いぶし飼い『繭の山河』

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今年の2月だったかな、仕事帰りに高崎駅の本屋でこの本を購入しました。やっと先週末に読みまして、良かったのでご紹介します。

 

上州のきぬ遺産『繭の山河』 永井佐紺著

発行:上毛新聞社事務局出版部 価格:1,000円+税

 

内容は、養蚕飼育の主要技法である「いぶし飼い」を普及させた片品村の夫婦、紺周郎と妻・おいとの物語。明治時代初期、この技法を広めるべく、各地を訪れた夫婦が、実地指導を通してさまざまな人々とふれあい、広めていくさまが、心温まる筆致で描かれている。(上毛新聞社の本より)

 

メインの「いぶし飼い」からは話が少し逸れますが、私が好きな本の中に対馬の衣食住について調査したものがあります。そこには養蚕の事も書いてあり、昔は蚕の卵を懐にいれて人肌で温めて孵化を促したそうです。ずいぶん前に、この事を人に教えてもらったときは大興奮しました。それと同じ話がこの「繭の山河」にも書かれています。対馬の話を教えてもらったときは、この島だけのことではないかと決めつけて自分の記憶に留めていたけれど、江戸や明治の生活を想像してみるに、人肌で温めていたというのはごく自然なことのように思います。「繭の山河」では、人肌では孵化にばらつきが出るため、永井紺周郎が火気を使い催青に適した温度と湿度を室内に人工的に作り出そうと試行錯誤したことが書かれています。この本を読んで、対馬の聞き取りは昭和60年代であることが興味深いのだと考えを新たにしました。

 

さて、この物語は養蚕技法を広めた人の話なので専門用語や飼育技術に関する文章が目白押しです。養蚕中は火気を使わない習わしだった土地で、偶然火気を使ったところ蚕病が出なかったことを切っ掛けに研究を重ねて確立していった「いぶし飼い」。こうした方々の研究のお陰でいまの飼育法があるのだと改めて思います。蚕を育てたことがある人が読むと頷けることがたくさんあります。蚕を知らない人にとっても全体的に歴史小説のようなタッチで描かれているので読みやすいです。また、著者は紺周郎のひ孫さんのようです。祖母から聞いたと書かれた一文もありました。この地を愛おしんで書いたと感じる細かな描写は、まるで当時を見てきたかのように生き生きと描かれ楽しく読み進めました。

 

 

 

 

 

 

さて、去年の6月に群馬県利根郡片品村へ遊びに行きました。そこで、永井流養蚕伝習所の場所まで足を伸ばしました。ブログに書く機会が無かったので、ここに記します。

 

伝習所の実習棟は、写真中央の木造です。道に標識があるのですぐわかります。個人宅のため、通常は外観のみしか見られないようでした。

 

 

 

 

近くに紺周郎さんと妻・いとさんのお墓がありました。

 

 

 

 

 

 

お参りさせていただきました。墓石には功績が刻まれていました。たぶん、向かって右がそのお墓です。左の墓石には「故第二代永井紺周郎・・・」と刻まれていたので、娘夫婦のお墓かな。2代目の紺周郎は娘婿の文作さんだと本にありました。

 

伝習棟のところにあった道案内に、蚕稲荷まで徒歩50分とありました。これにも興味が出ましたが、伺ったのは夕方で稲荷の場所は山奥のようだったので、またの機会に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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