社会の安全」と、それによって犠牲になる(不必要な適用をされる)多くの人々の<人生>が釣り合わないばかりでなく、つまり「司法精神医学」があってもこのような事件は必ず起こるというだけではなく、私達「精神病者」すべてを社会的な文脈の中で潜在的な「異常者」としておとしめるものです。
 それでも保安処分は完成するでしょう。このような矛盾は放置されたまま、「社会」の悪意に曝され私達は生きていかなければならないのです。でも絶望はしたくないです。とにかく<生きて>いくことです。それが私達の仕事です。私は≪なかま≫を信じています。<ここにわたしがいる>と日本全国で叫んでいる声が私には聞こえるようです。≪なかま≫の皆さん、どうか、生き抜いていきましょう。

2006-03-13 21:01:26

資料:地域精神医療に心理職国家資格が必要という全心協の意見(ある「心理士」のブログより)

テーマ:メール

 いま、「心理士」である彼女のブログを少しずつ読んでいます。

 

 これから紹介するのは、2005年9月4日のエントリーで、全心協の主張が紹介してあります。

 

 彼女が、どういう気持ちでこれを紹介したのかは良く分かりません。しかし、この「全心協の主張」というのは許せないものです。
 まず、医療観察法下の「参与職」に心理職が国家資格を持っていないと参加できないということが述べられています。正直許せません。医療観察法を認めたうえで、その「参与職」につきたいということが堂々と表明されています。(そして、そのために「国家資格」が必要だと述べています)
 今ひとつは、ACTについてのことです。ACTは入院治療から地域医療へという言葉で欧米から紹介された、「精神障害者」の24時間介護プログラムです。僕らはいろんな意味でこのACTというものを警戒しています。いまここでその論点を一つずつ述べることはできませんが、あきらかに、ACTは僕ら「病」者の《想い》とは対立するもので、患者会運動とも相容れないものだと感じています。理屈でなく、うさんくさいものだということです。このACTについても積極的に参加するために心理職は「国家資格」が必要だと述べています。 

 さて、このブログの筆者である彼女は、どういう気持ちでこのような「全心協の主張」を紹介したのでしょうか?やはり、肯定的に紹介したとしか考えられません。全心協の会員であり、「心理職の国家資格化」を実現するためにこのブログを書いている彼女は、ここに書かれてある「全心協の主張」に基本的に疑問を感じてはいないのではないのか、と想います。

 本当に腹が立ちます。(彼女が前進友の会と親しかった過去があり、我々の味方・ともだちだと信じてきたからですが・・・)

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2005年09月04日
資料:地域精神医療に心理職国家資格が必要という全心協の意見
CP武蔵さんより、「なぜ地域精神医療の病院・施設に、心理職の国家資格が必要なのか」についての全心協の考えを聞きたいというコメントをいただきました。

会員以外の目には触れないものですが、必要な情報だと思い、独断で、「全心協ニュース」より引用抜粋し、参考資料にさせていただきます。

要点は、「地域精神医療・保健・福祉において、精神障害者のケアに、心理職独自の視点・技能が役立っているが、国家資格がないと、これからの多職種チームによる統合型ケアに心理職が(心理職として)参加できなくなる。」ということだと思います。

<全心協ニュースNo.46 2004.07  巻頭言 全心協会長 宮脇 稔>より

「…精神障害者の社会復帰施設では、臨床心理技術者の存在意義は大きく、利用者の心理的な揺らぎや不安、緊張やとまどいに寄り添って援助するかかわりを期待されています。しかし、今後の社会復帰施設の運営費は、施設が提供する支援、教育、訓練メニューを点数化する方式が採用される方向にあり、臨床心理技術者の国家資格ができないままでは、そうした点数化の流れに、上記のようなかかわりが採用される可能性が低いと思われます。精神障害者の社会復帰を促進させるためのケアマネージメントを行う職種も、精神保健福祉士が採用され、訪問看護の診療報酬請求には精神保健福祉士の訪問が正式に認められました。また、医療観察法案の参与職も精神保健福祉士が登用されようとしていますが、そのいずれにも臨床心理技術者は対象から除外されています。こうした処遇は、臨床心理技術者がその任務に適さない職種であるからでなく、国家資格でない職種であるからに他なりません。

ACT(包括型地域生活支援プログラム)は医師、看護師、精神保健福祉士等の多職種チームで、生活を中心に医療も提供する医療・保健・福祉サービスを重症精神障害者に提供するプログラムでありますが、このプログラムの遂行には医療的援助と福祉的支援の両面からのアプローチが必要であり、その有効性を高めるための触媒や潤滑剤としても臨床心理技術者の役割は重要であると考えます。しかし、資格のない現状のままでは、日本でのACT専門家チームの一員として、臨床心理技術者が参加することは非常にむずかしいことが予想されます。

 国家資格への理念や理想は大切にしたいと思いますが、危惧や不安あるいは疑問は解消されなければなりません。同時に現実的な対応や妥協できる道筋を具体的に探ることは重要であり、今はまさにその時期であると考えます。医療領域の臨床心理技術者が、これ以上時代の流れに取り残されないためにも、全心協はいっそう気を引き締め資格創設に取り組まねばならないと考えています。

 気がつけば医療現場から臨床心理技術者が閉めだされてしまっているといった、取り返しのつかない事態だけは何としても回避したいと切に願っています。…」
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  皿澤 剛


2006-03-09 12:10:45

ある「心理士」の独白(あるウェブログより・2005年8月9日)

テーマ:メール
 このブログの「心理士」(管理人)は個人的に知っているが、あえて名前は出さず、URLも今は出さないでおく。正直、俺は怒っている。
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2005年08月09日
必要なふたつのこと
国家資格化実現のためには、「心理職がひとつにまとまること」「心理職と医師や他職種との意見が一致すること」の二つが必要だと思う。

「医療心理師」国家資格化に向かって、15年に渡って厚生労働省や、今回の議員連に対して、当事者団体として運動を続けてきた全心協は、今年になって、ようやくその存在を、多数の心理職、関係者に知られるようになった。会員数が急激に増えて、500名を超えたと聞いている。

全心協が国家資格化を要望する理由は、そのホームページで明らかなように、「国家資格がないと、この先、心理職が医療機関で職を失う」という危機感による。医療機関で、利用者に直接治療的な行為を行っている職種のうち、現在もまだ国家資格がないのは、心理職のみである。特に、精神医療では、保険点数が取れる作業療法士の雇用が確保されているのに比べて、心理職は、点数に結びつかない「不採算部門」として、大変肩身が狭い。他のパラメディカルと同様に、国家資格化して、保険点数や配置基準に結びつけ、医療機関での心理職の雇用の安定をはかりたい。それが、全心協が運動してきた大きい理由であると思う。全心協の発想は、労働運動のようなところがあると思う。

もう一方の当事者団体である臨床心理士会・関連諸団体は、心理職と、それに何十倍する「心理職をやってみたい学生その他」を抱えていて、アカデミックな指向性を持っている。国家資格に関しては、「医師と対等」「横断資格」「大学院卒」という3本柱をずっと掲げてきた。全心協に集まった当事者たちから見れば、臨床心理士会の主張は、医師諸団体の賛同を得られない案であり、臨床心理士会に任せていては、国家資格そのものができそうになかった。国家資格がないと職場そのものを失うかもしれないとう危機感があって、独自に作った当事者団体が全心協である。こうして、医師諸団体に対する立場の違いによって、心理職の当自者団体が2分されることになった。

全心協は、医師諸団体と折り合っているが、人数が少なく、臨床心理士会は、人数が多いが、医師諸団体と折り合わない。その構図のまま15年も経過した。そして、先月末の「見送り」も、まさにその構図のために生じたことだった。人間関係を調整するプロ集団である心理職をもってしても、この構図を解決するのは非常に困難?なのだろうか、、、

国家資格化実現のためには、「心理職をひとつにする」「医師、その他職種の賛同を得られる」ことが必要である。それは、本当にそんなに難しいことなんだろうか。もしかすると、私たちは、とても単純なところでつまづいてしまっているのかもしれない。


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 彼女(この「心理士」)は、「心理職の国家資格化」を強力に押し進める「活動家」になりはててしまったようだが、もはや度し難いといえよう。

 そもそも、彼女の言う「心理(学的)援助」というものは何を指しているのか。彼女に言わせれば「心理学の専門家」「心理技術者の専門的援助」ということだが、それは何を指しているのか。それはまた患者・「病」者を「専門家」の名のもとに服従させ・操作し・抑圧することではないのか?
 俺に言わせれば、むしろ現実のいろんな(そして悲惨な)状況を個人的な「心理(学)」に還元しようとする心理職の「心理学主義」に非常に危険なものを感じる。そして、それは「病」者の《想い》や《キバ》を抜くものになり、今度の「医療観察法」の「専門治療」でも活用されることになるだろう。そして、「国家資格」になればそれを大いばりでできるようになるだろう。こんなことも彼女には想像できないのか?

 百歩譲って「心理援助」というものを認めるとしても、どうしてそのために「国家」から「お墨付き」を得なければならないのか?このようなことは、全家連・日精協などの「敵」が強力に押し進めていることでもある。彼女に対しては2004年の暮れに前進友の会に来てもらったとき、強くそのことを糾弾し伝えたはずだが、彼女には伝わらなかったのか。非常に残念だ。


  皿澤 剛
 
2006-03-05 18:00:05

うつ病のしんどさ

テーマ:ブログ

 先月から続いているうつ病の波が、まだ今も続いている。今日はいい天気だったが、一度も外出せずに自分の部屋で閉じこもっていた。


 先月はしばらく転地療養をして少し元気になったが、やはりまだうつ病のしんどさがつづいている。前進友の会のみんなの部屋には行けるようになったが、まだ無理はきかない。抗うつ薬は3種類、それを含めて毎日10錠クスリを飲んでいるが、良くはならない。食欲もない。風呂にも入れない。被害妄想・迫害妄想・貧困妄想と強い不安が襲ってくる。眠れない。身体がぐったりしてしんどい。精神病のうつ病には、このように、感情障害・思考障害・身体障害・睡眠障害が起こってくる。そして死にたくなってくる。決して「こころの風邪」などでは無い。それが、「神経性抑うつ」・「抑うつ神経症」との大きな違いだ。


 今日は、何もできなかった。テレビを見て、音楽を聴いて、インスタントコーヒーを飲んでボンヤリしていた。それでも、生きていかなければと想った。

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