昨夜NHKの「豊饒の海よ蘇れ」という番組を見た。

 重茂漁協が津波による壊滅に近い状態から立ち直ろうとしている努力の記録。

 漁業は個々の漁師の腕と多少の運で稼ぎが決まるというもの。組合長の伊藤さんが、必死で県中から安九て済む中古の船を集めるがとても元通り一人に一艘というわけにはいかない。船自体それで従来の漁のありかたとはまったく異なる、複数の船を複数で使う共同所有方式を提案する。組合員約500人が集まった総会で、反対意見はなく、その方式でスタートした。家も土台しか残っていない、船も装備も全て流されて途方に暮れていた人にはこのうえない救いと感じられる方式だった。しかし経験・腕が異なる漁師のうちの誰と誰と誰とを組み合わせて乗船するか、それでも足りないから、何人かの人には沖には出ないで例えば獲れた天然わかめを浜で湯通しする係に専念してもらうのか、といった具体論ではどうしてもまとまりにくいところはあった。

 とにかく最初にスタートしたのは天然わかめの漁だった。天然わかめはうれしいことにとてもよく育っていた。ただ必死で働いたのに例年の4分の1の収入にしかならない、他方俺ほどの働きはない漁師にも同じだけの収入があるのには納得がいかない。そういった不満を述べる人も出た。

 こうした伊藤組合長を初めとする全員の血の出るような苦労を見ていながら国は何か月も拱手していた。

 岡田克也が来て助けると、抽象的には言うがいくら出すと具体案は何も言わない、補正?予算が決まって官僚が来るというので今度こそと期待すると、これは「原状回復」のための予算であり、そういう船の使用形式は新規のものだから、「復興」に当たるので、復興予算が決まらないうちは金は出せない云々・・・

 が、定置網漁のための大型船が修理先から帰ってくる、国が何ら手をさしのべてくれないので岩手県が独自に支援予算を立ててくれた、あるいは津波後初の定置網漁は大漁になったと、少しずつ真っ黒な雲から一条の陽光が見え始める。

 その定置網漁初日、売り上げは約500万円で、一日の額としては大きかったものの、欲しい額である何十億という金にはまだ程遠い。とはいえ漁師たちの日焼けした頬が思わずほころんでいた。

 宮古でも重茂はとくに貧しい漁村だったが1960年ごろから○○さんがわかめの養殖を始め、それが功を奏して、1990年頃からは寧ろ日本一豊かな漁村に変貌していた。津波はその重茂を奈落の底に突き落とした。

 伊藤さんはその○○さんの片腕として22歳ごろからずっと働いてきて今72歳。知力行動力気力十分、何より漁師たちの気持を斟酌<しんしゃく>してくれる人だけにで、組合員の信頼があつい。

 ・・・とこれだけでもすばらしいドキュメンタリーなのだが、この重茂漁協は、青森県下北半島太平洋岸の六ヶ所再処理工場が大量の放射性廃液を三陸の海に垂れ流すことに、いちはやく反対の声をあげ、他の漁協が、反対反対と騒ぐとかえって風評被害を生むのではないかと逡巡しているのを、風評被害はいつか消えるが放射能は消えないという一言でまとめた、内村鑑三風にいえば代表的日本人に上げたい傑物。

 番組はこの経緯に一言も言及しておらず、画龍点晴に欠く嫌いがないではなかった。製作者の苦労に感謝するものではあるけれども。


 ※ 固有名詞・数字・時系列等未検証ですがご寛恕ください