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2010-02-21 09:50:38

天壌無窮の神勅

テーマ:日本

天壌無窮の神勅

http://blogs.yahoo.co.jp/hotsuma816owhari/25431893.html


天皇家は万世一系が定められていますが、
これは天照大神が孫の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に対して、
次のように命令したことによります。

《豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂国は、
是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。
宜しく爾(いまし)皇孫、ゆきて治せ。行矣(さきくませ)。
 宝祚(あまつひつぎ)のさかえまさんこと、
まさに天壌(あめつち)と窮(きわま)りなかるべし》(『日本書紀』巻二)

 これが「天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅」といわれるもので、
瓊瓊杵尊は稲の種をもらって日本に降臨、以後、稲作の神様となりました。
 降臨するとき、瓊瓊杵尊は真床追衾 (まどこおうふすま)にくるまれていたと言います。

 松下幸之助氏は、日本の「伝統精神」の特徴として三つを挙げていたそうです。
それは、・・・「第一に衆知を集めること、第二に主座を保つこと、第三に和を尊ぶこと」です。
 幸之助氏が理想として考える日本の政治体制は、
「天皇を頂にして、国民が和を尊びながら衆知を集めて議論している姿である。」として、
古代における天皇の政治は「みなの幸せということを中心に考え、徳の政治から出発している」とし、
日本の政治の出発点を「天壌無窮の神勅」と同じ思想でとらえていたようです。

「天壌無窮の神勅」以来、天皇家は天下の民が困窮しないようにする義務を負い、
国民の有志はこれを助けるために臣下となって天皇を補佐してきたと云う。
 平安時代の右大臣、左大臣も「臣」であり、
近代以降の内閣総理大臣も、形の上では天皇の「臣」です。
現在の日本国憲法でも、総理大臣の「任命」は天皇が行なうことになっています。



神勅(しんちょく)とは の与えた命令、またその文書をさす言葉である。


http://www.weblio.jp/content/%E5%A4%A9%E5%A3%8C%E7%84%A1%E7%AA%AE%E3%81%AE%E7%A5%9E%E5%8B%85

天壌無窮の神勅

一般的に神勅といえば、『日本書紀 』の天孫降臨 の段で天照大神 が孫の瓊瓊杵尊 らに下した以下の3つの神勅(三大神勅)のことを指す。

  • 天壌無窮の神勅 -- 葦原千五百秋瑞穂の国は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。爾皇孫、就でまして治らせ。行矣。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無けむ。
  • 宝鏡奉斎の神勅 -- 吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。与に床を同くし殿を共にして、斎鏡をすべし。
  • 斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅 -- 吾が高天原に所御す斎庭の穂を以て、亦吾が児に御せまつるべし。

さらに、同段で天照大神が臣下の天児屋命太玉命 に下した「侍殿防護の神勅」「神籬磐境の神勅」を併せて「五大神勅」という。

その他

天壌無窮の神勅については、古事記 の天孫降臨の段にも「この豊葦原水穂国は、汝知らさむ国ぞと言依さしたまふ」という同様の文章がある。文章はそれぞれに異るが、瓊瓊杵尊およびその子孫が君主となって日本 を治めることは、神の意志に基づくものであるとする内容が共通しており、瓊瓊杵尊の曾孫磐余彦が神武天皇 として即位して以来、その地位が天皇家 によって受継がれてきたと、かつては考えられていた。戦前 期にあっては、天皇 が日本の君主 であることの、法制 的・歴史 的・宗教 的根拠とされた(万世一系 の項参照)。

神勅については、近世 以前まではことさらな国粋主義国学者 などを別にすれば特に強調されることのない概念であったが、明治 後期以降、急速な近代化の進展にともなって、共和政体共産主義 を志向する勢力の伸張や、天皇機関説憲法学 説において主流をなすようになると、これに対抗するための論理的根拠として用いられることが多くなり、特に戦中 にあっては皇国史観国体 論と結び付けられて、政府公認のイデオロギー を支える基盤のひとつとして用いられた。



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