[②は一つ前にUPしています。]
◇辺野古は40年前アメリカがベトナム戦争のための滑走路・軍港にしたいと目をつけたが、金がかかり過ぎるのでやめたもの。
◇“普天間を閉じるかわりに辺野古を”というのはどこからともなく湧いてきた話に過ぎない。
以上がこの一つ前の記事で紹介した番組でわかったこと、確認できたこと。
また沖縄が、アメリカにとっては“日本を守る”ためでなく、地理的に
戦争をするのに便利な場所というだけのところだというのが改めてわかる話でした。
以下番組の紹介です[編集中]:
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大浦湾(辺野古)は1960年代に軍港建設適地として狙われていた。
浅瀬、埋め立てて空港をつくりやすいから[?]
漁師 玉城さん談
1962年突然米軍がさんごを爆破
船がとおりやすくするためだった。
琉球朝日放送の取材
広大な地域の測量を ○○[自治体の長]が許可
当時はベトナム戦争。新たな基地が模索されていた。
だがこの辺野古具体化せず。
佐藤学さん 沖縄の大学の教授
真喜志さん
1966 米軍関係者が作成した埋め立て&空港建設案は現在呈示されいる案と同じ。
同じ計画案が引き続いている。
番組:
地元の全てが反対しているわけではない
容認派と反対派の対立はある。
佐藤さん談
北部の東岸 経済的に弱い場所
番組:
基地が巨大化→米兵の犯罪が懸念される
当時もそうだったが今も。
先月も
11/7 六十代の男性がひき逃げされ既に死亡しているのが発見された。
生活道路 明るい時間帯だった
数時間がすでに経過
すぐ治療すれば助かったかもしれなかった。
現場近くの修理工場にもちこまれた車から被害者の血が検出された。警
察はすぐ加害者を特定した。
村長は理不尽な事件だとする。
現在の地位協定によると、検察が起訴しないと身柄拘束ができぬ
村長:協定はすぐ改定してほしい
1966の計画とは
3000mの滑走路2本と軍港。当時は沖縄返還前。
ここは水深が3~40mあり、大きい船が通れるし、もっというと潜水艦
も通れるので軍港に適すというので目をつけられた。
だが建設費用が莫大で、議会を通らずアメリカが自分でやめた。
1996 橋本・クリントン会談
普天間返還を決定。