グラバー、ジャーディン・マセソン、東インド会社、サッスーン、
アヘン、ロスチャイルド、といったキーワードは、過去のものでは
ないんですよね。

 横浜開港を祝う奴隷民族、TPPを第2(でしたっけ?)の開国
と呼び、あの開国が何か素晴らしい事の始まりだったかのように
言い立てた”革新”出身首相・・・あ、彼も山口出身でしたね。
田布施じゃないかもしれませんが。

「歴史放談」さん
http://rekishihodan.seesaa.net/article/386746091.htmlから↓

2014年02月02日

ジャーディン・マセソン年表

1832年 ウィリアム・ジャーディンとジェームス・マセソンにより中国の広州で創業
 ・ジャーディン・マセソン商会 創業物語

1840年 イギリスと清による阿片戦争が勃発[勃発というのはまずい、
自然に起きたみたいな感じがするので=katsuko]
 ・林則徐 VS ジャーディン・マセソン商会 ~そして阿片戦争へ

1842年 阿片戦争終結後、南京条約を締結。香港がイギリス領になる。同時期、香港本店に移転

1843年 上海支店を設立
 ・長州ファイブをロンドンにいざなったジャーディン・マセソン商会

1859年 横浜開港。ウィリアム・ケズィックが横浜支店(英一番館)を設立
 ・ジャーディン・マセソンを経営するケズウィック・ファミリー
 ・横浜中華街の歴史

1859年 トーマス・グラバーが、ジャーディン・マセソン商会長崎代理店として「グラバー商会」を設立
 ・長州ファイブをロンドンにいざなったジャーディン・マセソン商会

1863年 グラバーやウィリアム・ケズウィックが長州ファイブのイギリス留学を支援
 ・長州ファイブをロンドンにいざなったジャーディン・マセソン商会
 ・ロンドンに降り立った5人の侍、長州ファイブ

1867年 天津事務所を開設し華北でも海運業を開始。この頃、唐廷枢が買弁責任者に
   [1868年は”明治元年”です。明治発足と吉田健三の入社の正確な 前後はわかりませんが=katsuko]
1868年 吉田健三(吉田茂の養父)が横浜支店に入社。後に横浜支店長に就任

1881年 何東(ロバート・ホー・トン)がジャーディン・マセソン商会に入社。後に総買弁、中国総経理を歴任
 ・ジャーディン・マセソン商会と何東一族

1881年 天津事務所を天津支店に格上げ

1921年 天津ジャーディン・マセソン商会ビルが天津イギリス租界地に完成

1922年 上海支店ビル(旧ジャーディン・マセソン商会ビル)が外灘に完成

1923年 関東大震災を機に、日本の拠点を横浜から神戸に移転

1935年 書類・資料をケンブリッジ大学図書館へ寄贈
 ・わずかにあるジャーディン・マセソンの研究書

1945年 終戦

1949年 中華人民共和国建国。中国大陸の支店網はすべて接収・閉鎖される

1963年 マンダリン・オリエンタル香港開業
 ・現在も鋭意展開中のジャーディン・マセソン
 ・ジャーディン・マセソンを知る旅 in 香港

1972年 イギリス・中国の外交関係が正常化。翌年、ジョン・ケズウィックと周恩来首相が会談
 ・ジャーディン・マセソンを経営するケズウィック・ファミリー

1973年 ジャーディン・ハウスがオープン
 ・ジャーディン・マセソンを知る旅 in 香港

1979年 安田弘(安田善次郎の曾孫)が日本法人に入社。後に社長、会長を歴任[安田財閥は現在の富士銀行ですね。]

1984年 登記簿上の本社をバミューダ諸島[ここ、何?=katsuko]・ハミルトンに 移転

1988年 長江実業の李嘉誠が敵対的買収を仕掛けてくる
 ・李嘉誠の登場 ― 香港の歴史が変わった瞬間

1988年 上場を香港市場から、ロンドン市場とシンガポール市場に移転

2005年 マンダリン・オリエンタル東京開業
 ・現在も鋭意展開中のジャーディン・マセソン

2005年 ロスチャイルド・ホールディングスの株20%を取得

2012年 ベン・ケズウィックがトップに就任
 ・ジャーディン・マセソンを経営するケズウィック・ファミリー


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