↓原子力資料情報室の澤井さんからの情報です


原子力発電を考える石巻市民の会 さん

http://shiminnokai.info/cat58/post-5.html


津波に襲われ廃墟と化した県原子力センター

女川原発周辺の放射線監視システムは壊滅状態

いきなり、かつて経験したことのない強く長い揺れが家を襲い、間もなく、高い津波が来るので避難してくださいとの石巻市の警報が流れたので、90歳になる寝たきりの母を車椅子に乗せ妻や長男夫妻、長女と近くの小高い丘(日和山)に避難したのは、11日午後のことでした。

それから今日で早くも9日が経ちました。

まだ、悪い夢をみているかのようです。

この地震は、なんとマグニチュード9の巨大地震とのこと。

津波被害は、岩手県から福島県にかけての大平洋沿岸と、かつてない広域に渡っているようです。

まちや道路が水をかぶって鰐山と日和山一帯が孤立し、また、停電するなどして一切の通信手段が断たれたため、一時は同じ石巻市に住む親戚や仲間との連絡もできなくなってしまいました。

幸いなことに、14日、外部に通じる道路の一部が通れるようになったので早速それまで行けなかった場所を探し回るなどしました。

きのう19日、電話やインターネットもできるようになったので、 これから何回かに分けて、今回の地震と津波に関して直接目にしたことを中心に報告したいと思います。

◆ ◆ ◆

子供や親戚などの安否とともに心配だったのは、女川原発の状態。

13日、今や唯一の通信手段となった携帯ラジオで、同原発の敷地境界のモニタリングポストの放射線測定値が1時間あたり21マイクロシーベルト(通常値の700倍)にまで上昇したことを知りました。

3基とも(冷温停止状態に持ち込むことができて)安定した停止状態にあり、排気筒モニターの測定値も非常に低いので、モニタリングポストの測定値の上昇は女川原発とは関係がない。

上昇は福島第一原発から放出された放射性物質の影響によるもの。

こう東北電力は見ているとのこと。

しかし、女川原発の周囲の環境放射線量を常時測定している11箇所のモニタリングステーションの値に全く触れないのはどうしてなのでしょうか。

本当に3基とも冷温停止に持ち込めたのでしょうか。 

13日、地盤が低下したのか「水攻め」状態の市役所に膝までの水を漕いで渡り戦場のような忙しさの防災対策課に行って聞いてみると、前日に石巻地域消防本部から無線電話で、福島第一原発から放出された放射性物プリューム(気団)が女川原発方面に流れていると連絡が入ったが、それ以外は、原子力安全・保安院(ふあんいん)と間の衛星電話を含めてあらゆる通信手段が使用不能状態で、電力からも国からも県からもどこからも何の連絡も入ってきていないというではありませんか。

ひとまず女川原発の状態については安心したものの、隣の県の福島原発の何基もが放射能放出事故を起こしているだけに、ますます女川原発周辺のモニタリグ施設がどうなっているのかが気になってきました。

3月14日、女川方面もどうにか遠回りで通れるようになったようなので、親戚などの安否の確認を兼ね石巻から自転車で女川に向かいました。

下の一連の写真は、その際に目にした女川浜伊勢にある宮城県原子力センター等の様子です。

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原子力センターの手前の道路は小石や土砂でおおわれ、どこが道なのかわからなくなっていました。

電柱は津波で根元から押し倒され、木造の家はずっと先の山ぎわに至るまで、ほとんどが流されてなくなっていました。

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2階建ての原子力センターは津波に呑まれ、玄関も2階の窓も全部破壊されていました。

職員や女性事務職員は、すぐに仕事を打ち切って無事に高台に逃げることができたのでしょうか。

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これは、正面の入口などの様子です。

2階の向こう側の窓ガラスなどもみな壊れているのがわかります。

県原子力センターは、女川原発周辺の環境放射線や環境放射能(放射性物質)の測定・監視を行なっている中心施設。

宮城県は、環境放射線については、同センターと11か所(県分7か所、電力分4か所)のモニタリングステーションおよび放水口モニター(3箇所)をテレメーターシステムでつないで、空気中と海水中のガンマ線(放射線の一種)をリアルタイムで測定しています。

そして、毎分毎時、周辺公衆の受ける放射線量が「法令値(年1ミリシーベルト)を十分下回っていることを「確認」し、また「原子力発電所からの放射性物質の環境への予期しない放出」を監視しています。

その環境放射線監視システムが、今回の地震・津波で根こそぎ破壊されてしまったのです。

夕方、親戚の安否を確認しに行った避難所の一つの町総合体育館で、町の災害対策本部が下隣りの女川第二小学校に置かれたことを知りました。

夜になって災害対策本部を訪ね企画課長さんなどから聞いた話では、原子力センターの職員2人と女性事務職員2人が行方不明になっているとのことでした。

幸い石川所長は助かって、この日朝、仙台の県庁に向かったとのことでしたが…。

(女川町には国からも電力からも県からもどこからも何の連絡も入っていなかった)

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これは、隣にある国の原子力保安検査官事務所兼原子力防災対策センターです。

屋上から垂れかかっているものは、近くの工場か駐車場の屋根のトタンでしょうか。

手前に突き出た玄関はもぎとられてなくなり、中もことこどく破壊されてしまった様子です。

所長さんは行方不明とのことでした。

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写真左奥の建物が原子力センター、右が原子力防災対策センター。

女川原発の放射線・放射能監視の中心施設であり、原発事故の際の中心となる施設であるこれらの施設が、津波に呑まれて壊滅状態となろうとは……。

有名な津波地帯に代々住んでいるにもかかわらず、私自身津波を甘く見ていました。

想定をはるかに超えた地震とはいえ、これらの施設の建っている土地はおそらく海抜2メートル未満。

私同様、国も県も、地震特に津波を余りにも軽く見ていたのではないでしょうか。

それが、このような惨状を生んでしまったのではないでしょうか。

福島原発で放出された放射能が風向きによっては海を超えてこちらにもやってきている今、女川原発周辺の放射線モニタリングの状況は、このようなありさまです。

 (日下郁郎)

◆ ◆

左下は、1キロほど先の女川湾の方をふりかえってみた写真。

鉄筋コンクリートの水産加工工場なども骨組みを残しているだけだった。

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原子力センターを通り過ぎ山ぎわまで進んで右手の清水2区と3区を望むと…、ひっくりかえった船がこんな奥にまで押し流されてきていた。

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